ステージ#3:第6日

#3:第6日 (1) 屋根の上の素人泥棒

  第6日-2010年6月23日(水)


 夜中になって、ますます雨が激しくなってきた。こんなひどい雨の夜に出掛けるのは久しぶりで、趣味の解錠のためだけなら延期しているところだ。夕刊紙で読んだ天気予報では、今夜がピークで週末までは降ったり止んだりとあったから、明日の夜まで待てば天候が回復するというわけではない。ならばいつ決行しても同じことで、それなら1日でも早い方がいいし、今夜でもいいというわけだ。我ながらつまらないところで理屈っぽい。

 現在の時間は午前3時。昨日よりは2時間遅い。できればもっと遅い時間の方が、警備員が一番眠い時間帯なので適していると思われるのだが、日の出は4時40分頃で、だとすると4時前にはもう明るくなり始めるはずだから、そうなると逃げるのに都合が悪くなる。泥棒の基本は闇に紛れて行動することだ。雨は逆にありがたいとも言える。

 いつもと同じようにサックラー図書館に忍び込み、最上階に上がって、屋根に降りられる窓から外を覗く。夜目にもそれと判るほどに雨が降っている。ここまでは傘を差してきたが、靴やズボンの裾はもう水が滴りそうなくらい濡れてしまった。この雨の中で屋根の上を歩くなんてのは危険きわまりない芸当だが、自分で決めたことだから仕方ない。

 ゆっくりと窓を開ける。風が少しだけ吹いていて、雨が降り込んで来る。今夜は逃げ帰ってくるかもしれないから、その時にすぐ入れるように、窓を全開にしておく。図書館にとっては館内の湿度が上がるのは困るだろうから、大変申し訳ないことだが。

 窓枠を乗り越え、そっと隣の屋根の上に降りる。当然だが、足元が少し滑りやすい。もちろん、滑らないようにゴム底の靴を履いてきている。それでも慎重に、ゆっくりと屋根の上を歩く。帰りに走らなければならないようなら心配だが、気を付けるしかないというのが本当のところだろう。無事に歩き通し、屋上ルーフ・トップテラスの芝生の上にふわりと飛び降りる。靴底に芝生の切れ端などがつくとさらに滑りやすくなるから、帰りはやはり注意しなければならない。クリーツ付きの靴が欲しいところだ。

 ガラスの扉の前に立つ。昨日と、そして一昨日に空けられた穴がどうなっているか確認する。おやおや、なくなっているじゃないか。最初に穴が空けられた場所は扉のハンドルに近いところなので、記憶違いのあるはずがない。してみると、昼の間にこのガラスが入れ替えられたということだ。火曜日は夕方までの営業だから、その後に取り替えられたのかもしれないが、とにかく穴がなくなってしまった。

 だが、心配することはないだろう。穴を空けた人間が、ガラスが取り替えられてしまったことを知らないはずがない。間違いなくチェックしているはずだ。おそらく、この向かいのザ・ランドルフの窓から。だから、手を挙げて合図をしてから、俺が扉の前からどけば……

 カチンクランクカチンクランクカチンクランク!と1秒おきに3回、鋭い音がして、フローリングの上を小石が跳ね回るような音がした。今夜も弾丸を拾っておく。逃げるときに踏んで転んだら困る。

 空けられた穴の位置を確認する。三つのうち二つは、この2日間で空けられたのと全く同じ位置に空いていた。残る一つは、取っ手とは反対側の端で、二つの穴のちょうど中間に当たる高さのところだった。俺が予想していたのとだいたい同じ位置だな。何も言わずに考えが通じるというのはいいことだ。

 持ってきた鞄の中から、扉を開けるのに必要な道具を取り出す。針金と釣り糸。夕方に買ってきた。穴を空けた本人はどうやら侵入するつもりはないらしいので、俺が代わりに侵入してやることにする。フットボールだってコーチが机上で考えてきたプランを、競技者プレイヤーがフィールド上で実行するのだから、同じようなものだ。

 まず針金を、上の穴と下の穴を結ぶ長さと同じになるように折り曲げる。次に針金の先端に釣り糸を結びつける。この釣り糸は途中が輪状の“罠”にしてある。針金を上の穴から差し込み、下の穴に先端を届かせる。釣り糸の端を下の穴から引っ張り出し、“罠”の部分をハンドルに引っ掛けてから、糸の両端を強く引っ張る。輪が縮まり、釣り糸がハンドルに縛り付けられる。これでハンドルを上に引っ張る用意ができた。

