#2:第4日 (4) 告解

 ちょうど約束の時間に聖堂の扉が開かれた。午後7時。扉を開けたのは神父だった。夕方のミサが終わってから1時間経ち、他には誰もいない。

「どうぞ」

 そう言って神父は俺を聖堂の中に招き入れた。俺が中に入ると扉を閉め、また錠を掛ける。こちらへ、と言いながら、俺を聖堂の奥へ案内した。一番奥の、マリア像の左横に、告解室があった。手前の一室に俺が入り、しばらくして奥の一室に神父が入った音が聞こえた。そして神父は小声で祈りの言葉を呟いた後、厳かに言った。

「ご相談があるということでしたので、お伺いしましょう。どうぞお話し下さい」

 キリスト教の神父に告解、つまり懺悔を聞いてもらえるのは、キリスト教徒だけだ。だが、キリスト教徒でなくても、神父さえ了解してくれれば、懺悔の代わりに悩みの相談という形で話を聞いてもらうことができる。フッサールの店を出た後で司祭館へ行き、ミサから戻ってきた神父に相談を頼んで、この時間に会うことにしてもらった。

「聞いていただきたいのは俺の仕事のことでして」

 実際に告解をするときは最初に神父と告白者が祈りの言葉を唱えたり、司祭が聖書の一節を読み上げたりするのだが、今回は相談ということでだいぶ手続きを省略してもらっているようだ。俺としても、珍しく丁寧な言葉で話す。

「最近、仕事をする場所が変りました。そういうことは何度かありましたので問題ないのですが、新しい職場ではやはり最初は慣れないことも多く、戸惑いました。ですが、幸いにして、協力してくれる人が周りに大勢いてくれましたので、大過なく仕事をこなすことができています。特に、協力者の中に、一人とても熱心な方がいまして……女性なのですが、彼女のおかげで非常に助かっています」

 神父は黙って俺の話を聞いている。よく聞いておいて欲しいぜ、ほんとに。

「彼女は非常に魅力的な女性でして、多くの人から好意を持たれているようです。仕事の手際もいいですし、人扱いにも慣れていますし、一緒にいたり、話をしたりしていると、とても心が安らぎます。そのようなわけで、俺は彼女を頼りにするようになりました」

 神父は咳一つしない。まるで向こうの小部屋にいないかのような感じだ。

「しかし、次第に彼女を頼りすぎるようになってしまったのです。他の人でも用が足りるところを、わざわざ彼女に頼んだりするようになりました。無理に用を作ることさえありました。彼女と会うだけでも、不思議な安心感があるのです。毎日のように彼女と会いたいと思い、会えば少しでも長くいたいと思うようになりました。今となっては、その時は心が乱れていたのだろうと思います。ですが、当時は全く気付きませんでした。そして気付かないままに、大きな間違いを犯してしまいました」

 もちろん、俺は自分自身のことを話しているのではない。まあ、聞いている本人は誰のことだかそろそろ判っているだろう。

「職場にある大切な物を、彼女に預けることにしたのです。そうして、その安否を毎日報告してくれるように頼みました。そうすれば、毎日彼女と話をすることができる。それが二人だけの秘密であるというのも魅力的でした。しかし……その大切な物が職場からなくなっていることを、ある男に気付かれてしまいました。それを誰に預けたかについては彼は知らないようでした。しかし、その物が職場からなくなっていることが、既に大きな問題なのです。他の人に知られたら、俺の信頼は失われてしまうのです。そこでようやく、自分が間違いを犯したことに気が付きました。彼は、このことは誰にも言わないから、その物を彼自身に預けるように俺に言いました。俺は迷いました。その物を誰に預けたのか彼が知らないうちに、それを彼女から自分のところに取り戻そうかと思いました。しかし、それには彼女に本当のことを話さなければならないでしょう。そうすれば、彼女の信頼を失ってしまうかもしれない。それもまた恐ろしいことでした。そして、どうすればよいか判らず、思い悩んでいるうちに……」

 俺はそこで言葉を切った。向こうの小部屋に居る神父の様子を窺ったが、息をつく音すら聞こえてこない。さて、ここからはまだ神父が知らない話だ。

「大変なことが起こりました。彼は、その物を彼女が持っていることを、知ってしまったのです。そしてとうとう彼はそれを、無理矢理手に入れてしまいました。つまり彼は、彼女からその物を盗んでしまったのです――今朝のことです」

