#6:第6日 (3) 二人の旅行者

 マックスは5分ばかりも延々と同じようなことを繰り返し言っていたが、「また来るからよ。愛してるぜ、バリー」という声を最後に、何も聞こえなくなった。相手をしてもらえないとようやく悟ったらしい。どれくらいの頻度で来るのか知らないが、バレリアはよく耐えてるなあ。

 それはどうでもいいとして、ターゲットのヒントは……TVの横に剣。いや、これは置物か。よく見たら、サイド・ボードの中にも置物の剣がいくつもあるな。カレンダーの絵柄も剣。刃物メーカーのノベルティー・アイテムか。

 剣を構えた闘牛士の肖像。誰だろうな。新しいから、伝説の闘牛士というわけではないだろう。まさか、こいつが持ってるのが“剣の王”……今さらそれはないか。しかし、この男をデザインしたナイペスとかいうのならあり得るかも。バレリアの持っているナイペスには……ないようだ。

 やはり、それらしい物はなかったので、次は……順番からすると、アナベルのところだな。でも、家にいるんだろ。忍び込めない。だが一応行ってみるか。留守にしている可能性がないでもない。

 アナベルの家は、カンブロン門の近く。昨夜見たときも大きな家だと思ったが、明るいときに見るともっと立派に見える。少なくとも、庶民階級の家ではない。観光客が見に来てもおかしくないだろう。とするとアナベルはお嬢様で、それが職人を目指すとはどういうことか。ドン・フアンは彼女の財産が目当てなのか。

 で、ここに入るか? 裏口があるかどうかも判らないし、いや、これだけ大きければあるような気がするけれども、そこから入ったとして、アナベルの部屋へ行けるとは限らないし。正々堂々と訪問するのも一つの手だが、そんなに親しくもなってないのに……おっと?

「こちらに何か用ですか?」

 後ろから突然ハンサム・ガイに声をかけられた。半袖ではないので安心して話ができそうだし、どうやら彼もスポーツマンのようだな。少なくとも、ドン・フアンよりも遥かに好青年に見える。ミゲル……かな。確かに、モニカに似ている気がする。

「ああ、観光に来たんだが、この建物が立派なので、有名な史跡なのかと……」

「建物は古いですが、史跡ではありませんよ。人も住んでます」

「そうか。しかし、いい建物だ。君は?」

「この家に用があって来たんです」

「ほう」

「最近、不審者がこの辺りに現れるというので、気にしているんですがね」

「俺は旅行者だよ」

「そうですか」

「アナベル・ロロニョとは知り合いだけれどもね」

 男が訝しげな顔をしたので、ダマスキナードの作業体験をしたことを話す。男の顔がますます険しくなる。

「そういうのは知り合いコノシドとは言わないでしょう。アナベルにとってあなたは、単にお客の一人だから」

「まあ、そうだな」

 一緒に食事に行ったことを言ったらどういう反応をするかと思うが、やめておく。とにかく、アナベルの家には入れなさそうだ。バーイ、と言って好青年と別れ、少し離れたところで振り返るといなくなっていた。家に入ったんだろうか。

 とにかく、アナベルのところは無理。となったら、これからどうするか。3人の部屋を調べて、ターゲットのヒントはなかったようにも思うが、俺が見落としているだけかもしれない。しかし、見つけられないのなら、誰かのところへ行くしかない。

 モニカのところは遠すぎる。ならば、ドロレスかバレリア。ドロレスの行き先であるマドリッドには行ったことがあるが、バレリアのアルバセテはどこにあるかも判らない。じゃあ、マドリッドへ行ってみるか。しかし、一人ではバス・ターミナルへも駅へも行けないことは判っている。マルーシャに頼んでみる? 彼女との取り決めには含まれていないような気がするけれども。

 ソコドベール広場に公衆電話があった。パラドールへ電話を架けて、マルーシャを呼び出してもらう。

「本日はお出掛けになりました」

 ほら、これだ。俺の方から彼女を当てにするのはやっぱり無理だった。さて、どうしようか。

「エクスキューズ・ミー・サー」

 電話を切ったら、後ろにいた女が話しかけてきた。美人だ。電話を待ってたのかな。いや、携帯電話くらい持ってるだろ。

「何か?」

「マドリッド行きのバスはどこから出発するのか知ってます?」

 英語だ。いや、米語だな。合衆国からの観光客か。女が二人で、話しかけてきた方は濃いブルネットで、ありがちな顔の美形だが少し丸顔で、身体は骨太系。何となくだが、前回の肉感的淑女――名前が思い出せない――に雰囲気が似ている。ただし、年は上だろう。30歳くらいかな。もう一人は痩せていて、黒いストレート・ヘアで、眼鏡を掛けていて、知的な感じで、色白でやせ形。こちらも30歳くらい。

