#6:第2日 (4) 町を外から眺めたら

「実は昨日、これと同じデザインの物を買ったんだ。その時に、買ったのと比べてこちらの方が出来があと一歩及ばず、という気がしたんでね」

「あら、そうなの! よく見てるのね。もしかして、あなたも職人?」

「そうじゃない。ただ、見比べたら細かい違いがあったってだけさ」

 自分では作れなくても他人のあら探しは得意だというだけで、何の自慢にもならない気がする。しかし、バレリアは機嫌を悪くすることもなく、にこにこしながら俺の方を見ている。とてもいい性格だと思う。

「そうだったの。見る人が見ると、やっぱり判っちゃうのね。もっといい仕事ができるように頑張るわ」

「明後日はここに体験をさせてもらいに来るんで、その時はよろしく頼む」

「あら、そうだったの。じゃあ、体験を楽しんでもらえるように頑張るわ」

 気持ちのいい笑顔に見送られて店を出る。彼女がキー・パーソンだったら面白そうだ。ドロレスと両天秤にかけるウェイング・アップわけではないが、体験の時に積極的に仕掛けてみようかとも思う。

 サン・マルティン橋へ向かう。昨日はこの橋を対岸まで渡れたが、念のためにゆっくりと渡る。橋脚の上の見晴らしスペースのところで、落ちないようにしながら欄干から少し身を乗り出してみる。“壁”があるかと思ったが、気配は感じられない。このまま川に飛び込んだらどうなるのだろうと思う。もちろん飛び込んだりはせずに、対岸まで渡る。

 橋のたもとから、まず北側へ向かおうとすると、いきなりそこに“壁”があった。北側には車が通れるカバ橋が架かっているのだが、そこは通れないということだ。タクシーで来なくてよかった。

 次に、横断歩道を渡ってみたが、難なく道路の反対側の歩道へ行くことができた。道路の真ん中に“壁”があって、渡っている最中にぶつかったら大変なことになるのだが、ここではそういうことはないらしい。ただ、その反対側の歩道からも北へは行けなかった。

 川沿いの方が景色がいいので、再び道路を渡り、歩道を南へ行く。観光客が何人も立ち止まって、トレドの旧市街へカメラを向けている。城のようにそびえて見えるのは、昨日行ったサン・フアン・デ・ロス・レージェス修道院だ。

 橋から120ヤードほど歩いたところに、川岸へ降りる細い坂道がある。ターゲットとは特に関係ないが、降りてみることにする。100ヤードほど降りていくと簡易舗装が終わり、土の道になって、ヘアピン・カーヴのように180度曲がってさらに降りていくと、川の中の堰が見えるところに出た。対岸に古い建物が見えるが、何であるかはよく判らない。水道の取水口にも見えるが、たぶん違うだろう。川に落ちそうになるほどギリギリのところまで行ってみたが、“壁”はなかった。川に入ることもできそうだ。

 もちろん川へは入らず、また上の道に戻る。少し先へ進み、車道から離れてセロ・デ・ラ・クルス通りという旧道のような路地を通り抜け、大きく西へ曲がると、その先で道が二つに分かれている。一つはタホ川に沿ってトレドの周りを半周する道、もう一つはピエドラブエナ幹線道路だ。

 車の通っていない隙を見て、幹線道路の方へ行けるか試してみたが、“壁”があった。しかも、道路の反対側の歩道は歩けるのに、その歩道と草地――道路沿いの家並みが途切れて、この辺りは草地になっている――との間にも“壁”があった! 道路沿いの家や店には入れるのに、草地を挟んで向こうに見えている家にはたどり着けないのだ。何とも細かく“壁”を作ったものだ。

 その“壁”がどこまで広がっているかを“触って確かめながら”右往左往していたから、近くを歩いていた観光客からは、変なことをしている奴がいる、と思われたに違いない。が、気にしないで先へ進む。

 念のために、道路の川寄りの草地との間にも“壁”があるかを確かめてみたが、特にそういうことはなく、楽に草地へ踏み込むことができた。あまり奥まで入っていないが、たぶんどこまでも川に近付いていけるだろう。

 ピエドラブエナ幹線道路と別れて少し行くと、道路が90度南へ曲がる。この辺りの道は川から離れて大きくくねっているが、川に近いところは低い谷になっている。たぶん、小さな川が削った谷を――今は水が全く流れていないのだが――迂回しているのだろう。

 道沿いにホテルがあったので、念のために入って部屋があるかを訊くが、やはり空いていない。ポンテスエラス通りとの分かれ道を調べたが、そちらの方へは行けなかった。が、その先の、コビサ通りへは入ることができた。そちらへ行くと、パラドール・ホテルがある。高台の上にあって、旧市街地がよく見える高級ホテルだ。しかし、そこへ行くには、川沿いの道の先の方にある見晴台“ミラドール”の近くからもう1本、道が通じている。先にこの川沿いの道を調べたいので、パラドール・ホテルへは後で行くことにする。正確には、“行けるかどうかを確かめる”ことにする。

