ステージ#5:第5日

#5:第5日 (1) ラン・アンド・キャッチ・ミー

  第5日-1975年2月20日(木)


 昨夜は出航が11時と遅かったが、プエルト・バジャルタとマンサニージョは近いので、昨日と同じく朝8時に到着予定だ。夜明けの時間は変わらないので、甲板で走り始めることができるのは7時過ぎ。そしてその頃に朝食を取りに来る客が大量にいるのも昨日と同じだ。

 甲板に出ると、ノーラ、リリー、そしてベスが準備運動をしていた。ついにベスのご登場となったわけだが、ウェアは意外にもおとなしいデザインで、マリン・ブルーのタンク・トップにダーク・グレーのドルフィン・ショーツ。それでもノーラより胸が格段に大きいので、目のやり場に困ることだけは間違いない。

 例によって俺が先に走り出し、後から3人が付いてくる。1周すると白いTシャツに黄色のショーツが走り始めている。ティーラが今日も律儀にやってきて、俺に追い越されたがっている。追いかけていって、後ろの開放甲板でご希望どおりに追い越す。追い越す瞬間の、ティーラの息づかいが一際苦しそうなのが気になる。ひょっとして官能的な気分に浸っているのではないかとも思う。

 どうしたものかと思いながら、ふと見上げると、リヴィエラ・デッキの柵にもたれながらこちらの方を見ている男どもがいる。開放甲板に降りられないので、あそこから海を見ているのかと思ったが、周回を重ねるごとに人が増えてくる。マラソンの観客でもあるまいし、アマチュア・ランナーが走っているのを見て楽しいのだろうか。

 考えているうちに、女が走るところを見に来ているのでは、と思い付いた。何しろ女が4人も走っていて、しかも4人とも美人だ。そしていずれもプロポーションが良く……まあ、俺のものではないので、見るなとは言わないが。

 それにしても、今日はティーラには簡単に追いつけるものの、ノーラ、リリー、ベスの3人にはなかなか追いつけない。昨日、ノーラとリリーが二人で走っている時は、一昨日にリリーが一人で走っている時よりペースが落ちていたのだが、ベスが入ったらペースが跳ね上がったのだろうか。

 追い越す時も、後ろからノーラ、リリー、ベスの順だ。今日が初日のベスが一番速いというのも意外だ。しかも少しずつ差が開いてきて、まずノーラが大きく離され、次にリリーもベスに置き去りにされた。ベスはティーラも抜いたようだ。ベスに抜かれる時に、ティーラがどんな顔をしたかは判らない。

 上のデッキの客がどんどん増えていく。陸上競技の女子3000メートル走をスタンドから見ている気分というところか。そして今日も7時45分で終了。リリーが膝に手を衝き、ノーラが壁にもたれて息を切らしているのとは対照的に、ベスは爽やかな笑顔すら浮かべながらタオルで汗を拭いている。

「驚いたな、君がこんなに足が速いとは。陸上競技トラックでもやっていたのか?」

 クーリング・ダウンで歩きながらベスに話しかける。質問が三等航海士並みというのが我ながら情けないが。

船旅クルーズの最初の3日間に休んだから、今日はちょっと頑張ってみただけよ」

 そう言ってベスは愛想良くにこにこと笑うばかりだ。本当にスポーツを何もやっていなかったのかしつこく訊いてみたら、3人ともサンタ・クララ大学時代にチア・リーダーだったという答えが返ってきた。なるほど、美人揃いなわけだ。しかし、チア・リーダーもトレーニングのためにジョギングすることはあるだろうが、ここまで速く走るとは思えない。どうもベスはミステリアスなところがある。

 朝食を一緒に摂るか訊いてみたが、レスリーたちとの約束があるから、ということだった。エレインと二人だけの朝食というのはどうにも気が進まないが、どうしようか。

 部屋に戻ると、エレインがパジャマ姿のまま顔を洗っているところだった。俺がシャワーを浴びている間に着替えるように言いつける。出てくると、着替えていたのはいいが、またベッドに寝っ転がっている。どうしようもなく怠惰な奴だ。

