#3:第2日 (2) 美女との遭遇

 荘重な造りのホテルの前に立つ。相変わらずこの手の様式は何というのかよく判らないが、たぶんゴシックとか何とかいうのだろう。“ザ・ランドルフ”か。まあ、見るからに高級ホテルだ。気にせず、中に入る。思ったとおり1階にはバーとレストランがあるが、バーはもちろん開いていない。レストランも開いているのは一つだった。幸い、北側の博物館が見えそうだ。

 中に入るとすぐにウェイターが俺を見つけて、席へ案内しようとする。その後ろについて行こうとしたら、とんでもないものを見つけた。はてさて、これはシナリオどおりなのか、それとも運命なのか? 昨日から二度も見かけた、シャンパン・ブロンドのロシア系美女が、窓際で食事を摂っているじゃないか。もちろん、連れは誰もいない。

 先導するウェイターから勝手に離れて美女に近付く。先方は俺の足音を聞きつけたのか、ちらりとこちらの方を見たが、俺の姿が目に入らなかったかのようにまた窓の方に向き直り、紅茶のカップを取り上げて口を付けた。構わずテーブルのところまで行き、軽くテーブルをノックする。美女が改めて俺の方を見る。近くで見るとため息が出るような美形だ。それが無表情であるにもかかわらず。

「昨日、博物館で会った気がするんだが?」

 比較的穏やかに声をかけてみた。美女は微笑みもせず、さりとて無遠慮に話しかけたことに対して不快感を表すでもなく、至って冷静クールに俺の顔を見上げていたが、やがて素っ気ない口ぶりで言った。

「相席はお断りしているわ」

 うん、昨日も博物館のカフェで、同じ台詞で断られたのを憶えてるよ。抑揚までぴったり同じ、綺麗なキングズ・イングリッシュだ。つまり、君も俺を憶えてるんだよな。俺を案内していたウェイターが、後ろに俺がいないことに気付いて、慌ててこちらの方へやって来た。だが、特に口を差し挟むでもなく、困惑しながらも黙って横に立っている。さすがは一流ホテルのウェイターだ。

「食事の邪魔をするつもりはない。後で少し話したいことがある。立ち話でいい。ほんの2、3分だ。了解してもらえないか?」

 美女は俺の問いかけにはすぐに答えず、テーブルの真ん中の大皿からサンドウィッチを一つ、細い指でつまんで取り皿に置いた。それにしてもでかい皿だな。サンドウィッチは1インチ四方くらいにカットした小さなもので、既に半分以上なくなっていると思われるが、まだ10個以上残っている。4人分くらいあったんじゃないのか? こんな中途半端な時間に、よくもこれだけ食べられるものだ。だいたい、クライスト・チャーチの学生寮に泊まってたのなら、そっちで朝食が出てるはずだ。それとも、朝寝して朝食を摂りっぱぐれたからこんなところで食べてるのか。

「プレイハウスの前で、30分後に」

 美女はそれだけ言うと、俺から視線を外して、また窓の外を眺めている。横顔の、顎の先の尖り具合が何とも言えず美しい。プレイハウスというのはこのホテルの西側にあるオックスフォード劇場プレイハウスのことだろう。

「OK、ありがとう」

 食事中の淑女レディーに対してかなり不躾な依頼だったが、断られずに何よりだ。それからウェイターの方を向いて言った。

「申し訳ないが、気が変わった。ここで食事を摂るのはやめる」

「さようで」

 ウェイターはそう言って、手振りで出口を指し示し、先に立って歩き始めた。後ろについて歩きながらウェイターに話しかけた。

「ミネラル・ウォーターの瓶があれば、一つ欲しいんだが」

「ようございますとも。銘柄はブレナムでよろしいでしょうか」

「何でも結構」

炭酸なしスティルがよろしいですか、それとも炭酸入りスパークリング?」

炭酸なしスティルで」

「大瓶と小瓶がございます」

「小瓶というと12オンスくらいだな?」

「さようで」

「じゃあ、それを」

「かしこまりました。フロントレセプションの前でお待ち下さい」

 ウェイターはレストランの入り口まで俺を案内し、一礼してから奥の方へ消えた。フロントレセプションへ行ったが、待つほどもなく先ほどのウェイターが小瓶を携えてやって来た。フロント係デスク・クラークに言って会計を頼む。現金の代わりに例のクレジット・カードを差し出した。まだ一度もこれを使っていなかったので、試してみたかった。昨日、学生寮に泊まるのを予約したときも、現金しか受け付けてもらえなかったし、一体どこで使えるのか疑問だ。

