ステージ#2:第2日

#2:第2日 (1) 聖堂のマリア

  第2日-1955年5月1日(日)


 7時に下の食堂へ行くと、テーブルの上に朝食が置いてあった。バゲットの切れ端。こりゃ昨日の残りだな。それに“ビスコット”。箱に入っているからシリアルかと思ったらラスクのようなものだった。他はバターにジャムにミルク。オレンジ・ジュースはなかった。ビスコット一箱はわりあい量が多かったが、食べやすかったので全部食べた。合衆国でも探せば売っているかもしれない。当分探しに行くことはできないだろうが。食べ終わると身体を動かしたくなったので、岬まで走ってみることにした。他に行くところがない。

 歩いても20分しかかからないので、走れば10分。砂地なのでむしろ走りやすい。着いてから岬の小道を歩き、小山を登り、夜中に裁定者アービターと通信をしたところに来ると、遠目にあの娘が見えた。昨日と同じように座っている。金髪を風になびかせながら、ただひたすらに海を見つめている。何時からここにいるのか知らないが、おそらく夜明けかその直前くらいからだろう。不思議と周りの風景に溶け込んでいる。孤独な少女というのは絵になるものだ。声をかけずに引き返す。もしかしたら話しかけるべきだったかもしれないが、何も話題を持ち合わせていない。

 砂州の付け根まで戻り、帰りは反対側の道へ行ってみることにする。地図を見ると、こっちを回ってもゲストハウスに戻れるはずだ。道が細くて、ところどころ崩れたように荒れているが、そこを抜けると別荘が見えた。すぐ下が砂浜で、まるでプライヴェイト・ビーチのようだ。それなのに別荘にはなぜかプールがある。泳いでいるところを見られたくないのなら、海沿いに別荘を建てる意味が解らん。この時代だから、まさか温水プールではないだろう。

 その先は林と畑。半マイルほど行くと民家が見えてきた。途中で畑のあぜ道のようなところを走る。畑は地形に合わせているので不規則な形をしている。耕運機が使いにくいに違いない。北へ折れて4分の1マイルほど行くと、ゲストハウスに戻ってきた。あまり運動にはならなかった。これなら北のルメグーまで走る方がいい。部屋に戻って今日の“作戦”を確認したり、観光地のリーフレットを読み直したりしていると、9時過ぎにノックがあった。亭主メートルだった。

客人オート、そろそろ出掛けたいが、いいかね」

「ああ、問題ない」

「申し訳ないが今日は娘と一緒だ。5月になったんで、聖堂を見に行く約束があってね」

「ほう、聖堂を」

「途中で降りたいところがあればどこでも言ってくれ」

「まだはっきりと決めていないんだ。街の中心で下ろしてくれればいい」

「ああ、それなら港まで行くから大丈夫だ」

 亭主メートルと会話をしながらガレージまで歩く。軽トラックライト・ピックアップの前には長い金髪の少女が一人立っている。岬の崖の上にいた、あの娘だった。やっぱりなという感じだったが、一晩中同じ建物の中にいたのに一度も顔を合わせなかったんだから不思議なものだ。まあ、夫人の顔すらまだ見ていないが。

 娘は俺の方を横目でチラリと見たが、すぐに目を背けた。一人でいるのが好きなのだから、内向的な性格だということくらいは容易に理解できる。たぶん、俺に話しかけられたくないだろう。何しろこっちは歳が倍くらいも違うおっさんオールド・ガイだからな。昨日は道を訊いたから答えてくれただけで、通常の会話は成立するのかどうか。

「ジェシー、客人オートにはちゃんと挨拶しな」

 亭主メートルに言われて娘はようやく俺の方を見た。こうして改めて見ると、やはり美少女だ。ただ、全体に倦怠感が漂っていて、目つきのきついところは父親譲りだな。身長は5フィート2インチから3インチというところだろう。黒い長袖のニット・シャツに、グレーのアンクル・パンツ。痩せていて手足もひょろ長く、成長期に運動しなかった少女の見本のようだ。

