ステージ#1:第1日
#1:第1日 (1) これがVRか!?
――いや、もう。
何がびっくりしたかって、本当に俺の周りの幕が上がったことだ! 演劇の
小説なんかだとこんな場合は「目を開けるといつの間にか知らない場所にいた」ってことになると思うんだが、そうじゃない、俺は暗闇の中で目を開けたまま立っていた。そうしたら、周りにあった幕が上がって――おそらくは四角い部屋の周囲の幕が上がって――光が入ってきて、どこかの田舎の駅の風景が目に入ってきた。足下も、いつの間にか安っぽいコンクリートの歩廊になっている。木の床がどうなったのかとか、上がったはずの幕はどこへ行ったんだとか、天井はどうなったんだとか、他の人間には幕が見えなかったのかとか、そういう数々の疑問で頭が混乱したままだった。
駅……だよな、確かに。どこの駅かはわからない。周りにはどうやら列車から降りたばかりというような連中が数人いて、何ごとか話しながら駅の出口へと歩いている。少しだが、風も吹いている。もう行ってしまったと思われる列車の、ディーゼルの排気の匂いさえする。これが、本当に仮想空間なのか?
目の辺りに手を当ててみた。もしかしたら仮想現実を見るためのバイザーでもかぶっているのかと思ったが、やはり違った。そもそも、そんな物を身につけている感覚すらない。目の中に異物があるわけでもない。この景色はどうやって俺の目に見えているのか? 実物がそこにあるとしか思えないんだが。
足下をもう一度踏みしめてみる。紛れもなくコンクリートだ。ついでに靴を見てみたが、昨日の夜に履いていたリーボックのスニーカーだ。細かい傷跡や底の減り具合に見覚えがあるし、靴紐の結びも俺のやり方だ。ジーンズはラングラー、シャツはギットマンのグレーのボタンダウン。全て昨夜のままだ。もちろん、昼間に着ていても別におかしくない服装だが、やはり俺は昨夜の続きでこの場に連れてこられたのだということになる。しかしあれから半日経ったなんてとても思えない。それでも太陽は空の遥か高いところにある……
いやはや、いったいどういう仕掛けになっているのか、もう少しこの世界を調べてみる必要があるな。目の前には駅の出口があるが、つい先ほどまで、そこには幕があったはずだ。幕が上がったのを、確かに見たんだから。まさか、そこに目に見えない壁でもあるのか。とりあえずそこまで行ってみよう。
「
出口の方へ歩きかけたときに、誰かに呼び止められた。確かに俺を呼び止めたのだろう。声のした方を見ると、駅員が――いや、あるいはポーターなのかもしれないが、古めかしい制服に身を包んだ男が――立っている。この男も
「その荷物は、あんたのじゃないのか?」
その男が指差すところを見ると、
「ああ、そう、そうだ」
しかし、他の誰の物でもなさそうなんだから、俺の物であるに違いない。数歩戻って
「ありがとう。列車の中で、少し寝ていたんでね。うっかりしていた」
「それはよかった。列車の中に忘れ物はなかったかね」
「ああ、それはない。ところで、一つ訊きたいんだが」
ここはどこだ、と訊きかけて、少し迷った。どこだか判らないような駅で降りたのかと思われると、不信を招くかもしれない。ここはどこか、そして今はいつなのかは、もっと慎重に探る必要があるだろう。そもそも、あのクリエイターという奴の言うことが事実なら、ここは実在する町ではない。
「ホテルまではどう行けばいい?」
「どこのホテルだね? タクシーで行けばいいと思うが」
「いや、どこに泊まるか、まだ決めていないんだ。それに、歩きながら町の様子も見てみたいんでね」
「そうかい。じゃあ、
制服の男はそう言いながら出口の方へ歩いて行った。俺も
歩きながら周りを見る。やはり、どこだかわからない田舎の駅だ。殺風景な待合室があるだけで、大して広くはない。駅舎は木造で、白壁板が古ぼけている。駅前はちょっとした車だまりがあって、タクシーが1台停まっているきりだ。しかもそいつはガソリン・エンジンだ。型も古い。周りに高い建物はほとんどなくて、煉瓦造りの商店や銀行らしき建物がまばらに建っている。制服の男はそこで立ち止まって、正面に向かって伸びる道を指差しながら言った。
「駅の近くにホテルは2件しかない。正面の通りの左側の、3階建ての石造りの建物が見えるかね」
大して広くもない道で、ずっと向こうの方まで続いているようだ。この遠近感、どう見ても本物の町にしか思えない。本当にさっきまで俺は舞台の上に立っていたのだろうかという気さえする。
「ああ」
「あれがハンプトンだ。あれがこの辺りで一番大きい。それからその先の、通りの右側にウェスタンがある。こちらはそれほど大きくないが、中で食事ができる。後はずっと北の方に行けばモーテルが何軒があるが、どこにするかは見てから決めたらいいさ」
「ありがとう」
そう言いながらジーンズの前ポケットに手を突っ込んだ。小銭があるはずだが、と思ったが、ない。後ろのポケットから財布を取り出す。いやに分厚いと思ってよく見ると、紙幣が30枚ばかり詰まっている。普段はこんなに持ち歩かない。だいたい
そういえばクリエーターが言っていた。
「ホテルの場所を教えただけでこんなにくれるとは、ずいぶん気前がいいな。まあ、
「ありがとう」
