#5:第5日 (2) 精神と騒乱
テンダー・ボートに乗ってマリーナに到着。すぐ横に、ホテルのプライヴェイト・ビーチがある。ホテルの建物は半島の丘陵を駆け上がるように段々に作られていて、城砦のように見える。曲線的なデザインで、壁は真っ白。この時代のリゾートの概念を反映しているのだろう。
ホテルへ入らずに町の方へ行くこともできるが、海岸沿いには行けなくて、ホテルの脇の小道を歩いて丘陵を上り、町からホテルの正面まで通じている細い道路を通らなければならない。しかも半マイルも行かなければならない上に、行っても何も見所はないらしいので、後で丘陵の上からの景色を見に行くくらいにしよう。
まず、
「アーティー、紹介するわ、レスリー・ウィリアムソンよ。レスリー、彼がアーティー・ナイト。
「ハロー、アーティー、初めまして」
レスリーと軽く挨拶を交わす。金髪の美人だ。たぶん、彼女も元チア・リーダーで、ヒエラルキーのクイーン・ビーだったのではと思う。なかなか魅力的な笑顔だが、こちらを値踏みするような目で見てくるのが気になる。たぶん、俺の方もそういう目付きをしていたのだろう。プロポーションはベスといい勝負かな。
水着は二人ともセパレーツで、トップはホルター・ネック、ボトムは角度が浅い。この時代の流行の型だろう。レスリーを観察しなければと思うのだが、ついノーラの方を見てしまう。
「ホテルを見に来たの? エレインは?」
ノーラがまた話しかけてきた。
「
「海の方へ行ったわ。さっきまで一緒にプールで遊んでたんだけど、私たちは休憩中」
「2月に海で泳げるとはね」
「本当ね。でも、私たち、ここで泳ぐのを一番楽しみにしてたのよ」
こればかりはいつの時代も同じで、女は高級リゾート・ホテルが好きだ。いい機会なので、レスリーに話しかけようとしたら、間の悪いことにヴィヴィがやって来て、二人を海へ誘う。エレインだから話しかけてもダメなんだろうと思っていたのだが、俺でもダメだったようだ。
「ごめんなさい、アーティー、それじゃ、私たちも行くわ」
「気にするな。楽しんできてくれ」
「アーティーは水着持ってきてないの?」
「ほとんど泳げないんだよ。足の立つところで15ヤードがやっとだ」
「あら、それは残念ね。それじゃ!」
二人を見送った後、坂を上ってフロントへ行き、ホテルの中を見たいと申告する。バッジでも着けさせられるのかと思ったが、チケットを渡されて、施設を使用したいときはこれを係の者に見せてくれと言われた。おおらかなものだ。
回廊のような、迷路のような曲がりくねった通路を、ゆっくりと散歩する。壁の白さで目が痛くなりそうだ。緩やかな下り坂になっていて、少しずつ下の砂浜へ近付いていく。時々、海を眺める。
通路の途中に、小さな円形の広場になっているところがあるが、そこに他の客がいた。ミッチェル夫妻とフレミング親子だ。ミッチェル氏がフレミング夫人に、熱心に何かを解説しているようだが、
うん、待てよ、有名人? 俺の名前が一部の客に知られているのなら、他の
ミッチェル氏たちの横をさりげなく通り過ぎ、また回廊を巡る。避寒の季節なので、客が多いかと思っていたが、ひっそりしている。つづら折れの下り坂を4段降りて、ようやく砂浜にたどり着いた。ノーラたちの姿を探したが、見えない。砂浜は割合広いので、向こうの端の方にいるのかもしれない。
もう一度フロントまで上がって、今度は外の道に出る。ホテル内よりももう少し高くなっていて、ここからの方が海がよく見えるはずだ。石畳の道の際に、わざとらしく椰子の木が立ち並んでいる。カーヴを抜けて、建物の陰から海が見えそうだな、と思ったら、向こうの方に白いパラソルを差した女が立っていて……って、またティーラじゃないか?
