#5:第5日 (7) 別れのコイン

「ネックレス盗難事件の噂は知ってる?」

「ええ」

「本当に起こったことだと思うかね」

「もちろん」

 クリスティンは否定していたが、ベスはそれを嘘だと睨んだわけだ。もちろん、ドクターが嘘をついていたからで、クリスティンはその共犯者だからだろう。彼らは詳しく調べられたら困る事情があるのに違いない。もしかしたら、彼らは常習的な詐欺師なのかもしれない。

「じゃあ、犯人は?」

「アーティー、あなたはどう思ってるの?」

 その時になって、初めてベスは俺の方を向いた。いつのも魅惑的コケティシュな笑顔ではなく、悲しいときに無理に作る笑顔に似ている。

「ジャック・デイヴィス老人」

 カプリ・デッキの、船員専用階段の目の前にあったのが、デイヴィス老夫妻の部屋だった。そして、泥棒の噂話が出た時の、老夫妻のいやに落ち着いた態度と、騒ぎを広げないようにしようとしたジャック老人の言葉。疑うには少し弱い理由だが、いつもながらの俺の強引な推理だ。

「アーティーも探偵の素質があるのね。本物の探偵は何も判ってなかったのに」

「本物の探偵?」

「サイモン・マックイーン」

まさかキディング!?」

 あの健康食品の詐欺師臭い男が? いや、船旅クルーズに来たのに観光にも行っていないから、船内で健康食品の布教活動でもしているのかと思っていた。そうじゃなくて、船内の見回りをしていたということなのか。

「あら、ごめんなさい、彼のことだけは前から知ってたの。だから、船旅クルーズの最初の日にこっそり口止めされたわ。もっとも、宝石泥棒を捜査しに来たんじゃなくて、ホテル探偵の代わりに雇われたらしいけど」

「で、君は犯人を彼に教えてやったのか?」

「証拠の探し方だけよ。彼らが家に送ったお土産を調べてみたらって」

 なるほど、マサトランの町で買った土産物に紛れ込ませて、家へ送ったわけか。どうして彼女はそんなことが判ったんだろう。

「何でもお見通しなんだな」

「そうでもないわ」

「もしかして、俺のことも知っていたのか」

「“脱獄者ザ・ジェイル・ブレイカー”」

 それも当時の新聞の見出しになった言葉だ。第4Qに、何度も奇跡的にQBサックを逃れながらパスを決めたのでそんな呼ばれ方をした。なぜ、俺にそれを言わなかったのだろう。俺が必要以上に目立たないようにしようとしていたのを見抜いたのだろうか。

「じゃあ、俺が本当は何者かも気付いているとか?」

「いいえ、ちっとも」

 ベスはそう言って、また後ろを向いた。風に靡く髪が月光に照らされて、赤と、金と、そして銀に輝く。

「ただ、私の騎士ナイトになってくれる人かもしれないって思ったわ」

 そして、まるでマジックのように掌の中から、鈍く輝く丸いものを取り出した。それを月の光にかざして眺めている。

「これ、何かご存じ?」

「いや」

「6ペンス銀貨」

 6ペンス? なぜそんなものを君が持ってるんだ? いや、まさか、それがターゲット……

「新婦になる人にとって、大切なものよ」

「新婦に?」

「イングランドの古い詩の中にあるでしょう。『何か古いものサムシング・オールド何か新しいものサムシング・ニュー何か借りたものサムシング・ボロウド何か青いものサムシング・ブルーそして6ペンスを彼女の靴の中にアンド・ア・シックスペンス・イン・ハー・シュー』。これは新婦になる人の幸運のアイテム」

 5行詩で、最初の4つの先頭が同じで……マルーシャの本に書き込まれていた、あの詩か! マルーシャはこのことを知っていた……

「それをどうして君が?」

「私が子供の頃に、ある男の子がくれたの。君が結婚するときに、これを靴の中へ入れて欲しいって。詩もその時に教えてくれたわ。でも……私には、もう必要なくなったから……彼に、返さなきゃ……あなたの、大切な人に、使ってもらってって……」

 ベスの声が微かに震えていた。だが、俺には絶対に顔を見せようとしなかった。俺は慰めの声をかけようとは思わなかった。騎士ナイト淑女レディーに対してそんなことはしない。ただ、淑女レディーの期待に応えるだけだ。俺が手を差し出すと、ベスはその手の上にそっと6ペンス銀貨を置いた。古い銀貨から、彼女のほのかな温かみが伝わってきた。

