#5:第6日 (5) 祝典の参加者

 ティーラが感動に打ち震えている間に、タクシーが海岸通りから山道へ入って行く。車線が狭くなって路面状態も悪くなり、カーヴが増える。高度が上がって海を見渡せるところに出たので、ティーラを促して海の方を向かせると、食い入るように眺め始めた。

「素敵……とても綺麗です……」

 道はいつの間にか対面2車線まで狭まり、反対車線は列を成すほど車が走っている。この道は市街地から空港へ通じているはずなので、もっと整備した方がいいと思うが、余計なお世話だろう。

 途中でタクシーが大きくハンドルを切り、礼拝堂へ続く側道に入る。急な上り坂で、見るからにカーヴが多いので、少しスピードを落としてくれと運転手に頼もうとしたら、勝手にスピードが落ちてきた。たぶん、エンジンの性能が悪いのだろう。

 住宅地の中を縫うように何度も曲がってから、木立の下の、石造りの壁の前で車が停まった。門柱に、“平和の礼拝堂”という意味の言葉がスペイン語・英語・フランス語の3ヶ国語で書いてある。運転手に料金を払おうとしたが、ドルで欲しいと言われてしまった。メーターが付いていないので、ペソの為替レートが全く判らない。

 ともかく、予想よりも時間がかかったが、式の開始にはぎりぎり間に合ったようだ。もちろん、俺たちは招待客ではなくて、単に礼拝堂を見に来たというだけなので時間は関係ないし、結婚式をちらりと覗くかもしれないというだけだ。ティーラに訊くと、

「結婚されるお二人とは一度食事で同席したことがありますので、お顔も存じていますし、あまり長く式を覗くつもりは……」

 ということだった。そこで最初に結婚式を少し見ることにしたが、覗くも何も、入口のドアは開けっ放しなので丸見えだ。ちょうど賛美歌が終わって神父が聖書を朗読しているところだった。

 聖堂の中は三角屋根のような形をしていて、三角の部分は前後ともダイアモンド型をしたガラスがはめ込まれており、そこから差し込んだ光で中が明るく照らし出されている。天井は白で、棟木は黒、床は石畳だ。席はベンチのような長椅子で、祭壇の正面と、左側と、右側にある。左と右は向かい合う形になっている。

 出席者は新郎側と新婦側に分かれて座っているが、新婦側が圧倒的に多い。新郎側には新郎の母親と妹、それにあと4人だけ。ミステリーのミッチェル夫妻と、マジックのフォルティーニおやだ。あまりも親族が少ないので、有名人を2組応援に頼んだというわけだ。マルーシャの姿はない。

 新婦側はそれこそ父親が報道関係者に総動員をかけたのではないかと思えるほど席が埋まっている。ベスたちがどこに座っているのかすら判らない。一応彼女と話をしに来たのだが、どうやって話しかけたらいいものか悩む。まあ、式が終わるまで待つか。

 それから建物の外を回る。高台に立てられているので、展望台まで備わっている。東側にアカプルコ湾の全景が広がっている。ティーラが電撃に打たれたかのように立ちすくみ、その光景に見入っている。

「どうだ?」

 5分ほども黙って景色を見続けているティーラに向かって、そっと声をかける。

「綺麗です……とても綺麗です……」

 夢うつつのうちに呟く、という感じでティーラが感想を漏らす。またしばらくそのまま時間が過ぎる。

「あの……ナイトさん、憶えておられますか? マンサニージョで、高台の上から私が海を見ていて……」

「もちろん」

「私、あの時も海が綺麗でとても感激したんですが、ここは……ここは、もっと綺麗です。私は、こんな景色に憧れていました……」

「そうか」

 ここでは俺が肩を抱くよりも、目の前の景色の方が彼女を感動させるようだ。確かに綺麗な景色だが、感動で身体が震えるというほどのものでもない。というか、このところ、どこの仮想世界に行ってもいい景色が見られるので、またかという程度にしか思えないのだが、たぶん現実の景色を見ている気がしないからだろう。

「ゆっくり見ていてくれ。俺はいつまででも待ってる」

「はい……ありがとうございます……」

 ティーラはまた黙って目の前の海を見つめ続けている。その姿が、1枚の写真か絵にしたいくらいに美しい。彼女の姿は保護欲をそそるだけでなく、癒やしも与えてくれるらしい。

 しばらくして拍手の音が聞こえてきた。式が終わったのだろう。20分くらいしかかかっていない。この時代の結婚式は簡単でいいな。さて、どうにかしてベスと話をしなければならない。

「ティーラ、このままここにいてくれ。すぐに戻る」

「はい……」

 ティーラをその場に残し、祭壇側の裏口からそっと中に入る。新郎新婦と客は正面側に出て行ったはずだから、何とかしてうまくベスだけに話しかけることができれば……と思っていたのだが、どういうわけかベスがそこに立っていた。そして俺の方を見て、例の魅惑的コケティシュな――少し違う気もするが――微笑みを浮かべている。

