#7:第5日 (3) バリー・フーレイ鉄道
「ところで、俺をここに連れ出した理由は?」
「あら、わかっちゃったのね」
アイリーンが楽しそうに笑う。やっぱり目的があったのか。
「ごめんなさい、ちょっと泳ぎたくなったの。ずっとあそこにいると、ウェット・スーツだから暑くなっちゃって」
それで胸元を開けてたのか。しかし、あの時に開ける必要はなかったんじゃ?
「一人で泳げばいいじゃないか」
「インストラクターだもの。仕事もせずに一人で遊んでるわけにはいかないわ」
「俺以外にも一緒に泳いでくれそうな人はいたと思うが」
「だって、あなたが好みのタイプだったんだもの」
こういうことを面と向かって言われるのは、現実と仮想世界を通じて初めてだな。キー・パーソンでもないのに、俺に興味を示すなっての。
「君、結婚してるんだろう?」
「そうよ。夫もインストラクターなの。ほら、あそこで若い女の子たちと泳いでるわ」
アイリーンが指差す方向を見たが、人間らしき物体が四つほど海の上に浮かんでいるだけだ。彼女の夫かどうかも判らない。要するに、俺は夫に対する腹いせのために選ばれたってことか。
「ところであなた、とってもいい身体してるけど、アスリート? ラグビーかしら」
「いや、フットボールだ。アメリカン・フットボール」
「ああ、あの、ヘルメット被って、プロテクターするフットボールね。あのプロテクターって重くない?」
たぶん重いよ、この時代の装具は。俺の時代ではかなり小型化されてるけどな。でも、QBだけは
「重いけど、怪我するよりはましだからな」
「そうね。でも、私、コンタクト・スポーツって好きよ。アメリカン・フットボールってこんな風に押すんでしょ?」
アイリーンは俺の胸板を手のひらでぐいぐい押してくる。身体に触りたいだけじゃないのかと思う。
「押すのはライン・メンの仕事だな。俺はQBだから押すことはほとんどないよ」
「あら、そうなの? でも、こんなにいい身体してるのに」
今度はべたべたと触り始めた。筋肉を摘まんだりする。遠慮のない女だ。
「俺は小柄な方だよ。QBはライン・メンほど大きくはないが、それでも6フィート半……あー、198センチメートルくらいが平均なんだ」
「そうなの? あなた、身長は?」
「6フィート2インチ、188センチメートルだ」
「体重は?」
「205ポンド」
残念ながらすぐにキログラムに換算できない。えーと、確か半分にしてから10%を引いて……
「ふーん、93キロクラムぐらいね。鍛えてて、とっても素敵な身体だわ」
どうして彼女の方が先に計算できるんだ?
「こんな身体なんだから、まだまだ体力あるわよね。じゃあ、もう少し先まで泳ぐわよ」
渋々顔を水に浸ける。アイリーンが泳ぎながら手を引っ張る。ようやく小魚の群れが見えた。が、俺を避けるかのように遠ざかっていく。次第に海底がせり上がってきて、浅瀬になった。水が青から緑に変わる。珊瑚の隙間にイソギンチャクが張り付いているのが見えた。
拳くらいの大きさの赤い魚が1匹泳いできた。アイリーンが手を伸ばすと、じゃれつくようにして一緒に泳いでいる。俺が手を伸ばすとアイリーンの方に逃げる。その手が珊瑚に届きそうなところまで来た。近くで見ると岩のように見える。手のひら大の魚がたくさん泳いでいる。手を出すと逃げるので見ているだけにする。
ブロッコリーのような形をした珊瑚の間をゆっくりと漂う。水が温かい。浅いので日向水のようになっている。ここなら足が着きそうだが、サンゴを傷付けても困るので立てない。水はほぼ無色になった。この辺りの珊瑚が赤黒く地味な色をしているのがよく解る。
アイリーンがハンド・シグナルで、戻るの合図をする。軽く頷くと反対方向に泳ぎ始めた。珊瑚の林が遠ざかって、海の青が濃くなっていく。底の方に、スクーバで泳いでいるグループがいた。熱帯魚と戯れている。
しばらく泳いでから、またワイヤーに掴まって休憩する。
「さっき行ったところが、エジンコート・リーフよ。珊瑚が綺麗だったでしょう?」
「ああ、そうだな」
「スクーバならもっと色んなところが見られたんだけど」
「そうだろうな。君はスクーバもするのか?」
「ええ、でも、今日はスノーケリングの担当。明日はスクーバよ。明日も来たら一緒に潜ってあげられるけど?」
「泳げなくても潜れるのかね」
「もちろんよ。だって私が一緒だもの」
なぜ俺がこれほど彼女に目を付けられているのかがよく解らない。俺より体格のいい男は他にもいっぱいいたろうに。褐色のアスリート・ガイとか。
「考えておくよ」
「真剣に考えておいてね。じゃあ、ゆっくりポンツーンに戻りましょうか」
