#7:第6日 (3) ミニ・パーティーの二人客

 部屋に戻り、シャワーを浴びてメグが用意してくれた服に着替える。スラックスは初日のと同じだったが、シャツはまた新品だった。これらの服を、どうやって次のステージに持っていけばいいんだ。

 頃合いを見計らったかのように、メグが部屋に入ってきた。まさか、覗いていたんじゃあるまいな。

「今夜のお召し物はいかがでしょうか? フレイザー夫人のパートナー役をお務めになるとのことですので、ブリティッシュ・コーディネイトにしたつもりなのですが」

 ファッションのことは俺に聞かないで欲しい。シャツがブリティッシュでもアメリカンでも全く判らないんだから。

「いや、君のことを全面的に信頼しているから、安心して着られるよ。いつもありがとう」

まあマイ、ミスター・ナイト!」

 メグが一際嬉しそうな顔をする。この6日間で、一番嬉しそうな顔だな。彼女の笑顔をさんざん見てきたのに、まだ上の笑顔があったのか。

「私のことをそんなに信頼して下さっていたなんて! 私の方こそ、ありがとうございます! あなたのお役に立っていると思うと、この上ない喜びを感じます!」

 こういう大袈裟な言葉が、嘘っぽく聞こえないほど嬉しそうな顔なんだよなあ。彼女の夫が羨ましくてしかたない。だって、もしこれが仮想世界じゃなかったら、毎朝毎晩、この笑顔に接していられるんだぜ。どれだけ幸せなことなんだ。俺なんてあと1日だけだ。1日でも嬉しいよ。

 パーティーの開始時間はメグがあらかじめ聞いていたので、その5分前にノーミの部屋に着くように行く。メグが先導しながら、内緒ですけど、と囁く。

「隣の控え室で、私たちもささやかなパーティーを開く予定なんです。私とジャッキーとテリーザの3人で、お菓子を食べるくらいですけど。もちろん、あなたたちのパーティーの給仕や、ご用事の合間に」

「テリーザとは?」

「あら、失礼しました。フレイザー夫人のメイドです。お見かけになったことがおありと思いますが」

 そういえば、ウルルに行く飛行機の中で見たんだったかな。ホテルのスタッフではなくて、彼女の個人的なメイドなのか。

 ノーミの部屋は俺のところから少し離れた、同じような造りのスイートだった。少しだけ、こちらの方が広いようだ。ノーミが笑顔で迎えてくれた。レースの大きな花飾りが付いた豪勢なドレスで、相変わらず真っ白なものだから、結婚式の花嫁のように見える。ただ、あれほどスカートは長くない。下着のラインがはっきりと判るほどに透けているので、あまりじろじろ見ないでおこうと思う。

 しばらくするとジャッキーがやって来て、お客様がお着きになりました、と言う。ドアを開けて現れたのは、ワイン色のタイト・ドレスを華やかに着こなした。スタイル抜群の美女……って、待て待て待て、アイリーンじゃないか。ハリウッド女優並みの変身ぶりだ。

「ワオ、アーティーだわ! じゃあ、ノーミの新しい恋人って、アーティーだったの?」

 だから待てって、一体何を吹き込まれて来たんだ? そしてもう一人は金髪の……おいおいおい、女だよ。コーラル・ピンクのパーティー・ドレスを着た、スリムな若い女。えーと君ら、“夫妻”じゃないよな?

「ノーミ、ごめんなさい、私の夫ったら、今日のツアーに来ていた若い女の子のグループからディナーに誘われたって言って、ボートの他の男たちと一緒に行っちゃったのよ。だから、代わりにペイシェンスを連れてきたわ」

 ペイシェンス? ああ、そう言えばそうだ。ようやく思い出した。全く、女というのは化粧をしているだけで、どうしてこんなに判らなくなるんだろう。

「あら、ちょうどよかったわ。それならみんなもう知り合いですから、紹介は要りませんわね。早速パーティーを始めましょう」

 何だかなあ、これは。もしかしたらノーミとアイリーンに謀られたのかもしれない。

「アーティーって私の誘いに乗ってくれないと思ったら、ノーミといい仲になってたのね。羨ましいわ」

「そんな仲じゃないよ。ホテルで同じようにスイートに泊まってる客だから、パーティーに来てくれと誘われただけさ」

「あら、そうだったの。じゃあ、まだ私の恋人になってくれる可能性もあるってこと?」

「恋人って、君、結婚してるんだろう?」

「ううん、そんなことは気にしなくていいのよ。ほら、この指輪だって、こっちの手に移せばいいの。ね?」

 そう言いながら左手の指輪を右手に移す。そういう問題じゃないんだが。前のステージもそうだったが、どうしてこの仮想世界というのはこういう節操のない人妻がいるんだろう。いや、メグみたいな真面目な人妻もいるのは判ってるんだけれども。

