#2:第2日 (2) 王冠のルビー

 宝石店へ行くつもりだったが、先に聖堂のマリアについて調べることにする。それには観光案内所で訊くのが一番だろう。昨日も会った、洗練された容姿の係員に尋ねたところ、「5月に聖堂のマリアが戴冠するのはこの辺りでは有名な行事」とのことだった。一部の観光客にも知られているそうだ。

「それはどういう由来で?」

「よく判っていないのです。いろんな飾り付けを工夫しているうちに、誰かが王冠を被せることを始めたのだろうとしか」

 係員が洗練された笑顔で答えた。そんなことは誰でも想像できる。情報量はゼロに等しいな。王冠の来歴もよく判らず。18世紀のいつだかに、信徒だったどこかの領主が寄進したものらしい。どうにもあやふやな情報だが、ここを仮想世界として作ったのなら、もっときっちりと設定を決めておく方がいいように思う。

「王冠の頂部に填められている宝石は?」

「ルビーです」

「それは本物?」

「はい、もちろん! 鑑別書もございますし、宝石店に行けばご覧になることもできますよ」

 王冠と宝石を最初に鑑別した宝石商の名前も判っているらしい。ただし、その宝石商はこの町の者ではなかったので、鑑別証の写しがあるという宝石店を教えてもらった。美術館の近くにある店で、今日行く予定にしていたうちの一つだった。

 早速、その店へ行ったが、さて、どうやって調査を進めるか。鑑別書を見に来たというと物好きと侮られるかもしれないので、聖堂のマリアの王冠を見てルビーに興味を持ったということにしておく。すると、頼みもしないのに店主の方から鑑別書を見せて来た。うまくいき過ぎのように思うが、気にせず鑑別書を眺める。確かにあのルビーは本物で、大きさは10カラット。ただし、産地は不明。色もさほど良くはないらしい。

「ということは、値段もそれほどではない?」

「まあそうですが、単体として値段を付けることはしておりません。マリアが被る王冠に付いているルビーということで、付加価値があります」

 店主は自分の持ち物のように誇らしげに話している。この店の職人が、王冠の保守係を務めたこともあるらしい。

「ちなみに、王冠の本体は?」

「銅製です。当然ながら、ほとんど価値はありません。しかしながら、単純でとても良いデザインデッサンだと思いますよ。マリアの頭にもぴったりですし」

 主観的な評価だな。まあいい。ターゲットには関係ないだろうし、興味本位で訊いてみただけだ。

「ところで、ルビーを見せて欲しいんだが」

「はい、もちろんご覧いただけますよ」

 ついでにルビーのことを講義レクチャーして欲しい、その代金の代わりにルビーのネックレスか何かを一つ買う、と言うと「それはたいそうご熱心なことで」と言われつつ物好きを見るような目で見られた。泥棒とバレるよりは全然ましなので気にしない。

 そしてルビーについてだが、鉱物の鋼玉コランダムの一種である、という説明から始まった。主成分は酸化アルミニウム。純粋な結晶は無色透明で、ダイアモンドに次いで硬い。不純物、主に金属が混じると色が変わる。赤いものをルビーといい、青いものをサファイアという。

「ルビーとサファイアが同じ鉱物だとは知らなかった」

「ええ、説明するとほとんどのお客様はそうおっしゃいます」

 ちなみに青以外の鋼玉もサファイアと呼ぶらしい。見てみたかったが、当店には置いていないと言われてしまった。説明が続く。赤い色はクロム、青い色は鉄やチタンである。クロム含有量が少ないとピンク、多くなるに従って赤が濃くなっていくが、多すぎると黒くなって価値が下がる。ちょうど良い濃さの赤いルビーをピジョン・ブラッドと呼ぶことがあるが、これは英国王室がビルマ産のルビーに用いている名称で、その他のルビーには使わないのが正しい。

 次に、ルビーの見分け方。ルビーは人工合成できるのだが、天然ルビーと合成ルビーを見分ける方法がある。天然ルビーにはルチルという物質が含まれることが多い。これは細い絹糸のように見え、それがルビーの結晶に沿って三方向から交わり合っているように見える。これをシルク・インクルージョンという。ただし、ルビーの産地によってインクルージョンの見え方もだいぶ違う。例えばビルマ産は太くて短く、スリランカ産は細長い。

 店主からサンプルをもらい、ルーペで見ると、なるほど白い筋が60度の角度で交わっている。合成ルビーではこれが見られないらしい。また、天然ルビーの色を変えるために加熱することもあるのだが、その場合もこのインクルージョンは崩れてしまうとのこと。

「なかなか面白い。きっと、結晶の方向性に関係してるんだな」

「そうでしょう。お客様の中にはシルク・インクルージョンのない、完璧に透明なルビーをご所望の方がまれにおられます。傷があるのが天然物の証拠だと説明しても信じて下さらないのですよ。そういう方は合成ルビーやガラス玉に騙されるんじゃないかと心配になりますね」

