#8:第7日 (2) 一時停止

「シミュレーションを停止します。被験者エグザミニーはターゲットを手に取りましたが、これを獲得と認めて良いか、審査をしたいと思います。まず、ミス・グリーンはいかがですか?」

「他の三つを回った後でここに来たんだから、ここにあるかもしれないというのは推理したはずだわ。だから、成立」

「では、ミスター・レッドはいかがでしょう?」

「条件不十分により不成立」

 レッドが渋い顔をして、呟くように言った。

「その根拠は?」

「ゴブレットとカリスが同一の物だと気付いたという証拠が一つもない」

「気付いたからビール博物館に来たというミス・グリーンの説に反論できますか?」

「いつそれに気付いたかが問題だ。三つともダメなのが判って、それからたまたま思い付いたというのなら認められない。盗犯行動を開始する前に気付いていたはずだという証拠があれば成立と認める」

「意見が分かれましたので、ミスター・ブルーにお任せしたいと思いますが、いかがでしょうか?」

「グレイもちゃんと考えてよ。僕が判断を保留したら、君にキャスティング・ヴォウトが移るんだからね」

「心得てますよ」

 しかし、グレイは自分にそんな判定が回ってくることはないと考えていた。なぜなら、ブルーはこういう判定をすることが好きだというのを知っているから。

「よし、じゃあ、証拠集めと行こうか。まず、ボナンザがターゲットをどういう物と考えていたか。ブリュッセルに来たときは教会を最初に調査していたから、やはり宗教関係を第一候補としていたようだけれども、一方ではルーベンスと関係があるはずとも思っていた。これについては証拠は十分と思う。アントワープでルーベンスの家には2度行ったし、もっとも、そのうち1度はピクシーに示唆されてのことだったけど、ブリュッセルの王立美術館では、他の画家の絵は見ずに済ませたものも多いのに、ルーベンスの絵は全てチェックしている。これについてはレッドも同意してくれると思うけど、どう?」

「同意」

「よし、じゃあ、次、ルーベンスとビールの関係。これについては、ステファンから聞いているから、認識していたはず。これも同意してくれるよね」

「もちろん」

「よし、じゃあ、最後はゴブレット、イコール、カリスにいつ気付いたか。ステファンはゴブレットとしか言わなかった。これはシナリオでそうなってるからね。形を見れば、ゴブレットが聖杯カリスに似ていることは判るはずだけど、その認識には少し溝があるから、気付いたかどうか確認するための証拠が必要だ。それはレッドの言うとおり。で、その証拠だけど、実は僕もあまり自信がない。行動チェックにも会話チェックにも引っかかってないからね」

「待って、私も解ったわ」

 グリーンが静かに言った。ブルーはそちらに目をやったが、レッドは顔も動かさなかった。

「いいよ、グリーンに任せる。肯定担当だもんね」

「グレイ、時間を戻して。7時半……7時33分くらい」

「了解です」

 グレイがキーボードを操作すると、シミュレート時刻を示すディスプレイ上の時計が、19時33分まで戻った。被験者エグザミニーは白布が敷かれたテーブルの前に座っている。


「前菜と肉料理は抜きで、季節のサラダと、ブルー・ロブスターのボイルを頼む」

「かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか?」

「ステラ・アルトワを、グラスで」


「OK、止めて。ブルーも同じ考えだった?」

「まさにそのとおり。でも、これがどうして行動チェックに引っかからなかったのかな」

「何も呟かなかったからでしょ。表情も曖昧だし。要するに、確認すべきなのは、被験者エグザミニーが夕食にビールを飲んだってこと。しかも、グラスで」

 グレイが気を利かせて、時間を進め、ビールが運ばれてきたところでまた止めて、グラスを拡大した。赤字に金の縁取り、そこに白地で"Stella Artois"と書かれたロゴ・マークが見える。グラスは黄金色の液体で満たされ、その上にきめ細かな白い泡が載っていた。

「過去の情報によれば、被験者エグザミニーが一人で夕食を摂るときは、必ずオレンジ・ジュースを飲んでいたはず。他の人に誘われない限り、アルコールを飲んだことはなかった」