「先にパーティーに戻っていてくれ。後で会おう。1時じゃあ遅すぎるか?」

 ベスが小さく首を振る。その場に彼女を一人残して、サン・デッキを降りた。たぶん彼女は、優しすぎるのだろう。悲しみをこらえて、思い出を返しに来られるほどに。

 問題は、この6ペンス銀貨をどこに返すか……ベスは何も言わなかったが、俺としては判っているつもりだ。レスリーは、おそらく別の6ペンス銀貨を用意している。だからそれと取り替えてくればいい。その“別の6ペンス銀貨”はどこにあるか。レスリーたちの船室キャビンに決まっている。だから、これからそこへ侵入する。ケンジントン・スイートだ。

 左舷の、ダイニングから一番近いところにあるのだが、通路が少しクランクになっているので、ダイニングからは見えない。もちろん、この辺りにある他の部屋の客の目もあるわけだが、ちょうど11時頃で人の出入りも少ないし、例によって堂々と船室キャビンに入れば疑われることはないだろう。そして、こういうときでも俺は靴の中にピックを忍ばせているので、すぐに侵入することができる。ピンがたったの五つしかないピンタンブラー錠なんて、10秒もあれば……開いてしまう。

 ドアを開けて、中へ滑り込む。スイート船室キャビンなので、リヴィング・スペースとベッド・ルームに分かれているが、たぶんリヴィング・スペースにあるだろうと思う。月は西側にあるので、こちらの船室キャビンの窓からは光が直接入ってこないが、暗闇に目が慣れてくると、少しは見える。部屋の奥へ歩いて行くと、予想どおり窓に一番近いところにウェディング・ドレスが麗々しく飾ってあった。一番目に付くところに飾って、毎朝毎晩、それを眺めながら喜びをかみしめる、なんてのはよくやることだからな。

 足下には真っ白なハイヒール。『そして6ペンスを彼女の靴の中に』。もちろん、既にこの中へ入れてあるに違いない。俺ならそうする。俺は女じゃないが。ハイヒールを持ち上げて軽く振ると、中でカタカタと音がする。予想どおりだった。しかし、取り替える前に、念のために今持っているコインを腕時計にかざす。何も起こらない。ベスの話を聞く限り、このステージ内で一番重要なコインに思えるが、ターゲットではなかったということだ。

 ハイヒールの中を手で探り、コインを取り出す。そして持っていたコインを靴の中に落とす。取り替えたコインを、窓から漏れてくる微かな月の光にかざす。輝きからは、ベスが持っていたコインよりも少し新しいように見える。まあ、コインを毎日眺めていたわけでもないだろうから、少しくらい古くなったって判りゃしないだろう。そしてそのコインを腕時計にかざす。暗い部屋の中が、よりいっそう暗くなった。

「アーティー・ナイトがターゲットを獲得しました。本ステージの特別ルールにより、ゲートの位置は、アカプルコ到着後に案内します。到着後、再度ターゲットを腕時計にかざして下さい」

 いつの間にかエレインが、いや、裁定者アービターが淡い光を放ちながら横に立ってしゃべっている。パーティーに出席しているはずなのに、わざわざ来てくれたんだな。それにしても、エレインだと思うと彼女のシフォンのイヴニング・ドレスもまあそこそこ、というふうにしか見えないのに、裁定者アービターが着ていると思うと抜群に似合っていて、ダンスでも申し込みたくなるのはなぜだろう。

「なぜ、そういうことになる?」

「ゲートはアカプルコの街の中にあります。競争者コンテスタンツはアカプルコに到着するまで他の移動手段を持たないため、ターゲットを獲得した競争者コンテスタントを保護することが目的です」

「つまり、今獲得したことを他の奴に教えてしまうと、汽船シップの中で奪い合いになったり、下りるときに待ち伏せられたりしてしまうと」

「はい」

「とすると、船を下りて、少し離れたところに行って宣言するのがいいってわけだな」

「そこまでは示唆できません」

「君と一緒に退出しなければいけないのか?」

「その必要はありません。あなたが退出するのと同時に、裁定者アービターも自動的に退出します」

「解った。ところで、俺の独り言を聞いてくれないか。聞くだけでいいよ」

「聞くだけでしたら、どうぞ」

「このウェディング・ドレスを君に着てもらって、一緒に退出したかったな」

「お気持ちはありがたく頂きます」

「次はたぶん明日の朝、呼び出すと思う」

「了解しました」

 部屋の中が、わずかに明るくなった。6ペンス銀貨をポケットに入れて、スイート客室を出た。

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