#6:第2日 (5) なぜまた彼女が?

 ホテルの建物の中へは入らず、駐車場の一部から旧市街が見られるところがあるので、そこへ行く。先ほどのミラドールよりもかなり高いところから見ているので、街全体を俯瞰することができる。ただし、少し遠くなった感じは否めない。

 歩き続けて喉が渇いたので、中へ入って受付でレストランの利用を申し込む。間食メリエンダにはまだ少し早いせいか、すぐに案内してもらえた。テラスのテーブルに座り、オレンジ・ジュースとサンドウィッチを頼んでから景色を眺める。ここから夜景を眺めると素晴らしいとリーフレットにあるが、それにはここに泊まらなければならないだろう。もちろん、部屋は空いてないに決まっている。まあ、念のために後で訊こうと思うが。

 注文が届くまで席を立ってテラスをうろつく。テラスはL字型をしていて、角の部分が一番景色を見やすい。下に芝生のスペースがあって、テーブルと椅子が置いてある。川から離れてしまったせいか、手前の方の落ち込み具合がよく見えないので、川の中から街がそびえ立つ感じがしない。

 席へ戻ってサンドウィッチをつまみながらオレンジ・ジュースを飲む。もう5時に近くて、だいぶ陽は傾いてきたが、辺りはまだ明るい。ドロレスと約束した9時にはまだあと4時間もあるし、このままここで日が暮れて夜景が見られる時間まで過ごしてもいいくらいだが、たぶんその頃にはホテルの客の食事時間帯なので追い出されるだろう。

 振り返って見上げると、2階のバルコニーの柵にもたれて景色を眺めている客が何人かいる。そろそろ間食メリエンダの時間帯に入るので、退散しよう。ウェイターに一声かけて席を立つ。受付での精算には、例のクレジット・カードを使ってみた。係員が至極丁寧に取り扱ってくれる。サインをしていると、後ろから男が声をかけてきた。

失礼いたしますディスクルペ、セニョール・アーティー・ナイトでいらっしゃいますね」

 振り返ると制服姿の男が恭しい態度で便箋を俺に差し出している。ホテルの従業員の一人だとは思うが、なぜ俺の名前を知っている?

「何?」

「セニョールへメッセージメンサーヘをお預かりしております」

 おかしい。俺はこのホテルの客ではないのに、なぜメッセージがあるんだ。奇妙に思いながらもその便箋を受け取る。"My Dear Artie Knight"! おいおいおい!


  "Are you available tomorrow?"(明日はお暇?)


 マルーシャ……2回連続で同じステージかよ。競合ってのはそんなに同じになる確率が高いのか? しかもこんなところでメッセージを受け取るってことは、このホテルに泊まってるってことだよな。さっき見上げた2階のバルコニーのどこかにいた? そもそも、明日は時間があるかって……いやまあ、どこを調査しに行くとは決めてないが、だったらどうだっていうんだ。時間があるからって遊んでいていいわけじゃあるまいし。

 メッセージを渡しに来た男は、澄ました顔をしてそのまま立っている。返事をもらってきてくれとでも言われたのだろうか。ポケットから1ユーロ硬貨をつまみ出し、その男に渡しながら言う。

そうしたいところだがアイ・ウィッシュ・アイ・クッド、と伝えてくれ」

「かしこまりました」

 チップを恭しく受け取りながら男が言った。ここは早めに退散した方がよさそうだ。しかし、と歩きながら考える。このステージには競争者コンテスタンツが俺の他に二人。マルーシャがいるということは、昨日から見かけた二人の怪しい男のうち、一人は競争者コンテスタントではないということだ。どちらもいかにもそれっぽく見えるのだが、どちらが正解だ? 明日以降にもよく観察して見極める必要があるだろう。

 すれ違う車が多い。今からパラドールへ夜景を見に来る連中がいるということか。まあ、予約さえしていれば、宿泊客でなくても食事くらいはさせてくれるのだろう。

 コビサ通りを下り、ミラドールへ戻る手前で、右側の砂利道に足を踏み入れる。もしやと思っていたのだが、やはりここだけ“壁”がなかった。ここから崖を少し登ると、ピエドラ・デル・レイ・モロという巨大な岩があって、そこからトレドの旧市街を眺めることができるのだ。レイというのは王の意味だから、ターゲットに全く無関係というわけではないだろう。

 登ってみると単なる岩山だが、バランス・ロックのような形の石積みもあったりして、面白い。これを王の姿に見立てたのかな。岩の上からだと旧市街地の周りの川もよく見えて、“バベルの塔”感が増す。日が暮れるまでここにいるのも一興かもしれないが、降りるときに難儀しそうだ。

 が、しばらく待って、夕焼けに街が染まり、アルカサルや大聖堂がライト・アップされたのを見届けてから、足下がギリギリ見える明るさのうちに岩を降りる。

 川沿いの道へ戻り、東へ向かって歩く。市街地に明かりが灯り始める。道はどんどん東へ逸れていって、川から離れる。ここにも谷があって、道はずっと東の方を迂回している。

 谷を渡るところに橋が架かっている。そこから西を見ても、谷と川の合流点近くにあるこんもりとした丘に遮られて、市街地はほとんど見えない。わずかに、アルカサルだけが光っている。橋を渡りきって西へ曲がり、また川へ近付く。今度は市街地の方が高すぎて、やはりアルカサルの辺りしか見えない。