 フロント係デスク・クラークは俺のカードを受け取って普通に処理し、署名サインを求めてきた。書かれている値段がポンドなので、ミネラル・ウォーター1本の値段として妥当なのかはよく判らないが、この世界では金をケチる必要はないので気前よく署名サインする。カードをようやく使えたが、少額過ぎて本当に使ったという気がしない。他にどこで使えるのだろう。ウェイターには現金でチップを払ってホテルを出た。キャンセル料みたいなものだな。

 美女が指定した待ち合わせ場所であるプレイハウスへ向かうが、そこまで行くと博物館からかなり離れてしまい、正面入り口の辺りを見張ることができない。とりあえず西に向かって歩き、美女が座っていたレストランの窓の前を通り過ぎてから、ホテルと隣の建物の間で立ち止まって見張ることにした。ミネラル・ウォーターを飲みながら、20分ばかり立ってみたが、特に大きな動きはなく、観光客が追い返されているばかりだ。警察官は誰も出入りしなかった。

 約束の5分前になったのでプレイハウスの前へ移動する。道の向こう側にあるのはサックラー図書館で、元はアッシュモレアン博物館の建物だったのを、一部割譲して2001年に開館したものということだ。だから建物自体は博物館とつながっている。もっとも、中では壁で隔てられているだろうが、間にドアがあるのかどうかとか、そういうことは全く判らない。博物館への侵入経路として、調べておく必要があるが、今日の午後にしよう。

 10分待っても美女は来ず、20分待ってからようやくやって来た。差し引き15分の遅刻だが、女が男を待たせるのは常識だから特に気にしない。それにしても彼女はまさに人目を引くほどの美しさで、すれ違う男が皆振り返っている。歩いているところを初めて見たが、プロポーションも抜群。背も高く、靴の踵を考慮しても5フィート8インチか9インチはある。胸が大きすぎるほど盛り上がっていて、ウエストが細いせいで余計にその大きさが強調されている。腰回りは適度な大きさで、脚の長さは身体の半分くらいある。服装は逆に地味で、薄青の七分袖ブラウスに、濃紺のタイトスカート。靴は同じく濃紺のパンプスだ。ごく小さな肩掛けバッグを携えている。

 全体的にはどう見てもお忍びインコグニートで旅行に来ている外国のセレブといったところだ。これだけ目立つとお忍びにならないが。セレブは俺のすぐ前まで来ると、お待たせとも言わず、用件があるなら早く言ってというような顔つきで立っている。だからこちらも、来てくれてありがとうなどとは言わず、単刀直入ストレートフォワードに切り出す。

「君も競争者コンテスタントだな?」

ええイエスそうよサータンリー

 間髪を入れず返事が戻ってきた。ということは、彼女も俺が競争者コンテスタントだと気付いていたということだ。まあ、光栄なことだな。昨日から見かけたそれっぽい人間の中で、俺が一番それっぽくなかったはずなのに、彼女には見抜かれたんだとしたら、だが。

「ターゲットはアッシュモレアン博物館にある例の宝石ジュエルと思うかい?」

 俺がそう聞くと、美女はごく小さなため息をつきながら言った。

「まだ他の調査が終わってないから判らないわ」

 冷静だな。俺なんかはアングロ・サクソンの金細工というキーワードから、すっかりアルフレッド・ジュエルがターゲットだと決めてかかってるんだが。

「博物館は午前中臨時休館らしいんだが、なぜか知ってるか?」

「今朝の明け方に非常ベルが鳴ったらしいから、それに関係あるんでしょう」

「ほう。そんな情報をどこで?」

「さっきのホテルで聞いたわ」

 なるほどね。だからあそこにいたのか。どうやら俺よりもずっと色々なことを調べ済みのようだな。ひょっとすると、プロの泥棒かもしれない。クリエイターもこういう有能な人材だけを競争者コンテスタントに選んで、俺みたいな錠を開けるだけが能の素人泥棒は放っておいてくれりゃいいのに。