そして本当にゆっくりと、蛇行しながら泳ぐ。彼女はゆっくり泳げて楽しいのだろうが、俺の方は実は浮く姿勢を続けているだけで疲れる。泳げない人間には解ってもらえないだろう。ようやくデッキまで戻って来た。
「楽しかった?」
「とても楽しかったよ。ありがとう」
「明日も来るのを待ってるわよ。ペイシェンス! 装具を受け取ってあげて」
フィンとゴーグルをペイシェンスに渡し、アイリーンと握手をする。他の連中も続々と戻ってきていて、デッキは雑踏していた。
階段を上がってアイリーンに手を振る。アイリーンはフロント・ジッパーを上げた後で、手を振り返してきた。あんなに大きな物が、窮屈そうなウェット・スーツによく収まるものだと感心する。
ぬるくて水量の少ないシャワーを浴びてから更衣室で着替え、船に戻った。席に座って休んでいるうちについ寝てしまい、気が付いたら船がもうすぐマリーナに着くところだった。本当に揺れが少ない船だ。
マリーナに着いて降りると、メグが迎えに来ていた。
「いかがでしたか?」
メグはまるで自分が楽しいことをしてきたかのような上機嫌の笑顔をたたえている。
「ああ、海は綺麗で景色もよかったが、少し疲れた。インストラクターに誘われて、スノーケリングをしてみたんだ」
「そうでしたか。お疲れになったのなら、すぐにホテルへ戻ってご休憩なさいますか? コーチが間もなく出発します」
「いや、帰りの船の中で少し寝たので疲れてはないが……」
小さな汽笛の音が聞こえた。そういえばすぐそこに観光鉄道の駅があるんだったと思い出す。
「メグ、バリー・フーレイ鉄道というのがすぐそこにあるよな」
「はい、ございます」
「あれに乗ってホテルまで帰れるか?」
「はい、カントリー・クラブのすぐ近くに駅がございます。お乗りになりますか?」
「うん、切符を2枚買ってきてくれ」
「2枚ですね」
「君も乗るよな?」
「ええ、もちろん、ご一緒します」
そう言って恋人からデートに誘われた女のように嬉しそうに微笑むので、勘違いしそうになる。
メグが切符を買いに行っている間に、ノーミが3人の男を従えてマリーナの中に入っていった。チャーリーと中年紳士がノーミを挟んで歩き、褐色青年が一歩遅れている。体格はいいが、強引な割り込みは苦手のようだ。メグが戻って来て、4時45分に出発ですと言った。
貨車に屋根と椅子を付けただけのような客車に乗り込んで、出発を待つ。俺たちの他には男女が一組乗っているだけだ。どこかで見たことがあると思ったら、キュランダのツアーに来ていたペアのようだ。ただし、名前は知らない。
時間になると、老人の運転士が機関車に乗り込み、汽笛を景気よく鳴らして出発する。自転車のようにゆっくり走る。
駅を出るとすぐ横にマリーナの波止場が見えている。もちろんクイックシルヴァー号も泊まっている。クルーズから帰ってきたばかりの大型ヨットが、満足げな顔の客を降ろしている。マリン・レジャーを楽しめるのは羨ましいことだ。泳ぎ以外のアクティヴィティーなら俺も楽しむんだが。
「メグ、君は泳げるか?」
隣でおとなしく座っているメグに話しかける。
「得意ではありません。溺れない程度しか」
「泳げない男をどう思う?」
「特に問題ないと思います。だって、海やプールに行かなければ、泳ぐ機会はありませんもの」
「もし君が泳ぎが得意で、君の恋人が泳げなかったらどう思う?」
「そうですね……泳ぎを教えて、一緒に泳ぎに行けるようになりたいです」
ティーラやアイリーンと考え方が全く同じだ。俺はたとえ自分が泳げたとしても、恋人に泳ぎを教えようとは思わないのに。少しでも泳げる人間と、ほとんど泳げない人間とでは、考え方が違うのかもしれない。
汽車は海沿いを離れると、林の中を快走する。左手は木々の向こうに家やホテルのコテージが見えるが、左手は何ということもない樹海しか見えない。取り立てていい景色でもないので、観光鉄道というわけでもないようだ。それでも客が乗るのが不思議だ。単に珍しいからだろうか。俺もそうだけど。
カントリー・クラブの敷地内に入り、テニス・コートの脇を通る。そして木造の小さな駅舎の前に停まった。すぐそこに、クラブの建物が見えている。降りたのは俺たち二人だけ。
機関車が小さく汽笛を鳴らして走り去る。メグに聞くと、すぐ南のラディソン・リーフ・ホテル内にも駅があり、その少し先のセント・クリスピンズ・アヴェニューが終点で、全長2マイル半ほどらしい。しかもここまででもう半分以上乗ったことになるそうだ。汽車を見送って、メグと楽しく語らいながら、ホテルまで歩いた。
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