#5:第2日 (4) 船上のミステリー講義

「さて、そろそろ本題の方へ行って欲しそうな人が出てきたようです。あなた、そうじゃないですか? 無駄話はもういいからって顔をしてますよ。それで本題というのは『船上のミステリー』でしたね。こんな物騒なタイトルのトーク・ショーをすることを許可していただいた寛大な船長キャプテンに、皆さん大きな拍手を!

 さて、古今東西、ミステリー小説はたくさんあれど、汽船シップの上で起こる犯罪を題材にしたものは、意外と少ないということが判りました。なに、僕も少しは調べましたが、ほとんどはさっきの出版社の社員に調べさせたんですがね」

 そう言ってまた軽く聴衆を笑わせた後で、ミッチェル氏は汽船シップの上で犯罪が起こるミステリー作品を列挙していった。まず、ミステリーを読む人なら誰でも真っ先に思い付くであろうのが、アガサ・クリスティーの『ナイルに死す』。ところが、これよりも我が国のC・デイリー・キングが書いた『海のオベリスト』の方が古かった。これが1932年の作品で、『ナイルに死す』は1937年だった。ただ、『海のオベリスト』が一番古い“船上のミステリー”かどうかまではわからない。たぶんあるだろうと思うが、調べきれなかった。

 他にはパトリック・クェンティンの『死を招く航海』、ディクスン・カーの『盲目の理髪師』などがミステリー・ファンに知られていると思うが、これらも『ナイルに死す』よりも前の作品だったのである。『死を招く航海』は1933年、『盲目の理髪師』は1934年だ。それからフレンチ警部で有名なフリーマン・クロフツも汽船シップが登場する作品を書いているが、その中が犯罪の舞台というわけではなかった。

「さて、それでは、なぜ汽船シップの上で犯罪が行われなければならないか、という理由について考えてみましょう。現実の犯罪の場合、このような状況は、犯人にとって実は非常に不利であると思われます。それはつまり、犯人は必ず容疑者の一人に数えられてしまうからです。たとえ乗客が500人以上いようとも、また、たとえ犯罪が行われた時間に確固たるアリバイがあろうとも、リストから漏れてしまうことはないのです。行きずりの、正体不明の人物を犯人に仕立てることが不可能なのです。

 それにまた、事件が解決するまで拘束されやすいという点も挙げられます。現場から逃げ出すことができないのです。もし、これが列車の中なら長くても数時間で次の駅に着くし、飛行機でもまあ半日程度経てば目的地に着いてしまうでしょう。しかし、汽船シップはもっと長くなることがあります。例えば先に挙げたカーの『盲目の理髪師』は、ニュー・ヨークから英国のサウサンプトンへ向かう豪華客船クイーン・ヴィクトリア号が舞台です。1週間も拘束されてしまうのです! 当局が犯人を挙げるには充分な時間ではないでしょうか。

 しかし、それでもなお、作者が汽船シップの上をミステリーの舞台にしようと考える理由は何か、皆さんお解りになりますか?」

 ミッチェル氏がそう言って聴衆を見回す。もちろん俺には解っている。彼は次に何か面白いことを言って笑いを取ろうとしているのだろう。

「簡単なことです。作者側の都合なのです。ミステリーというのは犯人の候補が常に限定されなければならない。作者はそのためだけに汽船シップの上を舞台に選ぶのです。吹雪に閉じ込められた山荘や、嵐のために脱出することができない孤島と同じなのです。そのために犯人は捕まってしまうのだから、汽船シップの上なんかで犯罪をさせられるのは犯人にとって実に迷惑な設定だと言えるでしょう」

 予想どおりの爆笑と拍手が起こった。ミッチェル氏は満足そうに笑っている。それにしても立て板に水フルエント・タンの見事な口吻だ。

「では次に、探偵の側を考えることにしましょう。そもそも、汽船シップの上で発生した犯罪を、誰が解決すべきなのか? 汽船シップの上というのは通常の警察の捜査権が及びません。陸地に近い場合は、その土地の警察や、沿岸警備隊のような組織が捜査に当たることもできますが、公海となるとどこの国でもありませんから、一体誰が権限を持つのか?