 次に、同じようにして針金を横の穴と下の穴を結ぶ長さと同じになるように折り曲げ、先端に釣り糸を結びつけてから横の穴へ差し込み、下の穴から糸を引っ張り出す。同じく“罠”をハンドルに引っかけるのだが、少し手間取った。しかし、無事に釣り糸をハンドルに縛り付けることができた。

 最後に、横の穴から出ている釣り糸を引っ張ってハンドルを回転させる。かなり固かったので釣り糸が切れるかと思ったくらいだが、何とか回った。さらに上から引っ張ることで、ハンドルをちょうど90度だけ回転させることができた。後は扉を押して中に入るだけだ。扉を開けたら館内で非常ベルが鳴り響く、という仕掛けになっていたら大変だが、幸いにもそうなってはいなかったようだ。一番狙われやすい侵入経路だけに、ちょっと不用心な気もする。それとも、先程、親切にもガラスに穴を開けくれた人物が、昼間の内に非常ベルが鳴らない仕掛けも施してくれたのかもしれない。

 レストランの中へ入り、鞄から登山用の分厚い靴下――これも夕方買ってきた――を取り出して、靴の上から履く。濡れたゴム底靴でリノリウムの床を歩くと音が鳴るので、それを防ぐためだ。これで鞄は用済みになったので、外に放り出して扉を閉める。そうしておけばここに巡回が来ても、ぱっと見ただけでは扉を開けられたことが判らないだろう。ただし、ハンドル錠は閉めないでおく。1秒でも早くテラスへ出られるようにするためだ。

 レストランを出て、階段の方へ行く。監視カメラがここを見張っていたらアウトだが、そんなことにはなっていないはずだ。なぜかは解らないが、この屋上ルーフ・トップレストランの監視は甘い。吹き抜けの方の階段からは降りず、エレヴェーターの奥にある階段を使って、一つ下の階に降りる。特別展示のためのフロアで、今回もゴッドストウ修道院遺跡から発掘された品々が展示されている。もちろん、ゴッドストウ・キーもここにある。特別展示が終わったらゴッドストウ・キーだけは、アルフレッド・ジュエルと同じギャラリー41で常設展示される、とリーフレットに書かれていた。申し訳ないが、その前に盗ませてもらう。

 ところで“盗んでもいい理由”は、一応、ある。ゴッドストウ・キーは所有権に問題があって、博物館に寄贈したのとは別の人物がその権利を主張しているため、当事者間でトラブルになっているらしい。初日に起こった傷害事件はそれに絡むものだったようだ。博物館側でも、そんな問題のある物を寄贈されるべきではなく、展示などもっての外、という意見があった。にもかかわらず、一部の学芸員たちキュレーターズが寄贈式典から展示までを強行してしまったそうだ。彼らの名声に絡む問題らしい。

 さらにもう一つおまけが付いていて、ゴッドストウ・キーの発見者や歴代の所有者は全て不幸な死を遂げたという噂があること。何やらツタンカーメン陵の発掘やスミソニアン博物館のホープ・ダイアモンドを思わせるエピソードだが、とにかくゴッドストウ・キーは展示を喜ばない人が多いということらしい。もっとも、これらはタブロイド紙の受け売りで、これをもって“盗んでもいい理由”にするにはちょっと弱いのだが、まあ、架空世界のことだからそれでもいいだろう。それに前回と違ってゴッドストウ・キーに思い入れを持っている人物を俺が知らないから、やりやすいというのもある。

 さて、特別展示用のフロアはギャラリーが五つだけで、57から61まで。ゴッドストウ・キーはその一番奥のギャラリー61に展示されている。日曜日に、空になっていたギャラリーだ。今いる階段からギャラリー61に行く道筋は2通りあって、一つはギャラリー58と渡り廊下を通るルート、もう一つはギャラリー57、59、60を通るルート。当然、今日――もう昨日か――は入る列と出る列を作るのに使われただろう。どちらをどう使ったのかは知らないが。