こんにちはボンジュール

 小さい声が返ってきた。伏し目がちだが、一応俺の方を見てくれてはいる。まるで俺と初対面のような素っ気なさだ。別に「昨日会ったよね」などと言われても困りはしないのだが。

おはようグッド・モーニング。アーティー・ナイトだ。合衆国から来た。昨日からここに泊まっている。どうぞよろしくナイス・トゥ・ミート・ユー

「あ……はじめましてアンシャンテ……」

 ジェシーはその後も何か言おうとして一瞬口を開いたが、すぐに閉じてしまった。どうしていいかわからないというように視線をふらふらと漂わせている。やはり会話は難しかったか。

客人オート、助手席に乗ってくれ。ジェシー、お前は荷台だ」

「娘さんが荷台? いいのか、それで」

「ああ、気にせんでくれ。娘は荷台に乗り慣れてるんだ。そっちの方が風が当たって気持ちいいんだとよ。それに客人オートは助手席に乗ってもらわんと、どこで降りたいかが判らんからね」

 亭主メートルがそう言っている間にジェシーはさっさと荷台によじ乗って、運転室キャビンにもたれて座っている。場所を替わろうとか言うと余計な問題になりそうなので、素直に助手席に乗り込んだ。亭主メートルは車をスタートさせたが、ジェシーが後ろに乗っているせいか、昨日よりは少しスピードが控え目だった。まあ、舗装もされてない田舎道なんだから、元々スピードも出せないが。

「聖堂ってのは聖母被昇天聖堂エグリズ・ノートル・ダム・ド・ラサンプシオン?」

 それはここに来てから城塞シタデルの次に見に行ったところだ。

「そうだ」

「何があるんだ?」

 さっき亭主メートルは「5月になったんで」と言った。その時は適当に相槌を打っておいたのだが、少し気になったので訊いてみた。

「5月はマリアの月モワ・デ・マリーなんで、聖堂のマリア像に色々と飾り付けするのさ。娘は小さいときから毎年それを見に行くのを楽しみにしててね。もっとも最近は、俺の方から行こうと言わないと気付かないこともあるくらいだが」

「ほう、そういう風習があるのか。知らなかったな。カトリック?」

「カトリックだけかどうかは知らんが、この辺りではよくあるらしいな。サント・マキシムの聖堂でもやっているらしい。客人オートも時間があれば見に行ってみればいい」

「そうしてみよう。一緒に行ってもいいか?」

「もちろん構わんさ」

 5月の風習といえば連合王国ユナイテッド・キングダム5月祭メイ・デイくらいしか知らないが、マリアに花飾りでも掛けるのかね。聖堂は昨日見に行ったが、ターゲットのヒントになるようなものは特に何もなかったと思う。だが、今日から5月で、昨日までと何か違うことをやっているというのなら、念のためもう一度行ってみる方がいいだろう。

 港の辺りに車を停め、歩いて聖堂に向かう。亭主メートルとジェシーの後に付いていったが、二人は一言も話をしようとしない。娘が難しい年頃なんで、亭主メートルが扱いに困っているのだろうが、こうして一緒に町へ出掛けることで親子の交流を図ろうとしているのかもしれない。

 聖堂に着くと、昨日よりも人の出入りが多くなっている。入口には中年のシスターと若い女が立って、出入りする人と挨拶を交わしていた。そのうちの若い女がこちらの方を見て声をかけてきた。栗色ブルネットのショートヘアで、背の高いボーイッシュな美人だ。黒い礼服風のドレスを着ている。

こんにちはボンジュールロビーさんムッシュー・ロビー、それにジェシー! 今年も見に来てくれたのね。ロビーさん、そちらの後ろの方は……」

やあサリュ、ダニエル。彼はうちのゲストハウスシャンブル・ドート客人オートだ。一緒に入れてやりたいんだが、構わんだろうね」

「ええ、もちろん。ゆっくりご覧になって下さい」

 背高美人はにこやかに微笑みながらそう言った。背が高いと言ってもせいぜい5フィート半くらいだが、隣のシスターと比べて半フィートくらい高いのでそう見えてしまう。俺が「おはようグッド・モーニング」と言うと美人のダニエルも「こんにちはボンジュール」と返してくれた。だが、にこやかながらもどことなく警戒しているような目つきだ。外国人はお好みでないのかもしれないが、きりっとした吊り眉のせいでそんな風に見えたのだと思っておこう。