 うん、とブルーが大きく頷く。レッドは頬杖を突いて手の上に顎を載せ、拡大されたグラスのホログラムを見つめていた。時間が止まっているので、グラスの中の泡も浮き上がることができない。

「やっぱり、表情が曖昧ね。でも、グラスの形状をさりげなく観察してるのは間違いないと思うわ。これで“聖杯”という言葉を発するか、口がそのように動いてたら、行動チェックに引っかかったでしょうね。しかし、この時にわざわざビールを注文したということ自体が……」

「解った。認める」

 レッドが静かに言った。頬杖を解いて、深く息をついた。しかし、彼自身は解っていたのだ。反対意見は、形だけのものでしかなった。いくら何でも、三つの候補の予想が外れた後の短い時間で、被験者エグザミニーがターゲットが何であるかを思い付くはずはなく、それ以前に解っていたと認める他はないのだ。

「ブルー?」

「僕も全く同じ考えだったよ」

「ありがとう。グレイ、続きをお願い」

「了解です。時刻を戻します」


「アーティー・ナイトがターゲットを獲得しました。ゲートの位置を案内します。ゲートは、“壁の頂上”。ステージ終了まで24時間を切っていますので、本日夜12時までにゲートを通ってステージを退出してください。退出の際、ターゲットを確保している場合は宣言してください」

 ビッティーの声が天から降ってきた。ラッキーなことに、俺の思い付きが正しいことが証明されたわけだが、どうもすっきりしないなあ。それに、ゲートの位置についても、謎の言葉を聞いた気がするぞ。

「いくつか教えてくれないか、ビッティー。まず、この聖杯カリスについてだが、まさか本当にルーベンスがこれを使ってたってんじゃないだろうな」

「それについてはお答えできません」

 そう言うと思った。しかし、本物だとしたら国宝級の代物のはずで、いくら交換展示とはいえ、こんな所に置いておくのはおかしいだろう。展示するのはまだしも、夜にはどこか別の場所で保管しなきゃあ。実際のところは、ルーベンスの時代に使われてた聖杯カリス型の陶製カップ、というくらいだろうな。それだって、4世紀くらい前のもので、それなりに貴重品ではあるはずだが。

「それじゃあ、もう一つ。ゲートは“壁の頂上”と言ったと思うが、それだけじゃ何のことか判らない。その謎を解け、ということでいいのか?」

「そう考えていただいて結構です」

「獲得後に君を1回だけ呼び出せることになっていたと思うが、その時にヒントをもらうことはできる?」

「条件が成立していれば可能です」

「その条件とは?」

「お答えできません」

 なるほどね。要するに、ゲートを探す努力をしたかどうかが問われるわけだ。この後、何もせずに夕方までだらだらと過ごした後で、ヒントをくれってんじゃあ、虫が良すぎるもんな。

「解った。君を呼び出せる場所は?」

「あなたが一人でいる場所であれば、どこでも可能です」

「じゃあ、またその時にまた会おう」

「ステージを再開します」

 さて、ターゲットを獲得したまでは良かったが、これをホテルに持って帰るのは少々まずい気がする。かと言って、ここに残しておくと、明日再度回収するのが大変そうだ。ビール博物館は明日も開館予定で、5時に閉まるまでは人目があって持ち出せないのだ。しかも、グラン・プラスは夜遅くまで賑わっていて、夜中になるまではここに忍び込むこともできない!

 どこか別の場所に隠しておくしかないが、どこにしたらいいだろう?


「では、本日の観察はいったんこれで打ち切ります。明日は最終日です!」


 ホテルの部屋に帰り着き、カード・キーでドアの錠を開ける。リヴィング・ルームを通り抜けて、ベッド・ルームへ。ドアを開け、壁のスイッチを探っていたら、その前に灯りが点いた。誰か部屋にいるらしい。しかし、予想していたことではある。

 ベッドに、黒い薄手のコートを着た女が座っていた。セシルだ。市立博物館で見た時はボディー・スーツだったはずだが、その上にコートを着ているのかな。あのボディー・スーツで外を出歩くわけにはいかないだろうし。

