#1:第1日 (3) 雲をつかむ話

 カフェを出るときに、中年美女の意外に愛想のいい笑顔の挨拶をもらった。次は町議会所へ行ってみる。当然のように役場が併設されていて、この町の概要を調べることができた。

 町の広さは3マイル四方くらい。その中央の部分は、道路がチェス盤のように格子状をしている。格子ブロックの数は縦横それぞれ12ずつ。ただし、一番下の格子だけ他と違って南北が長く、またその長さが揃っていない。理由はメイン・ストリートが東西に平行でなく、“左肩上がり”になっているせいだ。おそらくメイン・ストリートの北側に少し離して格子状の町を作ったが、あとで縦の通りを南に延ばしてメイン・ストリートにつなげたのでこんな形になったのだろう。

 通りには女性の名前が付けられていて、東西の通りは"i"の発音で終わる名前、南北は"a"で終わる名前に揃えられている。ただし、東西の中央に当たるカーラストリートは下3列にはない。つまり、下3列だけ、中央の格子が横長で、他の2倍ある。たぶん、その辺りは最初に町の中心になり、大きめの建物が多かったので格子ブロックが横長で、他は等幅にしたのだと推察される。もっとも、こんなのは地図好きの想像であって、ターゲットとは何の関係もないに違いない。

 人口は3千人ほど。町議会所や“砦跡”の辺りが町の中心とはいうものの、会社や商店が多いというだけで、実際は“チェス盤”の下の端に近い。北の方はもしかしたら家が少ないのかもしれない。もちろん、“チェス盤”以外のところにも民家はあるようだが。

 主な産業は農業と牧畜。観光資源はヒストリック・トレイルとキャンプ場のある湖。湖は町の北西にある。そこへ行くかどうかは考えどころだが、今はまだキャンプの季節ではなく、8月になってからのようだ。

 一応“議会”のことも調べてみる。議員は10人いて、議長が一人に副議長が一人。次の選挙は11月。資料には歴代議長の名前がずらっと並んでいたが、別に憶える必要はないだろう。町議会所は煉瓦造りの2階建てで、正面玄関にはこんな田舎町には似つかわしくないほどの荘重な装飾が施されていたから、それも調べてみたところ、昔の軍指令所だということだった。すぐ近くに砦跡があるのだから、納得できる話だ。しかし、これがおそらく町で一番立派な建物だろう。町の規模と合わせても、他に見所はなさそうだなという気がする。

 だが、せっかく地図を描いてもらったのだから、そこに書かれた名所だけは見に行ってみよう。まずは教会とメトカーフ・ハウス。役場を出たところがオードリーストリートだが、それを東へ行く。ジョアンナストリートとの交差点を過ぎて1ブロック歩くと交差点の先に教会が見えた。サン・ミグエル教会。どう見てもただの古い教会にしか見えない。古さ以外に価値がないのなら見る必要もないし、扉は閉まっていて中には入れないようなので、そのまま通り過ぎる。

 さらに1ブロック行くと、古い町並みの中でいっそう古い、しかしそれなりに大きな石造りの建物があった。メトカーフ・ハウス。本当にこれか、と地図を見返さなければならないほど、期待外れの建物だった。ここで何か重要な歴史的事件が発生したというのでなければ、ただの古い屋敷にしか見えない。役場で町の歴史をもっとよく見てから来ればよかったかもしれないが、指輪とは関係なさそうだから時間の無駄だろう。

 続いて学校跡。西へ戻ってパトリシアストリートへ。役場の前を何度も通るので遠回りをしているかのようだが、どちらを先にしても歩く距離は大差ないだろう。交差点から北へ4ブロック歩くと、なるほど確かに学校――現役の――があり、その先に板壁の掘っ立て小屋のようなのが見えてきた。長年風雪にさらされたと見えて、壁板は黒ずんで、ところどころ削ったように白くなっている。“カンザス州一古い木造校舎ジ・オールデスト・ウッデン・スクール・ハウス・イン・カンザス”という表示がなければ、ただの倉庫だと思って通り過ぎただろう。中に入ることもできそうだが、“カンザス州一貴重な指輪”が飾られているわけでもないだろうから、やめておく。

 ここから北の端まで行って、さらに北西へ通じる道を行くと湖とキャンプ場があるのだが、そこを歩くにはそれなりの時間と心の準備が必要と思うので、今日はこのまま引き返す。さらに、地図に描かれた他の名所――歴史建築通りというのがあった――を見て、ホテルに戻ることにした。ヒストリック・トレイルは長いので明日にする。

 タクシーを使わず、というかどこを見てもタクシーなど停まっていないので、ホテルまで歩いた。一本道で迷うことはないし、大した距離でもなく、ゆっくり歩いても30分とはかからなかった。広い土地に大きめの家が点在していて、典型的な田舎の町の風景だ。