「昼頃までは町の人にだけ公開してるんだ。観光客には午後からなんだが、今日は主日のミサがあって見る時間があまりないだろうから、今のうちに見ておくのがいいよ。空いてるからな」

 亭主メートルは振り返りながら俺に言った。そうは言われても、昨日よりも人が多い。だが、行列ができるほどの混雑ではなく、祭壇の前に少し人だまりができているくらいだ。その祭壇の奥にはこの聖堂を守護するマリア像が立っていて、聖堂の入口からも見えているのだが、それが……

 いやいやいや、何てこった。胸の前で手を合わせて立つ白堊のマリア像は、昨日俺が見た時とは様子が違っていた。マリアの首には花輪が、そして頭上には王冠が――赤い宝石、おそらくはルビーかガーネットの付いた――被せられていたのだった。王冠の宝石クラウン・ジュエル……これがターゲットなのか? だとすれば、大当たりボナンザだが……呆然とする俺の前で、亭主メートルとジェシーがマリアの姿をじっと見上げている。そのうちに、誰が唱えているのか『ヘイル・メリーアヴェ・マリア』の一節が聞こえてきた。


   "Holy Mary, Mother of God, (聖なるマリア、天主の母)

   pray for us sinners, (罪人なる我らのために祈り給え)

   now, and at the hour of our death." (今も、そして臨終の時も)


 マリア像に祈りを捧げる人もいる。俺は不信心者なので、祈りは捧げない。亭主メートルとジェシーもただマリアを見上げるだけだ。ジェシーの表情を見てみたが、喜んでいるようには見えないし、熱心に見つめる風でもない。時々頭がふらつく。いや、身体がふらついているのか。後ろから人が押し寄せてきているが、二人は3分以上も黙ってマリアを見上げていた。

「ジェシー、もういいか? 帰るぞ」

 そのうちに亭主メートルがジェシーに声をかけた。ジェシーは視線を下げ、小さく息をつくと、黙って振り返り、出口の方へ歩き始めた。だが、その顔が少し青ざめているように見えた。亭主メートルと俺もジェシーの後に続く。人をかき分けて進む。

「ダニエル!」

 ジェシーは出口のところに立っていたダニエルに声をかけた。次々とやってくる町の人に愛想よく挨拶していた背高美人は、振り返ってジェシーの顔を見るといっそうにこやかに微笑みかけた。

「あら、ジェシー、もうお帰りなの? どうだったかしら、今年の飾り付けは?」

「ダニエル、あの王冠は……王冠は、今年は違うものに変わったの?」

「王冠が? いいえ」

 ダニエルは祭壇の方に視線を走らせた。ジェシーも同じように祭壇の方を見たが、ここからでは遠すぎてよく見えないだろう。ダニエルはジェシーの方に顔を戻して言った。

「去年と同じよ。私とベルターニ神父とシスタースール・ジェルメーヌで一緒に飾ったのよ。どうしてジェシーには違う王冠に見えたのかしら?」

「でも……でも、あれは……」

「ジェシー、そこに立っていると皆の邪魔になる。外へ出な」

 亭主メートルがジェシーの後ろから声をかけた。ジェシーはまだ何か言いたそうにしていたが、小さい声で「さよならオ・ルヴォワール」とダニエルに言うと、聖堂の外へ出た。亭主メートルと俺もダニエルに挨拶をしてから外に出る。ダニエルも笑顔でさよならを返してきたが、あの表情は……あれは何かを知っているという類の表情だ。マリアの王冠のことと併せて、美人の方もちょいと調べてみるか。これから他のところを見に行く、と亭主メートルとジェシーに告げて、二人と別れた。今日の夕食は何がいいかと訊かれたので、鶏と答えておいた。

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