#9:第6日 (5) 筏レース

 本館の6階へ行くと4時35分になっていたが、カティーが笑顔で待っていた。警備の主任と少し打ち合わせをしていた、と言い訳しておく。

「いいえ、あなたがお忙しいのは知ってますから、ちっとも気にしませんわ」

 カティーの服装は白い袖なしスリーヴレスのVネックのブラウスに、オレンジのミディ丈のスカート。ブラウスの胸元は谷間の上の辺りがボタンで留まっているが、その下に隙間が開いているのでブルーのブラジャーが見えてしまっている。というか、明らかに見せるための服と思われる。そちらに目を奪われないようにしないといけない。

 どの店がいいか訊いたら、ル・モントリオールがいいと言う。どうしてみんなここを選ぶのだろう。入ると、席に案内するウェイトレスがシックだった。俺を見て小馬鹿にしたような顔をし、席に着くとポケットから1ドル硬貨を取り出してテーブルに置いた。今日は早いな。

「やあ、シック、今日も君が注文を取りに来てくれて嬉しいよ」

「ハイ、アーティー、今日も違う女を連れてきたのね」

「あら、アーティーはもてるから、順番待ちは仕方ないんです」

 シックの軽い嫌みに、カティーが笑顔で事もなげに答える。気にしてないのはいいが、順番待ちってのは何なんだ。俺を誘う順番を、ディーラーの間で決めてるのか?

「そうなの。カティーは何番目の女?」

「今は私が1番です。2番目以降はありませんわ。明日はアーティーの最後の日だから、希望するディーラーがみんなで彼と食事会をするつもりなんですよ」

 待て待て待て、そんな話は聞いてないが、誰が決めたんだ? 明日はマーゴと夕食だっての。

「それは結構なことだわね。ところで、ご注文は?」

「そうですね、久しぶりにステーキが食べたいわ。メインは24オンスのTボーンにするとして、前菜はサーモンのタルタルにスープを付けて、デザートはシチリアン・カンノーロをお願いしようかしら」

「ウィ・マドモワゼル」

「アーティーはどうされます?」

「君、24オンスのTボーン・ステーキなんて食べられるのか?」

「だって、今日はとってもお腹が空いてるんですもの。それに、この後のことを考えたらたくさん食べておいた方がよろしいかと思って」

 いや、この後って何だよ。何も予定してないんだけど。よく解らないが、断り方は後で考えるとして、同じ物を注文しておく。

「そうだわ、アーティー、コレットから伝言があるのを思い出しました」

「伝言?」

「ええ、昨日、ハロルドにあなたと勝負するようメッセージを出した主を探してるけれど、まだ判らないんですって」

 あれか。俺はどうでもいいと思ってるんだが、気にしてるのは奴の方じゃないかなあ。しかし、どうやって調べてるんだろう。メモから指紋でも採ってるのか? もしそうだとしたら、俺が受け取ったメモも調べて欲しいものだが。

「昨日の勝負の結果は、今朝、カジノに来るまで教えてもらえなかったんですわ。アーティーが完勝したんですって? どんな戦略を使って勝ったのか、ぜひ訊かせていただけません?」

「いや、俺は別に何も」

「あら、アーティーだわ! カティーとデート中? 私たちもご一緒していいかしら?」

 気が付くとテーブルの横に、着飾った女が二人立っている。二人ともディーラーだ。確か、昨日まで夜勤のジェリーとアネットだったっけ。名前を憶えるだけでも一苦労だ。

「やあ、ジェリー、アネット。どうしてここへ?」

「F1ドライヴァーとデートする予定だったんだけど、まだ来ないの。すっぽかされたのかもしれない」

「あら、彼らって、今日も来たんだったかしら?」

「いいえ、昨日の夜に来てたの。その時、今日の予選が終わった後に夕食でもって誘われたのよ」

「だから、せっかくデート用の服を着てきたのに。ね、ご一緒してもいいでしょう?」

「でも、今日は私がアーティーとデートする約束をしてるのに……」

「あら、カティーはもう何度もアーティーと食事をしたはずでしょう? 私たちはまだ一度もご一緒してないのよ」

 不満そうなカティーを宥めながら、二人に席を勧める。カティーと二人きりでいるのは何となく危険な気がする。他の女は、そんな感じはしないのにな。

 呼ばないのにシックがやって来て、二人の注文を聞く。俺たちと同じようにステーキを頼んだが、大きさは半分の12オンスにした。

「こんなにたくさんの女と食事に来た男は、このレストランのオープン以来初めてだと思うわ」

「そりゃ良かった。後で君にもチップをはずむよ」

「じゃ、いつもの3倍ね」

 どうしてシックとこんな会話をしているかを、3人に説明する。ジェリーとアネットは楽しそうな顔で聞いているが、カティーは少し不機嫌そうだ。でも、この二人が言うとおり、俺と食事している時間はカティーが一番長いんだよな。火曜日、水曜日、そして今日だぜ。

「アーティー、改めて自己紹介するわね。フル・ネームはアンジェラ・スクーラー。出身はプリンス・エドワード島のサマーサイド。趣味は……」

 で、結局こうなるわけか。もちろん、その後、アネットの自己紹介も聞く。二人ともモントリオール出身ではないので、子供の頃にサンテレーヌ島に行ったか、などの質問ができないのが困る。それもあって、カティーの昔の思い出が訊きにくい。

 カティーと二人きりにならなかったのは俺の責任だけど、これではターゲットの情報を得るどころではない。他の女と話をするときもそうだったが、とにかく邪魔が入りやすい。そこをうまくやれ、というのがこのステージのミッションなのだろうか。