 大回りしていた道がだんだんと川の近くへ戻ってきて、カーヴのところの歩道が広くなっている。親切なことにベンチまで置いてある。ここから旧市街地を眺めてくれというわけだ。アルカサルも見えるし、大聖堂の鐘楼も見える。旧市街の真ん中辺りが丘のように盛り上がっているのがはっきりわかって、街全体が一つの要塞のように見える。あるいは『バベルの塔』の絵のようというか。

 しかし、ここはミラドールではない。ミラドールはこのずっと先にある。また歩道を歩き始める。右手の高台に建物が見えているが、あれがきっとパラドール・ホテルだろう。

 前の方から蒸気機関車の形をした赤い車がやってくる。ソコトレンだ。俺とは反対方向、つまり時計回りにこの道を走っている。後ろにつながっている“客車”に観光客が大勢乗っている。この道を歩いている間に、あと何回かはすれ違うことだろう。

 ソコトレンが通り過ぎた後で道の反対側へ渡り、草地へ踏み込む。入ることができた。つまり、この道とコビサ通りとの間の草地は可動範囲に入っているということだ。が、草地に特に用はないので、また川に近い歩道へ戻る。

 川の方を覗くと、砂利道が1本、谷を斜めに刻んでいる。川へ降りる道らしい。そういう道を全部確かめていると大変なので、降りない。が、その砂利道の末端は、川の中の堰まで届いているようだ。もしかしたら、遠い昔には橋を使わず、あそこから舟で渡っていたのかもしれない。あるいは川の中を歩いたか。リーフレットや地図にはそんなことは一切書いていないので、俺の想像でしかないが。

 道路の反対側に、突然、四阿ガゼボとベンチが現れる。キャンプ場によくある、屋根付きの簡易な食事用テーブルのように見える。その手前に看板が立っていて、"DON QUIJOTE"とある。やはりドン・キホーテとトレドは何らかの関係があるらしい。道路を渡って看板を読む。スペイン語と英語が書かれている。キホーテがトレドの商人と喧嘩をして負けたというようなことが書いてある。看板の裏は地図だった。キホーテが帯びていた剣の名前くらい書いていてくれてもよさそうなものだが。

 誰もいないベンチに座ってしばらく休憩してから、また歩き始める。すぐにミラドールへ着いた。車がたくさん停まっていて、人がたくさん旧市街地を眺めている。売店があって、帽子や絵はがきを売っている。リーフレットを見ると、エル・グレコの『トレドの眺望』はここから見た景色を適当にアレンジしたものだとある。建物の位置関係がだいぶ違っているらしい。つまり風景画ではなく印象画だということなのだろうか。よく判らない。それなら想像で描いた絵と違わないから、どこから見たかなんて関係ないんじゃないかと思う。まあ、どうでもいいか。

 真正面には街の一番南側が見えている。他に比べて一段と低い。ドロレスの共同住宅テネメントはあの辺りのはずだ。わりあい新しく見える煉瓦の壁の建物がそうだろう。ただ、位置が判っても、道が判るとは限らないのがトレドの特徴だ。そんなことを悟っても何にもならないが。

 観光バスがやって来て、人がたくさん降りてきた。ここまで、寄り道をたくさんして予想以上に時間を食ったが、予定どおりパラドール・ホテルへ行けるか確認しようと思う。後ろにある崖を無理矢理よじ登ってもいいのだが、少し東へ行って、コビサ通り――さっき分かれた道が、ここでまた合流している――を上がる。川沿いの道はほぼ平坦だったが、こちらはかなりの上り坂だ。おまけに歩道がない。道の右側の、ガード・レールと白線の間を歩く。

 ふと思い付いて、道路の左側へ渡る。草地へを踏み入れようとしたら、“壁”があった。たぶん、この道沿いパラドール・ホテルまでは行くことができるが、その他には行けないようになっているのに違いない。きっちりしたものだ。

 ときどき上からものすごい勢いで降りてくる車に注意しながら、半マイルほど歩くと、アスエラ通りとの合流点に出る。そのアスエラ通りへ入って南へしばらく歩くと、パラドール・ホテルへの取り付け道がある。念のために、アスエラ通りをさらに南へ行こうとしたが、思ったとおり“壁”があった。

 ホテルの方へ向かう。だらだらと坂を登っていくと、石造りのさっぱりした建物の前に出た。屋根が全て瓦で葺かれていて、東洋の建物のように見える。もちろん、他にも瓦葺きの建物はあったのだが、トレドは道が狭いので、こうして建物の全景を見ることがなかなかできないから、印象に残りにくいのだろう。

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