ステージ#2:第5日

#2:第5日 (1) 深夜の待ち合わせ

  第5日-1955年5月4日(水)


 午前2時に、5分前。

 一般市民は眠りに入り、泥棒が暗躍する時間帯になった。結局、今回も泥棒行為をする羽目になってしまった。ダニエルに鎌を掛けるあたりまでは、盗みをせずに済むかと思ってたんだが。

 待ち合わせ場所は、聖堂の入口の前。だが、聖堂に入ろうとしているわけではない。目立たない場所として選んだだけだ。もっとも、町は港の前以外どこも真っ暗で、目立たないのはここに限ったわけではない。しかし、聖堂に関係した仕事をするんだから、聖堂の前で待ち合わせるべきだ……と待ち合わせの相手が言ったので従ったまでだ。目標とする家からは少し距離があるが、その家の前で待ち合わせるよりはいい。

 やがて、街路に微かな靴音を響かせながら、人がやって来た。男の足音だ。遠くにある街灯の明かりで、その男のシルエットが見えた。待ち合わせ相手に違いないはずだが、念のために取り決めてあった合図を送る。エステー・デュポンのライターの蓋を3度開けてから、着火する。このライターの蓋は開くときに独特の音がする。この合図のためだけに、煙草も吸わないのにライターを買ってきたのだが、持っていると色々と役立ちそうなので、これからも使うことにしよう。

 男は俺の前で立ち止まった。何も言わずそのまま数分が過ぎたかと思うと、チン、チンという小さな鐘のような音が聞こえてきて、一拍置いてから、さらに高いチンが鳴った。懐中時計のミニッツ・リピーターの音だ。2時1分を意味する。これも合図だ。男は無言のまま歩き始める。俺も遅れてその後に付いていく。いよいよ泥棒行為の始まりだ。狭いクロッシェ通りを抜けて、コメルサン通りへ。街路の両側に4階建ての家屋が並び立つ。ほとんどは真っ暗だが、ところどころ薄く灯りが漏れている家がある。

 暗い石畳の道をしばらく歩き、ガンベッタ通りへ。司祭館の灯りも消えている。その前を通り過ぎて、一軒の家の前に着いた。これが今夜忍び込むところで、もちろんルビーを隠し持っている男が住んでいるところだ。向かい側には、見覚えのあるカフェがある。つまりユーグの宝石店だ。

 小さなディスプレイ・ウィンドウが一つあって、いくつかの宝石――たぶん模造品――が並べられており、その横にガラス窓が付いたスティール製のドアがある。ドアには縦型のハンドルが付いていて、その上と下に錠が一つずつ。店の灯りは当然のことながら消えていて、ドアの前は真っ暗で、鍵穴すら見えないが、"FICHET"のディスクタンブラー錠だということは先刻ご承知だ。俺も開けてみたいが、今回はもう一人の男がやる。そして今夜だけはその男のことを、師匠メートルと呼ぶことになっている。俺の役目は見張りだが、それが必要なほど時間はかからないだろうと思う。

 師匠メートルはドアの前に立つと、上着の内ポケットからピックを取り出し、ハンドルの上の錠からおもむろに開け始めた。鍵穴の中の金属を引っ掻く小さな音が聞こえるだけで、周りからは物音一つ聞こえない。見上げても星が輝いているだけだ。自分で錠を開けているときの時間は短いが、開くのを待っている時間は長く感じる。

 それでも、テンションが回るまでにかかった時間は10秒ほどだった。いや、10秒はいくら何でも早過ぎる。4ディスク? 5ディスク? この時代の錠だから、それほど精巧でもないはずだが、しかし10秒は流石と言うしかない。師匠メートルはすぐさま下の錠に取りかかる。宝石店のことだから、上と下では違う錠をつけているに違いないし、同じくらい時間がかかるだろう。

 途中、師匠メートルが数秒間止まった。だが、俺は余計な心配をせず黙って見張りをするだけだ。案の定、すぐにまた手が動き始める。そして先ほどより少し長めの、15秒ほどでテンションが回った。二つのディスクシリンダー錠を、合計30秒かからずに開けるとはね。しかもこの人、10年以上ブランクがあったはずなんだぜ。

 さて、いくら錠を開けても、中に閂がかかっていたらドアが開かないのだが、それがないのは先日来たときに見た。ただ、ドアベルが付いているのは知っているので、師匠メートルには伝えてある。師匠メートルはそろそろとドアを開け、3インチほど開いたところで手を指し込んで何かしている。おそらく、ドアベルの振り子クラッパーに布を被せて音が鳴らないようにしたのだろう。それから普通にドアを開けたが、思ったとおりドアベルは鳴らなくなっていた。

