#6:第6日 (7) 再びの襲撃

 うろうろとしているうちに、マリオンとメイベルがやってきた。あの後、入るまでに30分かかったらしい。改めて、ドロレスに自己紹介させる。ダマスキナードの職人と言うと、二人は興味をそそられたらしい。

「女性の職人がいるなんて知らなかったわ」

「10年くらい前までは一人もいなかったわ。最近増えてきただけ。男性のなり手が減ったからじゃないかしら」

 その後は4人で見て回る。なぜか、マリオンとメイベルが代わる代わる俺の横に付き、あぶれた一人はドロレスと並んで話をする、ということになっている。ドロレスは片言の英語を話し、マリオンとメイベルはスペイン語の単語を交えながら話す。ドロレスは外国人からのインタヴューに慣れているようだし、根が気さくなこともあって、二人と愛想よく話している。

 2時間ほど見て回って、カフェへ休憩に行こうか、と提案しようと思って振り返ったら、ドロレスがいない。

「ヘイ、マリオン、ドロレスは?」

 さっきまでマリオンがドロレスと一緒にいたはずだ。

「すぐ横にいたのに……」

 言いながらマリオンは辺りを見回す。ちょうど展示室から廊下へ出てきたところで、道に迷うような場所ではないのに。

「まだそこの展示室にいるんじゃないか」

 覗きに行くと、奥の方でドロレスがスーツの男二人に囲まれている。笑顔で話しているように見える。美術館の中だし、声を出して呼ぶわけにもいかないので、近付いていくと、ドロレスが俺のことに気付いた。

「アーティー、この人たち……」

 言いかけたときに、男のうちの一人がドロレスの手を掴んで、隣の展示室の方へ引っ張った。ドロレスが「ひゃあアイ!」と声をあげる。追いかけようとすると、もう一人の男が立ちふさがった。躱そうとしたが、素早く先回りされる。俺としたことが、こんな奴に邪魔ピックされるとは。

 連れ去られるドロレスに「ヘイ!」と声をかける。それに気付いた警備員が男とドロレスに近寄ったが、男は警備員を突き飛ばして行こうとした。しかし、他の警備員も事態に気付いて、次々に男を取り囲む。

 ドロレスも抵抗するので、男は身動きが取れなくなり、ドロレスの手を放して逃げようとしたが、警備員ともみ合いになってるうちに、取り押さえられてしまった。俺の邪魔をしていた男は、その隙に逃げていった。捕まえておけばよかったか。

「ヘイ、ドロレス……」

 ドロレスのそばへ寄ろうとしたら、警備員に捕まえられそうになった。悪人の一味に見えるらしい。ドロレスの「その人はいいの」の一言で事なきを得た。

「どうしたんだよ、一体」

「緊急で話したいことがあるって言われて、付いていこうとしたら……」

 相手はドロレスの名前を知っていたらしい。「知らない男に付いていくなよ」と言ったが、俺が言っても説得力がない。

「一人は知ってる男だったのよ。店に来たことあるもの。いつだったかしら、3、4日前だと思うけど。確か、雑誌の記者よ。その時の話の続きかと思って……」

 まさか、水曜日か! マリオンとメイベルも気付いてやって来た。警備員が「話を聞きたい」と言うので仕方なく付いていく。一応、本物の警備員かどうか警戒したのだが、本物だったようだ。

 ドロレスと警備室へ入り――マリオンとメイベルは外で待たされることになった――厳つい顔の警備員から“事情聴取”を受ける。ドロレスが事情を話したが、警備員は「つまらない騒ぎを起こしやがって」と言いたそうに見える。

 身分証明書を提示しろと言われ、パスポートを見せる。ドロレスはDNIというカードを見せていた。国が発行するIDカードらしい。二人の警備員が俺のパスポートを見ながらひそひそと話し合っている。犯罪者扱いを受けている気がする。それは取り押さえられた男なんだけどなあ。一人が部屋を出て行って、すぐに戻って来た。表情がまるっきり変わっている。

「失礼しました、セニョール・ナイト。お連れのセニョリータにもお怪我がなくて何よりです。誘拐未遂犯は厳重に取り調べをします。もう一人の男も手配しますのでご安心を」

 厳つい顔の警備員が、精一杯愛想のいい笑顔を浮かべて言った。態度が急変したので拍子抜けする。無事警備室を出ると、マリオンとメイベルが心配そうな顔で待っていた。ドロレスがもう一度事情を話したが、その後で俺の顔をまじまじと見ながら言う。

