#8:第4日 (2) 城塞の金型

 昼食の時間だが、ホテルが近いのでそのレストランで摂ることにする。小海老シュリンプ入りのパスタを食べたが、頼んでもいないのに食後にデザートが出た。昨日まで3日連続出てきた夕食のデザート同様、ヨルダーンス夫人からの依頼がまだ生き残っているものと見られる。

 そろそろクリーニング代をオーヴァーしているのではないかと思うが、売れ残りを捨てるに忍びないので俺に提供している……とかだったら心は痛まないので、断らないでおく。が、そのワッフルを食べているうちに思い付いたことがあったので、食べ終わった後で菓子屋に行った。ヨルダーンス夫人はいなかったが、昨日見かけたもう一人の店員がいた。彼女の方が少し若くて綺麗な気がするが、そんなことはどうでもいい。

「ヨルダーンス夫人は?」

「あら、彼女は2時までお昼休みですわ」

 昨日、俺を見かけて憶えているのかもしれないが、やけに愛想がいい。ホテルの客なので邪険にしないよう指示されているだけかもしれない。2時までということは、ついさっき休憩に入ったところだろう。戻って来るの待っていたら1時間近くかかる。電話で訊いてみてくれと言うほどのことでもないが、代わりに彼女に訊いても答えてくれるのかどうか。

「そうか。この前から新しい菓子を作っているらしいが、今日も作ってるのかな」

「ええ、もちろん。こちらが本日の新作のケーキで……」

城塞フォルトの形の菓子は?」

「それも作ってますわ。昨日はチョコレートの方が好評だったようなので、今日はそちらを多めに……」

「金型を作ったらしいが、どこの金物屋に注文したか知らないか?」

「金物屋? さあ……もしかしたら、ミーリスさんのところかしら」

「場所は?」

「住所は知りませんけど……」

 地図を見せて場所を教えてもらって、そこへ行く。アントワープ大学のすぐ近くだったので歩いて5分くらいだった。店の建物は古いが、中は改装済みのようだ。入ると、痩せた老人が座っていた。店番か、それとも彼が職人なのか。暇そうなので寝ているのかと思ったが、声をかけると意外にしゃっきりした顔で返事をした。

「どんなご用で?」

「金型を注文で作ってもらうことはできる?」

「できますよ。どんなのです?」

 例えばワッフルを焼くような、把手が付いていて、二つ折りにして挟むようになっていて、などと説明をすると、ぽかんとした顔で聞いていたが、

「そりゃあ、金物じゃなくて鋳物ですな。ここじゃ作れないんで、工房の方へ回さんと」

「工房はどこにある?」

「工房へ行かんでもここで注文を受け付けますよ。小物だから1週間くらいでできるだろうが、それでもいいんなら」

「明日にでも欲しいんだが」

「明日? そりゃあ、いくら何でも無理だ。どんなデザインだか知らないが、単純なものでも型を作るだけで2日くらいはかかるでしょうよ。うちだけじゃなく、どこへ行っても無理ですよ。既製品じゃダメなんですかな?」

 そう言って老人は店の隅の方から焼き型を出してきた。普通のワッフル用のチェック模様チェッカードの他に、丸型や星型やハート型、花模様や魚の形や漫画のキャラクターの形なんかがある。ホット・サンド用ではないかと思われる。星型は近いが、これではつまらない。せめてメイプル・リーフ型があれば。

「模様はここにあるだけ?」

「奥にしまい込んでる物もいくつかあると思うが……どんな形のが要り用なんです?」

 実は、と言って地図を見せ、こういう形だと城塞フォルトを指し示す。老人は「はあーん」とつまらなそうな声を出していたが、首を捻りながら「ちょっと待ってて」と言って店の奥へ引っ込んで行った。俺を一人で残していくなんて不用心極まりないが、心配するほどもなくすぐに戻ってきた。両手に一つずつ焼き型を提げている。

「お客さん、これならちょうどいい按配じゃないかと思うが」

 開いて中の模様を見せてもらって驚いた。まるっきり城塞フォルトじゃないか!


「ボナンザは全部自分で見つけちゃうんだね。大した嗅覚だけど、これはさすがにちょっと効率が悪すぎるなあ」

「本当ね。ヌレットに言えば勝手に型を見つけてきてくれたのに」

「ミス・グリーン、もう少し別の言い方でお願いしますね」

「ああ、失礼! 成り行きはともかく、この型を入手したら、ヌレットのイヴェントはほぼ完了よね。スザンヌのイヴェントが他の競争者コンテスタントに取られているから、バランスが悪いけど、これでもアルタネイト・エリアをオープンするのは可能なんだし、いいんじゃないかしら」

「意見になってないよ。条件を確認してるだけじゃないか」

「ミスター・レッド、私に厳しく指摘してくれなくてもいいのよ。でも、ちょっと待って、ちょっと待って、考えるから……あの型のことは、昼食の最後にワッフルを食べたから思い付いたのは間違いないわよね。それまでも、チョコレートやクッキーで納得してなかったのは明らかだから。型を自分で見つけに行ったのは……城塞フォルトを自転車に乗って確認しに行ったのと同じことよ。とにかく、自分の目で確かめないと気が済まない。確かに効率は悪いけど、他人の手を煩わさないだけ、信用度が上がるわ。今までも、そうだったんじゃなくって?」

「もう一点あるね。子供の好みが解ってる」

「そうね、ミシェルに色々訊いてたし。そう考えると、サブ・キー・パーソンはヌレットじゃなくて、ミシェルとして設定した方が正しいんじゃない?」

「面白いご指摘ですね、ミス・グリーン。シナリオ製作チームに報告しておきます」


「どうしてこんな物が……」

「はっはっは、ずいぶん前のことだが、ワガシ・ウィークというのがありましてな」

 元々、アントワープには焼き菓子パテーキスウィークというイヴェントがあって、と老人は話し始めた。2月頃に開催されるのだが、10枚綴りのチケットを買って、イヴェントに参加している店に行くと、特別な菓子や飲み物と交換することができる。

