#2:第4日 (3) ダニエルの秘密

 さて、最後にマダムと話したとおり、聖堂の扉が閉まっているのが少し気になる。なので、ちょいと中を覗きに行く。花を単車モトのシートに置いてから、聖堂の横の細い路地まで戻ってきて、鐘楼の下の入口の前に立つ。辺りをさりげなく見回してから、鍵穴にピックを差し込んで掻き回す。昨日開けたばかりなので、鍵を持っているかのようにあっさりと開いてしまう。扉を開けて中に滑り込む。さらに奥に扉の前で、念のために中の様子を窺う。人の気配がないのを確認してから入った。

 目の前に祭壇があり、マリア像が立っている。マリアは王冠を被っていた。王冠は昨日は司祭館に保管されていたはずだが、今日から再度聖堂に展示することになったのだろうか。だとすると、正面の扉が閉まっているのは、用心のためだろうな。ミサか何かの行事の時間以外は、閉め切ることにしたんだろう。

 とはいえ、先日の泥棒だって、俺と同じように鐘楼の入口の錠を開けて入ったのだろうから、正面の扉を閉めるだけでは用心になっていない。昼間なら人目があるからと安心しているのだろうが、現にこうして俺が入り込んでいる。本当に用心するなら昼も見張りを立てる必要があるだろう。しかし、実害がなかったんだから、そこまでしなくてもいいということになったのかもしれない。まあ、あのルビーが本物じゃない限り、盗まれようがないわけだが。

 さて、王冠がマリアの頭の上に無事戻ったのは判ったので、さっさと退散する。しかし、鐘楼の入口まで戻ってくると、何と外から錠を開けようとする音が聞こえてきた。なぜ俺がここに忍び込むと、人が来るんだ? そういう巡り合わせなのか、ステージの仕様なのか。

 それはともかく、見つかるのはまずい。聖堂の中に戻るか、鐘楼への階段を上がるかだが、今回は後者を選ぶことした。足音を忍ばせながら、階段を二段飛ばしに大股で上がる。踊り場の手すりの陰に身を隠して、下の方を覗き込む。錠を開けるのにずいぶんと手間取っているようだが、やがてカチンと音がして、ノブが回り、扉が開いた。そしてスーツ姿の長身の男が入ってきた。黒い髪をポマードで固めていて、垂れ目で、鼻柱が太くて、コールマン髭を生やしている。神父じゃなかった。で、あれは誰だ? 王冠を盗もうとした泥棒がまた来たのだろうか。それにしては身なりがきちんとしているし、神父から何かを頼まれて来たという可能性もあるが……

 男はきょろきょろと辺りを見回してから、奥の扉の方に歩いて行って、聖堂の中に入ったようだ。俺のことには気付かなかったらしい。そいつが錠を閉めなかったのを幸いに、そっと階段を降りると、扉を開けて外に滑り出た。出る時はもっと用心が必要だが、この際仕方ない。

 だが、あの男は一体何者だろう。こそこそした態度といい、錠を開ける手際の悪さといい、どう見ても怪しい人間のように思える。もちろん、他人のことは言えないけど。第一に考えられるのは、あの男がもう一人の競争者コンテスタントではないかということだ。出てくるのを待って、跡を尾けたら正体が判るかもしれない。路地からオルモー通りに出たところで鐘楼の壁にもたれて、誰かと待ち合わせをしているような態度を装う。

 程なく男が出てきた。俺よりよっぽど慎重な出方だ。こちらへ歩いてきたが、素知らぬ顔をしていれば大丈夫だろう。思ったとおり、俺の横を通り過ぎて、オルモー通りを南へ歩いて行った。そっと跡を尾ける。尾行なんて初めてなので、まかれたら諦めよう。シタデル通りへ入り、さらにガンベッタ通りへ。そして男は司祭館の前で立ち止まった。とすると、やはり神父の使いで聖堂へ行ったのだろうか。しかし、スーツだぞ。中へ入ってしまった。誰だか判らなかった。司祭館の前で様子を窺いたいところだが、向かいの服屋の店員に見つかると困る。司祭館に用はないことになっているからな。まずい言い訳をしたものだ。

 仕方なく、司祭館の前を通り過ぎる。その先にユーグの店があるが、開いていない。ふと思い付いて、今朝来たカフェを覗く。あのウェイトレスがいた。手招きすると、窓のところに寄ってきた。