なぜ俺の行くところに先回りしてるんだ。いや、向こうは全く意図してないのかもしれないが、俺の思考と波長が合うのだろうか。仮想人格と気が合うなんてのは妙な気分だが、元は実在する人物だろうし、そもそもこの世界の他の登場人物だって仮想人格みたいなもので……ただ、彼女はこのステージの本来の登場人物ではないはずだから、などと考え始めると、頭が混乱しそうになる。
ティーラは海を眺めながら立っていたが、俺が近付いてくるのを察知したかのように、こちらへ振り返った。パラソルが大きく揺れたのが彼女の心の動揺を示していると思われるが、今度は前と違って逃げ道がない。いや、逃げようと思えばこの道を町まで走って行くことも可能なのだが、さすがにそんなことはしなかった。俺がすぐそばに近寄るまで、彼女はその場にじっと立っていた。
「
「
暑さのせいかどうかは判らないが、彼女の白い頬がほんのりと上気している。
「一人かい?」
「あ、はい」
「海を眺めに来たのか」
「はい……」
「海が好きなのか?」
「はい、あ、いえ、その……海を、あまり見たことが、ないので……」
「海が見えないところに住んでたのか」
「はい……」
「どこ?」
「…………」
答えがない。というか、話をするときに俺の方を見ていない。視線が宙を彷徨っている。と思ったら、いきなりパラソルを取り落とし、身体がゆっくりと崩れ落ちていった。おいおいおい! 地面にぶっ倒れる前に慌てて抱き止めたが、どうやら気を失っているようだ。立ったまま気を失うなんて、マンガじゃあるまいし。
とはいえ、何とかしてやらなくてはならない。落っことしたパラソルを拾い、ティーラの身体を抱き上げる。アヴァターのはずだが、やっぱり中身が詰まっている。しかも汗ばんでしっとりと湿った肌の感触といい、ほのかに立ち上ってくる香水の匂いといい、現実の女としか思えない。しかも目の前の、ブラウスの胸の盛り上がり方といったら……とにかくそっちの方はなるべく見ないようにして、彼女を抱えながら歩いてきた道を戻り、ホテルのエントランスを入る。ドアマンがすっ飛んできた。
「
スペイン語訛りの英語だ。ドアマンはメキシコ人らしい。
「そこの道で倒れてたんだ。医者はいるか?」
「おります」
「呼んでくれ」
「
中へ入るとベル・ボーイと、恐らくコンシエルジュと思われる背の高い男が寄ってきた。
「
今度は普通の英語だった。今までの寄港地はどこでもそうだったが、高級ホテルの主立ったスタッフはみんなアメリカ人だ。客のほとんどがアメリカ人だからだろう。
「そこの道で倒れてたんだ。今、ドアマンに医者を呼びに行ってもらったんだが」
「解りました。医務室はこちらです」
背の高い男がそう言って中へ案内してくれる。時代が時代だからだと思うが、親切だ。俺の時代なら狂言強盗と疑われて、とにかく「そこで待て」の一点張りに遭うだろう。廊下の向こうから白衣を着た浅黒い顔の男がやって来て、彼の案内で医務室へ通された。見たところ彼が医者だが、メキシコ人のように思われる。ともあれ、ベッドにティーラの身体を横たえる。
「
もう3回も同じことを訊かれているが、今度は訛りの少ない滑らかな英語だった。
「さっき、上の道を歩いていたら、倒れているのを見つけたんだ。
大いに嘘が混じっているが、この程度は別に構わないだろう。
「
うん、疑問を感じるのは判る。今日は気温が高いとは言っても日射病になる程ではないし、彼女の顔色や発汗状態を見ても日射病でないのは明らかだ。では、なぜ倒れたのかと訊かれたら、俺も知りたいくらいだ。医者は脈を取ったり血圧を測ったり、瞳孔反射を見たりしていたが、しばらくして言った。
「日射病ではありません。体温も血圧も正常だし、おそらくめまいか何かで一時的に気を失っただけだと思いますが……とにかく、しばらく休めば大丈夫でしょう」
「ところで、あなたはこちらの女性のお連れ様でしょうか?」
俺の後ろに立っていた背の高い男が訊いてきた。
「違う。俺はサン・プリンセスの客で、このホテルを見に来たんだ。彼女を助けたのは偶然だよ。ただ、彼女も
「さようでしたか。解りました。
「ああ、まあ、俺は構わないが……」
「ありがとうございます」
背の高い男はそう言って出て行った。医者はカルテを書いている。行きずりの女が倒れただけなのに、なかなか律儀なものだ。ベッドに寝かされているティーラを見る。安らかな顔をして寝ているように見えるが、もし今ここで気が付いたら、俺の顔を見てまた気を失うのではないかという気がする。そうなったらかなり気まずいな。
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