#2:第5日 (5) ジェシーの手紙

 軽い昼食を摂ってから、港の駐車場で待つ。たくさんのヨットが浮かんでいるのが見える。この町の人の物ではなくて、余所から来る金持ちの物だろう。リゾート地というのはそういうものだ。その点、フォート・ローダーデイルは金持ちが住んでいるところだから、少し事情が違う。いずれにしろ、俺のような庶民にはヨットなんて縁がない。

 町の方に目を戻す。フランスの高校が水曜日は午前中だけ、というのは初めて知った。しかも小学生は休みのようだ。俺は学習がそれほど好きだというわけではないが、フランス人はもっと学習する時間を増やした方がいいんじゃないかと思う。まあ、その他の日の授業が長いのかもしれないが。

 待ち始めて5分、まだ12時20分にもならないのに、見覚えのある車がやって来て、俺の前で止まった。荷台からジェシーが飛び降りる。チェックのスカートがふわりと翻る。亭主メートルが窓から首だけを出して言う。

「それじゃあ、後は任せたからな」

 待て、何のことだ?

「ジェシーから手紙を受け取るだけじゃなかったのか?」

 亭主メートルとジェシーの顔を代わる代わる見ながら言う。ジェシーは何も答えない。思い詰めたような表情をしているのがどうにも気になるが。

「書くには書いたが、やっぱり直接話がしたいとよ」

「じゃあ、話が済むまで待っててくれればいいじゃないか」

 まあ、本当はこちらからも頼みたいことがあって、すぐには終わらないのだが。亭主メートルはふふんと鼻を鳴らしながら言った。

「子供じゃあるまいし、一人でも帰って来られるさ。じゃあな」

 そして車をUターンさせて帰って行った。後には俺とジェシーが取り残された。ジェシーはいつの間にか手紙を取り出して握りしめている。手紙ねえ。フランス語で書かれていたら読めないのだが。

「あの……一つ、教えて欲しいことが……」

「何を?」

「どうして王冠の宝石ジョワイオ・ド・ラ・クローネを盗もうとしてるの?」

 うん、いい質問だ。俺もどうして盗まなきゃならないのかクリエイターに訊いてみたが、教えてくれなくて困ってるんだ。

「それを言って、納得してくれたら、盗むのを許してくれるのか?」

「それは……」

 ジェシーが黙り込む。ここは岬ではなくて町の中の、しかもそれなりに人通りの多いところなので、俺たちの方を見ている人もいる。盗むだの何だのという話が聞こえないことを祈る。

「……私、あなたがどうしても泥棒に見えなくて……だから、何かとても大事な理由があるんじゃないかって……」

 まあ、大事といえば大事かな。命が懸かっているとも言えるからな。だが、そんなことを言っても信用してもらえるわけがない。何しろ、この世界の“外”の事情なんだから。さて、それをどう説明するか。ジェシーには嘘をつかないと決めているから難しいな。しかも、泥棒に見えないと言われてるからなおさらだ。

「どんな理由があっても、他人の物を盗むのは悪いことだ」

「えっ……」

「と、君の父さんに教えてもらったと思うが? 悪いことをした人間は捕まえるって言われたんだろう?」

「!!!」

 ジェシーがひどく驚いている。はっきりと言わなかったが、どうやら俺が何を言おうとしたか気付いたらしい。それにしても、こんな表情は初めて見た。俺が泥棒だと言った時でもこれほど驚かなかったはずなんだが。憂愁の表情をやめさせて、普通の美少女にするにはどうしたらいいんだろうな。

「あの……父さんのこと、知ってたの?」

 初対面の時の俺に対する観察の仕方が、警察官そのものだったからな。後で警察に行って、ジャン・ロビーという警察官がいたかどうかも確かめさせてもらったし。

「うん、まあな。君の父さんも、俺が泥棒だってことは気付いてたと思うけど」

「そうなの? でも、父さんは……」

 そう言ってからジェシーは、しまったという表情になった。それからまた悲しそうな表情になる。さっきから表情がくるくるとよく変わる。

「ごめんなさい……私、あなたが泥棒だってこと、父さんには黙ってるって言ったけど……でも、どうしても気になって、父さんに、あなたが悪いことしそうな人に見えるかって訊いたの……」

