#2:第5日 (6) 退出はお早めに!

 ターゲットの確認をするときは、周りに人がいない方がいい、と裁定者アービターは言っていた。サン・トロペの町中で、昼間に人がいない場所といえば聖堂くらいだろう。普段なら昼間も観光客に公開しているのだが、王冠盗難未遂事件があってからは、ミサの時間以外は閉めている。そういうわけで、この日2度目の聖堂への侵入となった。

 マリア像の前に立ち、胸ポケットからルビーを入れた紙包みを取り出す。これでこのルビーがターゲットでなければとんだ骨折り損ウェイスト・オヴ・エフォートだな。紙包みを開けてルビーをつまみ、腕時計にかざした。瞬間、俺の周りに幕が下りてきて、辺りが暗くなり、頭上からスポットライトで照らされる。事前にどうなるかを聞いていたのでさほど驚かなかったが、知っていても気持ちの悪さは変わらない。

「アーティー・ナイトがターゲットを獲得しました。ゲートの位置を案内します。ゲートは、聖アンナ教会シャペル・サン・タンヌです。現時点から24時間以内に、ゲートを通ってステージを退出してください。退出の際、ターゲットを確保している場合は宣言してください」

 裁定者アービター13番の声がする。聖アンナ教会シャペル・サン・タンヌか。それなら確か、初日に旅行会社でもらったリーフレットに観光案内が書いてあった。サン・トロペの市街地のすぐ南にあり、いつ建てられたのだったかは忘れたが、既に使われなくなっている古い教会だったはずだ。しかし、ターゲットがマリアの王冠の宝石クラウン・ジュエルで、出口がマリアの母のアンナの教会だなんて、洒落にしてはよくできている。さすがはゲームの世界だな。

「質問をいいか?」

「どうぞ。ただし、90秒以内です」

 時間制限があるのかよ。フットボールのタイムアウトだな。

「俺がターゲットを確保したことは、他の競争者コンテスタントにも知らせるんだろう? いつ知らせる?」

「現時点以降、裁定者アービターとの通信が可能な状況になり次第、可及的速やかにお知らせします」

「君が伝えるのか?」

「いいえ、担当の裁定者アービターです」

 まあ、そんなことはどうでもいいか。もう少し時間があるな。

聖アンナ教会シャペル・サン・タンヌの、どこにゲートがある? 教会の建物の中に入ればいいのか?」

「はい」

「24時間以内だな? 明日の今頃でも、24時間以内ならいいんだな?」

「はい」

「解った。再開してくれ」

「ステージを再開します」

 幕が上がり、元の聖堂内に戻った。しかし、どうも気持ち悪くていけない。次からは幕が上下する間は目を閉じていることにしようか。

 さて、これからゲートに向かわなければならないが、俺がターゲットのルビーを獲得したことはもう一人の競争者コンテスタント、つまりメルシエ警視にも伝えられるということだから、彼が奪いに来るであろうことに気を付けなければならない。聖アンナ教会シャペル・サン・タンヌまでの正確な距離は忘れたが、1マイルもなかったように思う。走れば5分、ゆっくり歩いても20分はかからないだろう。しかし、このまますぐ退出してしまうと……

 聖堂を出てフッサールの店へ向かう。ちょうど店を閉めようとしているところだった。今日はたぶんダニエルが手伝わなかっただろうから、大忙しだったろう。その分、フッサール夫人が頑張ったのかな。それとも、ダニエルがいないので不入りだったかもしれない。フッサール氏は俺の顔を見て驚き、大慌てで店の中へ俺を連れ込み、ドアの錠を下ろした。

