#5:第6日 (6) 4時40分の狙撃者

 ティーラに、船長キャプテンからコンサートをオファーされることになった経緯を訊く。マサトランで町歩きから帰ってきたときに船長キャプテンに声をかけられて、頼まれたとのこと。マルーシャは快諾したが、ティーラは心の準備ができず、返事を留保したものの、後でマルーシャから、もっと人に見られることに慣れた方がいい、と説得されて決心した、と言った。

「それに、もしかしたら、ナイトさんも見て下さるかも、そうすればナイトさんとお話しするきっかけになるかも、と思って……そのことは姉には言わなかったんですけど、どういうわけか気付かれて……」

 それでマルーシャは、手紙を書いて俺を呼び出したわけだ。ドアの下に差し込んだのは、スチュワードにでも頼んだのだろう。でも、コンサートのことで気付いたんじゃなくて、ランニングのための服と靴を買いに行った時に気付いたんじゃないのかなあ。

 港に帰り着いたのは4時半を少し回った頃だった。部屋の前までティーラを送っていく。

「ナイトさん、今日はお茶と、礼拝堂に誘って頂いて、ありがとうございました。とても楽しかったです」

「ああ、こちらこそ、楽しかったよ。急に声をかけたのに付き合ってくれてありがとう」

「いいえ、そんな、私、ナイトさんとお話をするだけでも嬉しくて……それで、あの……もし、この後もまだお時間があるようでしたら、私の部屋で、お話をしていただけませんか? 姉が戻ってくるまでは私も一人で寂しくて、それまでだけでも結構ですので……」

 ううむ、さりげなく大胆なことを言っている気がする。要するに君は、姉がいない隙に私室に男を引っ張り込んでいるんだけど、気付いているのか? まあ、知らない男じゃないし、二度も呼んだことがあるってのがせめてもの言い訳だが。

「ありがとう。じゃあ、そうさせてもらおうか」

「では、どうぞ……」

 ティーラに続いて、部屋の中へ入る。そういえば、昨日この部屋に来た時に「また来る」と言ったような気がするが、図らずもこれで約束を果たしたことになったわけだ。ティーラは俺にソファーを勧めてから、「着替えてきますので……」と言って寝室に入っていった。またまた大胆。そこのドア、錠が掛からないのは知ってるんだぜ。まあ、着替え中に踏み込むつもりはないけどさ。

 手持ちぶさたなので、立ち上がって部屋の中を歩き回る。それにしても、いい部屋だ。一流ホテルとまではいかないが、絨毯も調度品もいい物を使っているのが判る。俺の船室キャビンとは格段の差だな。どうして同じ競争者コンテスタントなのに、こんなに待遇が違うんだろう。私物と思われるようなものは何も置いていなくて、下船前だからか、綺麗に片付けてある。荷物はたぶん、全部寝室の方に置いているのだろう。

 窓が全部開いていて、気持ちのいい海風が通り抜けて行く。右舷側の窓から外を見る。入り江の向こうに岬とヨット・ハーバーが見える。もちろん、舷側の通路も見える。前の窓からも覗く。開放甲板が見える。このどちらかから、ティーラは俺が走るのを見ていたんだろうな。

 背後でドアの開く音がした。着替えにしては早いな、と思って振り向いたら、ティーラは出掛けたときの服のままだった。後ろに誰か立っている。ティーラの顔が青ざめている。

「まさか君まで部屋に入ってくるとは思わなかったな。用があるのはこちらの淑女レディーだけだったんだがね」

 “プロフェッサー”・フォルティーニだった。左手で、ティーラの腕を掴んでいるのが見える。右手が見えない。銃を彼女の背中に突き付けているとしたら、最悪だな。

「有名な数学教授がコソ泥の真似なんて、いい趣味じゃないな。見逃してやるから、彼女から手を離して、おとなしく出て行ってくれないか?」

「そうもいかんよ。捜し物があってね。この淑女レディーの姉の歌姫ディーヴァに訊こうと思って待っていたんだが、それとも、君が持っているのかね?」

「何のことだか判らないが、ティーラには関係ないことだ。彼女を解放してもらおう」

「だから、そうはいかないと言っている。本当に君は持っていないのかね? まあ、持っていたらさっさとゲートを開けてしまえばいいから、持っていないのだとは思うがね。歌姫ディーヴァもまだ手に入れていないようだが、この淑女レディーがいれば交渉に応じるかもしれんから、連れて行きたいんだよ。君だって、同じ目的で彼女を連れ出したんじゃないのかね?」

 そんなことはない、と自信を持って否定できないのがつらいな。少なくとも、マルーシャがどこにいるのか、ティーラに訊こうと思っていたのは事実だし。

「彼女は姉の居場所なんて知らない」

「だから仕方なくここに戻って来たとでも言うのかね? だが、歌姫ディーヴァの居場所なんて問題じゃない。ターゲットがどこにあるかだ。花嫁が持っていた6ペンスは違ったから、最初から考え直しだが、歌姫ディーヴァは何か別のヒントに気付いて、探しに行ったのかもしれん。後追いは不利だが、それなら別のやり方をしなければならんからな」

