ステージ#3:第3日

#3:第3日 (1) 深夜の図書館

  第3日-2010年6月20日(日)


 夜中の2時過ぎに起きた。昨夜、パブで受けたサラの動力学講義は頭が疲れて大変だったが、寝過ごさずによかった。これからサックラー図書館へ偵察に行く。もちろん、アッシュモレアン博物館への侵入経路があるか確認するためだ。

 それには当然大学寮を出なければならないのだが、一つだけ困ったことがある。寮には門限があり、11時に門が閉まってしまう。鍵を三つも渡されたが、当然のことながら門の鍵はもらっていない。もちろん、門の錠というのは内側からは簡単に開くので、外へ出るのは容易なのだが、何かのはずみに守衛が見回りに来て、錠を閉めてしまったら、俺は閉め出しを喰らうことになる。あるいは、宿泊客が錠を勝手に開けたことが問題になり、寮を追い出されるかもしれない。

 つまり、こんな時間に寮の外へ出るのは、後で路頭に迷う危険性があるということだ。もちろん、探せば他のホテルが見つかるだろう。たとえ料金が高かろうとも払えるはずなので心配はしていない。しかし、最終的な盗み以外のところで失敗の実績を作るのはあまりうれしくない。

 にもかかわらず、やはり行くことにする。寮の建物を出て、中庭を突っ切る。いくつかの部屋に、灯りが点いている。門限はあっても、消灯時間はない。学生は部屋で何をしているのだろうと思う。門のポーターズ・ロッジに守衛はいなかった。一応、それは知っていた。錠と閂を外し、扉をそっと開けて、外に出る。見つからないことを祈る。

 朝と同じ道を通って、アッシュモレアン博物館の前まで行く。こんな夜中でも車は通っている。歩いている人もいる。ただ、夜歩きは慣れているので、おどおどしたりはしない。たとえ警官に見られたとしても。

 ボーモントストリートからセント・ジョンストリートへ入ると、少し暗くなる。通りの向かい側は民家なので、人目が気になる。もう少し先の裏通りへ入ると気にならないと思うが――だから昨日の泥棒も同じ手を使ったのだろうが――、窓から入ることになるので、ガラス切りを持っていないと無理だ。俺は解錠道具ピックしか持ってない。

 しかし、昼間来たときに、オーソドックスなエール錠であることは確認済みなので、手早くやればそんなに時間はかからない。せいぜい15秒だろう。ただ、今後のことも考えて、後ろ手の解錠に挑戦する。この方が解錠をしているとバレにくいし、見られたときに逃げやすい。扉に背中を向けて立ち、ピックを手に持って鍵穴の位置を探る。向かい側の家に明かりがないことを確認し、ボーモントストリートの人通りが絶えた瞬間を狙って、解錠を開始する。ピッキングとは指の感覚だけで開けるものだ……12秒で開いた。図書館は博物館と違ってそれほど高価な収蔵品がないだけに、セキュリティーも甘めだ。しかし、未来には電子錠にすることをお薦めする。

 もう一度、人目がないことを確認してから、音もなく扉を開けて中に滑り込む。ホールに昼間追い返された受付があるが、もちろん今は誰もいない。遠慮なく通り抜けて通路を行くと、大きな円形のホールに出た。所々に非常灯があり、目は既に暗がりに慣れているので、ホールの中が意外なほど明るく見える。

 中央に書架、周りの窓際に閲覧席がある。階段は北側と南側の2ヶ所。博物館の屋根に出られそうなのは南側なので、そちらの階段を上る。足音を忍ばせていても、広い館内に響き渡りそうな気がする。最上階まで上がり、閲覧席の窓から外を覗く。思ったとおり、屋根に降りられそうなところがあった。すぐ下にある別棟の屋根だ。そして予想どおり、屋根伝いに博物館の方へ行けそうな感じがする。もちろん、途中に多少のアップ&ダウンがあると思うけれど。

 窓自体は縦長の内開き式。高層ビルなどによくある、ハンドルを回してラッチを外し、手前に引いて開けるタイプだ。確か、カムラッチ・ハンドル式というはず。横開きで、幅は俺の身体がぎりぎり通り抜けられそうなくらい。ただ、全開にならないと通れないだろう。落下防止のために、45度くらいの角度までしか開かないものもあるからな。

 とりあえず、開けてみよう、と思ってハンドルを回そうとしたら、何と既にハンドルが横になっている。ラッチが外れているということだ。しかも、窓がわずかに開いている。さて、これは一体どういうことだ?