「いらっしゃい。またコーヒー飲みに来てくれたの?」

「ユーグの店はまだ開いてないのか?」

「飲みに来てくれたんでしょう?」

 こういうときだけ愛想よく笑っている。訊くのに飲まなきゃいけないのかよ。まあ、いいや。店に入り、コーヒーを頼む。すぐにウェイトレスがコーヒーを運んできた。

「まだ開いてないわよ。今日も休みじゃないかしら」

「じゃあ、店を覗くのは諦めるよ。ところで、一つ訊きたいんだが」

「何?」

「昨日、警察と話をしたと言ったな」

「ええ」

「どんな男だった?」

「背が高い男よ。髪が黒くて、整髪料で固めてて、目が垂れてて、こんな感じの短い髭を生やしてて……」

 さっきの男だ! つまりメルシエ警視がもう一人の競争者コンテスタントか。やっかいだな。警察官は権力を使って調べることができるから有利だ。しかし、奴はまだ俺のことには気付いていないだろうから、その点は俺の方が有利だろう。気付く前にターゲットを入手しないと。

「その警察の人がどうかしたの?」

「聖堂に入りたくて前でうろうろしてたら、その男に捕まって色々質問されたんだよ。不審人物じゃないってのにさ」

「あら、そうだったの。でも、あの宝石店の近くにいたら、また怪しまれて捕まっちゃうかもよ」

「それはこの店を早く出て行けってこと?」

「そんなことは言ってないわ。この店にいる間は私がかばってあげるから、ゆっくりして行きなさいよ」

 心強いんだかどうなんだか。コーヒーを飲んで、早々に引き上げることにする。そろそろ、心を決めてダニエルのところへ行かなければならない。もう一度司祭館の前を通ったが、中の様子は不明。メルシエ警視が出て行ったかどうかも判らない。

 フッサールへ行くと、ダニエルが笑顔で迎えてくれた。お薦めを訊いて、スズキのポワレにする。既に2時を回っているので、客は少ない。料理は早く出てきたが、だらだらと食べる。俺が想像していることダニエルに言うつもりだが、どういう風に話を持っていくか。鎌を掛けるだけにするつもりだが、言い方を間違えると前回のように失敗する。あの時の反省、というかクリエイターからの指摘に従うなら、ダニエルともう少し仲良くなってからでないと情報が得られないはずなんだよな。どんな話をすれば仲良くなれるだろう。しかし、ゆっくりしてるとメルシエ警視に先を越されるかもしれないし、どうしたものかなあ。やっぱり今日はやめておこうか。

 窓際の席に座って、海を見ながらぼんやりしていると、食べ終えた料理の皿が下げられた。コーヒー・カップはまだ空になっていないが、これはさっきあのカフェで飲んだばかりで喉が渇いていないからだ。考え事のせいで料理の味をほとんど憶えていない。3時15分になったところで、ようやくダニエルが俺の横にやって来た。もう少し早く追い出しに来ると思っていたんだが。

「あの、ランチ・タイムウール・ドゥ・デジュネはもう終わりなので、夕食ディネまで店を閉めたいんですが……」

 他の客は誰もいない。今日は昼にミサがなかったせいで、ダニエルは12時前からずっと店にいただろうし、彼女を目当てとする客たちは2時半頃にはみんな帰ってしまった。3時まで開いているのは判っているので、優柔不断に逡巡しつつ、彼女からこうして話しかけてくれるのを待っていたわけで。

「今日のミサは夕方からだそうだな」

「えっ……あ、はあ……」

 俺が全然関係ない受け答えをしたので、ダニエルは戸惑った表情を見せたが、それでも一応返事をしてくれた。マダムの評価どおり、性格が優しすぎるんだろう。頼まれると断り切れない性格だからか。

「今日も手伝いの予定?」

「ええ、そうですが……」

「毎日2回も大変だな。他の人はそれほど呼ばれていないようだが」

「ええ、その……私が一番聖堂に近いところに住んでいますから」

「だから神父も君に頼みごとをしやすい?」

 聖堂に近いと言ってもどこから測るかにもよる、例えば表の入口から測るか、建物の端から測るか……などという屁理屈を付けたくなるが、少なくとも花屋の方がここよりも近い。そしてマダムは神父の年齢に近い。だから神父はマダムの方がずっと頼みやすいはずだ。ダニエルのような、神父の半分くらいの歳の女には頼みにくい。それが中年の男の心理だ、と思う。

