ステージ#8:第6日

#8:第6日 (1) 朝の集会

  第6日-2041年4月6日(土)


 いつもと同じ時間に起き、いつものスタツ公園へ行く。今日は遠路ブリュッセルまで自転車で行くという予定が控えているが、いつもの半分の時間だけでもランニングはやる。そうしないと昨日の夕食のカロリーが消化できない。

 あの後、ホテルに戻ってからジムへ行って、一部は消費したと思うが、大盛りデザート二つを甘く見てはならない。デボラはどうやってあのカロリーを消費しているのだろう。

 公園に着くと、いつもの場所に自転車が停めてある。セシルも走りに来ているらしい。尻の筋肉痛はどうなったのかな。いつもの底辺の道を走っていくと、北へ曲がる角のところに誰かいた。あのファッショナブルなウェアはセシルだろう。そして周りに男が3人。デートにしちゃあ、少し不自然だ。

おはようモーニン淑女レディー並びに・アンド・野郎どもエヴリガイズ!」

 一番手前にいる男へ、20ヤード程まで近付いたときに声をかけた。男が3人ともこちらを見る。5ヤード手前で立ち止まる。セシルだけが俺の方を見ず、左にいる男の方を睨んでいる。その視線の先にいるのは、ケニーかな。今日はスーツではなく黒いタートル・ネックのシャツにデニムのジーンズだ。他人のことは言えないが、冴えない服装だな。

 他の二人のうち、一番手前にいる背の低い太った男には見覚えがない。もう一人の背が高い男は、昨日学院で見た気がする。ダフィットだったかな。とにかく、3人とも目付きが穏やかじゃない。しかも、女一人を男3人で取り囲むとは、大人げないよなあ。

「公園の道のど真ん中で集会をされると邪魔だな。どこか別のところへ行ってもらおうか」

 おそらくは首謀者と思われるケニーに向かって言ったが、相手は元々細い目をさらに細くした。

「すぐに済む。ヤン、そいつを足止めしておけ」

「後で代われよ。俺もその女を殴ってやらなきゃ気が済まないんだ!」

 ヤンと呼ばれた太った男が、俺の方に向き直る。こいつだけが、棒を持っている。何だろうねえ、物騒な。しかし、ヤンという名前はどこかで聞いたことがあるぞ。どこだっけ。今はどうでもいいか。

「だから、邪魔だって。通っていいか?」

「通れるものなら通ってみろ!」

「じゃあ、通らせてもらうか」

 言いながらヤンに向かってダッシュし、右に行くふりをしてカットを踏み、左へ跳ぶ。ヤンがバランスを崩しながらも、俺が行く先に棒を突き出してきたが、手で払いのける。DEディフェンシヴ・エンドの経験が活きた。ヤンがあっと叫びながらバランスを崩して転ぶのを尻目に、セシルの方へ駆け寄る。

 ケニーがセシルに掴みかかろうとするが、セシルはパンチとキックを繰り出し、かろうじて寄せ付けない。しかし、後ろからダフィットに掴みかかられた。羽交い締めにすりゃいいのに、どうして胸をつかんでんだよ、羨ましい奴だな。

 ダフィットを振りほどこうとするセシルに、ケニーが間を詰めようとするが、セシルの長い脚が飛んでくるので容易に近付けない。

「ヘイ!」

 ケニーに声をかけ、振り向きざまに下へ潜り込み、掌底で相手の胸を突き、スピンでかわす。面白いように転んでくれるなあ。さて、あと一人だ。

「ヘイ、そろそろ解散の時間だぞ」

くそっクート!」

 ダフィットはセシルを後ろ抱きにしたまま下がっていく。ゆっくり間を詰めるが、ダフィットの視線がちょっと変だ。

危ないダンジェ!」

 セシルが叫んだ。うん、知ってる。俺の後ろから誰か近付いてるよな。ダフィットの目で判ったよ。

うわあっホップラー!」

 おまけにこの判りやすい掛け声。棒かな。しかし、避けるとセシルが殴られてしまいそうだ。ならば、後ろへ下がる!

