#3:第2日 (3) オックスフォード名所巡り

 1時頃に博物館に行ったが、昨日の3階の状況があまり変わっていない。ギャラリー40には入れるようになったが、41には入れない。35から41への入り口は幕が張ってあって覗くこともできない。40から41への入り口も同様。昨日は入り口から覗けばアルフレッド・ジュエルのガラス・ケースを遠くに見ることはできたのだが、今日はそれすら無理になっている。いつから見られるようになるか、幕のところに立っている警備員に聞いてみたが「知りません」と冷たく言われた。イングランドの博物館でイングランドの展示品が見られないのでは悲しいことだが、事件があったのだから仕方ない。

 さて、今日の明け方にここで一体何があったのだろう? 考えられることの一つは、泥棒が入ったということだ。例えば、競争者コンテスタントの一人がギャラリー41内の展示物を盗むために侵入し、警報装置に引っかかるか警備員に見つかるかして、非常ベルが鳴った、とか。もしそうなら、ずいぶんと気が早い。クリエイターから注意されるぞ。俺ですら、3日目くらいまでは情報収集に徹しようと思っているのに。

 実際に何が起こったのかは今日の夕刊を見れば判るかもしれない。ただ、どんなことが起こったにせよ、俺や他の競争者コンテスタンツにとってはずいぶんと迷惑な状況だ。昨日の夕方の件ですら警備が厳しくなるのを心配していたのに、本当に泥棒なら本格的に警備が強化されてしまう。アルフレッド・ジュエルの展示ケースにどんな錠が使われていたかだけはかろうじて憶えている。チューブラー・ピンタンブラー錠だったはずだ。展示位置に近付くまでのギャラリー41内の監視カメラの位置がどうだったかとかは、全く憶えていない。今できることは、その他のギャラリーや廊下、階段などについて調べておくことくらいだな。

 早速、実行しよう。ギャラリー41とその周辺に限らず、全てのフロア、全てのギャラリーを調べるのがいいだろう。もしかしたら、すごく複雑なルートを取ることで、ギャラリー41へ到達するまでに全く監視カメラに映らない経路とかがあるかもしれない。ここはゲームの世界なんだから、現実世界とは違ってそういう妙な状況を作り出していたっておかしくないじゃないか。

 そう思ってまずは3階から調べ始めたのだが、なかなかどうしてそれは甘い考えであることがすぐに判った。ギャラリー間をつなぐ出入り口は、全て監視カメラで見張られているのだった。カメラが付いていないのは階段と渡り廊下くらい。手洗いにも一応付いていた。婦人用はどうだか知らないが。もちろん、警備員が夜中もそれを見続けているかどうかは判らない。灯りを消していれば赤外線カメラでないと見えないかもしれない。あるいはカメラと連動した動体検知をしているかどうかとか。監視の度合いを調べるには、不審な動きをしてみるのが一番だと聞いたことがあるが、さすがにやめておいた方がいいだろう。とにかく、調べたことはフロア・ガイドの地図内に書き込んでおく。

 そうして博物館内を歩き回っているうちに、妙なことに気が付いた。俺と同じようなことをしている奴らがいる。はっきりと判ったのは二人だが、そのうちの一人は昨日カフェで見かけたフランス人らしき男だ。悲しいことに、彼は監視カメラをチェックしているということがあからさますぎる。ギャラリーに入ってきて、まず天井の隅を眺めるのはやめた方がいいと思った。展示物を見ながら、さりげなく監視カメラの位置をチェックしないと。フロア・ガイドに書き込むときも、展示物を見ながらするか、あるいは階段とかの人目に付かないところでしないと。実は監視カメラを作っている会社の調査員だった、というのなら、疑って申し訳ないといったところだが。

 もう一人は昨日見かけなかった東洋系の男。おそらく日本人だろうと思うのだが、はっきりとは判らない。サングラスをかけているから。しかし、博物館でサングラスをかけたまま見て回るというのは不自然だろう。変装のつもりか、あるいは視線を悟られないようにするかの、どちらかにしか見えない。それと、日本人ならギャラリー38にある日本関係の展示品に興味を示してもいいはずなのに、そちらの方はおざなりに見るだけで、吹き抜け越しに反対のギャラリー、つまり40と41の方ばかり気にしている。とはいえ、日本人というのは外国の美術館の日本関係の展示品にあまり興味を示さない、という噂を聞いたことがあるので――日本というのは歴史的遺物がたくさんありすぎる国なので、彼らは国内だけでその手のものを見飽きているからということらしいのだが――それだけで疑うのは的外れなのかもしれない。