 どんどん日が暮れてくる中、人も車もほとんど来ない道をひたすら歩く。アルカサルの真東に当たるところに、橋が架かっている。しかし、これは自動車専用道であって、歩道がない。それに、この先にあるアルカンタラ橋が渡れるかどうかを確認しておきたい。その橋のたもとに建つ石造りのゲートに明かりが灯っているのが見える。

 4分の1マイルほど歩き、橋に到着する。念のためにそこからさらに北へ行こうとしてみたが、“壁”があった。ここを通ることができれば駅へ行けるのだが、やはり無理だったようだ。

 アルカンタラ橋を渡り、ドセ・カントス門をくぐり、南へ折れて階段を上がる。アルカンタラ通りの坂を登ってから西へ曲がり、ミゲル・デ・セルバンテス通りを歩いていくと、美術館の前に出た。ソコドベール広場はすぐそこだ。まだ7時過ぎで、既に日は暮れたが、約束の時間にはまだ2時間近くもある。アルコ・デ・ラ・サングレを通って広場へ出る。

「やあ、こんばんはブエナス・ノチェス

 雑踏の中を、ドロレスがいる土産物屋へ向かって歩いていたら、昨日の怪しい男にまた声をかけられた。こいつはいつもこの辺りで獲物を探しているのだろうか。そもそも、俺がこいつに見つかりやすいのはなぜなんだ?

 無視して歩いていると、後ろから追いかけてくる。土産物屋へ入ると、さすがに中までは追ってこなかった。しかし、店の前で待っているだろうということは予測できる。

 店の中を見回したが、ドロレスの姿は見えなかった。昨日言っていたとおり、この時間は奥の工房にいるのだろう。工房を覗くことは残念ながらできなさそうだった。

 太った店主が壁際の陳列品の前で客に何かを説明している。夫人も同様だ。店主の手が空くまでしばらく待つ。その間にダマスキナードを見る。出来映えからドロレスが作ったものを見分けようと思ったが、さすがに飾り皿のような大物は素人の俺ですらどれも感心するような出来で、見習いが作ったようなものはない。小物は他の客が熱心に覗き込んでいるので割り込めない。しばらくすると店主が空いたようなので話しかける。

「ここにドロレスという職人がいるはずだが」

「ああ、おるよ。知り合いかね」

「少し話はできるか?」

 そう訊くと、店主は穏やかな笑みを浮かべながら、両手を広げて見せた。

「あの娘は集中力がずば抜けて高くってね、作業中に話しかけると、わしでも叱り飛ばされるくらいさ」

「そりゃあ、いいことだ。大成する素質があるよ」

「全くだ。言伝てがあるなら聞いておくが、どうするね」

「昨日の店にいるから仕事が終わったら来てくれ。アーティーより」

 店主は胸のポケットからメモ用紙を取り出し、俺の言葉を書き付けた、と思う。それをどうするのかと思ったら、またポケットに仕舞いこんでしまった。まあ、忘れられてもいいようなメッセージだからどうでもいいが。

「彼女の腕の方はどうなんだ?」

「そこそこだな。まあ、気長に育てるさ」

「最後の弟子ってのは本当?」

「あの娘が物になったらそうなるな」

「物にならなかったら?」

「そりゃ、あんまり考えたくない話だな。ちょいと失礼」

 他の客が来て、割り込まれてしまった。俺が何も買おうとしていないのがバレたのかもしれない。ダマスキナードを見るのをやめて、剣の方を見る。品揃えは多くない。ダマスキナードのついでに買うのを当て込んで置いているだけだろう。

 閉店まで粘ってから店を出る。袖なしスリーヴレスの男がまた付いてくる。何か言っているが、聞かないようする。広場を横切って、昨夜のレストランへ駆け込む。男は入って来ない。昨日は一緒にビールでもなどと言っていたが、この店では何か都合が悪いのかもしれない。いい店を紹介してもらったものだ。

 昨夜のウェイトレスが俺の顔を憶えていてくれて、昨夜と同じ席へ案内してくれた。確か、モニカという名前だったはずだ。愛想よく、というほどではないが、それなりに微笑みながら俺の方を見ている。

「ご注文は?」

「オレンジ・ジュースあるか?」

ビールセルベッサ飲まないの?」

「ドロレスが来てからだ」

「昨夜は彼女とずいぶんお楽しみだったみたいね」

 待て待て待て、何だ、その含みのある言い方と笑い方は。君は一体何を知ってるんだ?

「俺は全く憶えてないんだが?」

「彼女もそう言ってたわ。あんたが思い出すまで何も言っちゃダメだって。でも、あたしはお礼くらい言って欲しいかな」

「君が何をしてくれたって?」

「酔っ払って足下がふらふらになったあんたを抱えて、彼女の家まで一緒に連れて行ったのよ。まだ仕事中だったのに抜け出したんだから」

「そうか、それはありがとう。後でチップをはずむよ」

「食べ物の注文は?」

「野菜のスープあるか?」

スープソパ? んんー、じゃ、コシードにしなさいよ。豆とポテトとニンジンと卵と鶏肉の煮込み。それならいいでしょ」

 モニカはそう言うと、俺の返事を聞くまでもなく行ってしまった。気は利くが、強引な感じだな。すぐにオレンジ・ジュースが運ばれてきた。それを飲みつつ、今日の調査結果を地図の上に書き込んでいく。

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