「そういう偽物ルビーを、偽造した鑑別書を付けて売るような同業者もいるんじゃないかな」

「ありますよ。どことは申せませんがね」

 つまり、この近くにそういう店があるということだ。それはともかく、大変有用な講義レクチャーだったので、約束どおりルビーを買うことにする。しかし、店主は何のいたずら心を起こしたものか、1カラットのルビーのネックレスを二つ出してきて、どちらが良いルビーか見分けてごらんなさいと言い出した。卒業試験というわけだ。ルーペで見るとどちらもシルク・インクルージョンがあったので本物のようだが、色の濃さとその他の傷の有無をじっくりと観察して、良さそうな方を選んだら正解だった。ビルマのモゴック地方産の高級品とのこと。当然、そっちを買った。ただし、正解したのに売値を負けてくれはしなかった。

「このカードを使えるか?」

 例のクレジット・カードを取り出してきて店主に見せたが、前回のステージの宝石店と全く同じ反応、つまり、クレジット・カードは何度か取引のある客でないと使えない、と言われてしまった。このカード、今のところ使う機会が全くない。

 他の宝石店にも行って、マリアの王冠のルビーのことを訊いてみたが、どこもよく知っていた。ただし、最初の店の情報を上回ることはなかった。ルビーの講義は受けず、買い物もしなかったが、偽物ルビーについて訊いてみると、どこも同じような反応だった。やはりそういう店があるのをみんな知っているのだ。ただ、観光案内所では教えてくれなかったので、小さな店なのかもしれない。

 いったん旅行会社へ行き、単車モトが借りられることを確認する。12時を少し過ぎるかもしれないとのことだった。まだ12時前だが、先に昼食を摂ることにする。情報収集も兼ねたいので、聖堂の近くのレストランに入った。ウェイトレスが話し好きであることを祈りながら席に着き、メニューを開く。フランス語だけしか書かれていない。外国人が来ることはまだ想定してないのかもしれない。ウェイトレスを呼ぶと、あまりやる気がなさそうな若い女が来た。店の選択を間違えたらしい。英語のメニューはあるかと訊くと「ないノン」。フランス語を読めない方が悪いと言いたそうにも見える。

「鳥の料理で何かお薦めのはあるか」

「んんー」

 ウェイトレスが壁の方を見た。そこに何か書いてある。本日のお薦め料理かもしれないが、当然俺は読めない。

「鴨のコンフィはどう?」

 コンフィというのが何か解らない。料理法のことと思うが、ウェイトレスに訊いてみると、「低温の油で揚げたもの」とのことだった。油は困る。

「煮物はないのかなあ」

「じゃあ、鴨のオレンジ・ソース煮は?」

「良さそうだ。付け合わせは?」

ポテトポム・ド・テールを丸ごと油で揚げたの」

「焼いたのか茹でたのにならないか」

「いいわよ、それでも」

「よし、じゃあ、それにしよう。ところで、そこの聖堂にマリア像が飾ってあるのを知ってるか?」

「何よ、突然。ええ、知ってるけど、それが何か?」

 ちょっと機嫌の悪い顔をしているが、余計な話をするなと言われない限りは訊いてもいいだろう。

「今日から飾り付けをやっていたんで、それ見てきたんだ。マリアの月の行事だと言っていた」

「ああ、そういえば5月になったからやるわね。で、それが何か?」

「君は見たことがあるか?」

「あるわよ。朝のミサに出るから、毎年見てるわ」

「王冠を被ってるんだが、そこにルビーが付いてるだろう」

「そうだったかしら」

 どうもこのウェイトレスは脈がなさそうだな。受け答えが機械的すぎる。

「あれは本物で、10カラットもあるそうだ」

「そうなの、初めて知ったわ。ところで、飲み物は何にするの?」

「水でいいよ」

 話を昼食の方に戻されてしまった。訊き方が強引すぎたかもしれない。しかし、買ったばかりのルビーを見せつけるのも悪趣味だろうし。ウェイトレスは彼女一人だけみたいだから、他に訊く相手もいない。次はお茶の時間にカフェで訊くくらいだが、午後からは西の方へ遠征するので戻ってこないといけないのかなあ。皿を運んできてくれたときにも話しかけたが、やはりうまくいかなかった。鴨のオレンジ・ソース煮はうまかった。ソースに微妙な苦みを利かせているところが。

 単車モトは無事借りることができたが、遠征の前にもう少し聖堂のマリア像を調べる。サント・マキシム行きは後回しだ。昼のミサが終わった頃合いを見計らってもう一度聖堂に行き、ミサの後で混雑する祭壇の前で、もう一度あのルビーを見てみた。俺には王冠が去年と違うかどうかは判らないから、ルビーを見るしかない。だが、俺の視力がいくら良くても、10ヤードほども離れているんじゃあシルク・インクルージョンも見えないし、本物かどうかが判らない。フットボールを投げてあれに当てるくらいなら簡単なんだがな。

 しかし、あれを盗むとしたら、どうやって上がればいいんだ。梯子が必要だな。いや、あれを飾り付けるには梯子を使ったに違いないから、聖堂のどこかに置いてあるんだろう。それを探せばいいか。今、その置き場を探すのは無理だろうが。

 それより、神父に何か訊けないかと思って辺りを探す。ミサが終わったばかりだから、まだ人がたくさんいる。ひとかたまりになって何か話している人々の中心に、神父がいた。近付いてみたが、話しかけようにも、居並ぶ信徒に説教か何かをしているので割り込めなかった。日曜日はずっとこんな感じなのだろう。俺が普通の泥棒並みに強引な性格なら割り込んで話しかけるんだが、今の控えめな性格では夕方か明日以降に出直すしかなさそうだ。

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