 その点、かの麗しき匿名アノニマスのアンナは完璧だった。どこから連れて来たのか同年代の女と一緒に現れて、二人で博物館の中を見て回っている。隣の女と何ごとか話をしながら展示品を見て、時々、小脇に抱えたスケッチ・ブックらしき物に何かを書き込んでいる。おそらくそれが、監視カメラに関するメモなのだろう。俺は彼女が競争者コンテスタントであると知っているから気付くだけで、そうでなければ普通の見学客と同じことをしているようにしか見えない。

 もっとも、あまり似合わない感じの黒縁眼鏡をかけているものの、その容姿の美しさは覆うべくもないので、たびたび男から声をかけられている。しかし、俺の時とは違って冷たい表情はせず、むしろ照れて困惑した様子すら見せている。大した演技力だ。俺も一度、わざとらしく階段ですれ違ってみたが、こちらを意識する素振りさえ見せない。おかげで、階段を降りてくる時の彼女の脚線美を堪能することができたが、余計なことをしたかもしれない。

 さて、競争者コンテスタンツと思われる二人の男に声をかけるか否か。アンナは案外素直に競争者コンテスタントであることを肯定してくれたが、普通はどうするものだろう。俺が訊かれたらどうするかというと、“相手に依る”かな。つまり、訊かれたときに「イエス」と答えたくなるような相手なら、こちらから訊きに行ってもいいということになる。であれば、あの二人については「ノー」だ。だから、訊きに行かないことにする。我ながら恣意的な考え方だと思う。

 博物館は一通り見たので、他のところを見に行こう。今、3時過ぎ。サックラー図書館、カーファックス塔、オックスフォード博物館、クライスト・チャーチ大聖堂、ラドクリフ・カメラ、ボドリアン図書館等を見て回ろうとしているが、全部は無理のような気がする。オックスフォード博物館は街と大学の歴史が展示してあるらしいから、本を読むより解りやすいだろうし、優先的に行くことにしようか。最初からそうしておいてもよかったのだが、本屋へ行ったおかげでルイーザと話をすることができたんだから、本を買ったご利益プロフィットはあったと思う。

 そのオックスフォード博物館の前に、近いのでサックラー図書館へ行く。やはりいったん外へ出なければいけなかった。ボーモントストリートを西へ行って、セント・ジョンストリートを少し入ったところに入り口がある。両開きの古めかしい扉を開けて入ると小さな円形のホールがあって、すぐに受付があるが、身分証を見せただけでは入れなかった。気難しそうな受付係が「ボドリアン図書館で登録が必要です」と言う。

 ボドリアン図書館は昨日ちらりと見たラドクリフ・カメラの北にあって、徒歩10分くらいだが、ここを見るためだけにそんな手間はかけられない。しかし、「後で登録してくるから」と言って、フロア・ガイドだけはもらった。他の地図と合わせて見る限り、サックラー図書館の本館は円筒形の4階建てで、その4階の窓から隣の建物の屋根に出ることができると思われる。そしてそのまま屋根を伝っていくと、アッシュモレアン博物館の最上階のテラス・レストランへ出ることができそうに思われる。実際には屋根の高さにも違いがあるだろうし、屋根の上なんかを行くより建物内を移動する方が安全に決まっているのだが、その辺りはもっとよく調べてみないと判らない。

 ようやくオックスフォード博物館へ向かう。ボーモントストリートを西へ戻り、交差点から南のマグダレンストリートへ入る。この道は真っ直ぐ歩いている間にコーンマーケットストリート、セント・オルデーツストリートと名前が変わっていく。そのセント・オルデーツストリートがブルー・ボアーストリートと交わる手前にオックスフォード博物館がある。見かけは重厚で立派な建物だ。