再度、礼を言いながら、今教えられたホテルの方角に向かって歩き始めた。財布の中の所持金や、その他の持ち物はホテルに着いてから改めるとして、一つ判ったことがある。今はどうやら20世紀の真ん中辺り、おそらく1950年代か60年代だろう。1ドル紙幣が、古いデザインだった。2年ほど前、つまり2063年に、1ドル紙幣が今のデザインになってから100年経ったと聞いたことがある。その1ドル紙幣とはデザインが違ったんだから、この世界は1960年代以前ということになる。あの男にチップのつもりで1ドル渡したのは、確かに多すぎた。50セントでも充分だったはずだ。だが、貨幣価値がどれくらい違うかはよく判らない。どこかで買い物をしてみなけりゃあ。
ひとまず、ハンプトン・インに行ってみることにする。ハンプトン・インなら俺の時代にもある。ただし、ホテル・チェーンだの経営者だのは違っていることだろう。それにそもそも、ここは
ついでに歩きながら周りを観察する。まずは空だ。さっき幕が開けたときには、天井もあった気がした。だが、上を見ても見渡す限り、抜けるような青い空だ。ご丁寧に雲が一つ二つ浮かんでいて、それがゆっくりと動いている。天井に景色が投影してあるようには見えない。足下の道も、安っぽいアスファルト舗装だが、本物の地面だ。近くに煉瓦造りの建物があったので、さりげなく壁を触ってみる。間違いなく煉瓦の手触りだ。ここはどこからどう見ても、本物の町だ。視覚だけじゃない、仮想現実でこれほどの量感や質感が再現できるとは思えないくらいに。
では、人間はどうか。もちろん、先ほど駅で案内してもらった男が本物の人間だったのは疑いない。しかし、他の人間にも会って話をしてみたい。あいにく、田舎の町だからかもしれないが、人通りがほとんどない。なぜこんな所に駅が、と思うくらいに寂れている。しかし、ホテルがあるからには、それなりに人が訪れるような規模の町なのだろう。駅が中心部から外れているだけなのかもしれない。
200ヤードばかり歩くと、石造りのホテルの
「
「いや、まだこことは決めていない」
「そうですか。しかし、本日ならよいお部屋に空きがあると思いますが」
ドアマンのしゃべり方に少し訛りがある。何となく中部アメリカ語のように聞こえる。大学の
「そうか。じゃあ、どんな部屋が取れるか訊いてみよう」
「お荷物をお持ちしましょう」
「いや、大した荷物じゃないから自分で持って行く」
ドアマンに50セントを渡しながら言った。
「おや、そうなんで。では、どうぞこちらへ」
そう言うとドアマンはドアを開けて俺をホテルの中へ通した。そしてベル・ボーイに合図を送る。何も言わなかったが、何か
「いらっしゃいませ。ご予約はございますか?」
ドアマンよりも訛りが少ない
「いや、ない」
「さようで。しかし、本日なら大変よいお部屋に空きがございますのでお泊まりいただけます。明日のご出発ですか? それともしばらくご滞在でしょうか」
「それも決めてない」
「さようで。まあ、ここ数日間は予約も少ないですので、何泊でもしていただけると思いますよ。お名前をいただけましょうか」
「スミス。ジョン・スミスだ」
とっさに偽名を使った。こんな素性の知れない世界で、本名を名乗る気になれない。身分証を見せろと言われたら困るが、先ほどのドアマンやベル・ボーイの無警戒さから見る限り、大丈夫だろう。
「ミスター・ジョン・スミス、
そう言って
「フロリダ州のミスター・ジョン・スミスというお名前で既にご予約を頂いておりますが、お心当たりはございませんでしょうか」
「ないね。同姓同名だろう。よくある名前だから」
偽名を名乗ってるんだから予約があるわけがない。しかし、フロリダ州と言われたのでさすがに驚いた。もしかしたら、俺が偽名を使うことをクリエイターって奴に見抜かれているんじゃないか、と。どうも先程から疑り深くなっている。
「さようで。それでは、こちらの
偽名を使ったついでに、住所の方は俺が生まれたイリノイ州レイクフォレストの地番を書いた。電話番号も昔のものだ。嘘を書いたところで、電話を架けてまで身元を確かめやしないだろうし、どうせこの世界は後で消えてしまうんだから、気にすることはない。1泊分だけ前払いで頂きますと言われたので払ったが、5ドルと言われて内心驚いた。冗談みたいな安さだ。
「ありがとうございます。お部屋は3階の1号室をご用意いたしました。ご滞在が1週間程度になっても同じ部屋をお使いいただけるようにいたしますが、それ以上になるようでしたら、改めてご相談下さい。お食事は隣の建物のレストランをご利用いただけます。お部屋番号でご精算ができます。ルーム・サーヴィスやクリーニングをご利用の時は9番にお電話下さい。階段はあちらです」
「ありがとう」
鍵を受け取ると、階段に向かった。そうか、この時代、エレヴェーターはまだこんな田舎まで普及していないってことになってるんだな。まあ、俺の
3階まで上がり、1号室のドア錠を開けて中に入ると、
他、財布の中には
次に、
さて、これからどうするか。ベッドで仰向けになって考えてみる。今がいつなのかを調べる必要もあるが、それよりも肝心なのは盗みのターゲットとして指定されている
とにかく、今いるところが“ゲーム”の世界であるとするなら、ターゲットの情報を仕入れる方法が何かあるはずだ。これから夕食までの間にこの町をぶらついて、金目の物を持っていそうな家でも物色してみるか。ベッドから起き上がると、財布の中に金とカード類を戻し、着替えなどを
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