#9:第6日 (4) 予選の順位
カジノの前が、やけに混雑している。土曜日の午後だからかと思ったが、ほとんどの客を別館へ誘導しているところを見ると、キャバレーでやる予選の生中継のせいと思われる。ショーの時はこれほど客が入るはずもないが、食事用のテーブルをどけて、椅子席を増やすのだろう。飲み物1杯と軽食だけで、どれだけの料金を取るのか気になる。
賭場を一廻りしてから、外に出る。コース脇へ行くと、金網のところに雲霞の如く人が群がっている。昨日から顔見知りになった警備員に、あれはタダ見かと訊くと、ちゃんとレースの入場券を持っている客だとのこと。指定席があるにもかかわらず、この付近で最高速で走っているところを見るのが好きな連中らしい。彼らもきっと俺より動体視力がいいのだろう。
昨日と同じ、ホーム・ストレートとピット・レーンの分かれ目辺りに行こうとしたが、そこへ向かう小道も今日は人が多い。ただ、みんなピットの方へ歩いているので、混乱はない。しかし、昨日のポイントには人垣ができていて、警備員が交通整理をしている状態だった。ここは危険だから立ち止まるなと声をかけているが、人垣を作っている連中は動こうともしないし、警備員も積極的にどかせようとしていない。
俺はクレデンシャルを持っているので、こんなところで見ずとも、向かい側のピットでも観客席でも入れるだろう。しかし、そっちへ行くとジャンヌが俺を見つけられないと思うので、申し訳ないが人垣に無理矢理割り込むことにする。普通の入場券よりは、クレデンシャルの方が権力が大きいはずだからな。
警備員にも手伝ってもらい、人垣をかき分けて金網の切れ目に至る。あと一歩踏み出せばコースの中、というところだ。向かい側のピットから、豪快な
そろそろ開始かな、と思っていると、スタンドの方から歓声が聞こえてきた。そして2分ほど経った頃に、目の前を次々に車が駆け抜けていく。5分くらい経ってもジャンヌの車が見えないので、どうしたのかと思っていたら、後ろの男たちが「今出た」などと話しているのが聞こえた。ネットワークでリアルタイム情報が流れているのだろう。俺はそういうのを使えないから不便だ。
2分後にジャンヌの車が目の前を通り過ぎた。ずいぶんとゆっくり走っている。しかし、Q1の18分間の中で、他の車に邪魔されないような最適なタイミングを見つければいいのだから、最初はゆっくり走っていても問題ない。次の周回からは徐々にペースが上がり、開始10分ほど経った頃にまた後ろの男が「今、18位」などと言う。シナリオに組み入れられているのだと思うが、こういう男がいると便利で助かる。
そして周回を重ねるごとに15位、13位、12位と順位を上げていく。残り3分頃にピットに戻るのが見えたが、その後、他のドライヴァーが頑張ったようで、最終的には15位まで落ちた。が、Q2には滑り込んだようだ。昨日の約束が守れて、さぞかしほっとしていることだろう。
7分間の休憩の後、Q2開始。今度は最初から飛ばしている。台数が減ったことでタイムは縮まったようだが、10位よりは上がらず、結局13位で終わった。Q3には進めず、しかも嫌な数字だが、本人が気にしているかどうかは判らない。俺のマイアミ大時代のジャージー番号だと言ってやったら、案外喜ぶかもしれない。
賭場に戻ると、客が増えていた。昨日までの倍以上、来ている気がする。さすがは土曜日の午後で、ギャビーとすれ違った時にも訊いてみたが、いつもより少し多めとのことだった。
それにしても、目が合うディーラーごとにメッセージで今夜のデートの誘いをかけてくるのはどうしたことか。特に今日なんかは客から誘われることも多いだろうに、それを蹴ってどうして俺なんかにすがってくるのだろう。F1ドライヴァーに誘われてることを自慢するディーラーが一人や二人いても、おかしくないと思うのだが。
4時前になって、カティーからメッセージが入り、今夜のデートの念押しかと思ったら、「ルーレットで大負けしている客がいる」。そのテーブルに行ってみると大盛況で、どの客がそれなのか判らない。カティーに目で合図を送ると「13」とだけ書いたメッセージが来た。今、13に賭けた客、という意味だろう。賭けた瞬間は見逃したが、テーブルの真ん中辺りに立っている、痩せて背の高い藁色の髪の男がそれではないかと思われる。
テーブルの黒の13には$100チップ。何回連続で負けているのかをカティーに訊くと「次が21回目」。しかし、それならあと15回の間に1回当たれば元が取れるので、無駄に負けているというわけでもない。ただ、13に固執し続けるのは何か理由があるだろう。カメラ監視員が気付いているか、メッセージで訊いてみると、「
「アンリ・リシュリュー、ジャンヌの父」
そんなことまで判るのかね。なるほど、娘が世界的に活躍してりゃあ、父親だって少なくとも地元では顔が売れるんだろうな。
