#8:第4日 (3) 追加のデザート

 5時前頃にモード・ナシーに着き、4階に上がって、学院の入口から中を覗く。なるべく目立つようにやっていたら、職員か講師とおぼしき中年の女が近寄ってきた。やっぱり今回は中年婦人に縁がある。

「何のご用?」

「ステファン・キースリンガーと会う約束をしてるんだ。まだ中にいるか?」

「そうですか。いるとは思いますけど、あなたはどちら様?」

「アーティー・ナイトだ。だが、彼は俺の名前を覚えてないかもしれないから、昨日病院で話をした男だと言ってくれ」

 中年婦人は不思議そうな顔をしながらどこかへ行ってしまったが、しばらくすると戻って来た。曖昧な笑顔を浮かべている。

「ステファンにあなたのことを伝えましたが、昨日休んでいて、やることがいっぱい溜まってるので、申し訳ないが後で来て欲しいと……8時頃と言ってました」

「後でもいいが、そんな時間までここは開いてるのか?」

「いいえ、6時には閉めてしまうんですけど、彼はしょっちゅう居残りをしていて。入るのは6時までですけど、出るのは何時でもいいことになっているので」

「じゃあ、どうすればいい?」

「8時頃にステファンに電話してみて下さい。彼の電話番号はご存じ?」

 もちろん知らないので、訊いてきてもらった。俺は携帯端末ガジェットを持たされていないが、ホテルからなら架けられるだろう。しかし、あと3時間、何をするか。とりあえず、夕食だな。その前に、菓子屋にもう一度寄ってみる。ヨルダーンス夫人がいた。こちらも曖昧な笑顔をしている。

「あら、いらっしゃいませ。今日も来ていただいたんですね。ありがとうございます。焼き型をミーリスさんから届けてもらいました。あなたがわざわざ探しに行って下さったそうで」

「ああ、クッキーやチョコレートじゃあ、斬新さが足りないかと思って。焼き型は使えそう?」

「ええ、それも教えてもらいました。今晩、家で試してみます」

 もちろん笑顔だが、やっかいな物を押しつけられた、と思っているのではないかという気がしないでもない。今日も違う菓子を一袋買って、レストランへ行く。

 料理を注文して待っていると、デボラが入ってくるのが見えた。彼女の方も俺を見つけたらしく、笑顔を浮かべながらテーブルの方に寄ってくる。相変わらずカジュアルで露出度の高い服装をしている。

「一緒に座ってもいい?」

「歓迎するよ」

 すぐにウェイターが寄って来て、注文を聞いていった。季節のお薦めメニューにデザート追加、だそうだ。元々、デザートは付いているはずなのだが。

「ステージももう半分過ぎたわね。調査は進んでる?」

「いつものことだが、あまり思うようには進んでないな。きっと明日か明後日くらいに、肝心な情報が出て来るのさ。今日はどこへ行ってたんだ?」

「南の方。アルデンヌの、小さな街をいくつか訪ねてたの。古い町並みが大好きなのよ。それから、お城。ヴェーヴ城とか、モダーヴ城とか。でも、一人で行ったからちょっと寂しかったわ。団体の人ばかりで、少人数のグループの人がいなくって」

「世話係が付いてるんじゃないのか」

「ええ、男の人。とってもハンサムで、優しいんだけど、私、優しくされ過ぎるのが、あまり慣れてなくて、どちらかっていうと、ちょっと突き放してくる感じの方が好きよ。あなたはそんなタイプじゃないの?」

「さあね。俺は相手によって態度を変えるからな。かといって、相手に無理矢理合わせてるつもりはないから、そんな人じゃないと思ってた、っていつも言われるんだ」

「それは相手があなたに勝手に期待しすぎてるだけよ。気にしなくていいと思うわ」

「残念ながら気にする方でね。相手が機嫌を悪くしないように、慎重に言葉を選ぶから口数が少なくなるのさ。ご機嫌取りまではしないがね」

「あら、気を遣いながらお話ししてくれるのなら、とっても嬉しいわ。どうぞ、先に食べて。オードブルは注文しなかったのね?」

 俺の料理だけが先に運ばれてきた。レモン・ソウルというカレイのソテー、野菜と貝の付け合わせにリゾットというア・ラ・カルトだ。どうせこの後、デザートが勝手に出てくるに決まっている。

「そうだ。少食でね」

「そんなに体格がいいのに? もっとタンパク質を摂った方がいいと思うけど」

「食べ過ぎるとすぐに太るんだよ。今日は運動してないからこれくらいでいいんだ」

「じゃあ、私の方があなたよりたくさん食べてるわ」

「だから君はプロポーションがいいんだと思うよ」

「ありがとう! ところで、食事にはいつ誘ってくれるの?」

「今日、こうやって一緒に食事してるじゃないか」

 デボラのオードブルが運ばれてきた。海老を薄い紙のようなもので巻いたのと、揚げた小エビ、それにポテトのサラダ。何、その紙のような物が大根だと?

