#7:第5日 (4) ボートの3人男
部屋に戻って少し考えごとをした。今までのステージの登場人物の名前を思い出そうとしているのだが、やはり全く思い出せない。そろそろランニングに行こうかと思って腰を上げかけた時に、電話が鳴った。
「フレイザー夫人からご夕食のお申し込みがありますが、いかがなさいますか?」
3人もの男に囲まれているのに、なぜ俺と夕食をしたいなんて言い出すのか、理解できない。それとも、俺も一緒にという意味なのだろうか。
「二人なら受けると答えてくれ」
「ええ、もちろん二人でとおっしゃってます」
「走りに行くから7時半以降になるが」
「それもご了解とのことです」
「申し訳ないが、ちょっと来てくれ」
すぐにメグが部屋にやって来た。まあ、かけてくれ、と言ってソファーに座らせる。彼女の座る姿を見たくてかけさせるようなものだ。
「フレイザー夫人はどうして俺に興味を持ってるんだろう?」
「それはもちろん、あなたが魅力的でいらっしゃるからです」
誰がお世辞を言えと。それともこの仮想世界では、俺は必要以上に魅力的に見えるのか? だとしたら登場人物の審美眼が、不適当に調整されてるようだな。
「しかし、彼女には男が何人も言い寄っていて、彼女自身も楽しそうにしていたんだがな」
メグにキュランダやウルルでの出来事を話した。それから今朝マリーナで見た“喜劇”も思い出させた。メグはちょっと考えてから言った。
「では、彼女はその方々のお話は、特に興味深いとお感じにならなかったのでしょう。でも彼女は聡明でいらっしゃいますから、相手がお気を悪くされないように、楽しそうに応対されたのだと思います」
「だとしても、彼女が俺に興味を持つ理由にはならないな。俺は彼女の興味を引くようなことをしたことはないよ」
「そうなのですか? でも、あなたがいらした最初の日の夜に、彼女からスタッフにお問い合わせがあったそうです。ビーチでランニングをしていたのはこのホテルのお客様なのかと……その時は、お名前をご存じでないのなら判りかねますと答えた、とのことなのですが」
初日に? 確かに、初日の夕方、ビーチを走った時に彼女を見た。だが、彼女が俺に対して興味を示したようには見えなかったのだが。
「何なのかね、一体。俺は彼女の亡くなった夫に顔が似てるのか?」
「いいえ、私はジャック・シデナム様をお写真で拝見したことがありますが、あなたとは全然違うご容貌です。サー・ケントとも違いますし」
「そうなると、ますます理由がわからない」
「でも、全然違うタイプだからご興味をお持ちになったのかもしれません。あなたは、その、私の個人的な感想ですが、とても男性的だとかそういう決まり切ったタイプではなくて、
「解った。後は本人に訊いてみよう。食事の招待を受けると伝えてくれ。時間と場所は彼女の方で決めていいと」
「かしこまりました」
メグが控え室に戻った後で着替え、ランニングに出て行くのを見送ってもらう時に、ノーミからの返事を聞いた。
「特に不都合がなければ、7時半に“ザイ”でお待ちしているとのことでした」
しかし、ビーチに出ると、そこに白い服、白い帽子、白いパラソル。俺に返事をしてからすぐに出てきたのだろうか。訊くようなことでもないので、準備運動をしてから走り出す。
後ろを通り過ぎる時に、ノーミが振り返ってパラソルをくるりと回した。行きには声をかけない、というのがなぜか暗黙の了解になっている。
少し先に行くと、波打ち際に男女がいた。夕方にノーミ以外の人間がいるのは初めてだ。男の方がこちらを見て、なぜ邪魔をしに来たのだというような顔をしている。ひがんでいるのでそう見えただけかもしれない。
ずっと先の、細いビーチにも別の男女がいた。邪魔をするつもりはないので少し手前で引き返す。おかげで今日は半マイルほど短くなりそうだ。代わりに、4マイル・ビーチの北の端まで行ってみようかという気になる。
先ほどのペアの邪魔をしないよう、波打ち際から一番遠いところを走る。二人は波打ち際で抱き合っている。そんなことをしたら、海を見に来た意味がないのに。
