#6:第1日 (4) 金髪の職人

 さて、尾行者はどうなっただろう。念のためにまたランダムに選んだコースを通ってクリスト・デ・ラ・ルス聖堂を目指す。どうやらまいたように思う。が、遠回りのせいでだんだん陽が傾いてきた。

 聖堂は5時以降は無料だった。元はモスクだったとのことで、他のキリスト教の聖堂とは全く違う様式で作られている。トレドに現存する最も古い建物とも言われているそうで、西暦999年に建てられたらしい。ついに10世紀の建物が出てきたか。ただ、小さい建物だけにあっという間に見終わってしまう。

 が、ここで例のフランス系の男をまた見かけた。土産物屋の前で置き去りにしてきたはずだが、途中で俺があちこち寄り道していたせいか、追いつかれたようだ。まあ、単に同じような時計回りの順序で町を見てきたからというだけかもしれない。ただ、彼が俺を尾行していたわけではないと思う。聖堂を見ていたときもそうだったが、彼の靴音はわりあい高くて、尾行には向いていない。もっと忍びやかな足音の主がけてきていたはずだ。

 街灯がともり始めた薄暗い道を、いくつかのホテルに寄りながら、ソトゴベール広場を目指す。それにしても本当にどこのホテルも空いていない。予約がないと怪しい人間と思われて、部屋が空いていても泊めてくれないのかもしれない。こうなると、キー・パーソンを探すしかないな。仕事帰りの女とぶつからないかと思っているのだが、なぜだかまだそういう女をほとんど見かけない。スペインの勤務時間というのはいったい何時までなんだ。

 広場に近付いてきたせいか、土産物屋とレストランが増えてきた。土産物屋へ入って女の店員に声をかけるか、それともレストランへ入ってウェイトレスに声をかけるか。とりあえず土産物屋だ。路地から広場へ出る手前にあった、ちょっと繁盛していそうな土産物屋へ入ってみた。

 女の店員は老年に近付きつつある中年婦人だった。たぶん店主の妻だろう。店主は太っていて髭を生やし穏やかな感じの、恐らく妻と同い年くらいの男だった。数人の客に向かって何かを説明している。その向こうで、誰かが作業しているところを解説しているのだろう。

 近付いて覗き込むと、女の職人がダマスキナードを作っているところだった。いやいやいや、今回は女の職人に縁があるなあ。3人目か。しかも、この女も美人だ。3人のうちの誰がキー・パーソンなんだ? だが、今のところ誰にも話しかけることができていない。みんな作業に集中しているからな。閉店まで待てば何とかなるだろうか。さっきの工房で見たゲルマン系の男も、小柄な彼女の作業が終わるまでずっと待つつもりだったのかもしれない。

 ところで、ビサグラ新門の東側にある地区のホテルは、まだ確認していない。そういうのをちゃんと全部確認しないと、キー・パーソンと出会うシナリオが発動しない、という可能性もあるから、真面目にやることにする。店を出て、いまだ観光客で賑わうソコドベール広場を通り抜け、太陽の門の先まで戻り、その東の街区にあるホテルを片っ端から回る。予想どおり全滅だった。さらに出発地点の近くの観光案内所ヴィジター・センターまで戻ってみたが、もう閉まっていた。

 さて、これからどうするか。新市街の方のホテルも確認してみるか、などと思っていると、一人の男が近付いてきた。

「やあ、こんばんはブエナス・ノチェス。観光客?」

「ああ、そうだ」

 穏やかな顔つきで、髭を生やしていて、痩せているのに妙に筋肉質の男だ。陽が落ちると上着が欲しい季節になっているのに、上は袖なしスリーヴレスのシャツ一枚しか着ていない。別にそれが悪いとは思わないが、この男がキー・パーソンであるのは困る。

案内所オフィシナへ来たの? もしかして、ホテルがなくて困ってる?」

 勘がいいな。というか、こんな時間にこんなところで旅行鞄を持って一人で立っているのは宿にあぶれた観光客だろう、というのは容易に想像が付く範囲内ではある。もしかしてこいつは客引きか。

「いや、これから人に会いに行く」

「人に? どこで?」

「ソコドベール広場」

「ほう! 実は僕も今からそっちへ行くところなんだが、一緒に行っていいかい?」

 まずいな、捕まったか。返事をせずに最初から無視すればよかった。

「いや、急ぐから一人で行く」

 そう言ってその男を残して歩き去ろうとしたが、何も言わずに後ろから付いてくる。走ってまこうかとも思うが、まだ地図を憶えていないし、道に迷ったら逆に捕まる可能性が高い。ソコドベール広場に出たが、土産物屋は全部閉まっていて、レストランしか開いていない。辺りを見回している俺のすぐ横に男が立つ。腕を掴まれそうなほど近い。どこの店へ入っても、こいつは付いて来そうだな。

「やあ、待ち人はまだ来ていないようだね。待つ間、一緒にビールセルベッサでもどう?」

 こいつ、さっきから言うことがどんどん変わってるな。一体何が目的なんだ。ひょっとして……

「いや、もうすぐ来る。女が遅れて来るのはいつものことだ」

「うん、そうだね、だから、待つ間、一緒にビールセルベッサを……」

「いや、もう来た。ヘイ、ドロレス! ドローレス!」

 男を突き放すようにして歩き出し、広場の端の方から歩いてきた、濃い金髪の美人に声をかける。一度見た顔……さっきの土産物屋でダマスキナードを作っていた女だ。名前は知らない。とっさに思い付いたものだ。女は突然声をかけられて驚いている。当たり前か。人違いだと言われるだろうが、うまく言いくるめて店へ入ることができれば……