「ターゲットがあのジュエルだとして、君ならどうやって盗み出す?」

「手の内を明かすようなことは言えないわ」

「他の調査はどれくらい進んでるのかね」

「それも言えないわ」

「クライスト・チャーチの学生寮に泊まっているというのは本当?」

「ええ。でも、来客はお断りしているわ」

 ガードの堅いことで。だが、俺みたいな素人の相手はやってられない、という態度も感じられるな。まあ、何となくそう思うだけだが。

「もういいかしら?」

 美女の方から初めて口を利いてくれた。接見の時間は終わりらしい。

「まだ君の名前を聞いてなかったな」

「まだそんな時じゃないわ」

 美女は無表情にそう言って振り返り、軽いパンプスの踵の音を鳴らしながら去って行った。充分に話はできなかったが、まあいい。本当に聞きたかったのは、彼女が競争者コンテスタントかどうかと、名前だけだ。名前は聞けなかったが、まだしばらくは同じステージにいることだし、そのうちまた会うこともあるだろう。とはいえ、名前がないと不便なので、“アンナ”という仮名を付けておくことにしよう。単に彼女がロシア系に見えるので、俺が読んだことのあるロシア小説『アンナ・カレーニナ』の主人公から取ってみた。あの主人公もすごい美人だったはずだし、匿名アノニマスのアンナだから語呂もいいと思うのだが、いかがであるか。

 それはともかく、博物館には午後から戻るとして、他のところを見に行こう。まずはゲート候補の一つと考えているオックスフォード城から。これはわりあい近いところにある。今いるボーモントストリートを西の端まで歩くとウースター大学カレッジに行き当たるが、そこで南へ折れる。ウースターストリートを250ヤードほど行くと三叉路に行き当たり、東のニュー通りロードの方へ。右手に大きな土塁が見えてくるが、その前を通り過ぎたところで小道に入るとオックスフォード城だ。

 城という言葉から連想するような尖塔はないが、石造りの二階建ての長屋ロー・ハウスの両端に大きな四角い櫓と円筒形の塔がくっついたような形をしている。古い学校の校舎に見えなくもない。元は円環状の城壁だったのだが、その一部のみが残っているということらしい。敷地も狭い。城が建てられたのは1071年で、残念ながらアルフレッド大王ザ・グレートの時代よりも新しく、また直接的な関係もなさそうだ。

 それでも、来たからには中を見ることにする。それには見学ツアーに参加しないといけない。30分おきに出発するが、10時半からのツアーは行ってしまったばかりだったので、次は11時からだ。間が悪かったが、この近くにはさっと行って戻ってこられるような観光場所もないので、待つことにする。時間潰しに、横の土塁に昇ってみた。上に特に何があるでもなく、城の櫓よりも低く、街の景色もそれほどよく見えるわけではないので、俺ならこんな所はゲートには選ばない。

 時間になったので降りて行くと、運の悪いことに団体客と一緒になった。しかも、合衆国からの観光客だ。ただし、中年と老人ばかりで、しかも全員が夫婦での参加だ。まあ、どうせおとなしくくっついて行って、ガイドの話を聞くだけだから気にしないことにする。団体客も俺のことなんて気にしないだろう。専属のガイドは中世風の衣装を着ていて、なかなかユニークだ。さらに、団体客のガイドが一緒に案内することになり、それがアッシュモレアン博物館の学芸員キュレーターであるとのこと。偶然にも程があるが、たぶんシナリオなのだろう。

 この城を建設したのはノルマン人のロバート・ドイリーで、などという歴史講義を聞きながら中を歩く。やけに暗くて狭い。昔の城なんてそんなものかと思っていたが、19世紀からは監獄として使われたらしい。その時に窓を埋めたりしたのかもしれない。狭い部屋に案内され、20人の団体でもいっぱいになるようなところだったが、監獄だった当時はここに30人も詰め込まれていて、などと聞かされる。団体客がオウと大袈裟に嘆く。

 次の部屋に行くと、蝋人形が置いてあった。ジェフリー・オヴ・モンマスで、オックスフォード城内にあったセント・ジョージ大学カレッジの司祭とされる人物らしい。『ブリタニア列王史』の著者で、同書は歴史書ではなく偽書なのだが、アーサー王伝説の元になる伝説がいくつも含まれているらしい。

 続いて櫓に昇る。正確にはセント・ジョージの塔という。高さは80フィートほど、階段は101段だが、老人たちには苦しかったようだ。上からの景色は、土塁から見たものよりも若干良くなった。隣に立っているのはマルメゾン・ホテル。あれも元はオックスフォード城の一部で、しかも監獄の一部であったとのこと。“監獄ホテル”“独房に泊まれる”というのが売りだそうだ。天窓を作ったり、通路の壁をガラスにしたりして、監獄なのに開放感を出しているらしい。そちらの方にも見学ツアーがあるそうなのだが、見ないことにする。ただし、ホテルのレストランで昼食を摂ることにした。他のパブを探すよりも早い。監獄で出るような料理はなかったが、あっても頼むつもりはない。

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