 1階は歴史的展示物で、2階が美術品。歴史は先史時代からチューダー朝まであるが、見るのはもちろんアングロ・サクソンの七王国時代。しかし、歴史はきっちりと押さえられているものの、美術品については特に記載なし。試験に臨むくらいのつもりでしっかり読んでみたのだが、オックスフォードは昔はもっと狭い町で、壁で囲まれており、いくつかゲートがあったというのはなかなか興味深い。これはステージの出口になるゲートのヒントになるかもしれない。その他は本を斜め読みしたのと同程度。

 美術品を上の階へ見に行くと、ジョージ朝、ヴィクトリア朝、エドワード朝あたりに偏っていた。つまり、18世紀以後。ちょっと新しすぎた。もっとも、アングロ・サクソンの時代のことばかり調べようとしているからそう思うだけで、普通の観光客が見て回るには充分面白い展示だろう。それに、何がヒントになるか判らないから、それなりに時間をかけて見なければならないとも思う。

 だいぶ時間を取ったので、きっとボドリアン図書館には間に合わないだろう。しかし、近い順に見ていく。次はカーファックス塔。セント・オルデーツストリートを少し北へ戻る。12世紀に建てられたセント・マーティン教会の西塔で、高さ74フィート。現在は時計塔。99段の螺旋階段を昇ると頂上に立てる。オックスフォード城の土塁よりは格段にいい眺めが楽しめるが、それだけという気がする。同じような高さの塔が周りにいくつか見えるので、この後も同じような眺めを何度か見ることになるに違いない。

 続いてクライスト・チャーチ大聖堂。再びセント・オルデーツストリートを南へ。オックスフォード博物館を優先したために、道順で損をしたかもしれない。左手前方にクライスト・チャーチ大学カレッジのシンボルであるトム・タワーが見えてくる。それを通り過ぎて、クライスト・チャーチの前を通るブロード・ウォーク――昨日通った土の道――に行き当たる前に、小さい門をくぐる。これがブロード・ウォークへの近道ショート・カットになっている。40ヤードくらいは取り返せただろう。そのブロード・ウォークに面している横長の建物はメドウ・ビルディングで、ここに入り口がある。しかし、何と既に閉まっていた。入場は4時15分までだそうだ。4時半まではいけるだろうから30分くらいでさっと見て回ろうと思っていたのに。甚だしい手順間違いを犯したわけだ。

 改めて周辺の建物の営業時間をリーフレットで見てみると、聖マリア教会も5時まで。尖塔に昇れるのだが、今から行っても上まで昇った瞬間降りてこないといけないだろう。日は長い季節なのに、オックスフォードは早仕舞いが多い。

 仕方がないので、聖マリア教会、ラドクリフ・カメラ、そしてボドリアン図書館の外見だけでも望見する。昨日歩いたのと全く同じ道筋をたどり、ハイストリートまで来ると、そこに聖マリア教会。オックスフォードが壁で囲まれていた時代の中心地で、アングロ・サクソン時代に原型となる教会が建てられたそうだから見る価値はある。ただし、現存するのは13世紀の建物のみ。オックスフォード大学群の正式な教会として行事が開催されるらしい。正式名称も"University church"だ。尖塔はもう登れなかったが教会堂の方はまだ開いていたので、少しだけ覗いてみた。もちろん、金細工など置いていない。

 その北にあるラドクリフ・カメラ。もちろん、昨日も見るだけは見た。そして今日も外から見るだけになった。ボドリアン図書館の付属施設なのだが、資格がないと入れない。入るにはオックスフォードの学生になるか、ボドリアン図書館の見学ツアーに参加するかのどちらかだ。ゲートとして適しているかどうかは、アルフレッド大王ザ・グレートとのつながりを調べないと判らない。リーフレットにはそこまで詳しくは書いてないし、どうやって調べたものか。“図書館に入れたら”調べられそうに思うんだがなあ。まあ、どこであってもその気になれば夜中に忍び込むことができるはずだが、建物内部の構造を調べるという点以外には利点がないような気がする。

 隣のボドリアン図書館へ行き、見学ツアーについてリーフレットをもらう。窓口は閉まる直前だったが、利用登録について訊く。宣誓書にサインするか、宣誓文を詠唱するかのいずれかで利用できるようになるらしい。面白そうだから詠唱してみようかと思うが、若い優しそうな女の係員から「月曜日以降にしてくれませんか?」と苦笑いで言われてしまった。それはそうだろう。彼女はもう帰る時間なんだから。

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