#6:第2日 (6) 人の話を聞け!

 しばらくして料理が運ばれてくる。材料を聞いたときにイメージしたとおりの料理だが、量が多いな。もしかして二人分じゃないのか。まあ、いいか。それを食べながら10分ほど待っていると、ドロレスがやって来て向かい側に座った。何となく機嫌がよく見える。

「やあ、早かったな」

「今日は調子がよかったから、もう少し仕事しようと思ってたけど、親方マエストロからあなたが店で待ってるって聞いて、切り上げてきたの。言伝てしておいてくれてよかったわ。待ち合わせしてるの、すっかり忘れてたから。これ、食べていい? 間食メリエンダしてないからお腹減ってるの」

 ドロレスは俺の返事も聞かず、コシードの皿からポテトとニンジンと鶏肉を自分の小皿へ持っていき、鶏肉にかじりついた。解ってはいたが、なかなか豪快な性格だな。

「仕事に集中して他のことを忘れるってのはいいことだよ。でも、本当に忘れてたら家には入れなかったかもな」

「そうそう、それも忘れてたの。だから、大家プロピエタリオにはさっき電話したの。錠前、取り替えていいって。でも、錠前屋は今日は休みのはずだから、明日電話するわ」

「明日、出るときに錠が掛けられなかったらどうするんだ?」

「うーん、でも、掛けなくっても1日くらい何とかなるわよ。大事なものはモニカに預かってもらえばいいし」

 ちょうどそのモニカがビールを3杯持ってきた。ドロレスはそのうちの1杯をあっと言う間に飲み干してしまう。昨日と同じだ。いつもこうなんだろうな。

「モニカってあのモニカ?」

「そうよ」

「近くに住んでるのか」

「上の階」

 何だ、そういうことか。だからモニカは俺をドロレスの部屋に連れて帰るのを手伝ったわけだ。しかし、その後で店へ戻ったんだろうから、ずいぶん面倒をかけたな。

「じゃあ、君の部屋で大きな声を出すと、彼女に聞かれるってことか」

 俺がそう言うと、ドロレスは意味ありげな微笑みを浮かべながら、俺の目をじっと見つめてきた。

「そうよ。何が聞こえたって言ってた?」

「教えてくれなかった」

「ふうん、それは困ったわねえ。彼女に弱みを握られちゃったかなあ」

 いや、その割にはずいぶん嬉しそうなんだが。生ハムの大皿と、バゲットに具を挟んだサンドウィッチが運ばれてきた。ドロレスが大口を開けてサンドウィッチにかぶりつく。せっかくの美人が台無しだが、まあ、それも彼女の魅力の一つかもしれない。

「弱みって何だよ」

「私が何度も降参ノ・キエロしたこと」

「何に降参したんだ?」

「女と男の勝負よ」

 いや、どうしてそんな思わせぶりなことばかり言うんだ。そもそも、俺はそんな勝負した覚えがないって。朝、シャワーを浴びたときに確かめたんだ。

ビールセルベッサ飲まないの?」

 昨日と同じくドロレスはビールを飲むのも早いが、今日は食べるのも早い。俺が頼んだコシードはあっという間になくなった。

「俺が酔っ払ったら錠が開けられないぞ」

「ああ、そうだったわね。でも、2杯までなら大丈夫なんでしょ?」

「できれば1杯でやめておきたいな」

「じゃあ、2杯目はクラーラ」

「このビールがなくなってからだ」

「3杯目からはサングリアね」

「だから、今日は飲まないって」

「でも、昨日はあんなに飲んだのに、すっごく強かったじゃないの」

 だから、何に強かったんだって!

