#3:第6日 (2) ダッシュ&奪取

「現時点から24時間以内に、ゲートを通ってステージを退出してください。退出の際、ターゲットを確保している場合は宣言してください」

「待て、ゲートの位置をもう一度だ。ゴッドストウ・ロック・コテージと言ったか? ゴッドストウ・ロックってのは何だ?」

「固有名詞です。これ以上の説明はありません」

 まるで、それを知っているのが当然であるような言い方だった。

「地名か? ゴッドストウ修道院遺跡ってのがあったが、その近くにあるのか?」

「お答えできません」

「なんだそりゃあ……まさか、ゲートを探すのもこのステージの仕様か?」

「そう考えていただいて結構です。獲得の確認のための規定の時間が経過しました。ステージを再開します」

 裁定者アービターの声が消え、周りが少し明るくなる。非常口を示すライトの明かりだが、その中で耳を澄ます。足音はまだ聞こえない。だからといって、警備員が来ていないとは限らない。渡り廊下の方が階段へ近いのは解っているが、予定どおりギャラリー60へ入る。いきなり灯りが点いた。眩しい。しかし、これでは隠れられない。もっとも、そのために点けたのだろうが。ギャラリー59に入ると、向こうから警備員が来るのが見えた。いや、早過ぎるだろ。もしかして、渡り廊下を通った時点で気付かれてた? しかし、来るのは一人だ。かわせるかもしれない。数あるコンヴァート歴の中で、ランニングバックだけは一番経験が短いんで、カットバックはあまりうまくないんだが。ギャラリー57の中で、警備員と対峙する。

動くなドン・ムーヴ!」

 いやだ、動く。前へ行くと見せかけて下がる。警備員が踏み込んできた。そこで左へ動く。警備員も付いてくる。飛びかかってきた瞬間、素早く右へスピンでかわす。警備員がバランスを崩す。慌ててこちらへ手を伸ばしてきたところで、その手をつかんで引く。警備員がつんのめって転倒する。フットボールなら不正な手の使用イリーガル・ユース・オヴ・ハンドの反則を取られるところだが、ここでホイッスルが鳴ることはないので素早くギャラリーを駆け出る。すると、階段の前にもう一人警備員がいた。たぶん、渡り廊下の方へ行ったのに、引き返してきたんだろう。ギャラリー57の吹き抜け側はガラスで、渡り廊下から丸見えだし。さて、今度はどうやってかわす?

動くなドン・ムーヴ!」

 だから、動くって。さっき倒した警備員が後ろから追ってくるだろうから、いつまでもお見合いしているわけにはいかない。右手側、上への階段は奥。手前は下への階段だ。強行突破で階段を降りるふりをして、右へ行く。警備員が進路を塞ごうとする。そこで左へカットする。警備員が階段で足を踏み外してあっと叫ぶ。革靴がリノリウムの床で滑ったのだろう。その隙に左脇をすり抜けて、階段を二段飛ばしで駆け上がる。もう一人いたらかわせないところだった。二人でよかった。

 レストランへ駆け込んでキッチンを通り抜け、ガラス扉を押し開けて屋上ルーフ・トップテラスに出た。相変わらず外は雨だ。鞄を回収し、芝生から屋根に飛び上がり、屋根の上を全力疾走する。靴の上に登山靴下を穿いているおかげで、滑らないのは計算のうちだ。後ろから警備員が追いかけてくる声が聞こえるが、彼らは革靴だろうから、屋根の上は走れないだろう。これも計算のうちだ。結局、警備員を30ヤード以上置き去りにして、エンド・ゾーンならぬサックラー図書館の中に飛び込む。タッチダウン!

「ごはっ!」

 頭の中に閃光が走った。情けないうめき声をあげながら、床の上に倒れ込んだ。首の後ろに強烈な当て身を喰らわされたようだ。ターゲットを獲得した以上、どこかで競争者コンテスタントに襲われるだろうとは思っていたが、まさかこんなところでやられるとは思わなかった。

 意識が飛ぶことはなかったが、あまりの激痛に身動きすることもできない。フットボールでプロテクター越しに喰らうタックルとは違って、急所にピンポイントだから痛さは比べものにならない。オレンジ・ボウルでミシガン大学のDTビル・ジョンソンのサックを喰らった時よりもひどい。もっとも、相手に必要以上の乱暴を働くことはルール違反だから、これでも手加減してくれたのだろう。まさに絶妙な力加減……ということになるのか?

