ステージ#1:第2日

#1:第2日 (1) 「失礼、ミス・ハワード?」

  第2日-1960年7月16日(土)


 朝起きたら7時前だった。昨夜寝たのが10時頃だったから、9時間も寝たことになる。これほど寝たのは久しぶりだが、疲れているわけでもないのになぜかよく寝た。普段はフットボールのプレイ・ブックを憶えながら寝ているが、昨夜は頭の中を空っぽにしたままベッドに入ったせいかもしれない。着替えて、顔を洗い、髭を剃る。旅行か遠征ゲームに来た時のようだが、それらとは違って、今日はこれから何をするかがはっきりしていないので、髭の剃り方もつい雑になる。

 隣のレストランへ行き、朝食を摂る。ベーコン・エッグにフルーツが付いているセットがあったのでそれを頼んだ。そしてホテルのロビーから持ってきた新聞を読む。今日の新聞も、やはりケネディの演説のことと、町議会のことが載っている。ニュー・フロンティア政策のことも確かに歴史のクラスで聞いたが、大した政策ではなかったように思う。政治なんかに興味はないので読み飛ばすと、後は読むところがほとんどない。スポーツは野球が中心で、カンザスシティー・アスレチックスがボストン・レッドソックスに負けたと書いてある。もうこれくらい古い時代になるとフランチャイズも違っているし、どこのチームが強いんだか判りゃしない。

 他は交通事故とローカル・ニュースがいくつか。どれもたいしたことのない、空欄を埋めるためのような記事ばかりだ。新聞からターゲットの手がかりを得るってのはどうやら無理そうだ。ようやく朝食が運ばれてきた。ベーコンが予想以上に大量に皿に載っていて驚いた。ここはベーコンの特産地か? 昨夜のチキン・ソテーに比べたらだいぶうまかった。今夜はポーク・ソテーだな。

 ホテルに帰ってフロントレセプションに鍵を取りに行くと、昨日とは違うフロント係デスク・クラークが鍵を差し出しながら言った。

「本日の昼間はお出かけになりますか?」

「ああ、その予定だが、何か?」

「それでしたら差し支えないかと存じますが、本日は1階のバンケット・ルームで議会の昼食会がございますので、お昼頃は混雑すると存じます。お気を付け下さい」

「解った」

 議会の昼食会ねえ。どうも新聞の記事といい、昨日の中年美女の言葉といい、政治関係にぶち当たることが多いな。宝石関係は全く引っかかってこないのに。鍵を受け取って部屋に戻りかけたが、何となく気になることが……

「その昼食会ってのは議員だけが来るのか?」

 フロントレセプションへ引っ返して訊いてみた。フロント係デスク・クラークのブラウン氏は――これも名札を見たのだが――愛想よく答えてくれた。

「ご夫妻でいらっしゃいます。さよう、確か10組だったと存じますので、20人の予定です。その時間帯は人が出払ってしまいますので、ルーム・サーヴィスの応対などが遅れるかもしれません」

 ふむ、これはもしかしたら当たったかも。議員が夫妻で昼食会に出席するなら、夫人の方はそれなりに着飾ってくるはずだ。そのうちの一人が、ターゲットである“宝石付きの指輪”を着けてくるかもしれない。町の方の調査は別に続けるとして、この件も一応調べておいた方がいい。混雑する時間を避けるために、という理由をつけて、昼食会の開始時間と終了時間をフロント係デスク・クラークに聞いてみる。開始は12時30分とのことだったから、それまで町の方へ調査に行ってから、戻ってきてホテルの前で出席者を見張っていることにしよう。脈がなさそうならまたまた町へ行けばいい。だが、町の方よりもこの昼食会の方が可能性が高そうだ。ゲームの世界なら、プレイヤーの目に付きそうなところに手がかりを置いておくのは、ある意味で定跡じゃないか?

 いったん部屋に戻り、今日やることを整理して紙に書いてみた。いつもはこんなことはしないが、慣れないうちは頭の中を整理する上でもやっておいた方がいい。まあ、後で見るわけではなく、記憶を視覚的にしておくというくらいの意味だ。

 9時頃に部屋を出て下に降りようとすると、掃除婦ジャニトレスが廊下の向こうの方で掃除機をかけていた。若い女だ。廊下が暗くて顔がよく見えないが、シルエットではそこそこの美形に見える。カフェの中年美女の娘かもしれない。さりげなく近付いていくと、娘は俺に気付いて廊下の端の方へ寄った。うつむいているが、目鼻立ちのくっきりしたラテン系だ。中年美女と似ている気がしないでもないが、いかにも田舎の娘という感じで、身だしなみに気を付けていればもう少しましに見えそうだが。

「失礼、ミス・ハワード?」

 名札を付けているわけではないが、昨日のカフェがハワードの店ハワーズだったので、たぶんそういう名前だろうと思って声をかけてみた。娘が顔を上げる。うん、正面から見ると中年美女とよく似てるじゃないか。

「誰?」

 彼女が訝しそうに俺を見る。眉根を寄せて、いかにも胡散臭い男を見るときのような目付きだ。ううむ、ホテルの中で見知らぬ男が声を掛けてきても、従業員スタッフがそういう表情をしてはいかんな。ホテルのゲストに対する態度をちゃんと教えられていないようだ。まあ、田舎のホテルではありがちなことだが。