 やはり奴も、ターゲットが6ペンス銀貨だということまでは気付いたのか。もちろん、花嫁が靴に入れていたのは俺がすり替えたから、奴が失敗したのは当たり前だ。それに、俺が一度ターゲットを手にしたということも気付いていないようだ。それはそうと、ゲートだのターゲットだのという隠語ジャーゴンをティーラに聞かせてしまっていいんだろうか。

「とにかく、まずは歌姫ディーヴァに追い付くことからだ。君はおとなしくこの部屋に留まっていてくれたまえ。この淑女レディーを傷付けるつもりはないが、君が下手に動くと、うっかりということもある。もちろん、そうなればペナルティーを受けるだろうが、君も同罪に問われることになるだろうな」

「彼女に銃を突き付けたまま、船から下りられるもんか。誰かに見とがめられるに決まってる」

「銃を突き付けるなんて、そんなことはせんよ。ただ、彼女が気分が悪いと言っているから、病院に連れて行くところだと言えば、船員は信用してくれるさ」

 もちろん奴は自分が有名人であることを利用して、船員を信用させるつもりだろう。ティーラの背中に隠した手をごそごそと動かしていたが、俺の目の前に何かを投げてよこした。ガシャンと金属製の音がして、見ると手錠だった。マジシャンだけに、手錠も持ち歩いてるのか。

「こっちの寝室に入って、そうだな、ベッドの足と君の足をそれでつないでもらおうか。君は金庫破りが得意かもしれんから、後で手も縛らせてもらうが、悪く思わんでくれ」

 悪く思うに決まってるだろうが。だが、ティーラが銃を突き付けられている間は、手出しできない。彼女がアヴァターで、それを傷付けたら俺にもペナルティーがあるだろう、なんてのは脅しに違いないとは解っていても、ティーラが傷付くことが我慢できない。何なんだ、この感情は。

 足下の手錠を拾い上げる。フォルティーニ氏がティーラを従えながら、じりじりとドアの方に下がっていく。それと入れ替わりに、寝室の方へ重い足取りで近付く。

「ナイトさん……」

 ティーラの悲しげな視線が心に痛く刺さる。何とか奴に隙を作れないだろうか。誰かが外からドアをノックしてくれるだけでいい。時間稼ぎのためにゆっくりと歩いていたが、「早くしてもらおう」と言われてしまった。ティーラが「ひっ!」と悲鳴を上げる。腕を持つ力を強めたらしい。時間稼ぎも限界か。だがその時、パシッという乾いた音がして、フォルティーニ氏が「うっ!」と低く呻くのが聞こえた。やった、チャンスか!?

「あっ!」

 その時、フォルティーニ氏の身体が宙に浮いて1回転した。ティーラが背負い投げショルダー・スローを喰らわせたのだ。嘘だろ、おい!

 そしてティーラは俺の方へ走ってくる。俺はソファーを飛び越え、慌てて抱き止めようとした……が、案に相違して、ティーラは俺の胸には飛び込んで来ず、ソファーの陰に潜り込んでしまった。何なんだよ、おい! まあ、いいか。

 フォルティーニ氏のところへ飛んで行き、奴が取り落とした銃を奪った。何とかティーラは助かったが、俺はあんまりかっこよくなかったなあ。

「撃つつもりはないから安心しろ。が、銃を返すつもりもないんで、悪く思うな」

 銃身を持って台尻をフォルティーニ氏の頭に突き付ける。氏は床にうずくまったまま、左手で耳の辺りを押さえている。まさか、銃で撃たれたのか? 誰が? どこから撃った? とにかく、目に見えない狙撃者に救われたことだけは間違いない。

 ただ、フォルティーニ氏の傷がどの程度のものなのかも気になる。致命傷だったらまずい。逆に、致命傷でないとしたら、またティーラを拉致しようとする可能性もある。さて、どうするか。

「ティーラ、パーサーズ・ロビーに電話して、事務長パーサーを呼び出してくれ」

「あ、はい……」

 ティーラはまだソファーの陰に隠れているだろうが、フォルティーニ氏から目を離すことができないのでどうしているか判らない。が、怯えて動けないということはないだろう。背負い投げあんなことをやらかしたくらいなんだから。ややあってから、忍びやかな足音が聞こえて、ティーラが電話をする声が聞こえた。

「座ってもいいかね?」

「どうぞ」

 銃を頭から離したが、用心のために目は離さないでおく。フォルティーニ氏は床に座り直すと、耳から手を離した。耳たぶに血が見えるが、どうやらかすり傷だったようだ。悠然としているのを見ると、まだ何か奥の手を隠していそうにも見える。何しろ、マジシャンだからな。

「やられたな。どうやって撃った?」

「俺は何もしてないよ」

「何だと?」

「誰が撃ったのか、俺が知りたいくらいだ」

「ふん」

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