#6:第6日 (8) ランク・アップ

 ホテル・ウェリントンはレティーロ公園の北にあり、外から見る限りでは老舗の百貨店デパートメント・ストアのような造りだった。メイシーズやノードストロームを思わせる。しかし、中へ入ると赤い絨毯が敷かれた広いロビーがあり、骨董品のような椅子やテーブルあり、確かに高級ホテルだ。フェデリコは相当奮発したと思われる。俺には縁がない場所だ。

「それで、あなたはこの後どうするの?」

 エントランスを入ったところでドロレスが訊いてきた。

「さすがに今夜は君の部屋に泊めてもらうわけにはいかないだろうな」

「そうよ。だって、ダブルマトリモニオだもの。一緒のベッドには入れてあげられないわ」

「ソファーもなしか」

「あったってダメ。部屋が一つしかないんだから」

 当然だろうな、ドロレスの家でも、寝室には入れてくれなかったんだから。後でいないときに勝手に入ったけどさ。

「別の部屋か別のホテルに泊まるしかなさそうだな」

「まさか! どうして予約もしてないのよ。週末だからどこも満室に決まってるわ」

 トレドじゃあ週末でなくてもどこも満室だったよ。話しながらフロントレセプションへ行く。ドロレスがチェック・インし、「荷物はお部屋に入れておきました」と言われている。俺は俺で、別のフロント係デスク・クラークに部屋が空いていないかを訊く。案の定、あいにく本日は満室でして、といういつもながらの答えが返ってきた。

「どんな部屋でもいいんだ。別のホテルを紹介してくれてもいい」

 そう言いながら、フロント係に例のカードをちらりと見せる。無難な愛想笑いを見せていたフロント係の顔が、一瞬にして引きつる。

「ああ、ええと……かしこまりましたシー・セニョール、少々お待ちを……」

 レストランと反応が同じだな。しばらくして、堅苦しい顔の大柄な男が出てきた。笑顔を見せてはいるが、スクリメージ・ラインを挟んでこんな守備ディフェンシヴラインのプレイヤーがいたら嫌だな、という感じのタイプだ。が、たぶんフロント係デスク・クラークトップだろう。

「お待たせ致しました。ジュニア・スイートのテラス付きをご用意できますが、いかがでしょうか? あいにく、ラグジュアリー・スイートは本日満室でございまして……」

 呆れた。このカードで、こんな簡単に部屋が取れるのか。今回も含めた今までのステージで、何度か宿を探すのに苦労したことがあったが、あれは何だったんだ。

「スタンダードでいいよ」

「いえ、あいにくスタンダードは満室でございます」

「じゃあ、他の客の部屋をランク・アップしてやってくれ。差額は俺が持つ」

「はあ、そういうことも可能ですが……本当によろしいので?」

「そうだ、彼女の部屋をランク・アップしてくれ。ヘイ、ドロレス、ジュニア・スイートのテラス付きってのに泊まってみたいと思わないか?」

はあっ!?」

 隣でやりとりを聞いていたドロレスが、何を言っているのか意味不明、という顔をしている。俺だって、予約したのに部屋がないと言われたことはあるが、他の客と部屋を交換するのは初めてだよ。

「早い話が、俺と君で部屋の鍵を交換しようということさ」

「え、ジュニア・スイート? でも……本当にそれでいいの?」

「金のことなんて気にするなよ。どうせ俺の知り合いが払うんだ。それに、予約していた部屋がホテル側の都合で無料でランク・アップなんてのもよくあることさ」

「でも、あなただって広い部屋の方がいいでしょ?」

「実は広い部屋が苦手なんだ。落ち着かなくってね。だから俺を助けると思って替わってくれ」

「そういうことなら……」

 ドロレスは半信半疑の顔で俺の掌の上から鍵を取り、自分の鍵をそこへ載せた。女というのはこういうとき手放しで喜ぶものだと思っていたのだが、ドロレスは違うようだ。あるいは「フェデリコと泊まるはずだった部屋」に執着があったのかもしれない。フロント係デスク・クラークに礼を言うと、ボトネスペイジボーイというのが出てきて部屋まで案内してもらう。エレヴェーターで「荷物はお持ちでないのですか?」と訊いてきた。

「駅のコイン・ロッカーに預けてるんだ。後で取ってくる」

「取って参りましょう。鍵をお預かりします。手で抱えられるほどでしょうか? それとも車が必要でしょうか」

 ホテルがそんなことをしてくれるなんて信じられないのだが、買い物だってしてくれるようだし、砥石を見つけてきた前例もあるくらいなので、頼んでみた。もちろん、そのためのチップも渡す。