「酔っ払ったら錠が開けられないって言ってるだろ」

「その時はモニカの部屋に泊めてもらうわよ。一晩くらいなら何とかなるわ」

「俺は泊めてくれなくてもいいから、荷物くらいは預かってくれよ」

「んんー、一晩くらいなら二人でも何とかなるんじゃない? 前に彼女の部屋に4人で泊まったことあるわよ。その時は徹夜したけど」

 ドロレスがモニカに声をかけてビールのお代わりを頼む。ついでにパタタス・ブラバスとトルティージャも頼む。

「それから、私の部屋のドアの錠が開きにくいんだけど、もし開かなかったら今晩泊めてくれる?」

「今晩? んんー、1時まで待っててくれるなら」

「うん、待ってる。それと、彼も泊められる?」

「彼も? ええー?」

 モニカは口元に人差し指を当て、首を傾げる。考えるときの定番のポーズだが、かなりわざとらしい気がする。

「んんー、でも、この人、強いんでしょ?」

「うん、すっごく強いの。でも、モニカなら勝てるかも」

「んー、でも私、最近実戦不足だから弱くなってるかも」

 だから、一体何の話をしてるんだよ、君らは。俺をからかうために示し合わせているとしか思えん。

「モニカだったら大丈夫だって。あっ、でも、錠が開かなかったらの話だから。あー、でも、開いたら私一人がまた負けちゃうのかなあ」

 いい加減にしろよ、お前ら。だが、こっちは部屋に泊めてもらえなければ野宿だから、口出しできるような立場じゃないのが弱いな。ドロレスとモニカがまだ何かごちゃごちゃと言い合っていると、男が一人やって来た。短髪で、顎髭を生やしていて、体格がよくていかつい感じだが、袖なし男とはちょっとタイプが違う。

「ローラ! やっぱりここにいたか」

「あら、リカルドじゃない、久しぶりね。何してるの、こんなところで」

 おいおい、俺の時と同じ受け答えだな。でも、こいつはきっと本当の知り合いなんだろう。ローラってのはドロレスの愛称?

「休みを取って、お前に会うためにわざわざ帰ってきたんじゃないか」

「休み? どうしてこんな時期に? しかも火曜日じゃない。もしかしてまたクビになったんじゃないの?」

「違う! 本当に休みを取ったんだ! ところでローラ、この男は誰だ?」

 俺のことだな。さて、どうやって自己紹介したものか。

「あー、旅行者なんだが、一人で食事するのは寂しいんで、隣に座ってたセニョリータにちょっと声をかけさせてもらっただけだ」

「あら、アーティー、変に気を回さなくていいのよ。彼はリカルド。私と同級生で、闘牛士トレロになるって言ってたのにすぐ辞めて、軍人ソルダードになるって言ってたのにすぐ辞めて、今度は鍛冶屋エレーロになるって言ってバスクの何とかいう町へ行ったんだけど、どうせまた辞めたくなったんでしょ。リカルド、この人はアーティー、合衆国からの旅行者。昨日、変な男に絡まれてるところを助けてあげたんで、夕食おごってもらってるの」

「変な男に? ローラ、一体何をされたんだ?」

「私じゃなくて、彼が絡まれてたの。ちゃんと聞いてなさいよ」

「そうか、ようやく解った。が、なぜこんな男を助けたんだ?」

「いいじゃない、困ってる人を助けるのは常識でしょ。それに、別に悪い人じゃないし」

「おい、アーチー、ローラに手を出すなよ。彼女は俺の婚約者プロメティーダだ」

「アーチーじゃなくてアーティーだよ」

「アーティー、彼、いつもこんな感じで、他人の言うことをちゃんと聞いてないの。だから何やってもダメなんだと思うわ。それに、婚約者プロメティーダっていうのも彼の思い込みだからね。私は承諾した覚えなんてないんだから」

「余計なことは言わなくていい! おい、アーチー、そこをどけ。今から俺がローラと食事をするんだ」

「アーチーじゃなくてアーティーだって言ってるだろ」

「別に彼をどかさなくても、3人で食べればいいでしょ。その代わり、あんた、自分の分は自分で払いなさいよ。モニカ、リカルドのビールセルベッサ生ハムハモン・セラーノの大皿と、それから、んー、フィデウアを3人前」