 それが数年前に、日本との国交百何十周年かを記念して、市内に何軒かあるワガシの店にも参加してもらい、2ヶ国の菓子を楽しめるようにしよう、という企画になったことがあったそうだ。

 その際、家人が買ってきたワガシを食べたのだが、それが紅葉の形をしていたので、これは城塞フォルトに似ていると気付き、こういう焼き菓子がアントワープにあっても面白かろう、と思って焼き型を造ってみた。いくつかの菓子屋に売り込みに行ってみたのだが、どこも採用してくれなかったので、がっかりしてしまい込んでいたという。

「ヨルダーンス夫人にも城塞フォルトのことを言ったのに、これに気付かなかったのかな」

「ヨルダーンス夫人? ヌレットのことか。あれはその頃、まだ菓子屋に勤めておらんかったから」

「それはともかく、型は二つだけ?」

 三つ同時に焼けるようになっているが、もう一つか二つくらいあった方がいいだろう。

「ああ、あと三つ四つはあったはずなんで、探してきますよ。それから、これはさっき言った日本のワガシ用。型のことでワガシ職人に話を聞いたら、一つ譲ってくれましてな」

 それを見せてもらうと、メイプル・リーフとは少し違うが、七つの突起を持つ葉の形をしている。葉脈の模様まで入っている。相変わらず日本人は芸が細かいな。

 そういえば俺もこういう形のワガシを食べたことがある気がしないでもない。あれは大学の……いや、それはともかく、焼き型はあるだけ全部ヨルダーンス夫人の店に届けてくれるよう老人に頼み、代金を払った。死蔵品ドーデ・フォーラードだったのに今さら代金をもらうようなものでも、と渋る老人を説き伏せるのは、なかなか大変だった。

 さて、遅ればせながら、路面電車トラムで行動できる範囲を調べる。ほとんどは一昨日調べた可動範囲に入るのだが、何本かの系統がその範囲の外まで走っている。まず、2番と3番。これらは同じところが終点。他、6番、10番、そして15番だ。

 まずは一昨日と同じく北から。中央駅まで歩き、その近くのアストリド電停へ。ここは地下駅になっていて、俺の今までの経験上、こういうところへは入れないものだが……何と、入ることができた。迂闊。先入観に支配されていたな。

 さて、まず2・3番系統。これに乗って北の方へ行くと、渡れないと思っていた細い川カナルを渡ることができてしまう。まさか途中で電車が止まるんじゃないだろうな、と思っていたら、地上に出たと思うと、特に問題もなく川を渡ってしまった。しかも、この道は通れないはず、と一昨日確認した道を、難なく通ってしまっている。どうやらチェックに漏れがあったようだ。よくあることなので気にしない。

 とにかく、2・3番系統の終点であるフォルトステーン通りウェグ電停に無事着いた。名前どおり、ここには近くに城塞フォルトがある。フォルトステーン通りウェグを歩いて城塞フォルトへ行く。中に入ることもできたが、サッカー場があるだけだった。

 電車で南へ戻り、途中で乗り換えて、6番系統の終点、メトロポリス電停へ。スヘルデ川沿いのドックの横で、目の前に複合映画館シネマ・コンプレックスがあるだけだった。

 中央駅の近くまで戻り、10番系統に乗り換える。この系統はN12国道の上を走り、その終点は、あの痕跡しか残っていない城塞フォルト1の付近から、更に東へ行ったところにある。一昨日はショッピング・モールとその脇の歪んだ道に行けただけで満足していたが、交差点から更に東へ行けるとは気付いていなかった。ただ、終点のフォルトフェルト電停は何の面白みもない住宅地のど真ん中で、しかも停留所から一歩も出ることができなかった。なぜここが可動範囲なのかと思う。

 再び中央駅まで戻って、今度は15番系統に乗り、南へ向かう。地下から地上に出て、しばらく行くと7番系統と合流する。ここからN1国道の上を走るが、N1国道はずっと南へ行くとメヘレン、更にブリュッセルへと続いている。ミシェルはこの道を走ってメヘレンに行ったのかもしれない。

 フレデバーン電停を通過し、城塞フォルト巡りに使ったR11道路と交わって、更に南へ電車は進む。ここにも見落としがあったか。

 N1国道と別れてN10国道に入り、城塞フォルト4の南をかすめ、終点のブーハウト電停に着いた。住宅地と畑の入り交じったようなところで、電停のプラットフォームからは出られないし、そのまま引き返すしかない。ただ、こんなところまで来られるからには、途中で降りて、見るべきところがあったのではないか、という気もする。

 地図の軌道沿いを眺めてみたが、N10国道沿いには特に何もない。N1国道に目を移すと、フライトホフラーン電停からだいぶ西へ行ったところに、ミドルハイム美術館がある。野外彫刻を中心とした美術館だそうだが、現代彫刻とのことなので、昨日の現代美術館のように、何を芸術と称しているのかで悩む結果になりそうで、行く気が起こらない。

 その近辺には、デン・ブラント公園、ナハテガーレン公園、ブリルスカンス公園等、大きな緑地が集まっている。他には、もう少し北へ戻ったベルヘム地区の、デ・コーニンクの見学施設付きビール醸造所くらいだ。何を見落としているのだろう。それとも、後はキー・パーソンと交流を深めるくらいしかないのかな。

 ステファンとの約束は“夕方”ということになっていて、時間ははっきり決めていないが、そろそろ行った方がいいだろう。

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