 ようやく、衣擦れの音がした。神父が居住まいを正したのだろう。今朝までは確かに、ルビーはダニエルの手元に、おそらく彼女の部屋の抽斗か宝石箱の中にあっただろう。ダニエルは朝のミサに行く前にそれを確かめたはずだからだ。おそらくその後、ダニエルがフッサール氏らと朝のミサに行っている間に盗まれたのだろう。そして夕方、俺がダニエルに鎌を掛けた後、彼女が宝石の隠し場所を確かめてみたら、ルビーが消え失せていたことに気付いた。ダニエルはショックのあまり寝込んでしまい、俺はフッサール氏と相談して、神父にルビーの盗難を報告に来た、というわけだ。さて、ここまでは過去の話、これからは未来の話だ。

「俺の間違いは、大いに悔いています。しかし、その大切な物は自分の手に取り戻したいとも考えています。もちろん、それで間違いが取り消されるわけではありません。ですが、俺だけのためではなく、他の皆のためにも取り戻さなければならないのです。幸い、別の協力者が――二人の男なのですが――彼らがそれを取り返そうと言ってくれています。しかし、取り返すには、非合法な手段を用いなければならないかもしれないとも言っています。つまり、彼から盗み返さなければならないとかもしれないと。その場合……」

 俺は再び言葉を切った。神父はきっと、全身を耳にして次の言葉を待っていることだろう。

「神は、彼らの非合法な振る舞いを、許して下さるのでしょうか?」

 そして口を閉じ、神父の言葉を待つ。疲れた。こんな長広舌を振るったのは久しぶりだな。高校でディベートをやって以来じゃないか? あの時はボロ負けだったな。何しろ相手のディーンは弁護士の息子で、口だけはやたらとうまい奴で……まあ、そんなことはどうでもいいが、神父からの言葉はなかなか返ってこなかった。

「たとえどんなに大切な物で、それが非合法な手段で奪われたとしても、同様の手段で取り戻すのはよいことではありません。むしろ、奪われたままにしておかれるのが神のご意志でしょう」

 なるほどね。聖書に曰く、“汝らは仇を愛し、善をなし、何をも求めずして貸せ、さらば、その報は大ならん”ってことか。誰の福音書だった? それはさておき、盗み返すのはよくないって言われてもねえ。誰のせいでこんなことになったのか、そこのところもよく考えてもらいたいんだけど。

「では、相手が善意をもってそれを返してくれるまで待てと?」

「そのとおりです」

「解りました。では、今夜のうちに相手に聞いてみることにしますよ。善意をもって、返してもらえるかを。結果は、明日の朝のミサの前に報告しましょう。もしも返してもらえた場合、彼がそれを盗んだ罪も神にお許しいただけるでしょうか?」

「神が教会の奉仕の務めを通して、あなたや彼に許しと平和を与えて下さいますよう……」

「ありがとうございます。では、これで」

 神父に礼を言うと、告解室を出た。神父はまだ出てこないようだ。聖堂を一直線に通り抜け、扉の錠を勝手に開けると、外へ出た。さて、この後、どうするかなあ。ルビーを盗み返すのはダメだってよ。神父の立場じゃあ、あれが精一杯か。“神の物は神の手に”くらい言ってくれることを期待してたんだがな。ま、とりあえず、神父への報告は済んだ。後はジェシーへの報告だ。こっちの方が、気が重いぜ。


 岬の小道を歩く。まだ陽は落ちていない時刻だが、西の空は茜色に染まり始めていた。今日は長い一日だった。だが、まだやることがたくさん残っている。日付が変わるまで、いや日付が変わっても、やることがある。

 ジェシーはいつものとおり、断崖のところに座って東の海を眺めている。俺がジェシーを見つけた途端、彼女の方でも俺に気付いてこちらを見た。足音を立てないよう、注意深く歩いたはずで、しかも昨日よりももっと遠いところにいるにもかかわらず。ジェシーは立ち上がり、不安そうな表情をしながら、俺が近付くのを待っていた。