「マイ・ディア・ナイト、私を探してらしたんでしょう? 2分だけよ」

「気付いていたのか」

「賛美歌を歌っていたら、あなたの姿が、少しだけ見えたの。ウクライナの歌姫ディーヴァ……あら、それとも可愛らしい妹の方だったかしら、一緒に連れて来てらしたわね。思ってたよりもプレイ・ボーイなのかしら」

「2分しかないんだろう? 訊かせてくれ。6ペンスはどこへやった?」

「ごめんなさい。あなたより先にパーティーへ戻ったときに、偶然、本当の持ち主を見つけてしまったの。だから、その人へ返さないといけないと思って」

「それならそう言ってくれればよかったのに」

「それでもあなたは、あの6ペンスを盗むつもりだったんでしょう?」

 ベスがひときわ魅力的な笑顔を浮かべながら言った。どうやら彼女には全てが判っているらしい。恐るべきキー・パーソン……そうだ、彼女こそが俺のメインのキー・パーソンだったに違いない。もっと彼女に話しかけるべきだった。たぶん、3日目までに、何かを訊き出さなければならなかった。それが裁定者アービターの警告の意味だったのだろう。

「どうして判った?」

「だってあなた、いつも捜し物をする目をしていたもの。でも、何でも盗む泥棒じゃないっていうことだけは判ったわ。そんな泥棒とは、目の輝きが違ってたから。どういう人かまでは判らなかったけれど」

「君の信用を博すまでに至らなかったのは俺のせいだからな。仕方ないさ」

「ごめんなさいね、私の騎士ナイトになってくれたのに、あんなことして。許して頂ける?」

「もちろん。だが、あの6ペンスは諦めないよ」

「いいわ。だって、もう私の手元には何も残ってないもの。これから先は、あなた次第。でも、誰かを悲しませるようなことはしないで」

「努力するよ」

「ありがとう、マイ・ディア。それじゃあ、もう行くわね」

 ベスは軽やかに振り返ると、微かな靴音を響かせながら去って行った。完敗だな。仮想世界の中の登場人物なのに、ここまで状況を見抜く者がいるとはね。

 さてしかし、ベスにも言ったように、まだ諦めるわけにはいかない。幸いにして、まだゲートは開いていない。ということは、ベスが言った“本当の持ち主”の手の内にターゲットがあるわけだ。しかもそれが、昨夜のパーティーの参加者の中にいると。これほどのヒントをもらって持ち主を探し出せないようじゃあ、話にならない。しかし……

 ティーラのところに戻りながら、もう一度考え直す。マルーシャがどこかへ行っていることと、ベスから今聞いた事実は、どうつながるんだ?

 ティーラはまだ先ほどの場所に佇んで、景色に見入っている。俺がすぐ横に立っても気付いていないようだ。礼拝堂の正面のざわめきが次第に小さくなっていく。どうやら式の招待者よりも後に帰ることになりそうだ。しばらくしてティーラが深いため息をつき、俺の方へ振り返った。

「ありがとうございます……もう充分、堪能しました……」

「それはよかった。教会の中をもう一度見るか?」

「はい、できれば……もう式は終わったのでしょうか?」

「終わったよ」

 どうやらそのことに気付かないほど、景色を見るのに集中していたらしい。ピアニストというのはそれほどの集中力が必要なのだろうか。できれば俺も見習いたいくらいだ。ゲーム中でも、いつも気が散るんだよなあ、サイド・ラインの美人のチア・リーダーとかに。

「そうでしたか……あ、いえ、何でもありません。ええと、あちらですか? えっ、こんなところに入口が……」

 先ほど俺がベスと会った、祭壇側の裏口を指し示すと、ティーラは興味深そうな表情で覗き込んだ。「何でもありません」と言っていたが、何か考えていたのは明らかで、もしかしたら式の中で特に見たい場面があったのかもしれない。

 それはさておき、ティーラと一緒に中へ入る。結婚式の出席者は誰もいなかったが、他の観光客が3、4人いた。ティーラはちょうど新婦が立っていた場所に佇んで、周りを眺めている。純白のウェディング・ドレスを着てそこに立つ日を想像しているのかもしれないが、あいにくそんな日は来ないだろう。

 しかし、彼女の想像力はとても逞しいらしく、10分ほども経ってから、もういいですと言った。たぶん、頭の中で式が滞りなく終わったのではないかと思う。途中で数秒間、目を閉じていたし。

 礼拝堂を出て、待たせておいたタクシーに乗る。

「さて、次はどこへ行きたい?」

 俺の言葉にティーラがびくっと身体を震わせる。彼女が行きたいところにマルーシャがいるかもしれないので訊いているだけだが、それを察知して警戒しているわけではないだろう。

「ええと、その……今日は他には特に……」

「そうか。じゃあ、いったん汽船シップに戻ろう」

 運転手に命じて車を出す。狭い道をすごい勢いで下っていくが、恐らくブレーキの性能が悪いからと思われる。行きに見たとおり、帰りの道は渋滞していて、市街地へ入るまでに倍くらいの時間がかかった。ただ、そこからは車線が増えて流れがスムーズになった。

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