#1:第1日 (2) 知らない町を歩いてみた

 ホテルを出る前にロビーで新聞を見る。ウェントワース・タイムズ。つまり、ウェントワースというのがどうやらこの町の名前のようだ。ページの隅に発行元の住所が記載されていて、末尾にKSという2字があった。やはりカンザス州だったな。日付は1960年7月15日、金曜日。だいたい予想どおりか。しかし、俺の時代から見て、100年以上も前の世界が仮想空間として再現されているということだ。映画のオープン・セットでも莫大な金をかければこれくらいはできそうだが、そこまでする意義が理解できない。もっとも、仮想空間を作ってそこで泥棒をさせる意義というのも同様に理解できない。

 さて、新聞記事の内容。民主党の大統領候補ジョン・F・ケネディが今日の党大会で演説を行う、というようなことが書いてあった。ケネディねえ。歴史のクラスでそんな名前を聞いたことがある気もする。何をした大統領だっけ。よく憶えてないな。ローカル・ニュースでも明日の町議会の記事がある。土曜日に議会? ああ、この時代はまだ土曜日に働いてるんだな。その他はスポーツと交通事故と、通信社から配信された全国記事がいくつか。タブロイドで4ページしかないからあっという間に読み終わる。ターゲットの手がかりなどありそうにない。せめて、美術展が開催されるという情報でもあればまだしもだったが。

 次に、フロントレセプションで町の地図を見せてもらう。やはりここは町の南の外れで、中心部からは1マイルほど離れていることが判った。フロント係デスク・クラークに聞いてみたが、こうなったのは町の中心から離れたところに鉄道が敷かれたのが原因で、今は駅との間に少しずつ宅地ができつつあるとのことだった。そのうち町議会所も駅の近くに引っ越ししてくることになっているらしい。ただ、金持ちや議会の有力者が駅近くの土地を買い占めているので、値段が吊り上げられているのが困った点なのだそうだ。

「町の中心へは歩いても行けそうだが……」

「タクシーをお呼びしましょうか? タクシー会社は2ブロックほど向こうにあるので、2、3分で参りますよ」

 お薦めどおりにタクシーを呼んでもらった。運転手に町の中心と言っても判らないだろうから、町議会所か“砦跡フォート・サイト”と言えばいいとも教えてもらった。町のことを何も知らずに旅行に来たのかと思われると不信を招きそうなので、“砦跡”の近くに古い町並みが残っているところはないか、と当てずっぽうで聞いてみた。するとフロント係デスク・クラークは便箋を取り出し、何とかトレイルだの何とかハウスだの何とかスクールだのの名前を列挙し始めた。どうやらここは本当に古い町並みで有名なところだったらしい。裏には簡単な地図まで描いてくれた。手慣れた感じだったので、同じような目的で来る人間が他にもいるのだろう。それにしても、コピー機がない時代というのは不便なものだ。そもそも、こういう情報を携帯端末ガジェットで入手できないこと自体が不便なのだが。

 その便箋をありがたく頂戴し、呼んでもらったタクシーで“砦跡”に向かう。駅前の通りから北へ向かって真っ直ぐの一本道を走る。ところどころ、道の脇に広い家が建っている。フロント係デスク・クラークは金持ちや議会の有力者が土地を買い占めていると言っていたが、買うだけではなくて、そこに家を建てて住んでいるのだろう。住民にとっては迷惑だろうが、仮想世界のことだし俺が気にするようなことじゃない。しばらく行くと住宅が増えてきて、交差点を曲がって西へ向かったと思ったらすぐに“砦跡”に着いた。1マイルほどだから5分もかかっていない。歩いても20分ほどで来られるだろう。帰りは歩いてもいいくらいだ。

 さて“砦跡”だが、何の変哲もない空き地に石碑が建っているだけだった。所々に石積みが残っているので、何か建物があったんだろうな、というくらいのことは判る。空き地の向こう側に比較的大きな建物が建っている。便箋の地図によれば、あれが町議会所のようだ。その他の何とかハウスだのは町の中に点々と散らばっている。とりあえずそちらに用はないので、この付近を調査がてら歩いてみる。

 まず、今立っている道がこの町と他の町をつなぐ幹線道路らしく、東西に走っている。そしてこれが“ヒストリック・トレイル”で、この道に沿って歴史的建築がいくつか残されているらしい。もしかしたら国道になっているかもしれないが、番号は判らない。道の南側は比較的新しい住宅地のようだ。北側の方が家並みが古い。