 考えられることはいくつかある。第一に、昼間、この席を使っていた誰かが閉め忘れた。窓を開け閉めするたびにラッチを捻るのは効率が悪いので、閉めてもラッチを外したままにしておく、というのはよくある。その後、閉館時の戸締まりのときに、うっかり見落とすということもあるだろう。ただ、それが屋根に降りるのに一番手頃な窓となるとどうか。

 つまり第二として、今夜、誰かが俺より先にこの窓から博物館の方へ行った。外からラッチを閉められないから、窓だけ閉めておいたのでこうなっている。単に俺が疑り深いだけかもしれないが、一度こういう考えが頭に浮かぶと、今夜はやめておいた方がいいんじゃないかという気分になる。

 ただ、本当に屋根へ降りられるかどうかだけは試しておきたい。指紋が残らないよう、ハンカチを手に持って窓を大きく開く。気になるような音はしなかった。全開ではないが、80度近く開いたので、どうやら通れそうだ。下に見える屋根との高さの差は1フィートもない。

 とりあえず、外へ出てみる。風が弱く吹いている。月は上弦だったから、とっくの昔に西の地平線下へ沈んでいて、辺りは真っ暗だ。それでも直下の地面は微かに見えた。屋根の高さは、45フィートもないくらいだな。高所恐怖症ではないが、さすがにこんな暗さでこんな高い場所に立つとちょっとは足がすくむ。だが、歩けなくなるほどではない。

 試しに、最初に段差があるところまで歩いてみる。屋根の傾斜に気を付けて、といってもそんなに急斜面ではないが、足を滑らせないようしないといけない。段差があるところまで、つまり隣の建物との境目まで、苦もなくたどり着くことができた。段差といってもこれも1フィートほどで、それを越えてあと10ヤードほど進むと、博物館の屋上ルーフ・トップテラスにたどり着くはずだ。そしてそこには4フィート半ほどの段差があるはずで、屋根からテラスに飛び降りることになる。そこまで行ってみるか? いや……

 やはり、今夜はここで引き上げるべきだという気がする。きっと、先に誰かが行っているだろう。そいつと鉢合わせするのはごめんだ。それにどこからかの視線を感じる。こんな屋根の上を、どこから誰が観察しているのか知らないが、とにかく感じる。

 俺は自分でも勘が良くない方だと思っている。むしろ悪い方だ。ゲーム中に勘に頼ってパスを投げたら、たいていインターセプトされる。さんざん練習したフットボールですらこれなのだから、慣れない泥棒で勘に頼ったら絶対失敗するだろう。この場合は、「たぶん大丈夫だろう」「そんな運が悪いことにならないだろう」という方向の勘だ。正常性ノーマルシーバイアスとも言うよな。外れたら致命傷になる。やめて引き返すなら傷にはならない。だから、回れ右をして、元のサックラー博物館まで戻る。中へ入り、窓を閉めた。正確には、元通り少しだけ開けた状態にしておいた。もちろん、ハンドルラッチもそのままだ。

 それから階段を降り、ついでなので各階で別の棟へ行く通路がないかを調べてみたが、洗面所があるだけで、隣の建物とはつながっていなかった。1階まで降りて、出口の扉の前で外の様子を慎重に窺う。扉には窓も覗き穴もなく、外が全く見えないので、出た瞬間を人に見られる危険がある。付近に全くの静寂が続いていることを確認してから、入ってきたときと同じように音もなく扉を開けて、外へ滑り出た。扉に錠を掛け、もう一度辺りの様子を窺ってから、慎重に帰途についた。

 寮に戻ると、門は開いていた。所要時間は1時間ほどだった。

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