ノーミのところまで戻って来た、今日は脇に誰もいない。スーパー・ボウルのことを教えてもらって以来だな。パラソルを回しながら俺のことを見ている。一応、挨拶をしておいた方がいいだろう。スロー・ダウンしながら声をかける。
「ハイ、ノーミ」
「ハイ、アーティー。夕食の約束は受けていただいたのかしら?」
「返事はしたよ。聞いてないのか?」
「お返事をいただく前に部屋を出たんです」
ということは、メグが聞いた返事は彼女の世話係からのもの、ということになる。あらかじめ言付けてあったのだろう。
「招待は受けるよ」
「きっと受けていただけると思ってましたわ」
「他の男からは誘われなかったのか?」
「他の男ってどなたですか?」
「今日、3人いたろう?」
「ああ、あの方たちですか」
ノーミはそう言うとパラソルをくるりと回した。これが何を意味するのかはよく解らない。
「マッカーシーさんは投資のお話を持って来て下さっただけですわ。宝石店を経営するための資金を集めてらっしゃるんです。コッブ夫人はもう契約されたんですって。アーミテイジさんは弁護士で、私の財産管理を申し出て下さった方ですし、ランドールさんは出版社の方で、ジャックの伝記を書くための取材にいらしたんです」
名前が四つ出てきたが、コッブ夫人が女の名前なのは間違いないとして、他の三つは誰が誰だか解らない。誰も彼も仕事の話をしに来たかのような口ぶりだったが、あの喜劇はどう見ても違う気がするぞ。
「マッカーシーというのは?」
「キュランダ・ツアーの時に知り合った方ですわ。あなたはお気付きにならなかったかしら? レインフォレステーションで私たちのバスに乗せて欲しいと申し出られた方です」
「ああ、あの時の彼か」
ハンサム・ガイのチャーリーだな。マッカーシーというファミリー・ネームだったのか。
「ええ、このポート・ダグラスに出店する予定だそうで、あの時はたまたま知り合いを訪ねてキュランダに来てらしたんだとか。とてもお話の上手な方ですね。コッブ夫人は……あら、コッブ夫人って、あのツアーでご婦人たちの団体のまとめ役をされていた方ですわ。シドニーからいらした、元老院議員夫人なんです。彼女はマッカーシーさんとすっかり仲良しになられて、彼の出店計画の一番の後援者になるそうですわ。他にも後援者を、ということで、私を頼ってらしたんです」
話だけを聞くと、口先で金持ち夫人に取り入って金を引き出そうとする詐欺師という気がしないでもないが、実際のところは判らないから余計な評価は控えよう。しかし、金の話を日暮れのビーチやグレイト・バリア・リーフの海の中で囁いたりするかね。
「面白い話だな」
「資金を出してあげた方がいいでしょうか?」
「
「あなたならそうおっしゃると思ってましたわ」
そう言ってノーミはまたパラソルをくるくると回す。楽しい気持ちになると回すのだろうか。
「それで、アーミテイジさんに聞いてみたんです。アーミテイジさんって、一緒にエアーズ・ロックに登った方ですけど、憶えてらっしゃいます? 彼は、そういう話はもっとよく調べてからの方がいいっておっしゃって、それから私の財産状況についても相談に乗りたいと」
なるほど、中年紳士がアーミテイジか。そうすると、褐色青年がランドールだな。おっと、そろそろ戻る時間だ。
「話は面白そうだが、続きはレストランにしよう」
「あら、ええ、結構ですわ。でも、この話はもうやめて、あなたのことをもっと聞きたいです」
ホテルに戻りながら、彼女は今日のツアーで俺が何のアクティヴィティーをしたのか訊いてきた。俺がスノーケリングをしたと言うと、意外そうな顔をした。「それでしたら、私たちと一緒になさればよかったのに」。あの声をかけてもらった後に、急に思い付いたので、と答えておいた。ハンサム・インストラクターの誘惑に負けたとは言わなかった。いや、誘惑されたのはやると決めた後だからな。
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