#6:第5日 (3) 2度目の体験

「今のは強かったわね」

「今のは運がよかった」

 1ゲーム勝っただけだが、さすがにモニカはよく流れを見ている。もしかしたら、今までの全ゲームの譜も憶えているかもしれない。

「強いプレイヤーフガドールっていうのは運を呼び込むのがうまい人のことをいうのよ。あんた、そういうタイプの男ね」

「これだけしかゲームをしてないのに、そんなことが判るのか?」

「ロリータとかバリーとのゲームフエーゴも見た上で言ってるの。あんたの手の作り方がようやく解ってきたわ。勝ってても負けてても、常に逆転のことを考えてるわね。特に勝ってる時の手の流れがよく解らなかったけど、あれは最悪逆転されても、再逆転を狙おうとしてたのね」

「逆転は得意だよ。カレッジのフットボールのゲームではよく負けている時に出場させられたが、全部逆転したはずだ」

 全部で13ゲームにしか出場していない。ほとんど途中出場、しかも終盤からだった。そのうち負けていたのは5ゲームで、全て最終ドライヴで逆転した。逆に先発した3ゲームのうち一度だけ逆転負けしたんだが。勝った2ゲームのうちの一つがオレンジ・ボウルで、それが前回、何人かから指摘された“マジカル・カムバック”だ。

「そういう流れを持った人間がいるのよ。どうにかしてその強運を分けてほしいものね。とりあえず、あんたの戦略はかなり参考になったわ」

「戦略なんか使ったかな。憶えがないが」

「ずっと負けてるのに、ちょっと運がよくなると、逆転する流れに持っていこうとするところよ。全く望みがないはずなのに、何か逆転する手があるのかと思って、疑心暗鬼になるわ」

「諦めが悪いんでね。で、そろそろゲームは終わり?」

「10時半まで空いてるんでしょ。続けるわよ」

 その後はモニカが本気を出したのか、全く勝てなかった。家を出る時に「明日勝ったらあんたにもお土産買ってきてあげるわ」と言われた。帰ってくるのは日曜日の夕方だそうだが、その前に俺がいなくなってしまうことは考えていないようだ。

 さて、ターゲットのヒントはようやく掴んだ。ナイペスの剣の王レイ・デ・エスパダスだ。しかし、ナイペス自体はこのトレドの可動範囲の中に、それこそいくらでもあるだろう。その中の一つを探さなければならない。もちろん、それなりに価値のあるナイペスであることは間違いない。博物館に飾られるほどでないと、ターゲットにはなり得ないだろう。ただ、トレドの美術館には置いていなかったこともまた間違いない。

 もしかして、モニカの言っていた、ビトリア=ガステイスのカード博物館にあるのだろうか。彼女に付いて行くのが正解か? 誰かと一緒ならトレドから出られるだろうから、ビトリア=ガステイスへ行けるかもしれない。だとしても、今夜の出発まではまだ時間がある。その間に、他のヒントを探すべきだろうか。この後の、作業体験をキャンセルして、ナイペスについて調べ直すべきだろうか。しかし……

 もう一人の職人、今日行く予定の工房にいるあの小柄な職人だって、キー・パーソンの一人と考えられる。だったら、彼女も何かの情報を持っているんじゃないだろうか。それが、ターゲットの情報を調べることになるのではないか。そんな気がする。もっとも、彼女が可愛いからもう一度会いに行きたいという気持ちがないではない。

 工房には11時直前に着いた。あの気難しそうな老職人が俺のことを見て、来たかというような顔をする。顔を憶えていてもらえたとは光栄だ。小柄な職人もいたが、既にあの大柄なドイツ系の男が張り付いて、盛んに話しかけている。スペイン語のように聞こえるが、同時通訳ではなさそうだ。

 他にも3人、作業体験の参加者らしき人間が来ているが、顔を見ると国籍がバラバラのようだ。スペイン、フランス、イタリアかな。今日の説明は何語でするのだろう。それと、俺とあのドイツ人を入れて二人超過ということになっていたはずなのだが、全部で5人しかいない。昨日と同じだ。キャンセルがあったのだろうか。それとも、この後で来るのだろうか。

 時間が来て、老職人が「始めようか」と呟く。その後、俺とスペイン人を除いた3人に、一人ずつ何か話している。英語が解るか、と訊いているようだ。最後に俺のところへ来て「アメリカ人アメリカーノだな?」と訊いた。知っているが、一応訊いた、という感じだ。そうだと答えると奥の工房へ入れと英語で言った。

「他には来ないのか?」

「昨日、二人からキャンセルの電話があった。今日は5人だ」

 奥に入ると、昨日の工房より幾分狭いが、同じように部屋の周囲に作業台が並び、真ん中にテーブルが置いてある。老職人がテーブルの周りに集まるように言い、小柄な職人を横に従えて立つ。さて、彼女の名前は何だったかな。

