#5:第2日 (3) 古風な名作

 1時30分、ようやく復活したエレインを連れて昼食へ向かう。エレインは反省したのか、生意気度が下がって扱いやすくなった。席は昨日と同じだが、向かい側に座る客が変わっていた。若い女の二人組だ。たぶん25歳くらいだろう。エレインよりは少し上だな。

 例によってエレインが相手をしてくれると思っていたのだが、しゃべる元気までは戻っていないようで、仕方なく俺が話相手になる。ミステリー小説のファンで、今日の午後のトーク・ショーを聞くためにこの船旅クルーズに参加したらしい。熱心なファンもいるものだ。

 綺麗なウェーブのかかった金髪の方がグレイス、くすんだ赤銅色の髪の方がルーシーと名乗った。グレイスは紛れもなく美人の部類で、プロポーションも良く、バレエでもしていそうな感じ。ルーシーはぽちゃっとしていて将来太りそうなタイプだ。映画に出るならグレイスは主役格、ルーシーは脇役格だろう。まあ、そんな評価は余計なお世話だろうが。

「そんなに有名なのか? その、ケン・アンド・メアリー・ミッチェルというのは」

「とても有名ですよ! 『フォーサイス夫人シリーズ』を知らないんですか? 今度、アンジェラ・ランズベリーでTVドラマ化されるんですよ」

 グレイスが金髪を揺らしながら熱弁を振るう。しかし、俺の“記憶”にはそんな情報は追加されていないんだから仕方ない。エレインに訊くと、知っていた。夫婦でミステリー小説を書いているらしい。『フォーサイス夫人』以外にも『探偵ピート・フレミング』や『警部補フランクス』等のシリーズ作品があるそうだ。そんなによく知っているのならお前が話相手になれと言いたいが、なぜかおとなしい。まだ頭が痛いのか。

「ミステリーは読まないんですか?」

 ルーシーが訊いてくる。先程からの話の流れでは、彼女もミステリー小説のファンではあるのだが、グレイスに無理矢理連れて来られたような感じだった。そもそも、この船旅クルーズの料金はこの時代のこんな若い女が気軽に支払えるような金額ではないと思うのだが。

「いや、読んだことはあるよ。コナン・ドイルやクリスティー、エラリー・クイーンなんかは全部読んだな」

「あら、ずいぶん読んでるじゃないですか。最近の作品を読まないだけ?」

「そういうこと。まあ、爺さんの本棚にあったってだけだがね。あと、ハード・ボイルドはちょっと苦手かな」

 そもそも時代が違うんだ。シャーロック・ホームズの“紙の本”なんて骨董品扱いだぜ。ハード・ボイルドなんて古典以外ほとんど残ってやしない。

「それは私たちもそうよ。推理物ディテクティヴが好きなんです」

「たとえばホームズではどの作品がいいと思います?」

 グレイスとルーシーが代わる代わる話しかけてくる。何だか試されているように感じるのは気のせいか。

「そうだな、『バスカヴィル家の犬』」

「ああ、いいですね! あのダートムアの荒涼とした情景描写と、“地獄の犬ヘルハウンド”の陰惨さが相俟って、とてもいい雰囲気の作品ですよね。長編の中でも一番人気がありますし」

「そうですね。でも、推理の要素はほとんどないですけどね」

 まあ、言われてみればそのとおりかな。あれはコナン・ドイルが、友人の誰かから聞いた犬の伝説を元にした話が書きたかったからという感じの作品で、ホームズは添え物に思えるからな。

 その後も、クイーンの国名シリーズでよかったと思う作品は何かとか、クリスティーのポワロとマープルではどちらが好きかとか、そういう古典の話はまだついて行けたのだが、ジョン・D・マクドナルドやヒュー・ペンティコスト、ロバート・L・フィッシュなんていう名前が出て来るともうお手上げだった。だが、知らないと言うとぜひ読めと熱心に勧めてくれるので、生返事をすることもできない。とりあえず後で図書室に行って本を探してみよう。何しろ、彼女たちはキー・パーソンかもしれないからな。俺の趣味とはちょっと合わないところがあるけれども。