 うん、知ってる。その時に、何て言われたかもね。ただ、よく判らない言葉が混じってたんだけど。

「そうしたら?」

「そうしたら、父さんは、その……あなたはフラン・ジュな男だから、駆け引きはするかもしれないけど、嘘はつかないだろうって……」

 だから、“フラン・ジュ”ってのはどうして同時通訳されないんだ? どういう意味かは今のでだいたい解ったから訊き返さないけどさ。

「嘘はつくよ。必要ならね」

「でも……」

 君にだけは嘘はつかない、なんていう気障なことは言いたくないので黙っておく。それにしても、ジェシーは一体何を言おうとしているんだろうか。俺のことは悪い人間だとは思わない、だから泥棒をするのは何か正当な理由があるはずだと思いたい。しかし、どんな理由があれ泥棒をするのは悪いことであるのは知っている。矛盾してるな。なぜそんな矛盾が生じたんだ。

 うん、そうか。彼女が最初に思い描いていた泥棒のイメージと、亭主メートルから教えられたイメージが合わないんだ。しかし、その程度のことは、彼女の年頃なら自分の中で適当に折り合いが付けられるはずだ。それができていないということは、まだ何か彼女の心を惑わせていることがあるんだろう。

 そもそも、彼女の中の泥棒のイメージはリュパンだったよな。リュパンが盗みをするのに正当な理由なんてなかったはずだ。盗むこと自体が目的化しているんだから。おやおや困ったぞ。今の俺もほとんど同じ状態じゃないか。それはさておき、彼女は何に惑っているんだろう。彼女の表情がいつも愁いを帯びていることと関係ありそうな気がするが。

「君の最初の質問に答えると、俺が王冠の宝石クラウン・ジュエルを盗む理由は、それがある人物からの依頼だからだ」

「依頼……」

「リュパンと違って、自分のために盗むのではない。義賊と違って、貧しい人を救うためでも正義のためでもない。盗む価値があるのか調べて、あれば盗む。そんな理由で、君が思い入れのあるあの宝石を盗むのは申し訳ないと思っている。できれば、君に気付かれないように盗みたかった」

 ジェシーからは何も答えがなかった。依頼のために盗むなんて言ったので、軽蔑されたのかもしれない。

「さて、俺からも一つ訊きたいことがある。もうすぐ昼のミサが終わる。もう一度あの宝石を見に行って、君がなぜ王冠の違いに気が付いたのか、教えてくれないか」

 しばらく待って、ようやくジェシーが頷いた。ジェシーを促し、聖堂へ向かう。まだミサが終わっていないので、閉じられた扉の前で待つ。昼食を摂りに行くか訊いてみたが、食べたくないと言われた。そのまま二人とも無言で待つ。ジェシーはうつむき加減になって、何かを考えている様子だった。

 30分ほども待って、ようやくミサが終わり、扉が開かれた。出て来る人の波が切れるのを待って、中に入る。ダニエルはやはり来ていないようだった。人の流れに逆らいながら、祭壇へ向かう。祭壇の近くでは、例によって、神父が何人かの信徒と話をしている。祭壇の前に立ち、ジェシーがマリア像を見上げる。身体を少しふらつかせるようにして、像の頭の上に載せられた、王冠を見つめている。1分ほど待ってから声をかける。