おはようモーニン

 こちらから声をかける。セシルは脚を組み、両手を後ろに突いて、もたれるようリクライニングに座ってる。コートの裾から黒いタイツが覗く。綺麗なふくらはぎだ。黒いブーツを履いているが、忍び込むときは脱いでいたのだろう。

「驚かないのね」

「一応、予想してたからね。君は電子錠も開けられるのか?」

「いいえ、協力者がいただけよ」

 さて、誰だろう。ホテルのスタッフを抱き込んだ? 彼女の魅力をもってすれば、そういうことも可能だろうな。俺がここに泊まっていることも、たぶん簡単に判っただろう。デボラは彼女にアントワープでヒルトンに泊まっていることを言っただろうし、そこには俺が泊まっていることも言っただろうし、だとすればブリュッセルに来て俺が泊まるところは、同じヒルトンの“ブリュッセル・シティー”かここかしかないはずなんだから。

「それで、君の用はターゲットのことだと推察するが」

「もちろん」

「俺から奪えると思った?」

「いいえ、あなたへの貸しを返してもらいに来ただけよ」

 うん、そうだろうな。だから、借りを作るのは嫌だったんだ。

「返したいところだけど、あの時の借りはターゲットと比べたら少し軽すぎる。だから、ヒントだけにしてもらいたいが」

「どういうこと?」

「ここに持って帰って来てないんだ。ある場所に隠してきた」

 セシルの目が細まった。元々憂鬱そうな顔なのに、そんな表情をしたらせっかくの美形が台無しだし、小皺が増えそうだからやめた方がいいと思う。

「用意周到なのね」

「君が相手だからだよ。そんなに簡単に勝てるとは思ってない」

「それで?」

「聖杯に関する伝説というのは君も聞いたことがあると思う。騎士道の聖杯探求の伝説ではなくて、キリスト教としての伝説だ。スペインのどこかの大聖堂で見つかったとか、そういう類の」

「バレンシア大聖堂ね。知ってるわ」

「そう。だが、そんな遠くじゃなくて、ここで見つかった方がいいんじゃないか、と俺が思っているところに隠してきた。このブリュッセル市内の教会の一つだ。聖ミシェル大聖堂でないことだけは言っておこう。俺の、キリスト教に関する乏しい知識をひねり出して考えたんだ。君なら解るかもしれないと思ってる。だが、俺が出すヒントはここまでにさせてくれ。ターゲットが何だったかも、教えないことにする」

 セシルだって、プライドがあるだろう。俺から簡単にターゲットを譲ってもらって、良しとするはずがない。そうでなければ、“探偵セシル”であるはずもないし、夜中に三つもの建物に忍び込むことだってしないはずだ。彼女は何も言わず、じっと俺を見ていたが、おもむろに組んでいた脚をほどき、少し勢いを付けて立ち上がってから言った。

「じゃあ、私がそれを見つけたら奪ってもいいのね?」

「もちろん」

「あなたが取り返しに来ないという保証は?」

「残念ながら、できない。だが、決して暴力を使わないことだけは保証するよ。こう見えても帝国騎士だからね」

帝国騎士シュヴァリエ・アンペリアルですって?」

 ああ、通用しないな。そりゃそうだ。実在しない肩書きなんだから。

「とにかく、卑怯な手段を使わないことは約束するということだよ。ところで、ゲートのことはもう判った?」

「いいえ、まだ」

「もう知らされたんだよな?」

「ええ、一応」

「俺からターゲットを奪っても、ゲートのことが判らなければ意味がないと思うから、気を付けてくれ。もっとも、後からヒントはもらえるらしいけどね」

「ご忠告には感謝するわ」

 セシルはコートの胸ポケットからサングラスを取り出してかけた。相談タイムは終了だ。

「それじゃあ、さよならだ。夜道は暗いから、一人歩きには気を付けてくれ。見送ることもできない」

ありがとうメルスィ

 気のない感じで礼を言うと、セシルは部屋を出て行った。さて、俺の方はもう一眠りしようと思う。ジーンズと靴下を脱いで、ベッドに潜り込む。3時間近くも活動していたので、いつもと同じ時間に起きるのは無理かもしれない。

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