 あるいは、彼女たちはキー・パーソンに思えても実はそうではない、無駄に時間を使わせるためのダミーだ、ということなのか。質問に答えさせられるばかりで、ステーキを食う暇もない。カティーは話の合間にぺろりと平らげてしまった。そういや、初めて会った夕食会でも食べるのが速かったなあ。

「あなたの研究のことも教えて欲しいわ。有名な理論はないの?」

 アネットがせがむので、仕方なく例の論文の内容を話す。カティーは一度聞いているので、二人の簡単な疑問に勝手に答えたりする。しかし、「それ、本当?」と俺に向かって訊き直されてしまうので、単なる二度手間だ。

 6時頃に食事を終え、場所をバーに移す。ここに来るのは3日ぶりくらいだが、金髪ブロンド美人のサーシャを見るのも久しぶりだ。彼女の方も俺を憶えていたらしく、女3人を無視するかのようにあの甘ったるい表情で俺の方ばかり見てくる。もっとも、女たちの注文は全部俺が聞いたので、俺の方を見ているだけで用が足りたからかもしれない。

「アーティーはお酒をあまり飲まないのね。やっぱりアスリートだわ」

 そう言いながらジェリーが俺の腕を触る。どうしてこのカジノのディーラーは気軽に触りに来るのだろう。飲み始めてしばらくしたら、サーシャがスマートフォン――いや、内線電話の子機だな――を持って来た。「外から電話」と言う。カジノのフロントにでも架かってきた電話を、転送してくれたのだろう。誰から架かってきたのかは簡単に想像が付く。女たちに断って、電話に出る。

「ハロー、アーティー、これから少し時間がある?」

 やはりジャンヌからだった。周りがざわついているのが微かに聞こえてくる。

「残念ながら先約ありで、軽食中スナッキングだ。緊急の用か?」

「そういうわけじゃないけど、これからピットの横でラフトレースをやるから、見に来てくれたら嬉しいわ」

ラフトレース?」

「そうよ。各チームでラフトを作るところから競うの。マグナスは、私が船長キャプテンなのよ。漕ぎ手としても出場するわ。水着になるから必見だと思うけど」

「そいつは君のファンなら大喜びだろう。相手がOKするなら見に行ってもいいが、クレデンシャルは俺しか持ってないから、相手はピットまで入れないんじゃないかな」

「相手って、ウーマン?」

「いや、淑女たちレディーズだよ。カジノのディーラーだ」

「ああ、そういうこと。でも、今夜のコンサートは私と行ってくれるんでしょう?」

「もちろん、それが先約だからな」

「ありがとう、楽しみにしてるわ。その時にラフトレースの優勝報告もできるように頑張るから」

 ジャンヌはそれだけ言うと電話を切ってしまった。コンサートの席がどうなっているかはまだ確認してないが、教授が来なくてもマルーシャが何とかしてくれるだろう。子機を返そうとサーシャを探したが、いない。テーブルに置いておけばいいわ、とカティーが言うので、それに従うことにする。

「ところで、どなたからの電話でしたの?」

 ジャンヌ・リシュリューからだと言ったが、3人とも大して驚かない。カジノに来たのを知ってるからな。ラフトレースのことも話してみたが、あまり興味がなさそうだった。ただ、なぜラフトなのかという疑問は出た。ウェブで検索してもいいが、もしかしたらシックが知ってるかもしれない。ちょうどサーシャが戻ってきたので、レストランのウェイトレスと話したいと言うと、さっきの子機で内線を架けてくれた。

「各チームに材木を配って、それでラドーを作って、そこのボート用の水路でレースをするんだって。あたしのお父んダロンフレロもまさに見に行ってるはずだけど」

「なるほど。で、どうしてラフトなんだ?」

「知らないわ。そこに水路があるからじゃないの。ずっと昔はピットの廃材を使ってラドーを作ったらしいけど、一時期やらなくなって、でも何年か前から復活して、全チーム参加必須の恒例行事になったんだって。ファン・サーヴィスの一環でしょ」

 素っ気ない答え方のわりに、やけに詳しい。父親や弟から無理矢理聞かされているのだろう。「ウェブで検索したら、動画がいくらでも出てくるわよ」と言う。

「ありがとう。明日、またチップを弾むよ」

「明日も来るつもりなの? 誰と?」

「それは明日になってみないと判らない」

 電話の向こうでシックが、鼻で笑った気がした。電話を切り、ラフトのことを3人に話したが、やはり興味なさそう。ウェブで検索する女もいなかった。

「その前の電話をしてるときに聞こえたと思うけど、8時からは先約があるので」

 3人に告げると、カティーがあからさまに不満そうな顔をする。食べるのも早かったが、飲むのも早くて、カクテルはもう5、6杯は飲んでるだろう。酔うと表情が痴女っぽくなるのはいつものとおりだ。

「先約があるなんて聞いてませんでしたわ。明日は私、お休みなので、今日は遅くまで付き合っていただけると思ってましたのに」

「先約がなくても、一度は賭場に戻らなきゃならないんだ。コレットとの約束なんで、仕方ないんだよ。水曜日の時もそうだったろう?」

 それはそうですけれど、と呟きながら、カティーがカクテルをあおる。お代わりを注文しようとしたが、サーシャの姿が見えない。彼女もキー・パーソンかと思っていたが、やはりダミーなのかもしれない。どうもこのステージには俺の思考を乱すいい女が多すぎる。

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