 空き地の東西に道があるので、まず東側の道を北へ歩いてみる。ジョアンナストリートという名前が付いていた。通りの東側に商店がいくつかある。銀行や郵便局もある。レストランもある。しかし、フォート・ローダーデイルとは比べものにもならない貧弱な町で、俺が生まれたイリノイ州レイクフォレストよりももっと小さいだろう。レイクフォレストの町外れに行けばこんな感じだ。

 200ヤードほど歩くと交差点に行き当たる。町議会所の正面を通っている道との交差点だ。信号はない。東西の道はオードリーストリートとある。東側を見ると、道が真っ直ぐ先まで通っている。交差点の近くに雑貨屋があるが、その先には民家しかないのではと思われる。ただし、地図によれば東の方に古い教会があって、もっと行くとメトカーフ・ハウスという古い屋敷があるらしい。ターゲットに関する何かの手がかりがあるかもしれないが、後で行くことにして、ひとまずさらに北へ向かう。

 100ヤードほど歩くと交差点。交わったのはメアリーストリート。この町の道は女性の名前ばかりつけられているのだろうか。東側は民家ばかりだが、西側は道の両側に高い建物がいくつか建っている。今まで道を歩いている人をほとんど見かけなかったが、この通りには人がいた。ただし、建物はどれも古いし、高いといっても3階建てがせいぜいだ。ホテルの看板も見えるが、既に閉鎖したのではないかと思われるほど古い。それでもおそらくこの町で最も栄えている、あるいは栄えていた通りではないかと思われる。

 ジョアンナストリートはまだ北へと続いているが、メアリーストリートの方が手がかりがありそうに思うので、西へ折れる。まず目に付いたのは新聞社で、これはもちろんホテルで読んだウェントワース・タイムズの出版元だろう。それからカフェに雑貨屋、銀行。銀行はさっきも見たが、こんな小さそうな町に二つも銀行があるというのが不思議だ。レストラン、酒屋、家具屋、そして宝石店! 残念ながら宝石店は閉まっていた。黒い服を着た女が一人、店の前に立ってドアを眺めている。店が開いている時間でも確かめているのだろう。俺もちらりと見てみたが、火曜日と金曜日が休みと書いてあった。今日は金曜日だ。

 それから食料品店、電気工事屋、本屋、医院、肉屋、花屋、またレストラン……色々な店があったが、宝石店以外はターゲットに関係なさそうなものばかりだった。それとも、実は医者が大金持ちで、妻に贈った高価な指輪がターゲットだったりするのだろうか。

 さて、通りを歩いて次の交差点に出たが、ここで交わったのは砦跡の西側を通る道で、パトリシアストリート。南側を見渡すと、ジョアンナストリートとよく似た感じで民家や店が並んでいる。メアリーストリートの西側にはもう少し店が続いている。道は一直線で、遠くの方までよく見えている。パトリシアストリートの北側はほとんど民家。地図によれば、この先に古い木造の学校跡があることになっている。合衆国最古の木造校舎ならフロリダ州のセント・オーガスティンにあるのを知っているが、別に比較する必要もないだろう。子供が何人かいるのが見えるから、普通の学校もこの先にあるのかもしれない。

 次にどちらへ向かって歩くかだが、少し考えてからメアリーストリートを引き返すことにした。どこかのレストランかカフェに入ろうと思う。町のことを調べ始めてからまだ30分も経っていないが、住民と話がしてみたい。一人で歩きながら町を外から眺めてるだけでは、たいして情報は集まらないからな。中途半端な時間のせいか、レストランは閉まっているところばかりだったので、カフェに入ることにした。先ほど通り過ぎた店のドアを開けて中に入る。看板にはハワードの店ハワーズとあった。

「いらっしゃい」

 眼鏡をかけて口髭を生やした中年の男が声をかけてきた。店主だろう。だが、俺が席に座って手を上げても、カウンターの中に座ったまま微動だにしない。しばらくすると、店の奥から古風なエプロンを着けた女が出てきた。カウンターの他にテーブルが二つしかないような狭い店なのに、ウェイトレスがいるのかと思ったが、たぶん店主の妻なのだろう。こんな田舎にしては、と言っては失礼かもしれないが、かなりの美人だった。ただし、年はそれほど若くなさそうだ。30代後半といったところだろう。黒の長髪を後ろで束ねている。ラテン系に見えるので、ヒスパニックかもしれない。その中年美女は俺の席の横に立って、にこやかに微笑んでいるだけで何も言わない。注文を聞きに来たのだろうとは思うが。