 ドロレスが予約していたのはスーペリア・ダブルで、これもそれなりに広い。少なくとも俺の共同住宅テネメントの部屋を3倍にしたくらいの広さはある。もちろん一流ホテルだけあって内装も豪華だ。ただ、そういう豪華さも俺にとっては落ち着かないものだ。ボトネスペイジボーイにチップを渡し、ドロレスのスーツ・ケースを部屋の外に出しておく。後でポーターが運ぶだろう。ベッドに寝転がってしばらく休憩していると、電話が架かってきた。ドロレスだった。

「アーティー! ありがとう、広くてとっても素敵な部屋だわ。後で遊びに来て!」

「えーと、それは夜中までゲームをするということ?」

「そうね、夕食の後で、どうかしら。あら、でも、あの二人と会う約束もあるんだっけ? それは後から考えるとして、一緒に夕食をどう? ただ、ホテルのレストランはインフォーマルでっていうことになってるけど……」

「レストランに入れるくらいの服なら一応持ってるよ」

 それには鞄が必要だが。

「そうなの、よかった。じゃあ、8時に“金の鍵ラ・ラーベ・デ・オロ”で」

 机の上の案内で、“金の鍵”の情報を見る。このホテルにはもっと高級なレストランも入店しているのに、そちらは予約しなかったらしい。部屋に金を奮発しすぎたか。

 30分ほどして、ドアにノックがあった。「鞄をお持ちしました」と言う。ドアを開けて鞄を受け取る。若いセクシーな女のポーターだった。さっきのペイジボーイはどこへ行ったんだよ。

「ありがとう。君が取りに行ったのか?」

「いえ、別の者が」

「ペイジボーイか」

「いいえ、別の者が」

「じゃあ、そいつにもチップを渡しておいてくれ」

 セクシー・ポーターにチップを二人分渡した。鞄をオットマンの上に放り投げ、またベッドに寝転んで休憩する。いや、休憩している場合ではない。なぜ今日、ドロレスが2度も襲われたのかを考えなければならない。いや、理由は判りきっている。シナリオがそうなっているのだ。

 では、それはどのようなシナリオなのか? こうなってみると、水曜日の空白が悔やまれる。マルーシャにたぶらかされず、正しい行動、というかトレドで調査をしていれば、何かヒントが掴めたんだろう。その時には何も気付かなくても、今になって「そういえばあの時のあれが」という風に。

 しかし、とにかくこの後もドロレスをガードしなければいけないだろう、という気がする。少なくとも明日の夜までは。だが、彼女にずっとつきまとえばいいかというと、そう単純なものでもないだろう。現に、俺がすぐ近くにいたときに襲われてるんだから。

 そして、第1の襲撃と第2の襲撃では人もやり口も違った。もしかして複数の人間から狙われているのだろうか。ドロレスがそんなに恨みを買うような女とは思えないが。それも水曜日に調べていれば判ったのかな。

 さて、この後も誰かドロレスを襲いに来るとして、どういう手口が考えられるか? ホテルにいる間に、1回くらいは来るだろうなあ、夜中とか。その他は……ううむ、女を襲った経験がないから、思い付かんな。

 8時に、王女から下賜されたスーツを着てレストランの前で待っていると、ドロレスがいそいそとやって来た。もちろん、インフォーマルに着替えている。ブルーのふわりとしたドレスだが、スカート姿のドロレスを初めて見るので、申し訳ないことに違和感が拭えない。きちんと化粧もしているし髪型も変えているし、本来恋人とディナーに行くために精一杯頑張って用意したのだろうから、その努力は認める。もっとも、俺の方だってこのスーツが似合っているとは思っていない。

「そんな服持ってたんだ。何だか、アーティーじゃないみたいね」

 ほら、言われた。しかも、店がカフェ兼レストランだからカジュアルに近いインフォーマルなわけで、ディナー“も”食べられる、というだけだ。周りから浮いてないのが幸いだ。

 バルでつまみタパスを食べるのと同じ感覚で、料理を単品で注文する。サラダと鴨肉のローストとサーロイン・ステーキ。ドロレスはこのステーキを楽しみにしていたらしい。食べると、なるほど確かにうまい。普通のバルでは出ないようないい肉だ。が、たくさん食べるとカロリーが気になるので、鴨肉の方にしておく。

 ドロレスはいつもよりよく食べている。歩き回ったからだろう。もちろん、ビールもたくさん飲む。1杯の値段はバルよりはるかに高いが、気にしていないようだ。俺が払うと思っているからに違いない。実際、俺もそのつもりだし。

 そのうち、ビールは飽きたとドロレスが言うので、ワインをボトルで頼む。もちろん、ドロレスにほとんど飲ませる。ドロレスはだいぶいい気分になっているらしい。いつものバルと同じような雰囲気になってきた。

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