「あー、本日はダマスキナード作りの作業体験へお越し頂いたことについて感謝申し上げる。私はこの工房の親方のアントニオ・アルバレスだ。彼女は職人のアナベル・ロロニョ。ダマスキナードはトレドの有名な工芸品の一つで、この……」

 と言って老職人は横の小柄な職人、つまりアナベルの方を指差す。アナベルは手に小さな鉄板を持っている。その後の説明は昨日とほとんど同じだった。恐らくどの工房でも説明や手順を合わせてあるのだろう。親方の説明が終わった後、アナベルが同じ内容をスペイン語で繰り返す。一人だけいるスペイン人のためだろう。ただし、国際小包で送るには追加料金が必要、という下りはなかった。

「あー、それでは、彫り込みスコアリングの作業について、彼女が手本を見せる。一度には見られないと思うので、交替して見て頂きたい」

 ドイツ人とスペイン人がアナベルの後ろから作業を覗き込む。親方が彫り方とその細かさについて、英語とスペイン語の両方で説明する。アナベルはバレリアと違って作業中はしゃべらないようだ。まだそういうことには慣れていないのかもしれない。続いてフランス人とイタリア人が覗き込む。親方がまた説明を英語で繰り返す。1ミリメートルの間に線を10本から12本、と言うとフランス人が感嘆の声を漏らす。

 最後に俺が覗き込もうとすると、親方が「それでは各自作業台について頂きたい」と言う。まあ、俺は昨日見たから今さら見る必要はないのだが、アナベルに近付く機会を奪われてしまったような感じだ。

 それから親方は「これから順番に説明していくので、まだ始めないように」と言い、フランス人に説明を始める。アナベルはスペイン人に説明している。ここでは二人で手分けして説明をするようだ。俺にはどちらが説明してくれるのやら。

 次に親方はイタリア人、アナベルはドイツ人の方へ行く。アナベルはドイツ人にもスペイン語で話している。彼がスペイン語を話せるのでそういう分担になったのかもしれない。耳を澄ませて会話を聞く。ドイツ人の名前がライナーであることが判った。話が長い。

 俺のところには結局、親方が来た。説明の時に使っていた鉄板を作業台に取り付けながら言う。

「君がアーティー・ナイトだな」

「知ってるのか」

「ディエゴ・ゴメスから聞いたよ」

 あのエキセントリックな顔の親方か。

「あんたの弟子?」

「そうだ」

「何と言っていた?」

「私が自分で見てみたいから詳しいことは言ってくれるなと言っておいたよ」

 困ったことに、何か過剰な期待をされているような気がするな。ゴメス親方も、俺が職人にはなりきれない男だ、くらいのことは言っておいてくれればいいのに。

「さて、君も説明が必要かね」

「ぜひお願いしたいな」

「では、ロロニョに説明させよう」

 そう言って親方はアナベルを呼び、俺に説明するように言う。スペイン語が通じる、とも言っている。彼女は英語が話せないのかもしれない。

「……では、ナイトさん、先ほど説明したとおりにナイフを持って、鉄板を削ってみて下さい」

 いささか遠慮がちにしゃべっているように聞こえる。親方は詳しいことは聞いていないと言っていたが、彼女には何か言っているのかもしれない。俺が削っているのを黙って見ている。手元を覗き込んではいるものの、他の二人の時より、少し距離があるような気がしないでもない。

「どうだろう?」

 アナベルがあまりにも何も言わないので、俺の方から声をかける。アナベルはびっくりしたように顔を上げた。

「えっ!? あ、そうですね。特に悪いところはないと思います」

 悪いところはないナッシング・バッドという言い回しも変だ。やはり彼女は何か知っているらしい。それから彼女が親方の顔を見る。親方が軽く咳払いをしてから参加者に言う。

「それでは、やり方はお解りになったと思うので、各自、作業を始めて頂きたい。ただし、怪我には十分、気を付けて欲しい。怪我をしても、薬を出すことはできるが、治療費は出せんので、そのつもりで……」

 親方は至極真面目に言ったのだが、俺以外の4人には面白く聞こえたようで、忍びやかな笑い声が漏れた。それから親方が続ける。作業で解らないところがあればロロニョに聞いて欲しい。彼女は英語が少し話せるが、もし通じないようなら私を呼んでくれて結構だ。私は前の工房にいるので、と言って去って行った。何だ、アナベルは英語ができるんじゃないか。ほんの少しかもしれないが。

 それから作業を始めたが、すぐにライナー氏がアナベルを呼んで、解りきった質問をしている。いや、俺は2日連続で体験をしているから解っているだけなのかもしれない。それにしても、ライナー氏の話し方はやけに馴れ馴れしい。もしかしたらあれから毎日ここに通い詰めて、アナベルと既に仲良くなっているのかもしれない。まあ、別にそれでも構わない。邪魔をするつもりもない。

 その後で他の3人が順々にアナベルを呼ぶ。俺は呼ばないので彼女は俺のところへは来ない。が、時々彼女の視線を背中に感じるような気がする。とにかく彼女とは話さずに黙々と彫る。昨日やって慣れていることもあって、どんどん進む。

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