「どうして警備員は急に優しくなったのかしら。それもあなたの知り合いのおかげ?」

「さあね、外国人だからじゃないかな」

 それより、もっと気を付けろと言ってやりたいのだが、知ってる奴から声をかけられたのなら注意のしようがない。とにかく、カフェへ行く。マリオンとメイベルは芸術センターで軽く食べただけからと言って、大きなサンドウィッチを注文した。

「この後もまだ見る?」

「私はどっちでもいいわ。アーティーが見たいのなら見れば?」

 誘拐されかけたからこんなところはもう嫌だ、などと言い出さないのがドロレスらしい。マリオンとメイベルに訊いてみたが、閉館近くまでいたい言う。閉館は8時だからあと3時間以上もある。何をそんなに見るものがあるのかと思うが、俺のように急いで見る方がおかしいのかもしれない。

「じゃあ、王宮へ行こう」

「いいわよ、付いていってあげる」

「アーティー、後で夕食を一緒にどう? ソブリノ・デ・ボティンを予約してるの」

 マリオンが誘ってきたが、どうしたものかな。その前に今夜泊まるところを何とかしなければいけないのだが。

「夕食はどうするか決めてないが、今日は土曜日でその店もきっと混雑しているだろうから、別のところにするよ」

「じゃあ、その後は? バルにでも行って、話が聞きたいわ」

 いつの間にかメイベルがやけに馴れ馴れしくなっている。何か彼女に気に入られることをしただろうか。憶えがないが。マイアミ大のおかげ? それより、ドロレスから目を離さない方がいいと思うのだが、どうしようか。

「じゃあ、君たちが泊まってるホテルを教えてくれ。そこへ連絡しよう」

「ホテル・ウェリントンよ。ツイン・ルームだから、二人のどちらの名前を言っても電話を回してもらえると思うわ」

「あら、私も同じだわ」

 ドロレスが言った。偶然にしてはできすぎてるが、それがこの世界だから仕方ない。じゃあ、バルへ行くなら4人で、ということにしておき、美術館を出た。

 王宮までは歩くと少し遠いので、タクシーを使う。しかし行ってみると、6時までしか開いていないとチケット売り場で言われてしまった。10月から3月までは観覧時間が短いらしい。既に5時を過ぎていて、あと1時間も見られない。しかも4時から無料になっていた。予約は全く無意味だったというわけだ。もちろん、入場待ちの列もない。

「セニョール・アーティー・ナイトですね。承っております。閉館時間はお気になさらず、ゆっくりご観覧ください。ご退場になるまで開けておきますので」

 チケット売り場の綺麗な女が言った。どうしてそんな無理が利くのか解らない。こんなことなら、コラーダを見せてくれと言ったら出してくるかもしれない。

「ありがとう。しかし、なるべく早く見終えることにしよう」

「これもあなたの知り合いのおかげ?」

「俺も訳が解らないよ」

 いや、あのカードの効力だということは解っているが、何がそんなにすごいのかが不明だ。支払いすらできないことだってあったじゃないか。

 それはいいとして、王宮の中を見て回る。リーフレットによると、以前の王宮が1734年に火事で焼失したため、翌年、フェリペ5世が建造を命じ、完成したのが1755年。その時、王はフェルディナンド6世に替わっていたが、この王宮に入ることはなく、最初に入った王はカルロス3世で1764年だとのこと。現在でも使われているのだが、国王や王族はずっと北西にあるサルスエラ宮殿に住んでいるらしい。

 豪華な応接間や食堂の他、ベラスケスやゴヤの絵画が飾られた部屋、ストラディヴァリウスがいくつも展示された部屋、そして兵器や武具の博物館があった。もちろん、コラーダはそこにない。ちょっと気になったが、ターゲットはナイペスの方で確定だと思うので、無理な要求はしないことにした。

 俺がほとんど何も見ていないかのように王宮内を急ぎ足でどんどん進んでいくので、最初は呆れていたドロレスも、おしまいの方では笑いながら付いてきた。

「アーティーの観光のしかたって変ね。それでちゃんと見てるの?」

「もちろん」

「本当かしら。それなのに、トレドにはずっと滞在して、いったい何を見てるの?」

「トレドの方が風景が綺麗だし、街自体も面白いよ」

 それでも、見終わったときには6時を15分ほど過ぎていた。王宮の西側にはカンポ・デル・モロ庭園があるが、日が暮れてしまったので見ることはできず。代わりにライト・アップされた宮殿の外観と、東側のオリエンテ広場を見てから、地下鉄でホテル・ウェリントンへ行った。美術館を出てからずっと、ドロレスの周りに怪しい人間が近寄ってこないかを逐一気にしていたのだが、今のところ姿は見えないようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る