ぎゃっアウ!」

 バック・ペダルを踏むと、思ったとおりでかいのにぶち当たった。相手が棒を落としてすっ転ぶ。ダフィットはと見ると、セシルを突き飛ばして逃げてしまった。諦めが良くて助かる。振り返ると、ケニーもいない。仲間を残して行くとは卑怯だなあ。ヤンも起き上がって辺りを見回し、仲間が誰もいなくなったことに気付くと、慌てて逃げて行った。朝の集会は終了した。

「怪我は?」

 地面に座り込んでいるセシルを見ながら言う。突き飛ばされたときにつまづいて転んだのを見たが、大したことはないだろう。プライドが高そうだから、男に助けてもらうのが気に入らないかもしれないので、まだ手は差し伸べない。

「手をすりむいたのと……お尻に痣ができたくらいかしら」

 セシルが顔を背けながら、強気な声で言う。ただし、助けてくれなくても良かったのに、とは言わなかった。

「手は早く帰って消毒した方がいいな。尻はどうにもならない。ステージ終了まで誰にも見せる機会はないだろうから、終了後にバックステージで治療してもらえばいいさ」

「貸しを返してもらったということになるのかしら」

 セシルがようやく立ち上がって俺を見た。さて、サングラスはどこに行ったのだろう。抵抗したときに、どこかに落としたのかな。

「ランニングに邪魔な連中がいたので、どいてもらっただけだよ。手荒にやったから、少しばかり怪我をさせたかもしれないがね。おまけに、君にまで怪我をさせたようだし、借りの利子にもならないな。ところで、君は今日は走るのをやめておいた方がいいんじゃないか。転んだ拍子に足をくじいてるかもしれないし、彼らがまた邪魔しに来るかもしれない。自転車のところまでなら、送っていくけど、どう?」

 セシルは腕を組んで聞いていたが、小さくため息をつき、腕をほどきながら「お願いするわシル・ヴ・プレ」と言った。サングラスは彼女が男どもに囲まれていた辺りに落ちていた。歩きながら、「尻の筋肉痛はどうなった?」と訊いてみる。

「もう治ったわ」

「そりゃあ良かった。マッサージでもしてもらった?」

「ええ、少しだけど」

「自分でマッサージする方法も教えてもらった方がいいよ。それじゃあ、ごきげんようシー・ユー・レイター

 せっかく別れの挨拶をしたのに、セシルは何も言わず自転車に乗って帰ってしまった。その後、改めて走り直したが、さっきの3人は見かけなかった。もちろん、襲う相手は俺ではないので、どこかに隠れていたとしても出て来なかったに違いない。


 7時45分にホテルに戻ってきたが、朝食の時間がないので食べそびれていた菓子を口に詰め込み、8時にステーン城前の広場へ行く。ミシェルがいた。自転車レーサーのようなウェアを纏い、ヘルメットを被って、万全の態勢だ。顔も、気合いが入っているように見える。

 スザンヌもいるが、こちらはあまり元気がないというか、不安そうな顔をしている。ウェアもジョギング用のものに見える。慣れない長距離を走って、尻を痛めなければいいが。もちろん、ヨルダーンス夫人も見送りに来ている。

「さて、どういうルートで行くんだ?」

「えっとね、まず、北に向かって、それからブローウェル通りに入って東に走って、それから……」

 ミシェルが地図を俺に見せながら熱く説明を始める。目的地は南なのになぜ最初に北へ向かうかというと、それがロンドでアントワープがスタート地点になった時の定番のルートだからだそうだ。東へ行ってから西に折り返し、ワースランド・トンネルを通ってスヘルデ川の対岸へ出るのが常なのだが、今回は南へ折れてN1国道に入り、ブリュッセルを目指す。

 また、ロンドでは普通、広い国道を通らず、狭い道を何度も曲がりながら縫うように走るのだが、それはもちろん交通整理あってのことなので、今回は安全第一を考えて国道一本で行くことに決めたそうだ。

 それでも、初のブリュッセル行きなので、ミシェルはやけに張り切っている。ただし、スザンヌが同行するので、途中で適宜休憩を入れざるを得ない。予定では、アントワープからメヘレンの間で小休止を1回、メヘレンで長めのを1回、そしてメヘレンからブリュッセルの間でも小休止を1回。

 しかし、スザンヌが途中でギヴ・アップしてしまったら台無しなので、休憩のタイミングや走るペースも調整する必要がある。それはなぜか俺の役目だ。そんなのを承った憶えはないぞ。

「よし、じゃあ、出発ヴェルトレク!」

 ミシェルが合図を出し、唯一の観客であるヨルダーンス夫人の拍手を受けながら、漕ぎ出す。最初は街中だからゆっくり走る。ロンドも最初はパレードのようにゆっくり走って、途中から正式のスタートになるそうだ。

 東へ折れ、さらに南へ折れてN1国道に入り、道なりに徐々に南西へと進路を変える。スタツ公園のすぐ近くの、街路樹のある広い道を走り、N113国道との分かれ道を南に折れたところからスピードを上げていく。平坦な道だし、土曜日の朝で車も少ないので、スザンヌも快調に飛ばす。

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