                   ┌──────┬─┐

   ┌─────────┐     │  階段  │ │

   │         ├─────┤ ─────┤洗│

   │         │     │ ┌──┐  面│

   │    59    │  57  │ │EV│ │所│

   │                 └──┴─┤ │

┌──┴──────  ─┼─────┤      ├─┘

│            │     │↓│↓│  │

│     60      │  吹  │2│4│  │

│            │  抜  │階│階│ 58 │

├─  ──────  ─┤     │へ│へ│  │

│            └─────┴─┴─┘  │

│     61      ┌────────────┘

│            │

└────────────┘

 前者の場合は渡り廊下の両側面がガラスで、下の階から丸見えになってしまう。後者の場合は各ギャラリーに監視カメラがあり、通り抜けようとすれば必ずカメラに映る。もっとも、館内が暗闇なら、どちらを通ろうが見つかる度合いはたいして変わらないだろう。だが、今回はギャラリー58の方から入る。犯行現場へ行く以前に映るのと比べれば、わずか1、2分の差とはいえ、逃げる時間を稼ぐことにはなるはずだ。

 問題は盗んだ後、ギャラリー61から出るときだ。おそらくは俺が階段へ到達する前に、警備員が駆けつけるだろう。昨日の朝に起こった事件を考慮すると、展示ケースに触れただけで非常ベルが鳴る。鳴っているのは俺に聞こえないかもしれないが、警備員は動き出す。その間に錠を開けてターゲットを盗むつもりだが、階段の前を押さえられてしまったら逃げられない。上へ行くにしろ下へ行くにしろ、階段へのアクセス・ポイントがエレヴェーター前に集中してしまっているのだ。これが一つ下の階なら、二つに分散しているのだが。

 しかし、渡り廊下を通るよりは、ギャラリー60、59、57を通り抜ける方がいいだろう。通路が狭いと捕まりやすいが、広いとすれ違いで逃げられるかもしれない。できればフットボールのように前を走るリード・ブロッカーが欲しいところだが、あいにく協力者はガラス窓に穴を開けるだけで満足している。もしかしたら、このフロアの非常ベルが鳴らない仕掛けまで施してくれているかもしれないが、あまり期待しない方がいいだろう。

 後は、巡回がいつ来るか。終わったばかりかもしれないし、今から来るのかもしれない。上の階から始めて下へ降りていく順路かもしれないし、下から順に見て上がるのかもしれない。そこまで下調べができないのは仕方ないとしても、今、このフロアに警備員がいると鉢合わせしてしまうので、しばらく様子を見る。3分ほど待って、その間全く人の気配がしないのを確かめてから、ギャラリー58へ行く。そして身をかがめながら渡り廊下を進む。下のフロアから見ているかどうかは知らないが、俺の方から見えたら向こうからも見えるに決まっているので、余計なことはしない。

 ギャラリー61に入ると、もうもたもたしてはいられない。警備員は監視カメラの映像をじっと見ているわけではないだろうが、何かの拍子に気付くかもしれない。あるいは映像の変化を自動で検知するシステムがあるかもしれない。足音を忍ばせながらも、素早く部屋の中央へと進む。目玉の展示品は、展示室の中央に置くに決まっているからだ。そうすれば四方から見ることができて、多くの見学客の目に触れさせることができるというものだ。

 非常灯の明かりで、展示ケースの中にあるゴッドストウ・キーがうっすらと輝いているのが見える。錠は? ケースの側面についていた。やはりというか、チューブラー・ピンタンブラー錠だった。これならあっという間だ。だが、触れた途端に非常通報が警備室へ届くのは間違いない。一応覚悟はできているが、万一、ゴッドストウ・キーがターゲットでなかったら最悪だな。

 チューブラー・ピンタンブラー錠は環状の刻みの中にピンが六つか七つくらい埋め込んであって、これをそれぞれ適切な深さまで押し込んでから回せば開く。押し込んだピンがバネの力で戻らないように環状の部品を押さえておく必要があるが、これは普通のピッキングに使うテンションではできない。もっとも、錠がこれだとは予想していたので、押さえるための道具を針金で作ってきた。押さえることさえできれば、ピックでピンを押して正しい深さを探り当てるのは訳ないことなので……20秒もかからずに、開いてしまった。後はケースを開けるだけだ。

 非常ベルは聞こえない。が、警備室では鳴っているに違いない。ケースの扉を開け、ゴッドストウ・キーを取り出し、腕時計にかざす。途端に、周りで幕が下りる気配がする。久々だが、ほとんど暗闇の中なんで、あまり気持ち悪くなかったな。裁定者アービター13番の声が聞こえてきた。

「アーティー・ナイトがターゲットを獲得しました。ゲートの位置を案内します。ゲートは、ゴッドストウ・ロック・コテージです」

 何? 今、何と言った? ゴッドストウ・ロック・コテージと聞こえたが……

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