 ジェシーの白いブラウスとスカートが夕焼けの茜を吸い込み、海風に金髪がたなびく。黄昏の女神といった風情だ。いつもと同じく、10ヤードほど離れたところで立ち止まる。

こんばんはグッド・イヴニング

 彼女に聞こえるか聞こえないかくらいの声で挨拶をした。俺の態度がいつもと違うので、ジェシーも少し戸惑ったようだ。彼女は目がいいから、俺の表情もいつもと違うことにも気が付いただろう。

「あ……こんばんはボン・ソワール……」

 波の音でほとんど聞こえないくらいの声だった。しばらく待ってみたが、彼女の方から話しかけてくることはなかった。だが、弱々しい視線ではあるものの、昨日までと違って俺の方を真っ直ぐに見てくれている。

「王冠が、いや、ルビーが元に戻りそうだ」

 俺がそう言うと、ジェシーは少しだけ目を見開いた。そして何か言いたそうに口を開いたが、言葉が続かない。彼女の言葉を待った。風はほとんどないが、時折大きな波の音が崖の下から駆け上ってくる。十数秒間待ってから、ようやく彼女の言葉が聞こえてきた。

「どこに……あったの……?」

「まだ見たわけじゃない。だが、持っている奴が誰かは判っている」

「それは、その……」

 また逡巡で言葉が途絶えた。口にするのもつらいだろうから、俺代わりに言ってやる。

「安心しな。ダニエルじゃない」

「そう……よかった……」

 緊張していたジェシーの表情が、少し緩んだ。一昨日からの、彼女の一番の心配事だったのだろう。正確には、今朝までルビーを持っていたのはダニエルなのだが、それはジェシーに言う必要はないことだ。

「ルビーは明日の朝までに聖堂に戻されることになってる」

「えっ、そうなのア・ボン?」

「そこで、ジェシー、君に一つだけ頼みがあるんだ」

「何……?」

 ジェシーはひどく驚いた顔をしている。前もそうだったが、驚いたときの彼女は憂いの表情が薄らぐ。

「明日の朝、俺と一緒にあの聖堂に行って、ルビーを見てほしい。王冠のルビーが君の知っているものに戻っているかどうか、確かめて教えてくれ。頼むプリーズ

「ああ、ええとエ・バン……」

 ジェシーの視線が落ち着きなく辺りを飛び回り始めた。突然、変なことを依頼したものだから、動揺しているようだ。憂愁の影がすっかり吹き飛んでいて、ずいぶんと子供っぽい表情に見えた。いや、まあ、ミドルティーンの子供なんだから、年相応といったところだが。

「その……あなたと二人で?」

「そうだ。君の両親と一緒に行くわけにはいかない。理由を話さないといけなくなるからな。泥棒バーグラーと二人きりは怖いだろうが……」

「ああ、いえノン……そういう意味じゃなくて、その……」

「どうしても君の目が必要なんだ」

「ああ、ええとエ・バン……」

 ジェシーはそのまま考え込んでしまった。そして1分ほど経ってから、ようやくか細い声が返ってきた。

「……解ったわダコール

 了解してくれたのはいいが、やはりまだ警戒されてるんだろうな。まあ、未成年を早朝から親に黙って連れ出す方がおかしいんだが。

「ありがとう。明日の朝は5時半に出る。俺はゲストハウスから北に4分の1クオーターマイル……おっと、400メートルくらい行った林の中で待ってるから、そこまで歩いて来てくれ。他の人に単車モトの音を聞かれたくないんだ」

 ジェシーは黙って小さく頷いた。視線の先が、俺の方を見ているようで見ていない。上の空といった感じの表情だ。

「それから、俺は今夜はゲストハウスにいない。君の父さんには言わずに出掛けるつもりだから、できれば君も気付かないふりをしていてくれると助かる」

 ジェシーはまた小さく頷いた。どうもさっきから心ここにあらずといった体で、本当にちゃんと理解しているのか心配になるくらいだ。

「ありがとう。じゃあ、俺は先にゲストハウスに帰る」

 ジェシーに向かって片手を挙げ、岬の小道を歩き始めた。だが、夜中にはもう一度ここに来て、裁定者アービターと話をするつもりだ。

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