「ええ。前にも言いましたかしら? 神父はこの春から来られて、慣れてらっしゃらないので、色々と不自由されているんです。いえ、今の神父だけでなく、前の神父の時にも私はよく手伝いに出てましたし……」

「そうすると、神父から何か大事なものを預かってほしいと頼まれたら、断れない?」

 ダニエルの表情がこわばった。まあ、彼女の美貌を損ねるほどじゃなかったが。全く、どんな表情をしても美人であることに変わりないなんて、世の他の女性にとってはずいぶん不公平じゃないか?

 まあ、それはどうでもいいとして、神父はダニエルを頼りすぎるほど頼っているらしい。ならば、神父が秘密裏に何かを依頼するならダニエルが適任と思われる。例えば、王冠のルビーを偽物フェイクに取り替えて、本物を隠し持っておいてもらうとか。その点について匂わせてみたのだが、あっさり顔に出たなあ。嘘をついたり隠しごとをしたりするのが無理なタイプなんだろうな。警察の事情聴取はうまく切り抜けたのだろうが、被疑者として厳しく追及されたらすぐにバレてしまうだろう。今のところ彼女は全く疑われていないと思うが、メルシエ警視がそのうち疑うだろうから、そうなる前に何とかしたいのだが。

「あの、あなたが何を言ってらっしゃるのか、私には全然解りません……私、神父からお預かりしているものなんて、ありませんから……」

 いや、だから顔に出てるんだって。何も知らないなら呆気に取られてればいいんだよ。その表情だってきっと美人だろうけどさ。見てみたいくらいだよ。

「そうか、じゃあ、俺の勘違いだろう。失礼した。料理はうまかった。ただ、一つ忠告しておくが、この後、おそらく今日中に、警察が君に会いに来て同じようなことを訊くと思うから、そのつもりで」

 ダニエルは何も言わなかった。テーブルに食事の代金を置いて店を出た。そしてエルキエに入る。ここならフッサールの店がよく見える。ここで夕方のミサが始まるまで粘ろうと思う。ウェイトレスや嫌がるかもしれないが、飲み物を2、3杯頼めば許してくれるだろう。腹がいっぱいで飲めそうにないが。それとも、ヤグルマギクを取ってきてプレゼントするかな。ただ、暇つぶしの材料が何もない。新聞を買ってもフランス語じゃ読めないし。本屋で英語の本を買ってくればよかった。

 しかし、1杯目のオレンジ・ジュースが届いてまもなく、スーツを着た男が――もちろん、メルシエ警視が――フッサールの店の前にやって来て、辺りを見回した後で、入口のドアをノックするのが見えた。まさかこんなに早く来るとは。もしかして、昼の閉店直後を狙っていたのだろうか。

 しばらくして、ドアが開いた。だが、誰も出てこない。メルシエ警視も中へ入れてもらえない。立ち話をしているようだ。5分ほど話をしていたが、やがて乱暴にドアが閉じられて、メルシエ警視はすごすごと退散していった。なかなか面白い光景だった。

 で、奴はここへ何をしに来たのか。もちろん、ダニエルに王冠盗難事件のことを訊きに来たのだろう。今までに一度も来ていないのが不思議なくらいだが、ユーグと神父に的を絞っていたのかもしれない。しかし、それがシロだと判ればダニエルに目を付けるよな。まあ、俺は神父とはまだ話もしていないが。

 だが、さっきの様子ではきっとダニエルと話もできていないだろう。フッサール氏に追い返されたに違いない。どうやって警察官をあんなにあっさりと追い返したのかは判らないが、俺にとっては都合がよかった。もしかして、警察が来るであろうことをダニエルに言っておいたのが功を奏しただろうか。今、ダニエルを刺激されるのは困る。この後、夕方のミサの時のダニエルの態度を観察して、明日改めて出直すつもりだった。ダニエルと仲良くなる方法を考えつつ……というのは悠長すぎるかもしれないが。とにかく、ミサが始まるまではここで待つ。