裁定者アービター!」

裁定者アービターが応答中です」

 ものすごい腹筋力を見せて起き上がりながら、アヴァターが膝を揃えて座り直す。スカートの裾の乱れまで直している。エレインなら、親に注意されてもこれほど豹変はしないだろう。

「マンサニージョの地図を表示しながら観光情報の案内、ってのはできる?」

「もちろん可能です。地図表示のため、空間をバックステージに戻します」

 また壁際から黒幕が降りてきたが、地図が表示された範囲は、明らかに船室キャビンの床面よりも広かった。裁定者アービターが立ち上がっているのは、ベッドが消えたからだ。黒幕が上下する位置と、バックステージの広さの関係が今一つ判らない。

 マンサニージョの町の範囲はとても狭く、裁定者アービターの説明も、俺が本で読んだのとほとんど違わなかった。新たな情報といえば、ホテルの名前は“ラス・ハダス”ではなく“ラス・アダス”であること、ホテルの設備情報が詳しかったこと、ホテルが建っている半島の名前がサンティアゴ半島であることくらいだった。

 地図を見ると、半円状の湾の中央にそのサンティアゴ半島が突き出していて、湾内を二分しているという一風変わった地形だ。燭台の頭の蝋燭を刺す部分を連想させる。テンダー・ボートはそのサンティアゴ半島の、まさにラス・アダス・ホテルに隣接したマリーナに発着するらしい。町自体はまだ開発中であり、見るべきところは特にない。

「すると、ここはラス・アダス・ホテルに行くくらいしかないのか」

「はい。船旅クルーズ関係の雑誌の記事を検索しても、午前中はホテルでマリン・スポーツかゴルフ、午後からは汽船シップに戻ってゆっくり過ごす、という情報しか出てきません。ですので、本日は船内のイヴェントが多く設定されているはずです」

「それは朝食に行く時に船内新聞をもらってきて読めばいいな。よし、行こうか」

「エレインに戻ります」

「ダメだ。そのままだ」

「このままでは実行不可能です」

「じゃあ、もしここに朝食を持ってきたら、食べる真似くらいはしてくれるか?」

「そのような無意味な依頼は受け付けられません」

規則レギュレイションなのか?」

仕様スペシフィケイションです」

「じゃあ、笑顔を見せてくれという依頼も実行できない?」

「実行できません」

「でも、呼び出した時は身だしなみを整えたりしてるじゃないか」

「それは仕様スペシフィケイションです」

「笑顔は仕様外アウト・オヴ・スペック?」

「はい」

「不自由な女性秘書ガール・フライデイだなあ」

「申し訳ありません」

「謝らなくていいから、今日のエレインの行動を予想してくれ」

「朝食時に知人に誘われない限り、上陸しての観光はしないと主張しそうです」

「同意見だな」

 誘われるとすると、バーキン兄妹シブリングズか、グレイス&ルーシーくらいかな。そういえばマックイーン夫妻と食事時間が合わなくなって久しいが、彼らは何をしているのだろう。船の中をうろうろしていると、たびたび見かけるのだが、寄港地に着いても上陸して観光したりはしていなさそうだし。

「OK、じゃあ、次に呼び出すまでお別れだ」

 黒幕が上がって周囲が船室キャビンに戻り、アヴァターがベッドに倒れ込む。その姿に向かって朝食に行くぞと声をかけたが、唸るばかりでなかなか起きない。強情を張るところは裁定者アービターも同じだが、どちらが微笑ましいかは考えるまでもない。後で一人で行けと言って置いて行きかけたら、ようやく起きてきた。

 ダイニングへ行くと混雑していて、席はところどころ空いているのにテーブルは全て埋まっている、という困った状態になっている。一人ならそれでも構わないのだが、一応二人連れなので、パンの皿とコーヒー・カップを持って歩き回りながら席が空くのを待つ。

 グレイス&ルーシーを見つけたので声を掛けて、今日はどうするのか訊いてみた。ミッチェル夫妻が取材のためにラス・アダス・ホテルへ行くらしいので、彼女たちも見に行くそうだ。どこまでもミッチェル夫妻に合わせて行動するんだな。エレインに話を振ってみたが、あまり乗り気ではなかった。俺が一人だけ彼女たちに付いて行くというのも不自然なので、待ち合わせなどはしないことにする。