 ご存じの方もあろうと思いますが、実は船長キャプテンに全ての権限があります。ほら、船長キャプテンも頷いてます。船長キャプテンの指示によって、船員が捜査を行います。そして、全ての乗客は船長キャプテンの指示に従わなければなりません。船上では、船長キャプテンが絶対的な権力を持っているのです。一種の王国ですね。

 しかし、船長キャプテンといえどそのような犯罪捜査の経験のある人がそうそういるはずがありません。もちろん、船長キャプテンが探偵であるミステリーがあってもいいわけですが、シリーズ化しようとすると、そんなに犯罪ばかりに巡り会う船長キャプテン汽船シップに乗りたいと思う者は誰もいないでしょうから――」

 また笑いが起こる。もちろん船長キャプテンも笑っている。

「――シリーズが成立し得ないわけです。そうすると、たまたまその汽船シップに乗り合わせた探偵や、休暇中の警察官などが船長キャプテンの依頼を受けて捜査する、という形式に落ち着くわけです。しかし、探偵の側にも汽船シップの上の捜査においては不利な点があるではないか、と指摘する方もおられるでしょう。そうです、現場検証を行う鑑識員がいないのです。つまり、通常の捜査に比べて、物的証拠を集める上で心許なくなってしまうわけです。指紋を採るにも苦労するだろうし、拳銃が使われても弾道検査係はいない。ないないづくしアウト・オヴ・エヴリシングです。

 しかし、実はこのことはミステリー小説においては、探偵にとって本質的に不利な状況とはなりません。なぜか?

 そもそもミステリーにおいては、物的証拠によって犯人が決まってしまうことはほとんどないからです。そんな証拠だけでは解決できないからミステリーなんです! だいたい、そんな判りやすい証拠が残っていたら、それは偽の証拠に決まってます。

 では、どうやって船上の犯罪を解決するのかというと、探偵が容疑者の証言を聞き、その中の矛盾を見つけ出す、あるいは犯人のアリバイを見破る、あるいは犯人を罠にかけてへまをやらかすように仕向ける。そういった方法を採るわけです。何だ、普通のミステリーの展開と同じじゃないか!

 ですから、船上の犯罪というのは、先ほど述べた吹雪の山荘や、嵐の孤島と同じなのですが、犯人にとっては通常に比べて一方的に不利な状況に置かれているだけ、そして作者にとっては犯人をある範囲に限定するのに都合がいいだけということになってしまうわけです。

 しかし、このような状況というのはサスペンスを盛り上げるために非常に都合がいい。犯人は誰だか判らないが、ある限られた人たちの中に必ずいて、しかも残りの人数がどんどん減ってきてもまだ判らない。そういうタイプのミステリーにはもってこいの事情なわけです。ですが、ここにいる皆さんはご存じかもしれませんが、私たちはそういうサスペンス物が得意ではないのです。そしてそれが、私たちが今まで船上のミステリーを書いたことがない理由だというわけです。最後までお聞きいただき、どうもありがとう」

 そう言ってミッチェル氏はトークを終えた。万雷の拍手がわき起こる。なるほど、簡潔だが要領を得たミステリー分析だ。

「さて、私が用意してきた話は一応これで終わりですが、まだ時間があるようですので、この後は皆さんからの質問を……え、何です?」

 ミッチェル氏がまだ話そうとしていると、船長キャプテンから横槍インタラプトが入った。船長キャプテンは小さい声で言ったらしいが前の方の聴衆には聞こえていたらしく、笑いが起こる。

「ああ、これは申し訳ない。皆さん、先ほどの私の提案は、船長キャプテンが言う段取りになっていたそうです。チケット代分くらいはしゃべろうとして、余計なことをしてしまいました。それでは船長キャプテン、お願いします」

 笑い声が渦巻く中で船長キャプテンがミッチェル氏からマイクを受け取り、笑顔で前に立つ。

「ミッチェルさん、興味深いお話をどうもありがとうございました。最初、私が出版社の方からこのトーク・ショーのご提案を頂いたときは、何という不謹慎なテーマかと驚くやら呆れるやら――」

 そこで言葉を切って聴衆が笑う時間を作り、得々とした表情で続ける。

「――しかし、考えてみれば私もこの汽船シップの安全性を自慢するのに、私自身が泳げないことを強調してきたものでした。それだって不謹慎なことには変わりありません。であれば、このトーク・ショーでは、この船旅クルーズがあらゆる犯罪とは無縁であることを証明して頂けるものと思い、開催することにしました。その期待どおり、汽船シップの上の犯罪は割に合わないということが証明されて、大変喜ばしい結果になったと……」

 また間を作って聴衆の笑いを促す。船長キャプテンというのは汽船シップの運航の責任者であるというだけではなくて、エンターテイメント部門の長でもあるらしい。司会にも慣れているようだ。そういうことは事務長パーサーに任せておけばいいとは思うが、有名な作家を招いていることだし、船長キャプテンが自ら仕切っても不思議ではない。

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