「今日は私が勝手にあなたの食事に割り込んできただけよ。そうじゃなくて、あなたからディナーに誘って欲しいの。できれば、デートとして申し込んでもらえると嬉しいわ。そうしたら私、もっとちゃんとしたドレスを着てくるから」

 ステージの中の仮想人格が俺にまとわりついてくるのは、そういう仕様だと思えばいいのだが、競争者コンテスタントがどうして俺に迫ってくるんだろう。現実の世界との乖離が激しすぎて付いて行けない。

「他の競争者コンテスタンツにも食事に誘ってもらってるのか?」

「一人とは、明日一緒に昼食デジュネを食べに行くわ」

「セシル・クローデル?」

「そうよ。彼女、とっても綺麗な人ね。職業は知ってる?」

「ファッション・モデル」

「そう、しかも、世界的に有名なモデルよ。私たち競争者コンテスタンツだけはそのことを知らされてないけど」

「目立って調査がやりにくそうだな」

「それは現実の世界でも同じだから、慣れてるって。むしろ、目立たないようにこそこそする方が嫌なんじゃないかしら」

 なるほど、そういえばマルーシャも堂々としていたし、マジシャンのフォルティーニもそうだった。まあ、彼は合衆国以外では有名ではないだろうが。

「もう一人は」

「誘ってくれたけど、まだ返事をしてないの。明後日にしようかしら」

 セシルはその男を思い出したくないほど毛嫌いしていたようだが、デボラもそう感じてるのかな。俺もセシルからどう思われているかは判らない。明日の朝になれば解るかも。デボラのメイン・ディッシュが運ばれてきた頃に、俺の方は食べ終わってしまった。

「残ってお話ししてくれると嬉しいけど、先に部屋に戻っても構わないわよ。あら、デザートは食べるの?」

「これはある人からの好意で、勝手に付いてくるんだ」

「誰かしら、パティシエ? そんなに若い女の人、いたかしら?」

「俺に好意を持ってくれるのは若い女だけとは限らんよ」

「あら、じゃあ、もっと上の年齢の女の人からももてるの?」

「もてるわけじゃない。イヴェントが起こっただけさ」

「それは解ってるけど、イヴェントが発生した後の進行も、人に依るはずだと思って」

「まるで君が自分で作った世界みたいに知ってるんだな」

「でも、いくらゲームの世界だって、現実的に不自然なイヴェントが発生するはずないわ」

 俺が女性から構ってもらえるだけでも、既に不自然なんだけどね。デザートを食べていると、デボラが羨ましそうな目で見てくる。後で自分も食べるくせに、しかも二つも。若い女というのは子供と同じで、菓子を見ているとつい食べたくなるのだろう。セシルは体型を保つために節制してるんだろうな。

「さて、これから人に会う約束があるんで、悪いが先に失礼する」

「あら、こんな時間から調査? それともデート? どっちでも、うまく行くといいわね」

「調査だよ。ディナーの誘いは明日の朝でもいいか?」

「もちろん! 明日は市内でゆっくり過ごすつもりだから、いつでも声をかけて。待ってるから」

 彼女の場合、この仮想世界を楽しんでるって感じだな。気楽でいいものだ。きっと、成績もいいのだろう。

 レストランを出て、モード・ナシーへ向かう。まだ7時過ぎだが、夕方聞いたとおり、入口には既にシャッターが降りている。パイプ式の、中が見通せるシャッターだが、一番下までは降りていない。つまり、下をくぐれば入れる。ただし、膝を突きそうなほど屈まないといけないので、シャッターを上げることにする。意外に簡単に上がった。

 建物自体のドアにはもちろん錠が掛かっている。さて、夕方言われたとおりにするならステファンに電話をして、中からこのドアを開けてもらうことになるのだが、最近、解錠をしていないので、ここで腕を振るうことにする。つまり、勝手に錠を開けて入ろう……と思っていたのだが、困ったことに電子錠だ。

 パスワードを入力するか、キー・カードを接触させるか、少なくともピックでは開かない。困ったな、やっぱり電話するか。いや待て、"CERT NE"の表示がある。電子認証はオフになっているかもしれない。そうすると、物理鍵で開けられるのでは。

 ドアの鍵穴を確認する。"ZIICON"の刻印がある。おお、ツァイスイコン。ドイツのメーカーじゃないか。とすると、これはもしかしてマルチプロファイル型シリンダー錠だろうか。とすると、サイド・エレメントが付いているな。これは開け甲斐があるぞ。

 早速、ピックで中を探る。ピンは6本、サイド・エレメントは二つか。これなら1分はかかりそうだな。それ以上時間をかけると、まだ明るくて人目があるし、怪しまれてしまう。そもそも、閉まったドアの前で鍵穴をじろじろ観察している時点で怪しいって。

 サイド・エレメントのピン位置を確認してから、ピックでコアの6ピンを揃える。サイド・エレメントは曲線なので合わせにくいが、慎重にやりさえすれば、よし、開いた。1分を何秒か過ぎたかな。もっと素早くやればよかった。

 中に入ってドアを閉めると、勝手に錠が掛かった。つまり、出る時には鍵は要らないということだ。セキュリティーを入る方だけにするのはよろしくないが、ステファンや他の生徒が鍵を持っていなくても出られるようにするためだろう。

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