 近くに席が空いたので座る。エレインはすごい勢いでパンを平らげると、お代わりを取りに行った。隣のボックス席に昨夜のマジシャンがいる。娘と一緒だが、美人の中年女性と若い娘も向かいに座っている。中年美女の方はキングズ・イングリッシュを話しているので、連合王国出身と思われる。フォルティーニ氏の身内かとも思ったが、“教授”“フレミング夫人”と呼び合っているので他人のようだ。

 しかし、ある程度は打ち解けている様子が窺えるので、船旅クルーズに来てからの知り合いだろう。エレインが大量のスコーンを持って戻ってきたが、話しかけてきさえしないので、隣のボックスの観察を続ける。

 アカプルコの話が多い。ロス・フラミンゴズというホテルの名前が出てきた。フォルティーニ氏が学会のついでにマジック・ショーをしに行ったらしい。高次元ベルンシュタイン問題? 確か微分幾何学の問題だった気が。そんなの一般人に話しても絶対解らないだろう。とはいえ、フレミング夫人の娘は――彼女もかなりの美人なのだが――興味深そうな顔をしてフォルティーニ氏の話を聞いている。解っていなくてもこういう態度で他人の話を聞くのはいいことだ。エレインには絶対にできないだろう。名前はジョーンか。

 ところで、フォルティーニ氏はどこの教授なんだろうか。そういう話が出てこないが、おそらく知り合ったときの自己紹介で言ってしまったんだろうな。もう少し話を聞いていたかったが、エレインが帰ると言い出したので仕方なく引き上げる。来るときはだらだらしてたくせに、帰る時は早いな。たぶん、船室キャビンでもう一眠りしたいんだろう。先に戻っておけと言っておいて、下のパーサーズ・ロビー前へ行く。フォルティーニ氏の船室キャビンは……ウィンザー・スイートか。

 ふと見ると、同じフロアの内側の船室キャビンに、キャロル・フレミングとジョーン・フレミングの名前がある。ケンジントン・スイートの名前を確かめると、アンドリュー・フレミングとレスリー・ウィリアムソン。うん、裁定者アービターから聞いたのもその名前だった。とすると、さっきのおやは新郎の家族ってことか。そういえばアンディーもレスリーもまだ会ったことがない。今晩のパーティーに参加すれば会えるはずだが、あの4人組とはかなり仲良くなったのに、どうして今まで紹介されなかったのだろう。エレインは紹介されたのだろうか。

 船室キャビンに戻ると、エレインがベッドに寝転がっていた。食ってすぐ寝ると太るぞ、と言ってやりたいところだが、あいにくステージ開始前に俺が痩せさせてしまったからなあ。

裁定者アービター!」

裁定者アービターが応答中です」

 素早く起き上がって慎ましく座る。いつもながら裁定者アービターは行動がきびきびしていていい。

「エレインはアンディーとレスリーを紹介されたか?」

「結婚する二人のことでしょうか。それでしたら紹介されていません。今夜のパーティーで紹介するとは言われています」

「3日目の朝に訊いた報告以来、何か情報は増えたか?」

「全く増えていません」

「エレインは質問もせずか」

「何度か訊こうとしましたが、そのたびにちょっとした邪魔が入るか、話を逸らされるかして、話題が続きませんでいた」

 何だ、そりゃ。間が悪い訊き方でもしたのかね。エレインらしいといえばらしいが。

「解った。ところで、今、エレインは寝ていたか?」

「はい」

「俺はこれから上陸する。エレインには書き置きしていくつもりだが、俺がこの部屋に戻ってきたのを気付かなかったようにできるか」

「可能と思います。書き終わるまでお待ちして、その後エレインに戻ります」

「本当は君を連れて上陸したいくらいなんだが、残念だよ」

「お気持ちはありがたく頂きます」

 書き置きを鏡台の机に残し、出掛けに裁定者アービターに手を振ってみたが、何と手を振り返してくれた。笑顔はできなくても、これくらいは仕様の内らしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る