「今朝と同じか?」

 ジェシーが小さく頷く。視線はまだマリアを見上げたままだ。本当にそうか、もう一度訊いたが、確信を持って頷いたように見えた。

「そうか、じゃあ、ちょっとこっちに来てくれ」

 そう言ってジェシーを聖堂の脇の、人気の少ない柱の所へ連れて行く。そばに人がいると話をしにくいというだけであって、他意はない。

「なぜ王冠が今朝のと同じと判った?」

「なぜって、それはその……よく解らないけど、王冠の宝石ジョワイオ・ド・ラ・クローネの輝き方が、同じに見えたから……」

「じゃあ、日曜日に見た時は、宝石の輝き方が違ってたということか?」

「ええ、たぶん……」

 顔はうつむき加減だし、声にも自信がなさそうだ。自分でもはっきりと憶えていないのだろう。

「それはもしかして、祭壇の下の、ある場所から見た時だけ判るとか、そういうものじゃないか?」

 ジェシーがはっとして顔を上げる。自分でも気付いていなかったらしい。俺がそう思ったのは、ジェシーが王冠を見上げるときに頭をふらふらと動かして、何かを見つけ出そうとしているように見えたからだ。

「ええ、たぶん、そう……見上げていると、時々とても輝くときがあって……でも、どうしてそんなことを訊くの?」

「申し訳ないが、ジェシー、君が今見て、本物と思ったあの王冠の宝石クラウン・ジュエルは、偽物だ。日曜日に見たのと同じ石なんだ。今朝のミサの時に見たのとは違う。あれは今、俺が持っている。さっき、ミサの前にここに忍び込んで、交換しておいた。これがそうだ」

 胸ポケットに入れておいた小さな紙包みからルビーを取り出してジェシーに見せた。ジェシーが今までに見たこともないほど目を大きく広げて俺の方を見て、それから俺の掌の上に転がっているルビーを見た。

「そんな……じゃあ、どうして、日曜日は……」

「取り付け方が違っていた。上下が逆になっていたんだ。本当は尖った方を下にする。だが、あれを取り替えた誰かが、間違えたんだ」

 その“誰か”というのはダニエルを含めた3人のことだが、なぜか誰も上下を逆にしてしまったことに気付かなかったのだ。神父が宝石を外したときにうっかり床に落としてしまって皆で探し回り、その後、偽物を付けるときには、元々どうなっていたかを誰も憶えていなかった、ということらしい。洋梨型と呼ばれる形であったことから、尖った方を上に向けて付けてしまった。だが、実際は逆に付けるべきだった。だから、輝き方が違って見えた、というのが真相だろう。

「本物と偽物は大きさも重さも同じ、カットの形も全く同じだ。質だけが違う。偽物は模造ルビーだ。10年以上も前に、盗難に遭いかけたことがあって、その時にレプリカが作られた。それ以来、レプリカの方が王冠に付けられていたんだが、前の神父が辞める時に本物に戻した。それが去年の秋だ。だからジェシー、君が小さい頃から見ていた王冠のルビーは、偽物の方だったんだ」

 ジェシーが振り返って王冠を見上げる。ここから見ると、上の窓から入る光のせいで、マリアの顔も王冠も逆光になってよく見えない。だが、ルビーだけは綺麗に輝いているのが判る。偽物でも、輝きだけは本物並みだ。過去の事情は、ダニエルからシスター・ジェルメーヌに電話して聞いてもらった。レプリカは司祭館に保管されていたのだが、前の神父はそのことをベルターニ神父には伝えていなかった。レプリカを本物に戻したような人だから、偽物を嫌っていたのだろう。まあ、その理由はシスター・ジェルメーヌも知らなかったが、何にせよ、仮想世界のシナリオにしては、細かすぎるというものだ。

「OK、ジェシー、聞いてくれ」

 ジェシーがこちらに振り向く。頬が上気していて、今までになく興奮している様子が窺える。

「だから、このルビーは、君が今まで見たことがなかったものだ。今朝、初めて見た。そして、これとあの偽物は同じだと思った。だから君にとっては、あのルビーも本物なんだ。君にとっての、本物の王冠の一部だ」