「1号室のゲストだ。突然声をかけて済まない」

 俺がそう言うと、彼女が目を見開いた。ホテル内でゲストに声をかけられて驚くというのも変だが、働き始めてまだ1、2年だろうから、今までそういうことがなかったのかもしれない。それから普通の表情に戻って、掃除機のスイッチを切った。

「失礼しました。何かご用でしょうか?」

 無表情で、暗唱してきたような言い方だった。ようやくゲストへの応接法を思い出したらしいが、まだ慣れていないのは明らかだった。笑顔すら作れてないからな。

「うん、やはり君がミス・ハワードだったか。昨日、町でカフェに入ったら、そこの娘がこのホテルで働いていると聞いたんでね。君がそうかと思って声をかけただけなんだ。だから特に用はない。仕事の邪魔をして、申し訳なかったな」

「…………」

 彼女が呆気に取られた顔をして俺を見ている。用もないのに客から声をかけられて、しかもそれを謝られたのだから当然かもしれない。

「あの……それだけ?」

「ああ、それだけだ。いや、もう一つあった。君、名前は?」

「……フアナ」

 スペイン系の名前だ。英語だとジョアンナに当たるのかな。

「OK、フアナ、俺の部屋の前も掃除を綺麗によろしく頼むよ」

 そう言ってフアナに片手を上げ、階段の方へ向かった。降りていくときに、掃除機の音がまた聞こえてきた。

 フロントレセプションへ鍵を預け、タクシーを呼んでもらう。歩いても行ける距離なのは判っているが、ちょっとした目的がある。すぐにタクシーがやって来たが、運転手は昨日と同じ男だった。狭い町だから、運転手の数も限られているのだろう。向こうも俺のことを憶えていたので、質問をするには都合がいい。町への一本道を走りながら、運転手に訊いてみた。

「そのうち町が駅の方に移転するそうだな」

 昨日はこんなことは訊かなかったが、昨日カフェでたまたま中年美女に訊いてみたときに意外に反応があったので、タクシーの運転手なら何かもっと知っているかもしれないと思ってのことだ。

「ああ、町議会の新しい政策でね。この道に両側に、住宅地だの学校だのを造るって話よ。去年から始まって、あと5年くらいでやりたいんだと」

 運転手は初老の愛想のいい男なので、気軽に答えてくれた。

「ほう、そうするとまだまだかかりそうということか。この辺りには最近まで何もなかったのか?」

「いや、大地主のマスターソン家の一族が住んでたのよ。ほとんどは牧場だったがね。最近になって、ルーミス議長がマスターソンの長老のジョン・シニアと交渉して、この道沿いの土地を議会が買い上げることになったのさ。まあ、元が牧場だけに、ただ同然の値段だったらしいがね」

「じゃあ、引っ越すときは議会から土地を買うのか?」

「いや、借りるのさ。今の町の土地だって、ほとんどは議会のもので、みんな土地を借りて住んでるんだ」

「俺が聞いた話だと、金持ちや議会の有力者が土地を買い占めて、値段が吊り上げられてるってことだったが」

「ああ、そりゃ駅に近いところのこったね。さっき何もないところを通ったろう? あの辺りだ。あそこはマスターソン家の土地じゃなかったから、好きに売買されてるのよ。この辺りからが議会の買った土地じゃなかったかな」

 そう言われてみれば駅を出てしばらく行ったところに、道路の両側に何もないところがあった。今走っている辺りにはぽつぽつと家が建っているし、道路だけが先に造られているところもある。昨日は何も考えずに乗っていたから気付かなかったが、意識してみれば違いがよく判るものだな。

「今は駅に近くても便利って訳じゃないが、そのうち事情が変わることを期待して土地を買ってる人がいるんだろうよ。ああ、その右に見えるのがルーミス議長の家だ。駅と町議会所のちょうど中間辺りに家を建てたって話だ。もっとも、町議会所も移転する計画だがね。駅前の、ホテルの裏手辺りだったと思うが」

 運転手が教えてくれたルーミス議長の家というのは、道路から細い取り付け道を入ったところにある一軒家だった。平屋で、家屋も土地もかなり広そうに見える。まあ、この辺りは土地が余っているだろうから、どれくらいからを広い土地と言っていいかがよく判らないが。

「立派な家だな。ルーミス氏というのは議会ではやり手なのかね」

「どうだかねえ。まあ、今までの議会は何も政策らしいことをしてこなかったから、それと比べたら色々やってる方だがね。ただ、やり過ぎるんで付いて行けないって人もいるんだろうね。やるにしてももっとゆっくりやってくれってね」

「なるほど。たとえば、あんたはどう考えてるんだ?」

「あっしかい? はっはっ、町が駅の近くに移転しちまったら、タクシーなんて要らなくなるから、困るには困るだろうさ。でも、ルーミス議長は5年と言ってるが、町がすっかり移転するにはもっとかかるんじゃないかと思うね。その頃には、あっしなんか引退してるだろうよ」

「なるほど」

 それからすっかりおしゃべりになった運転手にルーミス氏のことを聞かせてもらったが、いかんせん目的地が近すぎて、話が途中で終わってしまった。降りる前に、昼食を摂るのに良さそうなレストランと、コーヒーを飲むのに良さそうなカフェを教えてもらった。昼までにはまたホテルに帰るので、レストランに入る予定はないが、これは話のついでだ。カフェの方は昨日行ったハワードの店ハワーズだった。運転手もあの店の常連だそうだ。おそらく中年美女を見に行くのが目的だろう。

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