#8:第6日 (2) ゴー・トゥ・ブリュッセル
デ・コーニンク醸造所の前を過ぎ、ベルヘム地区を通り抜けて、線路とE14自動車専用道を高架で跨ぐ。その手前が緩やかな坂になっているが、スザンヌのペースが早速落ちる。前を走るミシェルに声をかけてスピードを落とさせる。
下り坂になるとペースが戻り、フローテ・ステーン通りを快調に走って、R11環状道路との交差点にさしかかる。この少し先で、
通れた。が、この辺りから緩やかな上り勾配だ。1回目の休憩はこの先のコンティフという町で取ることにしているが、この辺りがスタート地点とコンティフのちょうど中間あたりだ。
ここまでで30分。あと10分ほど走れば今度は下り坂だから、と言ってスザンヌを励ます。が、実は15分ほど漕がねばならない。ミシェルは行き慣れた道なので、張り切って飛ばしている。ミシェルとスザンヌの差が付いてきたので、ミシェルに追い付いて休憩地点を確認したり、ペースを落としてスザンヌのところまで戻って「頑張れ、あと少し」などと言ったりする。一定のペースで走るより疲れる。
1時間はかからず、休憩地点に到着。涼しい季節にもかかわらず、スザンヌは早くも大汗をかいている。「僕一人ならこんなところまで50分もかからないのに」とミシェルが愚痴をこぼす。
「一人で遠乗りしちゃダメって、ヌレットおばさんにいつも言われてるじゃない!」
スザンヌが怒るので「まあまあ」と取りなす。今日だって安全運転してるじゃないか、きっといつも十分注意して走ってるんだ、大目に見てやれよ。
更に矛先を変えるために、俺の子供の頃の遠乗りや、大学時代にフロリダ・キーズへ行った時のことを聞かせる。130マイルの海上道路を2日かけて自転車で踏破したと言うと、ミシェルの目が輝く。
10分休憩の後、再出発。最初はまた上り坂だが、すぐに下りになる。道も一直線で、見通しも良く、信号に引っかからない限りどんどんスピードが上がる。川を越えるとずっと平坦になった。道が少し蛇行して、
メヘレンは環状道路に囲まれているが、これは元々城壁があったからだそうだ。古都であり、16世紀には“ネーデルラント”、つまり現在のベネルクス三国を合わせた“地域”の首都だったこともあるそうだが、今は人口が8万人程度の小さな街だ。
狭いながらもいくつか見所があるが、あまり時間がないので、聖ロンバウツ大聖堂だけを見に行く。建物の中をさっと見てから、鐘楼に登る。高さが97メートル――320フィートくらい――あり、中はもちろん螺旋階段だ。自転車に乗らなくても、これだけで足が疲れるかもしれない。
前を登っていくスザンヌに、長時間自転車に乗って尻は痛くなってないかと言うと、慌てて尻を手で隠した。訊くタイミングが悪かったかもしれない。
「いえ、まだ平気です。足の方がちょっと……」
「ゆっくり登っていいよ。休憩なのに、足が疲れそうなところを案内させて、悪かったな」
登るのがしんどいなら尻を押してやろうかと言いたいところだが、もちろんやめておく。514段を、途中何度か休憩しながら登り切った。古い大聖堂にもかかわらず、鐘楼の最上部がガラス柵を張った展望テラスになっている。見晴らしがいいが、周りは田園地帯なので緑が広がるばかりだ。
「なかなかいい眺めだな」
「私も久しぶりに登ったので、景色を忘れてました。いいですね」
とは言いつつも、スザンヌの表情は芳しくない。美人なのに惜しいことだ。彼女をキー・パーソンにしていれば、笑顔にしてやれたかな。下は風がなかったのに、上は風があって、汗をかいた後なので少々寒い。慌てて下に降りる。段数が多いと、降りるのも疲れる。
もう少し休憩してから行こうとミシェルに言うと、「ちょっと近くを走ってくる」と言ってどこかへ行ってしまった。メヘレンの街には勝手に何度も来たことがあるようなので、街中の様子も知っているのだろう。スザンヌが憂鬱そうな顔をしているので、やっぱり疲れたのかと水を向けてみる。