「ええ、そう……」

「しかし、やはりあれはルビーとしては偽物で、これは本物だ。君がこれを元に戻して欲しいと頼むのなら……」

「私……私は……」

 ジェシーは気持ちを落ち着かせようとするかのように、ふっと一つ大きな息をついた。そして、マリア像の方を振り返りながら言った。

「あれは……あの王冠の宝石ジョワイオ・ド・ラ・クローネは、本物だと思う……だから……」

「ありがとう」

 俺がそう言うと、ジェシーはまた俺の方を見て、それから俺の掌の上のルビーを見てから、小さく頷いた。ルビーを紙に包み、胸のポケットに収めた。

 さて、ターゲットに関する大方の問題は片付いたのだが、もう一つ大きな疑問が残っている。ジェシーはなぜいつも憂鬱そうな顔をしているかだ。別にそれを知らずにこのステージを終えたって構わないのだが、どんなシナリオが隠されているのかは気になるところだ。

「君の父さんには何て言うつもりだ?」

「何も……」

 ジェシーはまた少し憂鬱な表情になって答えた。

「少しくらいは話をした方がいいな。例えば『彼はリュパンじゃなかった』とでも言ってみるとか」

「そんなこと言ったら、父さんが……」

 ジェシーは憂鬱を通り越して泣きそうなっている。やはり、ジェシーの憂鬱の原点はリュパンにあったようだ。そして何かを勘違いしたのだろう。まあ、ミドルティーンの娘とその父親なんて、すれ違いばかりだろうからな。

「大丈夫だ。君の父さんは、君の言うことに何でも耳を傾けてくれるはずだ。リュパンのことだって、何だっていい。彼が警察を辞めた理由は、君と一緒にいる時間をもっと作るためなんだから」

 ジェシーの父さん、つまりロビー氏は、金庫破りのフッサール氏を追う刑事だったのだろうと思う。あるときは逮捕したり、またあるときは逃げられたり、証拠不十分で捕まえられなかったこともあるに違いない。そのフッサール氏が10年前に、ダニエルのためを思って引退した。その時にロビー氏も同じように、ジェシーのためを思って刑事をやめたとしてもおかしくはない。

 だが、ジェシーは子供の頃にリュパンの本を読んで憧れてしまい、ロビー氏がそれを嘆いて警察を辞めたと勘違いしているのだと思う。それがあの憂いの表情の理由だろう。もっとも、これらは全て俺の勝手な想像であって、違っていたらまたクリエイターにダメ出しを喰らうディスアプルーヴドかもしれないが。

「……父さんがそう言ったの?」

「彼が君のことを話しているときに、そう感じたんだよ。できれば、君自身でも確かめてみて欲しい。今日は帰ったら岬に行かずに、彼と少しでもいいから話してみてくれ。きっと喜んでくれるはずだ」

「……解った」

 ジェシーはそう言ってくれたが、泣きそうな顔は相変わらずだった。俺の勘が当たっていて、ジェシーから憂いの表情がなくなることを望む。

「さて、そろそろ出ようか」

「うん……あっ、待って、これ……」

 ジェシーが俺に白い封筒を差し出した。手紙が入っているのだろう。ずっと手に持っていたので、ところどころに折れ目がついてしまっている。

「王冠を盗らないでくれっていうお願いの手紙じゃなかったのか?」

「あ……あの、そうじゃなくて、これは、その……」

 そうじゃないとすると何の手紙かよく判らない。まさか、ラヴ・レターじゃないとは思うが。

「読むのに少し時間がかかると思うが、返事は必要かな」

 ジェシーが小さく首を振る。まあ、俺がこのステージから退出してしまえば返事を出すことすらできないのだが。ともあれ、ジェシーを促して聖堂の外に出る。入口のところに、見覚えのあるスーツ姿の長身の男が立って、中年のシスターと話をしている。メルシエ警視とシスター・ジェルメーヌだ。ちょっと遅かった、というところかな。まあ、俺もまだターゲットを確認したわけじゃないし、出口のゲートへ行くまで何が起こるか判らないとは思うが。

「昼食はどうする?」

 港の方へ歩きながらそう訊いた途端に、ジェシーのお腹が鳴るのが聞こえた。ジェシーが困ったような顔をしている。こういう表情も初めて見たが、普通の少女のようで可愛らしい。エルキエでクロワッサンとオレンジ・ジュースでも注文しようか。

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