 いや、そんなことを感心してる場合じゃない。が、身体が動かないからどうすることもできない。そして俺に乱暴行為を働いた奴は、俺が左手に握っていたゴッドストウ・キーを奪い取ろうとする。できる限り左手に力を込めようとしたが、今度は左手首に激痛が走った。

「あおうっ!」

 またしても情けない声をあげてしまう。そして反射的に左手の力が抜けた。どうやら手首を思いっきり踏んづけられたようだ。これがフットボールならレイト・ヒットだぜ。15ヤード罰退だ。だが、為す術もなくゴッドストウ・キーが奪われたことだけが判った。ボール・デッド後のファンブルをリカヴァーするんじゃねえって!

 そして足音が階段を降りていく。もう1分ほどすると、ようやく身体が動くようになってきた。身を起こすと、窓を叩く音が聞こえてきた。警備員がようやく追いついてきたのだ。だが、窓は閉まっていた。気が付かなかったが、どうやらさっきの襲撃者が閉めてくれたらしい。俺が捕まらないようにしてくれた、というよりは、自分が追いかけられるのを避けようとしたんだろうな。

 手近にあった椅子を支えにして立ち上がり、靴の上に被せてあった靴下を脱ぎ捨て、窓を叩き続ける警備員を横目に見ながら、階段を降りる。まだ頭がくらくらする。さっきの襲撃者がフットボール競技者プレイヤーになってりゃ、ハイズマン賞の候補くらいにはなったかもな。階段を降りきって、サックラー図書館の外に出る頃には、普通に動けるくらいに痛みが引いてきた。正面玄関の扉は開いていた。こちらは閉めていかなかったらしい。行儀の悪い襲撃者だ。

 さて、ターゲットは奪われたが、取り返すためにもゲートへ向かわなければならない。だが、ゴッドストウ・ロックとは何だ? ゴッドストウのキーと対になるロックのことかもしれないが、ゴッドストウ・キーは単なる飾りであって、本物のキーではないはずだ。だからそれに合うロックなどあるわけがない。

 何が何だか判らないが、とりあえずゴッドストウの集落へ向かった方がよさそうだ。集落ハムレットがあって、ロードがあって、ブリッジがあって、修道院アベイがあるのなら、ロックだってそこにあってもおかしくない。

 図書館の裏手のピュージー小路プレイスへ行く。あらかじめ、そこに自転車を停めておいた。どこがゲートになるか判らないから、素早く移動するために用意しておいたが、まさか追いかけるのに使うとはな。ただし、正式にレンタルしたのではなくて、無断だ。盗むわけじゃなくて、オックスフォードのどこかに乗り捨てるだけだから許してもらおう。自転車のハンドルに引っ掛けておいた水泳用ゴーグルを装着する。これも夕方に買っておいた。雨の中でどれくらい役に立つのか判らないが、裸眼よりはましだろう。

 北へ向かって走り出し、セント・ジョンストリートからウェリントン広場スクエアを抜けて東に折れ、リトル・クラレンドンストリートへ。そしてウッドストック通りロードに入って北へひた走る。ここから先は昼間走ったので憶えている。ただし、雨がかなり降っている上に車通りが少なくて道が暗いので、全力で走ることができない。

 そもそも、ゲートがこちらの方向で合っているかどうかの自信もない。俺を襲った競争者コンテスタントと同じ方向に向かっているのかも定かでない。何しろ、ゴッドストウ・ロックが何だか判っていないんだから。もし間違っていたら? その時は、敗者ルーザーになる。ただそれだけだ、という気がしないでもないが、勝者になる可能性が残されているのに諦めるのはよくない。たった一度だが、オレンジ・ボウルで第4クォーターから3TD差を大逆転したQBなんだから。

 ウルヴァーコート・ラウンドアバウトにようやく到着した。ここで左へ折れて、ゴッドストウ通りロードを行く。ラウンドアバウトの途中の道路脇に、車が1台停まっている。タクシーだ。俺もタクシーを使いたかったが、真夜中にタクシーを拾えるかどうかがよく判らなかったので使わなかったのだが……いや、待てよ。