 ウェイトレスのご機嫌を取りながら、3杯目のオレンジ・ジュースを頼んだ。4時45分を過ぎた。ミサの準備のために、遅くとも4時半くらいまでにはダニエルが出てくると思っていたのだが、どうして出てこないのだろう。裏口があって、そこから出て行ったのだろうか? そんなことはないと思うが、念のために聖堂へ行ってみることにする。歩いて5分もかからない。支払いを済ませてから向かう。

 聖堂の扉はもう開いていて、人が集まり始めている。中に入って、一回りしてみる。途中、祭壇の前でマリア像を見上げる。王冠のルビーが微かにきらめく。入口まで戻りながら、ダニエルの姿を探したが、見当たらなかった。ミサが始まる直前まで、入口の外に立って集まってくる人を見ていたが、ダニエルは来なかった。おかしい。今日は手伝いに来ると、さっき言っていたのに。

 もしかして、俺の言ったことを気に病んで、ミサに来る気をなくしたのだろうか。さすがにあの程度ではそんなことはないと思うが。それとも、メルシエ警視が来たことで、ショックを受けてしまったのだろうか。それはあり得る。奴のせいにするわけではないが、警察に疑いをかけられるのは、正直な人間にとってはかなりの重圧だからな。俺みたいな無神経な人間でも警察の取り調べは嫌なものだ。スピード違反しかしたことがないが。

 とにかく、店へ行ってみよう。大急ぎで戻り、フッサールの前に立った。ドアは閉まっていて、例によって"Ferme"の札が掲げてある。そのドアをノックする。夕食ディナーの開店時間は8時だが、それまで待っているわけにはいかない。誰も出てこないが、根気よくノックする。いざというときは、錠を開けてでも入らないといけないな。5分ほどもノックし続けて、ようやく人が出てきた。フッサール氏だ。昨日は愛想笑いを浮かべていたが、今日は不機嫌そうな顔をしている。

閉店フェルメだ!」

 ドアのガラス越しに、フッサール氏が大声で言った。それから、閉店の札が見えないのか、という手振りをした。

「ダニエルはなぜミサに来ないんだ?」

 俺がそう言うと、フッサール氏が憤怒の表情になった。そんなのお前の知ったことか、という感じだ。

「神父には電話してある! お前に言う必要はない!」

「ダニエルと話がしたい。重要な用件なんだ」

「娘は気分が悪くてやすんでる! 明日にしろ!」

 尋常ではない怒り方だ。まさか、俺がダニエルと駆け落ちしようとしてると思っているわけではないだろう。

「あんたでもいいから話がしたい。とにかくここを開けてくれ」

「俺はお前と話なんかしたくない!」

 フッサール氏は大声でそう言うと、ドアの前から立ち去った。ガラスが震えるほどの大声だった。相当荒れている。これはダニエルが倒れたな。しかし、このまま引き下がるわけにはいかない。靴からピックを取り出すとともに、しゃがんでドアの鍵穴を覗き込んだ。おそらくピンタンブラー錠だ。この近辺ではほとんど見たことがない。鍵穴の上に"FICHET"という刻印がある。フランスの有名なフィシェ社の錠前か。まさかこんな状況で挑戦することになるとは思わなかったな。

 ピックを入れて中を探る。やけにピンが多い。8ピンだ。特注か? 25秒もかかってしまった。ドアを開けて、店の奥に向かって呼びかける。

「ハロー!」

 すぐに、フッサール氏が血相を変えて飛んできた。

「お前、どうやってその扉を!? 出て行け、この野郎コナール!」

 今にも殴りかかりたいのを必死にこらえている様子だ。まあ、殴られることはないだろう。何しろ警察沙汰になったら困るのはフッサール氏の方だろうからな。中に入ってドアを閉める。フッサール氏は険しい表情で俺の方を睨んだままだ。

「これくらいしてでも会いたいほど、重要な用件なんだ。ダニエルを救うことにもなる。とにかく話を聞いてくれ」

「娘を救うだと? 何言ってやがる、お前の話なんぞ聞かん!」

「自己紹介が遅れた。アーサー・パーシヴァル・ナイト。合衆国民だが、あんたの弟子とでもいうべき男だ」

「俺の弟子ディシプルだと? 何のことだ!?」

「もちろん、これのことだ」

 フッサール氏の目の前にピックを差し出し、指の中でくるりと回転させた。

「そいつは……一体どういうことだ? なぜ俺のことを知っている……」

 ようやく解ってもらえた。これで話くらいは聞いてもらえるだろう。

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