で、その父親がカジノに何をしに来たのかと思ったら、娘と同じくわざとルーレットで負けようとしてるって? ジャンヌが彼にルーレットのエピソードを話したとは思えないから、彼が勝手にやってるんだろうが、考えることが一緒ってのがねえ。それが悪いとは言わないけどさ。
13に賭け続けてるのは、予選の順位が13位だったからかな。だとすると、わざと負けようとしてるんじゃなくて、13が当たりになって欲しい、という意図かもしれない。しかし、その後10回連続して外れ、4時になってディーラーが交代。カティーが俺にウインクをして去って行く。
代わりに入ったのはシュールだった。最終的にジャンヌの父親が何回連続して負けたかを、後で彼女に訊くかどうか、少し迷う。
カティーとの待ち合わせは4時半なので、その前にブロンダン主任に例の一覧表の調査結果でも訊くかと思っていたら、マーゴからメッセージが入った。
「10分だけでも会っていただけませんか?」
控え室で待ってます、とのことだった。10分と言わず1時間でも一日中でも会いたいのだが、メッセージを返し、控え室に飛んで行く。ドアを細めに開けてマーゴが不安そうな顔を覗かせ、ほっとした顔になって俺を迎え入れた。ベクをしたが、そのまま抱きつかれそうになった。
「私のアーティー! 来てくださって、とても嬉しいですわ。さっき、とても恐ろしいことがあったんです」
そう言ってソファーに駆け寄り、テーブルの上のバッグの中から便箋を取り出して、俺に手渡した。いつもの手書き文字がそこに躍っている。
"Refuse all offers from Knight!"
(ナイトからの誘いは全て断れ!)
「更衣室の、私のロッカーの中に貼り付けてあったんです。他の人には気付かれなかったと思いますけど、私、本当に驚いてしまって、怖くて……」
女子更衣室に侵入したのみならず、マーゴのロッカーを開けてしまうとは何とも羨ましいことをする奴だが、もしかしたらそいつは女なのだろうか。マーゴを怖がらせるような人物は男だと思い込んでいるものだから、無意識のうちに警戒の対象外になっていたかもしれない。だが、女の嫉妬の視線というのもそれはそれで強烈だから、傍で見ていても判るのではないかという気がする。
「今日も賭場で君の周りを注意して見ていたつもりだが、怪しい奴は見かけなかった」
「でも、午後にあなたをしばらくお見かけしない間に、視線を感じました」
ロキサーヌと博物館に行っていた時か、それともジャンヌの予選を見に行っていた時か。いずれにせよ、メッセージの主は、俺が賭場にいるかどうかを知っているらしい。俺が外に出ると
「今夜も重役との夕食に呼ばれてる? キャンセルして、真っ直ぐホテルに帰った方がいいかもしれないな」
「ええ、本当に。明日の仕事もキャンセルして、すぐにでもここを出たいくらいです」
言いながらマーゴが目で「本当はあなたに連れて行ってほしいの」と訴えかけてくる。俺だって、君をここから連れ出せるのならとっくにやってるって。ただ、モントリオールの空港くらいなら行けるだろうが、そこから先へは絶対行けないだろうな。それは明日でも同じだと思う。
「コレットか、人事の担当者に相談してみてくれ。君のことを保護する措置を執ってくれるかもしれない」
「そうしてみます。このカジノに泊まることができればいいのですけれど」
「いや、カジノの関係者に見張られているのかもしれないから、外のホテルの方が却って安全だろう。ホテルで見張られていると感じたことは?」
「ありません。あなたのおっしゃるとおり、ホテルに戻る方が安全かも」
「明日の朝は、俺とは会わない方がいいかもしれないな」
「楽しみにしていましたのに、残念です。でも、夕方まで我慢すれば……」
それまで不安そうにしていたマーゴの目が、きらきらと輝き出す。その期待に応える方法が今のところ見つからないが、いや、絶対に見つかるわけがないが、とにかく俺がこのステージを去るまで、彼女が無事でいるようにしてやらなければならない。
「明日は、俺が君のテーブルの近くに行っても、素っ気ない態度でいてくれ。
「一時的に、あのメッセージに従ったふりをするのですね。解りました」
「明日の夕方、何時にどこで会うかは、仕事が終わる4時までに何かいい方法を考えて伝えるよ」
「お待ちしています!」
この控え室の会話を盗聴されていたらどうしようもないが、とにかく明日の夕方まではマーゴとの接触は避けた方がいいだろう。ベクをして、控え室を出る。彼女がホテルへ帰るのを見届けてやりたいところだが、それがあのメッセージの主を刺激したら本末転倒なので諦める。
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