#5:第2日 (5) 毒のある話

「それでは先ほどミッチェルさんからご提案頂いたとおり、皆様からのご質問を受け付けましょう。ご質問がある方は挙手をお願いします……」

 何人もの手が挙がるが、船長キャプテンは少し考えてから後ろの方の中年女性を指名した。まあ、前の方にいるのはグレイスやルーシーのような熱心なファンであり、そういうのは何度でも手を挙げるだろうから、後にした方がよくて、一度きりしか手を挙げないような人間を当てるのが筋だな。

「ミッチェルさんのお話は大変楽しかったです。ですが、ミッチェルさんだけがお話になって、夫人の方は一言もお話にならなかったので、夫人にも船上のミステリーについて何かご意見をお伺いしたいですわ」

 マイクがミッチェル夫人の方に回ってくると、夫人は青い顔をして胸を押さえて、ミッチェル氏の表情を伺っている。それから何かしゃべろうとしたが、言葉が出ず、そうこうしているうちにマイクがまたミッチェル氏に戻ってしまった。

「すいません、メアリーの話が聞きたかったのに、なぜお前がまたしゃべり始めるんだとお思いでしょうが――」

 そう言って軽く笑いを取った後、ミッチェル氏は続けた。

「――実はメアリーは非常に恥ずかしがり屋でして、人前で話をするのが苦手なんです。雑誌のインタビューを受けるときでも、私が横についてあれこれ助けてやらなければしゃべれないほどでして。もちろん、今からメアリーにはしゃべってもらおうと思いますが、あなたのご質問がちょっと漠然としていましたので、もう少し限定させて下さい。『私が先ほど話した理由以外に、船上のミステリーを書かなかった理由が何かあるか?』。これでいかがでしょう?」

 質問してきた女性に同意を求め、彼女が快諾する。マイクがミッチェル夫人に戻る。夫人は何度か深呼吸をした後で口を開いた。小さく、震え気味の声だった。

「申し訳ありません、とても緊張していまして……みなさま、今日は私たちのトーク・ショーにご参加いただきありがとうございました。それで、先ほどの質問の件ですが、私が船上のミステリーを書いていない理由……私、実は、汽船シップに限らず、乗り物全般が苦手なんです。車も、バスも、鉄道も、飛行機も……私の作品に登場するフォーサイス夫人のように、ほとんど町から出たことがないんです。ですから、今回のこの船旅クルーズにケンが誘ってくれたとき、私が乗り物が苦手なことを知っているはずなのに、どうしてだろう? もしかしたら、彼はこの船旅の途中で、私を事故に見せかけて――」

 予想以上に大きな笑い声が起こり、ミッチェル夫人の方がびっくりしているくらいだった。恥ずかしがり屋の女性が口にするジョークにしては毒が効きすぎているが、おそらく今までのインタビューの中で何度か同じネタを使ったことがあるのだろうと思われる。

「――と思って少し心配していたのですが、この汽船シップに乗ってからは何もかもすっかり気に入りました。船室キャビンは快適ですし、食事は美味しいですし、景色もいいですし、船員のみなさまのサーヴィスもとても親切ですし……ああ! すいません、質問からどんどん離れていってしまって。ええと、それで、私が船上のミステリーを書いていない理由は、単に私が汽船シップのことを何も知らなかったからなんです。船の中がどうなっているかということだけではなくて、どんな船旅クルーズがあるのか、どんな大きさの汽船シップがあるのかとかも、さっぱり……今回の船旅クルーズ汽船シップのことは少しわかりましたが、先ほど申し上げたとおりとても快適ですので、こんな平和な汽船シップの上で犯罪が起こる話は、今後も書けそうにないと思いましたわ」

 ミッチェル夫人がぎこちない笑顔と共にコメントを終えると拍手が起こった。マイクを船長キャプテンに戻し、次の質問を募る。その後、いくつかの質問に答えたのはほとんどミッチェル氏だった。夫人の方は固い笑顔を保ってはいたものの、何となく居心地が悪そうにしている。そしてトーク・ショーの最後の方になってようやくグレイスに順番が回ってきたが、なかなか面白い質問だった。

「ミッチェルさんと夫人が創作するときの担当は決まっているのでしょうか? 例えば一方がアイデアを出して、一方が書くといったような役割があるのでしょうか?」

 もちろん、これもミッチェル氏がマイクを持って答えた。

「そうですな、実はその質問は何度かされたことがあるのですが、なぜか今まで一度も雑誌などに載ったことはないようです。役割を分担して創作する共作作家もいるようですが、私とメアリーの場合、そういった役割はありません。私も彼女も、それぞれがプロットを考え、それぞれが文章にします。もちろん、プロットがうまく作れないときはお互いに相談したりもするし、文章に対して意見を言い合うこともあります。まあ、全体的に見てプロットも文章も私より彼女の方がずっとうまいとは言えますが、だからと言って私の方がトークの担当で、彼女が創作の担当――」