「お薦めのコーヒーは?」

 俺が訊くと、中年美女は小首をかしげながら少し考えた後で答えた。

「ハウス・ブレンドをポア・オーヴァーで」

 やはりというか、スペイン訛りだった。少し考えたのは、この店は常連ばかりで、俺みたいにお薦めを訊く客は少ないからだろう。

「OK、それをくれ」

「ハム・サンドウィッチも一緒にどう?」

「コーヒーだけでいい。腹が空いてないんだ」

 中年美女はまたにこりと笑うと、店主の方へ戻っていった。注文を伝えたようには見えないが、店主がドリッパーでコーヒーを淹れ始めた。店内にコーヒーの香りが強く漂って、しばらくすると中年美女がコーヒーと砂糖壺を持ってきた。

「あら、ヒストリック・トレイルを見に来たの?」

 コーヒーを待っている間に俺が見ていた地図を目ざとく見つけて、中年美女が話しかけてきた。こちらからこの地図を使って話を聞こうと思っていたのだが、手間が省けて助かる。

「ああ、これから見に行くんだ。ついさっき、この町に来たばかりでね」

「車で来たの?」

「いや、列車だ。トレイルを見に来る人は多いのか?」

「そうね、年に千人くらいじゃないかしら」

 それじゃ、多くないじゃないか。もっとも、この町の歴史的遺跡を見に来る人がみんなこの店に寄るわけじゃないだろうから、彼女が実数を知らなくても当然だろうが。

「トレイルや古い建物の他に、どこか名所は?」

「さあ……」

 彼女はそう言うとまた小首をかしげて考え始めた。

「キャンプ場くらいじゃないかしら。湖があるのよ。それほど広くないけど」

 そりゃ名所じゃないし、そういうところへ行く人は車で来るんだろう。そうすると、ほとんど観光客が来ることがなく、さりとて大企業があるわけでもなさそうな小さな町なのに、駅前に2軒もホテルがあるのは不思議だ。

「ここは古い町らしいけど、駅の方に移転するそうだね」

「移転? そうね、古い家からだんだん駅の近くに引っ越してるみたい」

「この店もいずれは引っ越す?」

「どうかしら? お客が来なくなったら考えると思うわ。でも、駅前がもっと便利にならないとね。店がまだほとんどないから。議会がスーパー・マーケットでも誘致してくれればいいのに」

 なるほど、少なくとも彼女は移転についてあまり乗り気ではないようだ。しかし、彼女の意見が町の代表とは限らないし、他のところでも聞いてみる必要があるな。

「この通りには色々店があるようだけど、それでも足りないのかな」

「そういうわけでもないけど、お店が少しずつ移転してたんじゃ、買い物の時に困るでしょ。ここと駅前を行ったり来たりしなきゃいけないし」

「なるほど」

「他には、そうね、病院と学校。病院は隣のレミントンまで行かないといけないから、この町にも欲しいわ。学校は建物が古いから早く建て替えないと。もっとも、うちの娘はもう卒業したからもう関係ないけど」

「卒業って、高校を?」

 さすがにそんなに大きな娘がいるとは思わなかった。もしかしたらしたら40代前半? いや、昔の女性は結婚が早かったらしいから、30代後半で合っているかもしれないが。

「ええ、そうよ。あら、あなた、もしかして駅前のハンプトンに泊まってる? 娘はそこで掃除婦ジャニトレスをしてるんだけど」

「ほう。じゃあ、枕銭ピロー・チップを奮発しておくかな」

「あら、いいえ、ルーム・メイクはまださせてもらえなくて、ロビーや廊下の係なのよ」

 その時、二人連れの客がやって来て、美女はそちらの方へ注文を聞きに行ってしまった。愛想よく話しかけているから、常連客かもしれない。この後、彼女を呼び返して話の続きをすることは無理だろう。店主は雑談に付き合いそうな雰囲気じゃない。客の相手は先ほどの美女の方で、店主はコーヒーを淹れることに専念しているのに違いない。コーヒーを飲み終わったら大人しく出て行くことにする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る