「でも、俺は気にするよ。ペイシェンスは独身?」

「あら、彼女を誘ってはダメよ、婚約してるんだから。ペイシェンス、指輪を見せてあげて。相手は彼女の幼馴染みなの。来月、式を挙げるのよ」

 ペイシェンスの代わりにアイリーンがずっとしゃべっている。ペイシェンスは黙ってニコニコ笑っているだけだ。彼女はなぜ付いてきたのだろう。

 メグとジャッキーがオードブルを運んできて、窓際のテーブルを囲んで席に着く。アイリーンが、俺の横に座りたいと言っていたが、「私のパートナーですから」とノーミが言うので、彼女の隣に座る。和やかな雰囲気なので、俺を取り合っているというわけでもなく、もしかしたらあらかじめ二人の間で打ち合わせができていて、俺のことを弄んでいるだけかもしれない。

 シャンパン・グラスが出てきて……いや、俺は飲むつもりはないんだが。

「ご心配なく、シャンパンのような炭酸飲料ですわ。彼女たちもほとんど飲めないんですよ」

 本当だろうか。一口飲んでみたが、どうもアルコールが入っているような気がする。俺も全く飲めないわけではないし、酔ってきたらやめればいいだけか。デイントリーはどうだった?とアイリーンがノーミに訊く。

「楽しかったわ。私、大きな森や川を見るのは、大好きですから」

 夕方と同じ調子でノーミが話し始める。バスでモスマン渓谷に行って、熱帯雨林の中のトレッキング・コースを3キロメートルほど歩いて、途中で珍しい植物を見たり、ブッシュ・ターキーを見つけたり……。話している間に、メインの料理が運ばれてきた。ビュッフェ風だな。牛肉、鶏肉、魚肉、サラダなどが揃っているが、自分で取らなくてもメグやジャッキーがサーヴしてくれる。メグは俺が鶏や魚を好んで食べるのを知っているから、それをメインに皿に盛る。

「それから、モスマン川に行ったの。たくさんの人が水遊びをしていて、私たちも川に入ることになったの。その時に、アーミテイジさんが、川で遊んでいるときに指輪をなくしたら大変だから、預かってあげましょうっておっしゃってくれて。でも、私、指輪をなくさないように、今日は持って来てません、ホテルに置いてきました、って言ったの。アーミテイジさんは昨日も同じことを言って下さったわ。でも、あの時はペイシェンスにお願いして、船のデポジット・ボックスに預かってもらったでしょう? 私、その時のことを憶えていたから、今日は持って行かなかったの。アーミテイジさんは、それなら安心ですね、とおっしゃったけど、その後はあまり話しかけてこなくなったわ。彼だけじゃなくて、マッカーシーさんやランドールさんも、今日はほとんど私に声をかけて下さらなくて……マッカーシーさんはコッブ夫人とずっとお話をされていたようだけど」

「ランドールさんって、あの褐色の逞しい身体の人でしょ? 彼の筋肉は素晴らしいわ、うっとりしちゃう。ああ、でも、アーティーの身体も素敵よ。胸に抱かれるならあなたの方がいいわ。でも、みんなどうしたのかしらね、昨日はあんなにあなたによくしていたのに。あら、そういえば、今日の指輪は?」

 ノーミの左の薬指には、違う指輪が光っている。おそらくダイアモンドだろう。

「オパールの指輪は、今、ある人に預かってもらってるの。その人なら絶対安心だと思って。今、着けているのは、婚約指輪よ。とっても古いものだけど、他に石が付いているのを持っていないから」

「あら、ダイアモンドね、素敵! 私も石が付いてるのがよかったけど、持ってくるのを忘れたわ。アーティー、私に婚約指輪をプレゼントしてくれない? 石は、そうね、エメラルドがいいわ」

 エメラルドの指輪なら一つ持っているが、君の指にはサイズが小さすぎるな。

「君とは婚約してないよ」

「じゃあ、明日でもいいわ」

「明日はもう帰るんだ」

「合衆国へ?」

「そう」

「じゃあ、今夜が最後のチャンスなのね」

「もう宝石店は閉まってるんじゃないか?」

「婚約してくれるだけでいいわ」

「君、既婚者じゃないか」

「あら、既婚者でも婚約だけなら、何も問題ないわ。重婚する予定もないし、離婚する予定もないんだから」

 なるほど、面白い考え方だが、浮気であることは間違いないだろうな。

「それでも既婚者に婚約指輪をプレゼントするのは抵抗があるな。でも、君にはスノーケリングを親切に教えてもらったから、後で何かプレゼントするよ」

「あら、ありがとう! でも、贈り物スーヴェニールじゃなくて、強く抱いてくれるハギングだけでもよくってよ」

 なるほど、彼女が好きなのは純粋に“身体”なんだな。彼女の夫もインストラクターだからそれなりに身体を鍛えているだろうが、衰えたか見飽きたか、そんなところか。

「それで、モスマン川の後はどこへ?」

 ペイシェンスがノーミに訊いた。いいタイミングだ。でも君、今夜、挨拶以外で初めてしゃべったんじゃないか?

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