 ブルネットは笑顔だが、眼鏡は困惑顔だ。察するに、ブルネットが俺に尋ねると言ったのを眼鏡が止めたけど、言うことを聞いてもらえなかった、というところかな。

「バス・ターミナルは北の方だ。門を出て、道路を渡ったところにある」

「ほら、やっぱり!」

 俺が答えると、眼鏡が不満そうな声を上げた。さっき私が言ったのに、というところだろう。言うこと聞いてやれよ、ブルネット。

「ありがとう! そっちにもバス・ターミナルがあるのは知ってたけど、ここからもたくさんバスが出てるから、こっちにも来るのかと思ったわ」

「バス・ターミナルへ行くのなら、俺も一緒に行こうか。俺も今からマドリッドへ行くんだ」

 こんなにタイミングよくマドリッド行きの旅行者と会うなんてできすぎているが、シナリオがそうなっているのだろう。そういえば数日前には、ここでマルーシャに声をかけられたんだった。そういう場所に設定されているのかもしれない。袖無し男もこの辺りに出没するんで、夜にはあまり寄りつきたくなかったが。

「あら、そうなの。じゃあ、一緒に行きましょうよ」

 ブルネットは笑顔で言ったが、眼鏡はやはり不平そうな顔だった。俺が気に入らないのか、ブルネットのやることが気に入らないのか、どっちだろう。しかし、このチャンスを逃すわけにはいかず、ブルネットと話しながら広場の北の方へ向かう。眼鏡は渋々付いて来る。

 歩きながら自己紹介する。ブルネットはマリオン、眼鏡はメイベルと名乗った。ヴァージニア州アーリントンから来たらしい。ワシントンDCの近くだな。

 坂は降りず、パセオ・デル・ミラデロにあるエスカレーターを使う。こちらの方がバス・ターミナルへ行くには近い。プエルタ・デル・バドから旧市街地を出て、新市街の赤い建物へ。前は入口に“壁”があったが、今日は……見事に入れた! つまり、同伴者がいれば“壁”を通り抜けて、バス・ターミナルや駅へ行けるようになっていた、ということだ。

 窓口で聞くと、トレドや他の都市への長距離バスは、地上のバス停ではなく、地下に発着しているとのこと。マドリッドまでの切符を3枚買う。金は俺が出しておいた。マリオンは「ありがとう!」と言って嬉しそうだが、メイベルはまだ不満そうに俺のことを睨んでいる。

 マドリッド行きのバスは30分に1本出ている。ちょうど10時半の便が出るところだったので乗る。一番後ろの席に、3人で並んで座る。俺は一人でもよかったのだが、マリオンがなぜか俺を横に座らせたがっている。

 出発直前にバタバタと数人が乗り込んできた。マドリッドまでは約1時間のはずだ。バスが走り出すとマリオンが、いつから来ているのかと訊いてきた。

「月曜日からだ」

「私たちは日曜日からよ。でも、一昨日まではマドリッドにいたの。トレドへは昨日の朝に来て、一泊して、マドリッドへ戻るところ。トレドって狭い街なのに、どうして昨日、あなたに会わなかったのかしら?」

 そんなのはよくあることだろ。狭いからって観光客どうしがみんな出会うわけじゃあるまい。それに俺は昨日、ダマスキナードの作業体験をしてたしな。それを言うと、マリオンが残念がっている。

「私たちも申し込もうとしたけど、予約がいっぱいで断られたの! どんなことしたのか教えてくれる?」

 予約しようとした奴ができなくて、飛び込みで行った俺ができるなんて。おかしなものだ。まあ、それもシナリオのせいだろう。鞄から鉄板を出して見せ、彫り込みや埋め込みのやり方について説明する。マリオンが何度も「面白そう!」を連発する。メイベルもこのときは興味深そうに聞いていた。

「あなた、仕事は?」

 訊かないで欲しかったなあ。仕方なくパート・タイマーで休暇中と答えたが、蔑みの目では見られなかった。逆に彼女たちの仕事を訊く。

「ITSアメリカの事務局に勤めてるの」

 ITSとはインテリジェント・トランスポーテーション・ソサエティーの略で、この月曜日からマドリッドでITS――こちらはインテリジェント・トランスポーテーション・システムズの略――の世界会議ワールド・コングレスがあり、木曜日まで研究発表や展示が行われていたとのこと。彼女たちは合衆国からの参加者の世話役をしていたのだが、金曜日から明日まで延長滞在して観光をしているそうだ。

「金曜日の飛行機で帰っても、その日は結局仕事ができないものね」

 マリオンは笑いながら言った。それはそうだが、出張のついでにそんなに観光していいものなのかなあ。半日とか1日ならまだしも。……待てよ、世界会議ということは、その期間、マドリッドのホテルはいっぱいだったに違いない。だからトレドのホテルもその余波で混んでたのか? 全く、余計な設定を。

「明日の朝帰るのなら、金曜日にマドリッドを観光して、土曜日にトレドへ来ることにすればよかったのに」

「それだとトレドに荷物を全部持ってこないといけなくなるでしょ。順番を逆にすれば、マドリッドのホテルに荷物を置いておけるわ」

 確かにそれはそうで、彼女たちが旅行者なのにやけに荷物が少なかった理由がわかった。ただ、そうするとマドリッドのホテル代を1泊分損するような気が。いや、俺が心配しなくてもいいことなのだが。

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