「ヘイ、おはようグッド・モーニング! ちょっと訊きたいことがある」

 自転車を停め、タクシーの窓をノックして運転手に話しかけた。40歳くらいの、正直そうな男だ。驚いたような顔で俺のことを見ながらも、窓を少し開けてくれた。自転車に乗っている人間が、タクシーに何の用だと思っているのに違いない。

「もしかして、ザ・ランドルフからここまで客を乗せてきたんじゃないか?」

「ああ、そうだよ」

 やっぱりそうか! ホテルなら、真夜中だってタクシーを呼んでもらえるのは当たり前じゃないか。しかもザ・ランドルフなら博物館の目の前だし、屋上ルーフ・トップテラスの窓を狙撃した奴はそこに泊まっていたんだろうから、窓に穴を開けた後で俺が博物館に忍び込むのを見てホテルをチェック・アウトし、その時にタクシーを呼ぶよう頼み、少し用があるからタクシーは待たせておけとか言っておいて、サックラー図書館に忍び込んで俺が戻ってくるのを待ち受けていたわけだ。そして俺からゴッドストウ・キーを奪い取り、ホテルへ戻って、待たせてあったタクシーに乗ってここまでやって来た、ということなのだろう。しかし、まだ判らないことがある。

「どうしてこんなところに停まってるんだ?」

 言いながらジーンズのポケットから財布を取り出し、中の紙幣を1枚取り出して運転手に渡した。情報を聞き出すためのチップのつもりだったが、50ポンド紙幣だったのにはびっくりした。運転手も驚いている。10ポンドくらいで充分だろうと思っていたのだが、今さら引っ込めるわけにもいかない。まあ、俺の金じゃないからどうだっていいが。

「俺もよく解らんのだが、ここまで来たら急にエンジンがストールしてよ。何度エンジンをかけ直しても動かなくなっちまったんで、客を降ろして携帯電話モバイルフォンでロード・サービスを頼んだんだが、10分経ってもまだ来ないんで困ってたところさ」

 なるほど、これで昼間の疑問が一つだけ解けた。競争者コンテスタントが車に乗っていると、“壁”の近くでは通行できなくなる場合があるということだ。この世界を作った奴は“壁”を突破させないための仕掛けをちゃんと作っているってことか。おっと、こんなことで感心している場合じゃなかった

「客はどうしたんだ?」

「仕方ないからここから歩くって言って、行っちまったよ。雨ん中を傘差してな」

「どこへ? どこまで乗せる予定だった?」

「トラウト・インだ。急いでくれって言われたが、俺はどんな時でも制限速度を守ることにしてるから急がなかったがね。まあ、どうせトラウト・インなら近いから倍のスピードを出したって時間はたいして違わないしよ」

 トラウト・インか。どうやらゲートがあの辺りにあるだろうという俺の勘は当たっていたようだ。ま、ゴッドストウという名前からして誰でも考えつくことだがな。

「あともう一つ。客はとんでもない美女だったんじゃないか?」

「ああ、そうそう。大きな帽子を被っていてよく見えなかったが、ありゃあ飛び抜けて美しかったね。ケイト・ウィンスレットよりもっと綺麗だった」

 ケイト・ウィンスレットはよく判らないが、乗せてきた客は誰だか判った。やっぱりアンナだったか!

「ありがとう。ところで、そろそろエンジンがかかるんじゃないか?」

 怪訝な顔をする運転手を尻目に、再び自転車で走り出した。後ろで車のエンジン音が聞こえ、ライトで後ろから照らされるのが判った。やっぱりさっき考えたとおりだったようだな。アンナが下りたら、車が動けるようになるということだ。

 さて、これからアンナに追いつかなければならない。タクシーの運転手は10分ほど前にここに着いたというようなことを言っていたが、俺が色々と質問をしている間に経った時間も入れると、アンナは今から15分ほど前に歩いて行ったと考えられる。トラウト・インまではここから1マイルと少しだったはずだから、この自転車だと7、8分、いや暗くて道が狭いから10分くらいかかるかもしれない。対してアンナは徒歩だから25分ほどだろうか。15分の時間差を詰められるかどうかは微妙なところだ。とにかく、急ぐしかない。

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