 師匠メートルは店の中へ入り、俺も後に続く。後ろ手で、下の錠だけを掛けておく。ショー・ケースに宝石が並べられているはずだが、俺たちの目的はそんな物じゃない。師匠メートルが言うには、ユーグという男は大事な物は何でも自分の寝室に置いておく性格だそうだ。寝室へ行くには店の奥のドアを通らなければいけないが、そこにも錠がついていた。タイプは判らないが、おそらく店のドアと同じくディスクタンブラー錠だろう。

 師匠メートルが解錠している間に、持っていたペン・ライトで店の中をさっと一渡り眺めてみた。ショー・ケースの中はほとんど空だった。奴さんザット・フェロー、店の宝石を夜の間は寝室の金庫にしまい込んでいるらしい。なるほど、店の入口の錠がさほど厳重じゃないわけだ。10秒ほど経ったところで、ドアが開く音がした。

 ドアを通って階段を上がる。この辺りの街区は、1階が店舗だと2階がキッチンとダイニング、3階と4階が寝室という構造になっているらしい。黙々と階段を上がり、3階に着いた。ユーグは独り者だから、3階で寝ているだろうというのが師匠メートルの見立てだった。師匠メートルがドアのノブに手をかける。だが、ドアは開かなかった。師匠メートルはここで初めて俺の方を振り返り、ドアを見ろというように目で合図をする。ペン・ライトの光を向けると、鍵穴があった。今夜四つめの錠だ。だが、これは旧式のレヴァータンブラーらしい。こんな錠はないも同然だ。だが……

 だが、おかしい。寝室に至るまでに錠はたくさん開けなければならなかったが、どれもそれほど解錠が難しいものじゃない。加えて、閂が一つもかかっていない。ユーグという男の防犯意識はどうなってるんだ? そんなことをぼんやりと考えているうちに、ドアの錠が開いた。中にユーグが寝ているはずだが、躊躇なく押し入る。師匠メートル懐中電灯フラッシュ・ライトを点け、無造作に部屋の中を照らす。奥にベッドがあるのが見えて、師匠メートルはそこに歩を進めていく。そして寝ている男の顔を照らしながら言った。

「おい、ユーグ、起きろ!」

 そして男の肩を掴んで揺り動かす。ユーグは寝言のような声でうなっていたが、突然飛び起きると、こっちがびっくりするような大声を上げた。

「ひえっ! だ、誰だ!」

「俺だ。フッサールだ」

「フッサールだと? 何だ、何しに来やがった!?」

「判りきったことだ。お前が俺の家から盗んでいったルビーを、返してもらいに来たのさ。どこにあるか、さっさと言いな」

「ルビー? ルビーだと? ……ははは、さあな。何のことだかさっぱり解らんな」

 ユーグは寝ぼけてあっさり白状するかと思ったが、肝心なところでは頭が働いているようだ。しかし、師匠メートルのやり方も荒っぽいなあ。こっそり盗み返すのは癪だから、夜中に行って奴を叩き起こして堂々と返してもらうと言い切っていたが、こんなやり方なら夜中じゃなくてもよかったんじゃないか?

「そうかい。まあ、お前のことだから、どうせこの部屋の金庫の中に入れてあるんだろう。おい、若いのジューヌ、枕元に灯りがあるから、そいつを点けな」

 言われたとおりにベッド・サイドの小さな電灯を点けた。部屋の中が、薄ぼんやりと明るくなる。その時になって初めて、ユーグは俺がいることに気付いたようだ。

「何だ、お前は? おい、フッサール、この男は誰だ!」

 俺の代わりに、師匠メートルが答える。

「神父の代理人さ。お前さんが善意でルビーを返してくれるのを期待してるとよ。俺は立ち会い人として来たんだ。昔のよしみでお前の味方もしてやるよ。さて、金庫はこれだな。相変わらずでかい金庫を使ってやがる。お前は昔から何でも大金庫に入れて安心しちまう奴だったな」

 なるほど暖炉の横には、壁に半分埋まった形で金庫が置いてあった。高さは4フィートくらいか。黒塗りの金属の扉に、コンビネーション・ダイヤルと、鍵穴が見える。いかにもこの時代の金庫らしい金庫だ。これじゃ、金庫を持って出ていくのは不可能だな。師匠メートルはしばらくその金庫を眺めた後で言った。