 トーク・ショーを聞きに行くという約束をしてダイニングを出る。エレインはこの後どうするかを訊いてみたが、「またプールに行く」という答えが返ってきた。裁定者アービターのコントロールが効いているようだ。階段のところで、昨夜の夕食でテーブルが一緒だったドクター・バーキンを見かけた。二人組の若い綺麗な女たちと話をしている。あの時はエレインを熱心に口説いていたような気がするが、脈がないので乗り換えたのかもしれない。精神分析の話をしているが、何やら悩み相談に近い内容で、ずいぶんと軽薄に感じる。まあ、彼とはほとんど話をしていないので、ちゃんと話せば印象が変わるかもしれないが。

 図書室へ行ってケン・アンド・メアリー・ミッチェルの推理小説を探したが、なかった。おそらく他の人が借り出してしまっているのだろう。その他に名前を聞いた作家の作品もない。

 次にすることが見つからないので、とりあえず船内をぶらつく。リヴィエラ・デッキの後ろの方へ行くと、輪投げのような遊びをやっている連中がいる。デッキの上に置かれた輪を、棒を使って押し出し、三角形をした的に向かって滑らせている。三角形の中に数字が書かれているが、あそこに輪を入れれば得点になるのだろう。二人でやっていて、交互に輪を滑らせているから、相手の輪にぶつけて押し出したりもできるのに違いない。カーリングのようなものだろうな。しかし、初めて見る遊びだ。うっかり名前を訊くと、試しにやってみろなどと言われかねないので、黙って見ておく。

 同じように見ている客の中に、ドクター・バーキンの妹のクリスティンがいる。綺麗な顔をしているが、兄には似ていないと思う。愛想のいい女で、おまけに身だしなみもプロポーションもいいものだから、中年から若いのまで、幅広い年齢層の男から話しかけられている。そのうち俺も話しかけよう。今話しかけるのはわざとらしいのでやめておくが。

 名称不明の遊びを見るのをやめて、上のデッキへの階段を上がる。突然、何かが視界に現れて消えていった。海へ落ちたようだ。さっきの遊びで使っていた輪に似ていた気がする。上がった先はリド・デッキから一段低くなったスペースで、サン・デッキというところだ。ずらりと並べられたデッキ・チェアは、日光浴をしている連中で埋め尽くされている。

 そこからリド・デッキへ上がると、さっき見えた物の正体がわかった。輪投げの輪だ。輪投げで遊んでいる連中がそこにいた。こちらの方はデッキに描かれた同心円の中心に近いところに輪を入れればいいのだからわかりやすい。俺がやったらたぶん圧勝だな。輪はさっき下で見た遊びと同じものを使っているらしい。デッキ・チェアの間を歩き、プールの横を通り過ぎるときにエレインの姿を探したが、見つからない。まだ船室キャビンで着替えているのだろうか。

 喉が渇いたのでインターナショナル・ラウンジに入って、ウェイターにメキシコらしいソフト・ドリンクがあるか聞いてみたところ、アグア・デ・ハマイカはどうかと薦められた。乾燥したハイビスカスの花を煮出して、冷やした物らしい。それを注文して一口飲んでみたが、風味は爽やかなものの、かなり甘い。砂糖を入れすぎだろう。もう少し控え目の方が酸味と調和していいんじゃないか。まあ、この時代の合衆国民の味覚に合わせてあるのだろうから仕方ないが。


 3時になったのでダイニングへ行ってトーク・ショーを聞く。思っていたよりも盛況で、既に50人以上は座っている。仕方がないので後ろの方に席を取る。一番前のテーブルにはこちらを向いて男と女が座っている。もちろん、これがケン・アンド・メアリー・ミッチェルだろう。男の方は眼鏡をかけ、理知的で如才ない顔つきの中年紳士で、作家というよりはフットボールのコーチに見える。女の方は目が小さくて鼻が高いというちょっとバランスのよくない顔立ちで、笑顔を浮かべているものの表情が硬い。大勢の前に出るのが苦手なタイプかもしれない。やがて時間が来て船長キャプテンが――船長キャプテン自らがショーの司会を務めるのか!――二人を紹介し、拍手の後、男の方がしゃべり始めた。