「シー・セニョリータ」

「おい、鞄をどけろ。俺が座れないじゃないか」

「お前、でかいからこっちに座ると狭くなるんだよ。向こうに座ってくれ。ドロレスの横の方がいいだろ」

「うむ、そうだな。おい、ローラ、ウェイトレスを呼んでくれ」

「何する気? あんたの飲み物と食べ物ならさっき頼んだわよ」

「俺が何を頼みたいかも決めてないのに、なぜ勝手にそんなことを……」

「だって、あんたが頼むの待ってると時間かかるんだもの」

「ロリータ、先にビールセルベッサ持ってきたわよ」

ちょっとモメント、モニカ! みんながいる前でその呼び方はやめてよ!」

「ヘイ、モニカ、俺はビールを頼んだ覚えはないが」

「あら、そう? でも、2杯までなら飲んでも大丈夫なんでしょ?」

「何だ、お前はビールセルベッサを2杯しか飲めんのか。それでは男とは言えんぞ」

「男らしさとビールの量は関係ない。単にアルコールに対する耐性の問題だ」

「そうそう、それに彼は酔ったように見えてもなかなかつぶれないんだから」

「何だと、なぜそんなことを知っている?」

「俺に訊くなよ。昨夜のことは全く憶えてないんだ」

「昨夜も夕食おごってもらったのよ。言わなかった?」

「なぜこんな見も知らぬ男におごってもらってるんだ」

「だから、変な奴に絡まれてるところを助けてあげたって言ってるじゃない」

「そうか。おい、アーチー、彼女に助けてもらったことを感謝しろよ。ローラ、お前は本当に優しい女だな。俺はお前の婚約者プロメティードとして誇らしいぞ」

「アーチーじゃなくてアーティーだって何度言えば解るんだ?」

「リカルド、他人の言うことちゃんと聞いてなさいよ。モニカ、リカルドにビールセルベッサお代わり! アーティー、そのビールセルベッサ、飲めないでしょ。私が飲むわ」

「そうしてもらえると助かる」

生ハムハモン・セラーノ、どうぞ。そっちの空いてるお皿下げるわ」

「おい、生ハムハモン・セラーノは俺が全部食うぞ。文句ないだろうな」

「俺はもういらないよ。塩分がきつすぎる」

「あーあ、何よ、その食べ方。そんな一気に食べるものじゃないわよ」

「腹が減ってるから仕方ないだろう。それに軍人には早く食べる能力も必要なんだ」

「でもあんた、もう軍人じゃないし」

「で、鍛冶屋で何を作ってるんだ?」

「お前は鍛冶屋がどんな仕事かも知らんのか。鍛冶屋というのは鉄を加工して剣や甲冑を作る仕事だ。解ったか」

「そんなこと誰でも知ってるわよ。でも、まだ見習いだから、どうせ何も作らせてもらってないんでしょ」

「何を言うか。俺は親方マエストロから一番期待していると言われてるんだぞ。だが、ハンマーマルティージョで叩く練習をしているとき怪我をしてしまったんだ。それで休暇を取ったんだ」

「さっきと言ってることが違うじゃない。で、どこを怪我したの? 見たところ、包帯もしてないようだけど」

「足だ。足を怪我した」

「はああ、足? ハンマーマルティージョで叩くのに何の不都合もないじゃない」

「足は大事なんだ。叩くときに踏ん張らないといけないんだ」

「嘘よ、そんなの。鍛冶屋ってみんな座って仕事してると思うけど?」

「そんなことはない。俺の働いている鍛冶場はみんな立って仕事してるんだ」

「さっき普通に歩いてたじゃない」

「我慢してるんだよ。俺は強い男だから我慢できるんだ」

「我慢できるなら仕事すればいいじゃない」

「我慢できるようになったのはこっちに戻ってきてからだ。だから来週には仕事に復帰できる」

「どうして来週なのよ。明日から復帰しなさいよ」

「せっかくお前のために帰ってきてやったのに、冷たいことを言うな」

「帰ってきてもらわなくてもいいわ」

「アーチー、彼女はこうして話していると冷たいことを言うようだが、本当は優しい女なんだ。だから、心の中では俺が帰ってきて嬉しいと思っているはずだ」

「ああ、まあ、彼女が本当は優しいのは知ってるけどね。でも、俺の名前はアーティーだ。それも知っておいてくれ」

 いい加減、俺の名前くらい憶えろよ!

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