「アーティー、何をしている! 宝石の交換はもう終わったんじゃないのか?」

 きつい口調だが、囁くように小さい声だ。ダニエルに聞こえないようにという配慮だろう。

「もちろん終わった」

「じゃあ、さっさと逃げんか! さっき刑事が来て、アメリカ人の男を捜していると言っておったぞ。お前のことだろう? まさかお前、国際指名手配犯じゃないだろうな」

「いやいやいや、それはない」

 ないよ、たぶん。少なくとも合衆国で逮捕歴はないからな。

「じゃあ、すぐに逃げろ。サント・マキシムでもどこでもいい。何なら、逃げるのを手伝う奴を紹介してやろうか? もう歳で商売をやめたかもしれんが」

「いや、自分で何とかするよ」

「だったらなぜここへ来た?」

 明日の昼までかくまってもらおうと思ったんだが、これじゃ無理だろうな。

「その刑事の情報をもらいに。昨日、ここへ来たのと同じ男?」

「そうだ。今日は食事を摂るつもりで来たと言っておったが、断って追い返したよ」

 やっぱりメルシエ警視か。俺のことを競争者コンテスタントだと気付いたのかもな。はっきり俺の姿を見られたのは一度だけだと思うが、ユーグから何か聞いたのかもしれないし。

「ダニエルには会わせない方がいいよ」

「もちろんだ、会わせるものか。だいたい、あの男は顔が気に入らんし、不当に偉そうな態度も……」

 フッサール氏が口を閉じて振り返った。人の気配を感じたのに違いない。俺も一瞬遅れて感じ取った。引退したとはいえ本職の泥棒と、素人の泥棒とでは、人の気配に対する敏感さがだいぶ違うようだ。俺も相手が守備ディフェンシヴプレイヤーなら察知するのは早いんだが。それにしても、どうしてダニエルは俺がここに来ると気付くんだ?

「ダニエル! 寝てなさいと言っておるのに……」

「でも、ナイトさんにもう一度お礼を言いたくて……」

 ダニエルは朝よりはしっかりした足取りで駆け寄ってきて、フッサール氏を押しのけ、俺の前に立って、愁いを含んだ視線で見上げてきた。そういう目で見つめられると優しく肩を抱き寄せたくなるが、もちろんやめておく。

「あなたは私の恩人です。あなたは私の間違いを正し、人としてあるべき方向へと導いて下さいました。私はこの感謝の気持ちを一生忘れることはありません。どうか今後も共に敬い高め合う伴侶として、末永くここに留まって頂くことはできますでしょうか?」

 これ、お礼の言葉なのかな。愛の告白だと思うんだけど。敬虔なクリスチャンが泥棒に愛の告白をするのはよくないな。そもそも、仮想世界の女から告白されても俺はどうしようもないし。

「君の間違いなんて、些細なことだよ。俺が指摘しなくても、いずれ君自身で気付いただろう。これからは神父だけでなく色々な人の意見を聞いて考えるようにすれば、間違うことはないだろう。そして君の人生の伴侶はこの先に必ず現れるから、それまで研鑽に努めるのがいいと思う」

「私のことが……お嫌いですか?」

「とんでもない。君はとても素晴らしい女性だ。だが、君にとって素晴らしい男性は他にいると思う」

 そういう男はついぞ見かけていないけれども、どこかにいるだろう。

「とても……残念です……」

 ダニエルは悲しげに呟くと身を翻し、部屋を出て行った。フッサール氏の方を見ると、何とも言いがたい表情をしている。娘が失恋するのを見るのはきっと初めてなのだろうが、俺にくれてやろうとは思っていないはずだからな。

「刑事はどの辺りまで探しに来ると思う?」

何だとコワ? 近場で済まそうと思うな。できるだけ遠くへ逃げろ。カンヌかトゥーロン辺りまで行け」

 そんな遠くへは行けないから困ってるんだよ。しかも、明日にはまたこの近くまで戻ってこなきゃならないんだぜ。最初から無理な相談だったよ。

「解った。お勧めに従って、できるだけ遠くへ行くよ。色々世話になった。ありがとう」

「俺からも改めて礼を言うよ。娘の窮地を救ってくれて助かった。だが、娘はやらんからな」

 いや、失意のあまり家出しないように見張ってた方がいいと思うがな。さて、どこへ潜伏しようか。やっぱりあそこの近くかな。別荘がたくさんあるから、空いているところに忍び込めばいいだろう。

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