「はてさて、ユーグ、こりゃ一体どうしたことだろうな。お前がこんな不用心な金庫を使うとは。お前だって泥棒の端くれで、俺の元相棒だ。コンビナシオンだのチャブゴルジュ錠だのはプロフェシオネルにゃ通用しないってことはよく知ってるだろうに」

「へへへ……そう思うんなら、開けてみりゃいいじゃねえか」

 ユーグは気味悪くにやにやと笑っている。おやおや、それじゃあこの金庫の鍵は見かけ以上にピッキングが困難ということなのかな。師匠メートルはじろりとユーグの方を睨みながら言った。

「おい、若いのジューヌ、聞いたかい。この金庫は俺たちが開けていいんだとさ。これはムッシュー・ユーグの善意と受け取っていいと思うんだが、違うかね?」

 師匠メートルが俺のことを“若いのジューヌ”と呼ぶのは符丁ジャーゴンだ。互いに名前で呼び合うのは泥棒らしくないらしい。スパイのコードネームのようなものだな。しかし、いくら何でも“若いのジューヌ”って。呼びやすいってだけで付けないで欲しいんだが。

「そうですね、構わないでしょう。ムッシュー・ユーグ、ありがとうございます。ルビーも返して頂きますんで」

「おい、何言ってやがる! 開けてみろとは言ったが、返すとは……」

「まあまあ、黙って見ていてもらえませんかね、ムッシュー・ユーグ。あなたの善意には本当に感謝しますよ」

 ベッドから立ち上がろうとしたユーグを押しとどめる。軽い力で肩の辺りを押してるだけだが、立ち上がれないはずだ。どこを押せば身体のバランスが悪くなるのかは知り尽くしてるんだよ、フットボーラーなんでね。

「何しろ、マリアの宝石ですから、盗まれたのを盗み返してもマリアは喜ばないだろうって神父もおっしゃってたので、こうしてあなたの善意を頼りに来たんですよ。下手に騒いで警察が来たら、あなただって困るでしょう? 元々付いていたのとは違うルビーを、本物と鑑別したわけですからね。証拠は昔の鑑別証。別の宝石店にあるのを見れば、違いは一目瞭然のはずです。あなたが別の鑑別証を偽造したことだって、よく調べれば判るでしょうね」

「うう……」

 ユーグはようやく大人しくなった。師匠メートルの話だと、師匠メートルが引退した後にもユーグは一人で泥棒を続けていたようだが、こんなに肝が据わっていなくてよく泥棒が続けられたものだ。

「そういうこと。さて、始めるか。若いのジューヌ、お前が神父の代理人だから、まずお前が開けてみな。マリアのご加護があれば開くだろうよ。俺はユーグを見張っててやる。警察に連絡するようなことはないだろうが、飛びかかってこられても邪魔なんでな」

「やってみましょう」

 実際はこの役割は最初から決まっていたものだ。今夜のこの泥棒行為は、本当は俺が一人でやる予定だった。師匠メートルには、ユーグに関する情報をもらうだけにするつもりだった。ユーグが宝石を隠すとしたらどこに隠しているか、金庫を使っているとしたらそれはどんなタイプか、店に忍び込むときには何に気を付けたらいいか、などなど。しかし、そんなことを尋ねているうちに、自分も行くと師匠メートルが言い出したのだ。

「俺はユーグの“親友”だから、夜中に奴の家へ勝手に入っても奴は怒りはしないだろう。俺が弟子を連れて行くのも勝手だ。そこから先はお前に任せるさ。どうだ、これなら泥棒じゃあるまい?」

 何とも妙な言い訳を考え出したものだ。それはさておき、金庫の前に膝をつくと、まずチャブ錠の方に取りかかる。チャブ錠というのはレヴァータンブラー錠の一種で、偽物の鍵やピックで解錠しようとすると、開かなくなるようなジャミング機構――検知装置ディテクターという――が加えられた錠前だ。イングランドのジェレミア・チャブという男が発明したもので、19世紀の最初の頃だったと思うが正確な年は忘れた。

 とにかく古いタイプの錠前で、開け方は知っているし、一度だけ開けたこともある。ただ、最近は全くお目にかからないので、挑戦する機会もない。久々の挑戦になるわけだが、それを人前でやるのはどうもね。しかも元プロの泥棒の目の前でだぜ。失敗したら弟子失格を言い渡されそうだ。

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