#6:第5日 (2) ナイペスの不思議
「何だったの?」
居間に戻りながらドロレスが訊いてきた。
「昨日の夜は静かだったなって言われただけだよ」
「まさか。でも、いつもなら用がある時は降りてくるのに、今朝はどうして……ああっ、トリハス無くなってる! 私、もっと食べたかったのに!」
「とっても美味しかったわ、アーティー。毎日作って欲しいくらい」
「どうして全部食べちゃうのよ!」
「だってお腹が空いてたし、美味しそうだったんだもの。足りないなら自分で作れば?」
「そんな時間ないわよ、もう8時過ぎてるんだから!」
「あら、本当だわ。大変、一度家へ帰らなきゃいけなかったのに」
「片付けは俺がするよ。ところで、ドロレスはシャワーはどうするんだ?」
「起きた後で浴びたわよ、バレリアと一緒に!」
「そうよ。二人で別々に浴びてたらアーティーの分のお湯がなくなっちゃうもの。あら、そうだわ、私がアーティーと一緒に浴びればよかったのかしら?」
「何をふざけたこと言ってんのよ、服着てさっさと家へ帰りなさいよ!」
ドロレスがバレリアを引っ張るようにして寝室へ行ってしまう。キッチンで皿を洗っているとバレリアがやって来た。もちろん、服を着ている。昨日のドレスだから、着るのはあっという間だったろう。砥石を大事そうに箱に入れ、最後に箱にキスしている。誰の持ち物なんだか。
「アーティー、朝食ありがとう。明日の旅行のこと、本気で考えておいてね。それじゃ」
そう言って俺の頬に濃厚なキスをすると、出て行ってしまった。昨日の作業体験の時と、夜の食事の時と、そして今朝とで性格が微妙に違っているので、どれが本当のバレリアなのか解らない。ただ、砥石を発見して興奮してた時が本性のような気がするから、誘いに乗るのはどうにも躊躇せざるを得ない。
さっとシャワーを浴びて着替えると、ちょうど出掛ける時間になった。ドロレスの後に付いていき、いつもと同じくソコドべール広場で別れる。それから
3階へ上がり、ドアをノックする。ややあって、モニカが顔を覗かせた。まだ眠そうな顔をしているが、髪が湿っているのでシャワーは浴びたらしい。
「入って」
機嫌がよくなさそうな声だが、前もそうだったから朝はこんなものなのだろう。低血圧かな。後に付いて入り、居間に招き入れられる。ドロレスのところと違って、物が多い。が、綺麗に整理されている。話しぶりや態度は雑そうに見えるのに、実際は違うようだ。
椅子を勧められたが、四角い小さな箱形のスツールだった。
「来てくれてありがとう、アーティー。少しでいいから相手してもらおうと思って」
「何の相手?」
「
礼を言われたと思ったら、嘲るような口調で言われたり、性格が今一つ掴みきれない。モニカがテーブルの上に置いてあったカードをシャッフルする。
「とりあえず、昨夜バリーたちとやってたジン・ラミーであなたの力を見せてもらうわ」
「君の相手ができるほど力があるかどうかは判らんよ」
「いいのよ、それでも」
滑らかな手つきでカードを配る。バレリアたちとは最初の
それでも勝てない。7回マッチをしたが、俺は一つも取れなかった。終わってからモニカが不機嫌そうな顔をして考え込んでいる。
「相手にならないくらい弱くて申し訳なかったな」
「ん? ああ、そんなの判ってるわよ。そう簡単にあたしに勝てるわけないでしょ」
大した自信だが、確かにバレリアやドロレスよりも強かったように思う。ジン・ラミーは運の要素も強いゲームだと思うが、俺の方には全く運が回ってこなかった。
「じゃあ、他に何か気に入らないことでも?」
「あんたの
「弱すぎるんで、考え方が支離滅裂だからだろ」
「そうかもしれないけど、それだけじゃ説明の付かないこともあるから」
そう言われても俺には全く心当たりがない。真剣にやらなかったのは申し訳ないが、手を抜いていたわけじゃないし、意味のない手はなかったはずだし。
モニカは何度も首を捻りながら、指で膝を叩く。頭の中でゲーム展開を思い出しているのだろうか。だとすればすごいことだが、フットボールに関してなら俺もできなくはない。玄関のチャイムが鳴った。
「アーティー、出て」
「俺でいいのか?」
「錠前屋よ。こんな格好で出られるわけないでしょ」
確かにバス・ローブ姿だが、錠前屋の前には出られなくても、俺を招き入れることができるというのがまた解らない。まあ、いい。玄関へ行ってドアを開けると、昨日の錠前屋が立っていた。