 また爆笑が起こった。どうやら今のは何かのパロディーらしい。

「――などということは決してないということをお断りしておきます。あなた、信用して下さいよ?」

 茶目っ気たっぷりにミッチェル氏がコメントを終えると、船長キャプテンが感謝の意を伝えて閉会を宣言した。ダイニングの中が大きな拍手に包まれる。早めに退場しようとして後ろを振り返ると、アンナの連れ――例のアヴァター――がちょうど立ち上がったところだった。俺の顔を見て驚いたような表情を見せ、逃げるようにダイニングを出て行った。呼び止める間もなかった。いったい何なんだ? 俺を見張っているにしてはどうも中途半端だな。しかも簡単に見つかって、逃げて行ってしまうし。どうにかしてアンナに会って事情を聞かなければいけないが、どうしたらいい? ダイニングの前で待っていればいつかは来る、という手もあるが、さすがにそれは冴えないなあ。


 4時過ぎ、サン・ルーカス岬沖に到着。カリフォルニア半島の最南端だ。小さなボート――テンダー・ボートというそうだが――がやって来て汽船シップに横付けし、何十人かの客が乗り移る。海岸巡りのクルーズに行くためのボートだが、もちろん有料のオプショナル・ツアーだ。エレインが乗ったかどうかは知らない。まあ、俺に何も言わずに行くことはないだろう。しかし、リド・デッキを見に行って探してみたが、エレインの姿はなかった。なぜか船室キャビンにいる時と食事の時以外、あいつを見つけることができない。どうなってるんだ。後で裁定者アービターに訊かないと。

 久々に陸地が見えたせいか、デッキ・サイドに客がたくさん出てきている。汽船シップは小さな湾の中で船首を北の方へ向けて泊まっていて、左舷ポート・サイドに港と、高度を下げた太陽が見える。もうあと1時間半ほどすれば、太陽が水平線の向こうに落ちていくだろうと思われる。

 そういえばサン・ルーカス岬の見所は調べていなかったが、一応名前だけは聞いたことがある。しかし、1975年にリゾート・ホテルがあったかどうかはよくわからない。あったらたぶん寄港地になっているのではないかと思うので、まださほど開発が進んでいないのではと想像する。汽船シップの上から見ても、町がそれほど広がっているようには見えない。海岸巡りといっても、どうせ切り立った岩とか、その岩に空いた穴とかを見るくらいだろう。ターゲットとは関係なさそうだ。

 デッキにどんどん客が増えてくる。男女の二人組ペアがやけに多い。こんなに二人組ペアが乗っていたのかと感心するほどいる。別にひがんでいるわけではないが、その男女たちの合間を抜けるようにしてデッキを船尾の方へ歩き、サン・デッキへ降りる。もちろんここも人だらけだ。下のプロムナード・デッキも、そのさらに下の開放甲板も、景色を見る客であふれている。海から陸地を見るのがそんなに珍しいのかと言いたくなる。

 だんだん居場所がなくなってきたので、バーにでも入ろうと思ったがそこも満員で、インターナショナル・ラウンジの真ん中の方に席を取って休憩する。窓からは遠いが、夕焼けが見えないことはない。陽が沈むと夕食へ行くためか、客が一斉にいなくなった。6時からはまたドレス・コードがあるが、今日はインフォーマルだ。ジャケットに着替えるために船室キャビンに帰る。エレインはまだ戻ってきていない。8時前になってようやく戻ってきた。

「どこへ行ってたんだ?」

「映画よ」

「また映画か。今日は何だ?」

「『ポセイドン・アドヴェンチャー』。ジーン・ハックマン、かっこよかったー」

 あああ、何だって? 古い映画のことは詳しくないが、『ポセイドン・アドヴェンチャー』ってのは確か豪華客船が転覆する話じゃなかったか? ミステリーのトーク・ショーといい、今回の船旅クルーズはずいぶん挑戦的なプログラムだな。

「アーティー、私、着替えるから、また先にダイニングに行って待ってて」

裁定者アービター!」

裁定者アービターが応答中です」

 食事に行くためのドレスを持ったまま、アヴァターがこちらに振り返った。そのまま着替え始めたらどうしようかと思ってひやひやした。

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