 ホテルで少し休憩してから、隣のレストランへ行った。チキン・ソテーを頼んでみたが、うまくないもまずくもない。食べながら町で調べたことを頭の中で思い返してみたが、“ターゲット”である宝石付きの指輪につながりそうな情報は、何もなかったと思う。この町のシンボルになっている宝石があるわけでもなく、“名所”にもそれらしい謂われのあるものは何もなかったはずだ。簡単に見つからないだろうとは思っていたが、狭い町とはいうものの、調べ上げようと思ったら1週間では済まないんじゃないかという気がする。全く、雲をつかむような話だ。

 それと、一通り見て回った上で改めて思ったのが、これがゲームの中の仮想的ヴァーチャルな町であるということが、どうにも信じがたいということだ。いくら狭い町であっても、これだけの建物と、これだけの人間を、これだけ現実的リアルに再現することなんて、とてもできるとは思えない。もちろん、妙に孤立した町であるところとか、町の人間の余所よそ者に対する無警戒ぶりとか、いくつか不自然に思える点はある。だが、もしこれが本当に“人工的に造られた世界”であるとするなら、その情報量はあまりにも膨大すぎるはずだ。しかも、今喰っているチキン・ソテーはちゃんと味があるし匂いもするぞ。これだけでも信じられない。俺の時代より何十年、何百年後の科学技術なら扱えるというんだ?

 かと言って、この町は現実に存在する町で、俺は催眠術をかけられて連れて来られただけ、などという解釈にも無理がある。第一、最初に見せられた“周りで幕が上がる光景”はどう説明する? あれは、俺の視覚を始めとする五感が完全に誰かのコントロール下にあって、その誰かが造り出した世界を俺の五感を通じて知覚させている、としか考えられない。少なくとも、異星人に誘拐エイリアン・アブダクションされて実験台にされている、などという荒唐無稽な考えよりは妥当性が高い。

 ともあれ、現時点で優先的に調べなければならないのは、盗みのターゲットである指輪のことであって、この世界を成立させている技術を探るのはその後だ。それなのにそのターゲットについて全く情報が集められなかったんだから、話にならない。明日はもう少し広い範囲を調べるか、それとも調べる方法を変えるか。何しろ、今までの解錠遊びではターゲットにする錠は何でもよくて、ターゲットを探すことに慣れてないからな。聞き込みだってやったこともない。しかし、やらなきゃ現実に戻されて射殺されとけってんじゃあ、慣れないことでもやらざるを得ない。ただし、フットボールでも慣れないポジションにコンヴァートされるのはしょっちゅうだったから、新しいことを無理矢理始めさせられること自体には、それほど抵抗はないんだがな。

 食事を終えてホテルに戻り、部屋の前に立つと、廊下に誰もいないのを確認してから、靴底からピックを取り出した。このドアの錠は旧式のレヴァータンブラー錠で、ピッキング道具で開けるような大したものじゃないが、久しくこんな錠を開けたことがないだけに、この機会に練習しておこうと思う。ステージの時代が時代だけに、ターゲットの指輪がこういう錠前で守られた金庫に入っていることも考えられるからな。レヴァーが三つのものだけに、テンション1本では少々開けにくかったが、15秒はかからなかった。それにしても、人の気配が少ない。レストランにはそれなりに客がいたから、ホテルにも他に誰か泊まっているのだろうという気はするが。

 部屋に入ると腕時計を外し、テーブルの上に置く。そしてデスク・スタンドの光の下でじっくりと眺めてみた。俺の持ち物で、まだちゃんと調べていないのはこの腕時計だけだ。だが、文字盤のデザインも、キャノピーのガラスの縁に付いたちょっとした傷も、裏蓋を開けるときに付けた引っ掻き跡も、バンドの傷み具合も、俺が憶えている俺の腕時計そのものだった。改造した形跡は少しもない。だが、クリエイターは確か、通信が可能な腕時計と言ったはずだ。であれば、どうやってかは解らないが、改造したのに違いない。マイクとスピーカーや、もしかしたらターゲットに対して反応する機能が追加されていてもおかしくない。裏蓋を開けるための道具がないので中は確かめられないが、見れば見るほど普通のアナログ時計だし、よくあるスマート・ウォッチのように画像を表示することもできそうにない。何か合い言葉が必要なのだろうか?

「ハロー、クリエイター! アブラカダブラ! 開けゴマオープン・セサミ! ホーカス・ポーカス!」

 腕時計に向かって呼びかけてみたが、反応はなかった。人前でやっていたら頭がおかしくなったと思われるかもしれない。しかし、マニュアルも渡してくれないんじゃあ、いくら便利な機能があっても使いようがないじゃないか。スパイ映画の秘密兵器でも開発者が説明してくれるし、もっと使いやすくできていそうなもんだがな。

 さて、腕時計をいじり終わったら、他には特にすることがない。TVは部屋に置いていなくて、骨董品のようなチューナーしかない。7月だからフットボールもやっていない。こんな古い時代のフットボールのゲーム中継を、一度くらいは聞いてみたいものだったがな。暇だからといってホテルの他のドアの錠を開けて回るわけにもいかないし、シャワーを浴びてもう寝ることにする。盗みに関する調査の続きは明日だ。だが、まだ半日しか経っていないとはいえ、手がかりのかけらも見つけられないのはちょっと不安ではある。

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