「本日は私たちのトーク・ショーにご参加ありがとうございます。お礼を言った後ですぐにこんなことを言うのも何ですが、私たちがこのトーク・ショーがあるのを知ったのは、船旅クルーズのわずか1週間前だったんです。そう言うと不思議に思う方もいるかもしれません。

『ミッチェルさん、そんなはずはないでしょう。この日の船旅クルーズでミッチェル夫妻のトーク・ショーがあるのは、何ヶ月も前からいろんな雑誌で宣伝されていたじゃないですか。私はその案内を見て参加したんですから』

 そう思うでしょう? それがそうじゃない。もちろん、私たちはずっと前からこの船旅クルーズに参加したいと思っていました。ある記念日を祝おうとしていてね。まあ、記念日といっても色々あって、全部でいくつあるんだかとても憶えきれないってのは、結婚している男性ならおわかりいただけると思いますが」

 聴衆のうちの男がどっと笑う。軽快な口調で、しゃべり慣れているのを感じる。TVショーの司会者としてもやっていけるんじゃないか。

「まあ、それはさておき、行きたいとは思っていても、何ぶん忙しい身でなかなか日程が合わない。たまに1週間空いているときがあると思うと、その時の船室キャビンは埋まってしまっている。どうにもうまくいかないものだから、会う人ごとに愚痴をこぼしてたんですが、そうしたらそれを聞いたある出版社の宣伝部長というのが気を利かせて予約を入れてくれた。しかも船旅クルーズの日には他の予定が入らないよう、私たちのエージェントを通じてスケジュールまで押さえてくれたんです。

 それだけじゃなくて、メキシコ観光のガイド・ブックを家に送ってくれたり、この船旅クルーズに参加したことがある人を紹介して話を聞けるようにしてくれたり。そうして、その宣伝部長が1週間前に、チケットを持って家へやって来た。この度はありがとう、次の新作はぜひあなたのところで出させてもらいますよ、なんてお礼を言ってたらその宣伝部長が切り出してきた。

『ミッチェルさん、いつもお世話になってますから、今回のチケット代はうちの社で出させてもらいますよ』

『えっ、そんなことまでしてもらえるんですか。そりゃあ、ありがたい。じゃあ、次の新作だけじゃなくて、その次もあなたのところで』

『いやいや、そこまではしてもらわなくても結構ですので、その代わり船内でトーク・ショーをやっていただけませんか』

『何ですって? トーク・ショー?』」

 聴衆が一斉に笑う。まあ、途中からオチパンチ・ラインはだいたい見えていたのだが、ミッチェル氏の表情や声色の使い方がうまいので、つい聞き入ってしまう。

「つまり、私たちはその時に初めてこのトーク・ショーがあるのを知ったんです。ガイド・ブックや何かをわざわざ送ってきたのは、それを読ませておいて、トーク・ショーの宣伝が旅行雑誌なんかに出ているのを気付かせないためだったって訳です。相手が宣伝部長だってことを忘れてましたよ。まるで小説の中の犯人のトラップに引っかかったみたいな気分でした。

『まあ、船旅クルーズの予約だけじゃなくて他にも色々やっていただいたし、解りました、やりましょう。1週間休暇を取るための対価だと思えば安いものだ』

『ああ、ミッチェルさん、船旅クルーズのチケット代は出しますが、汽船シップの中や現地で払うお金はご自分持ちでお願いします』

『何ですって? いやでも、そっちの方も結構金額が……』

『それから、帰りの飛行機のチケット代も』

『何ですって? そりゃあひどい、あまりにも中途半端だ』

 いやいや、皆さん、私はこのトーク・ショーをやるのが嫌だと言ってるわけじゃないですよ。ただ、もし皆さんの中で、作家を目指している人がいたら、アドヴァイスをしたかったんです。出版社の宣伝部長には気を付けろってね」

 ひとしきりの笑いの後、拍手が起こった。

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