「いえ、それほどでも……その、あの、お尻も、そんなに痛くないですし」
別にそんなことまで言う必要はないと思うが、俺が悪い意味で訊いたのではないのは解っている、とでも言いたいのだろう。スザンヌは全体的には痩せているのだが、お尻だけがなぜかどっしりとした体型だ。大きさとしては、セシルとデボラの間くらいだろうか。別に、そんな評価をする必要もないのだが。
「じゃあ、デザインの学習の方が気になるのか」
「あ、はい、そうですね……本当は、今日も学院へ行って、調べ物をしようと思ってたんですけど」
「悪かったな、こんなことに引っ張り出して」
「ああ、いえ、私の
「スケッチ・ブックをなくしたと聞いていたが、出てきたのか?」
「はい、無事に。えっ、どうしてそれを?」
ヨルダーンス夫人に聞いたことと、昨日見たことを合わせて話す。というか、昨日、俺が学院にいたのに気付いてないのかよ。どうやって見つけたのかと訊くと、実は盗まれていて、セシルが“推理で”犯人を特定したとのことだった。
「マドモワゼル・クローデルが学院にいらっしゃっただけでも驚いたのに、その彼女が、まるで探偵みたいな鋭い推理を披露して……昨日、教室に関係者が集まって、彼女の推理を聞いたときには、感動で鳥肌が立ちました」
そりゃすごいや。TV映画にしたら、高視聴率間違いなしだ。モデルが探偵役を務めるミステリーなんて、少なくとも俺は聞いたことがない。
推理の詳しい内容を聞こうとしたら、ミシェルが戻って来て、「時間だからもう行こうよ」と言う。長すぎる休憩はよろしくないので、また自転車に乗って漕ぎ出す。
街の中心街を通り抜け、ブリュッセル門を通ってN1国道に戻る。駅前で右に折れると、そこからしばらく線路と寄り添って走る。アップ・ダウンもほとんどなくて、快適なサイクリングだ。
高速道路と川を越えたところで線路と分かれ、道が蛇行し始める。エッペゲムという町を通るときには、何度も信号に引っかかって停められた。そこを過ぎると信号がなくなって、他の道と交差するときはラウンドアバウトを通り抜ける。
ヴィルヴォールデという町の入口にあるラウンドアバウトからスピードを落とす。この辺りがメヘレンとブリュッセルの中間地点だ。しかし、この付近は交差点や急カーヴが多いので速く走れない。交差点で止まると自動的に小休止になる。
数百ヤード進んで町を抜けると大きな道と交差することもなくなり、スピードを出せるようになる。が、ここで最後の休憩を取る。ここまでで2時間40分。最後は一気に走りきるため、英気を養うんだとミシェルに言い聞かせる。
「もちろんだよ、まだまだ平気だよ!」
口ではそう言っているが、知っている道と知らない道とでは“距離感”が全く違うのも解っているせいか、早く行こうよなどとは言わずに我慢しているように見える。スザンヌは拳で尻を軽く叩いている。やはり痛くなってきたのだろう。今はまだ少し痛い程度だろうが、明日あたり大変なことになるかもしれない。
探偵セシルの名推理をもう一度聞こうとしたが、嫌がって話してくれない。学院の不祥事に関わるから、だそうだ。要するに、内部犯なんだな? 今朝見かけた、ヤンって奴が犯人じゃないのか。
仕方ないのでステファンと知り合いになったことを話し、彼もスケッチ・ブックをなくしたらしいが、と言ってみる。
「ええと、それも一緒に見つかりました」
「つまり、同じ人物に盗まれていた?」
「すいません、それは言えません……」
うん、そうすると違う人物? 誰だよ、ダフィットか? 今朝の“集会”ではヤンと一緒にいたし。でも、学院ではセシルのそばに平気な顔して立ってたか。じゃあ、俺が知らない奴がまだいたってこと? これ以上はセシルに訊くしかないのかなあ。
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