「あら、アルトゥロじゃない、久しぶりね。何してるの、こんなところで」

 待て待て待て、なぜ俺の名前を知っている? アルトゥロってのはアーサーのスペイン語形だろう? まあ、それはどうでもいいか。

「何って、今夜は一緒に食事に行く約束だったじゃないか。だから待ってたんだ」

「あら、そうだったわ、忘れてた。じゃあ、いつものバルでいい?」

 頼むまでもなくうまく話を合わせてくれるのはありがたいが、いくぶん気味が悪くもある。しかし、さっきの男に連れ去られるよりは、こっちの美人にひどい目に遭わされる方がましだ。

「ああ、もちろん。さあ、行こうか」

 そう言って美人と肩を並べて一緒に歩き出す。が、どこへ行くのかと思ったら、広場の反対側にあるレストランだった。あの男が追いかけて来ないことを望む。女は店へ入るとウェイトレスに声をかけている。いつもの、と言っていたが、確かに来慣れているらしい。すぐに隅の方の雰囲気がよさそうな二人がけの席に案内された。

「で、どうして私の名前知ってるの?」

 向かいの席に座った美人が、薄ら笑いを浮かべながら訊いてくる。改めて見ると、かなりの美人だな。土産物屋では金髪を後ろでまとめていたが、今は降ろしている。ウェーブが掛かった髪が肩を覆っている。顔はラテン系特有、彫りが深くて鼻筋が通っている。吊り上がった細い眉にダーク・ブラウンの瞳。ううむ、このステージでも俺好みの美人に巡り会えてよかった。

「君、本当にドロレスって名前だったのか?」

「そうよ。じゃあ、やっぱり適当に声かけただけなのね」

「申し訳ないが、そうだ。が、君も俺の名前を知ってたんで驚いたがね」

「あら、本当にアルトゥロって名前だったの?」

「そうだ。正しくはアーサーだが、アーティーと呼んでくれ」

「解ったわ、アーティー。それで、何か変な即興劇をしてたみたいだから合わせてあげたけど、何だったの?」

「おかしな客引きに捕まりそうになってね。そいつから逃げたかったんで君を捕まえた」

「おかしな客引き? んんー、優しそうな顔して、髭生やしてて、この季節に袖なしカミセタ・シン・マンガスの?」

「ああ、それだ」

 ビールのグラスが三つと、生ハムが大量に乗った大きな皿が運ばれてきた。うん、ビールが三つ? 誰か来るのか? おいおいおい、もしかして、君、あの客引きと共犯?

「まず、乾杯しましょうよ。乾杯サルー!」

「ああ、乾杯チアーズ

 ドロレスはグラスを掲げる仕草をした後、口を付けたと思ったら、一気に飲み干してしまった。そしてもう一つのグラスを自分の方に引き寄せる。ああ、そういうことか。びっくりした。

「あんまり詳しくは知らないけど、男を狙ってるってことだけは聞いてるわ。捕まらなくてよかったわね」

 やっぱりそうか。泊まるところがないのなら泊めてやるとか言って、どこかの部屋に連れ込まれて、“仲間”にされるんだろうな。勘が働いてよかった。

「君のおかげで助かった」

「別に助けようと思ったわけじゃないけど、夕食チェーナおごってもらえそうだったから」

「もちろん、おごるさ。でも、君はおごってもらえそうだったら知らない男の誘いにいつも乗るのか?」

「それは相手とその時の気分に依るわ」

 ドロレスはまたグラスに口を付けた。今度はグラスの4分の3くらいがなくなった。

「あなた、飲まないの?」

「飲むけど君ほどピッチが速くないだけだ。それで、今日は気分がよかったのか?」

「そうね。そうかも。あなた、自分から誘っといて、私が誘いに乗ったのが、そんなに不思議なの?」

「不思議だよ。普通の女は知らない男の誘いに、そんな簡単に乗ってくるとは思えないからな」

「だって、私は帰り道に知らない男から声をかけられるのは普通のことなの。そういう時は、相手が食事だけで済みそうなら誘いに乗ってるのよ」

 何だ、それは。美人だからしょっちゅう声をかけられるのは解るが、ものすごく打算的な女だな。もしかして性格悪いのか?

「誘いに乗った後で、食事だけで済まなさそうになったら?」

「そういう時は酔いつぶしちゃうか、つぶれなさそうならビールでも料理でも相手の顔にぶっかけて、走って帰るだけよ。バルのお客はたいてい私の顔なじみだから、相手が追っかけて来ないようにしてくれるわ」

 さりげなく予防線を張られてしまった気がする。彼女がキー・パーソンなら泊まるところを斡旋してもらえるのではと期待していたが、少なくとも彼女の部屋は無理だな。かと言って、このまま食事だけで終わってしまったら、さっきの男に捕まるかもしれないし、さてどうするか。まあ、とにかくもう少し粘るか。

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