#5:第2日 (4) 船上のミステリー講義
「さて、そろそろ本題の方へ行って欲しそうな人が出てきたようです。あなた、そうじゃないですか? 無駄話はもういいからって顔をしてますよ。それで本題というのは『船上のミステリー』でしたね。こんな物騒なタイトルのトーク・ショーをすることを許可していただいた寛大な
さて、古今東西、ミステリー小説はたくさんあれど、
そう言ってまた軽く聴衆を笑わせた後で、ミッチェル氏は
他にはパトリック・クェンティンの『死を招く航海』、ディクスン・カーの『盲目の理髪師』などがミステリー・ファンに知られていると思うが、これらも『ナイルに死す』よりも前の作品だったのである。『死を招く航海』は1933年、『盲目の理髪師』は1934年だ。それからフレンチ警部で有名なフリーマン・クロフツも
「さて、それでは、なぜ
それにまた、事件が解決するまで拘束されやすいという点も挙げられます。現場から逃げ出すことができないのです。もし、これが列車の中なら長くても数時間で次の駅に着くし、飛行機でもまあ半日程度経てば目的地に着いてしまうでしょう。しかし、
しかし、それでもなお、作者が
ミッチェル氏がそう言って聴衆を見回す。もちろん俺には解っている。彼は次に何か面白いことを言って笑いを取ろうとしているのだろう。
「簡単なことです。作者側の都合なのです。ミステリーというのは犯人の候補が常に限定されなければならない。作者はそのためだけに
予想どおりの爆笑と拍手が起こった。ミッチェル氏は満足そうに笑っている。それにしても
「では次に、探偵の側を考えることにしましょう。そもそも、
ご存じの方もあろうと思いますが、実は
しかし、
また笑いが起こる。もちろん
「――シリーズが成立し得ないわけです。そうすると、たまたまその
しかし、実はこのことはミステリー小説においては、探偵にとって本質的に不利な状況とはなりません。なぜか?
そもそもミステリーにおいては、物的証拠によって犯人が決まってしまうことはほとんどないからです。そんな証拠だけでは解決できないからミステリーなんです! だいたい、そんな判りやすい証拠が残っていたら、それは偽の証拠に決まってます。
では、どうやって船上の犯罪を解決するのかというと、探偵が容疑者の証言を聞き、その中の矛盾を見つけ出す、あるいは犯人のアリバイを見破る、あるいは犯人を罠にかけてへまをやらかすように仕向ける。そういった方法を採るわけです。何だ、普通のミステリーの展開と同じじゃないか!
ですから、船上の犯罪というのは、先ほど述べた吹雪の山荘や、嵐の孤島と同じなのですが、犯人にとっては通常に比べて一方的に不利な状況に置かれているだけ、そして作者にとっては犯人をある範囲に限定するのに都合がいいだけということになってしまうわけです。
しかし、このような状況というのはサスペンスを盛り上げるために非常に都合がいい。犯人は誰だか判らないが、ある限られた人たちの中に必ずいて、しかも残りの人数がどんどん減ってきてもまだ判らない。そういうタイプのミステリーにはもってこいの事情なわけです。ですが、ここにいる皆さんはご存じかもしれませんが、私たちはそういうサスペンス物が得意ではないのです。そしてそれが、私たちが今まで船上のミステリーを書いたことがない理由だというわけです。最後までお聞きいただき、どうもありがとう」
そう言ってミッチェル氏は
「さて、私が用意してきた話は一応これで終わりですが、まだ時間があるようですので、この後は皆さんからの質問を……え、何です?」
ミッチェル氏がまだ話そうとしていると、
「ああ、これは申し訳ない。皆さん、先ほどの私の提案は、
笑い声が渦巻く中で
「ミッチェルさん、興味深いお話をどうもありがとうございました。最初、私が出版社の方からこのトーク・ショーのご提案を頂いたときは、何という不謹慎なテーマかと驚くやら呆れるやら――」
そこで言葉を切って聴衆が笑う時間を作り、得々とした表情で続ける。
「――しかし、考えてみれば私もこの
また間を作って聴衆の笑いを促す。
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