「あれえっ、またあんた? どうして?」
「俺だってお前が来るなんて知らなかったよ」
「モニカは?」
「中にいるよ。ただいま考え中だ」
「考え中? ああ、明日のことか」
「明日って何があるんだ?」
「ナイペスの大会だよ。ビトリア=ガステイスで開催されるんだ」
錠前屋はナイペスと言ったが、同時通訳ではプレイング・カードと翻訳された。
「モニカがそれに出場するのか?」
「そうだよ。10年前から出場してて、何度も入賞して、去年はついに優勝したんだ。あんた、知らなかったの?」
知るかよ、そんなこと。道理で強いはずだよ。だが、そんな強い女が、俺なんかを相手に何をしようってんだ。その女が居間の方から呼んでいる声が聞こえる。
「とにかく、早く錠前を交換してくれ」
「そりゃ、交換するけど、ドアを押さえててくれなきゃ」
俺の代わりに、玄関にあった重たそうな花瓶にドアを押さえさせて、居間へ戻る。モニカが別のカードをシャッフルしている。
「ジン・ラミーはもういいわ。エスコバの相手をして」
「ルールを知らないんだが」
モニカの手が止まって、怪訝そうな顔で俺の顔を見る。
「ロリータがルールを教えて遊んだって言ってたわよ」
「憶えがない」
「ふーん。じゃあ、あんた本当に酔って何も憶えてないのね」
バレリアもそうだったが、なぜ俺はそこまで信頼されていないのだろう。そのわりにこうしてゲームの相手をしろとか言って呼ばれるし、訳が解らない。
「ま、いいわ。説明するから、思い出しなさい」
モニカの説明を聞いているうちに、断片的に思い出してきた。ドロレスとやった時のことも、少しだが思い出した。「こんなカードは初めて見た」と言った気がする。
「やっぱり酔わせた方がいいのかしら?」
「やめてくれよ、朝から」
エスコバは手札を3枚ずつ配り、場に4枚置いて、手札と場札で合計15になる組み合わせが作れればそれを取り、作れなければ手札を1枚、場に置く。手札がなくなったら山札から3枚取る。そして山札が全部なくなったら終了で、取ったカードの枚数が多い方が勝つ。
だたし、この時に“
加えてややこしいのは、ナイペスのカードだ。英米式でJ、Q、Kに当たるものを、それぞれ8、9、10として扱う。しかもカードの隅には10、11、12と書かれているのに! そして8と9と13のカードは初めから入っていない。つまりカードは全部で40枚しかないのだ。
取った枚数が多い方に点が入るんだから、取れる組み合わせがいくつかある時には枚数が多くなる方を選ぶとか、15にならないときに場に出すカードは大きい数字の方がいいとか、今までに出たカードの種類と数を憶えておいて相手が15を作りにくくするとか、色々戦略はあるはずだが、酔ってやった時のことは憶えてないし、モニカは元々強いのでほとんど勝てない。
負け続けているうちに錠前屋から声がかかる。ゲームを中断して玄関へ行く。鍵を受け取って、楽に掛け外しができることを確認する。最後に料金を払う。そういえば昨日も立て替えたのだが、ドロレスから金を受け取っていないのに気付いた。まあ、金なんていくらでもあるからどうでもいいのだが。
「モニカに、明日の大会頑張ってって言っておいてよ」
錠前屋はそう言い残して帰っていた。居間へ戻ってモニカに鍵を渡し、錠前屋のメッセージを伝える。「言われなくても頑張るわよ」とモニカは素っ気ない。
「ところで、ビトリア=ガステイスってのはどこにあるんだ?」
「北の方よ」
「カード・ゲームの
「殿堂はないけど博物館はあるわ」
「ほう、カードの博物館か」
「それと、このカードを作ってる会社」
なるほど、USプレイング・カードみたいな会社がスペインにもあるわけだ。博物館があるくらいだから、恐らく相当有名な会社なのだろう。モニカがカードを配っている間に、テーブルの上に置かれたカード・ケースを見る。"FOURNIER"とある。フルニエと読むと思われる。
ケースの表面には騎士が描かれている。この騎士はクイーンの代わりだ。J、Q、KはそれぞれS、C、Rで表される。
「アーティー、早くやってよ」
「ああ、失礼」
なんてこった。今の今まで気付かなかった。まさか、こんなところにあるとは。場に
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