プレシーズン:解錠は泥棒の始まり (2)

 フォート・ローダーデイルというのは基本的に保養地で、ラス・オラス通りブールヴァードを中心にして夜でも賑やかなところだ。だが、金融街や住宅地は夜中の1時を過ぎるとさすがにひっそりしている。運河が多く、“アメリカのヴェニスヴェニス・オヴ・アメリカ”とも呼ばれ、富裕層の避寒のための別荘が多い。しかし、そんな別荘から金目の物を盗むのが目的ではない。そういう家の錠を開けて回っているだけだ。後でちゃんと閉めるし、バレたことはない……と思ってはいるが。

 しかし、普通の家の錠というのはパターンに限りがあるし、特にこの辺りは治安が比較的いいものだから、凝った錠を付けているところも少ない。電子錠なんかだと、開ける楽しみすらない。だから最近のターゲットはもっぱら金融街の方だ。この付近の銀行の錠はたいがい開け終わったので――と言っても大金庫を開けようとかいうんじゃなくて、事務所の中に入る程度までにしているが――最近は貸金業者の建物の錠に挑戦している。特に、あざとい商売をしてあぶく銭イージー・マネーを稼いでいるところは、錠も厳重なのをつけていて、やりがいがあるというものだ。ただ、警備員だの防犯カメラだのをケアしなければいけないのが面倒くさい。まあ、これは貸金だろうと銀行だろうと個人宅だろうと、程度の差があるだけで、いつも悩むところなのだが。

 今夜のターゲットはそういうあざとい商売をしているところの一つで、いわゆるペイデイ・ローンなのだが、業者の名前はよく憶えていない。店の場所を知っているだけだ。ダウンタウンの一つ裏通りに、派手なネオンの看板を掲げて店を出しているが、さすがにこの時間はネオンの明かりも消えている。通りに人影がないのを見定めてから――フォート・ローダーデイルの治安の良さは警察の丁寧な巡回のおかげでもあるのだが、彼らにもやはり隙というものはあるわけで――建物の横の路地に入り、裏口のドアを探す。このドアの錠は単純なピンタンブラー錠で、これはおそらく簡単に開く。指紋が残らないように薄手の革手袋を着け、あらかじめ靴底からポケットに移動させておいたピックを取り出し、3、4度鍵穴の中を掻き回しただけで楽に開いた。時間は15秒ほど。慣れない頃なら2分はかかっただろうが、長年の練習の賜物だ。

 素早くドアを開け、中に忍び込むと、そっと錠を掛け直す。それからしばらく耳を澄ます。建物内に誰もいないことを確認してから、階段を上がる。この建物は4階まであって、貸金の事務所は2階にある。1階の店だけが、表通りのドアから入るようになっている。この手の複数業者が入った建物は、共同入口に電子錠を付けない。多数の人間に解錠番号を教えるのはセキュリティー的に問題があるからだ。形ばかりの錠を付けて、後はそれぞれの出入口をケアしてくれ、といった形になっている。

 階段を上がりながら、天井を見上げる。監視カメラが当然のようにぶら下がっている。まあ、あれに映ったとしても被害がない限り録画を見直すことはないはずだし、顔がはっきり映らないようにさえすればいい。後ろ姿だけが映るようにしながら2階まで上がり、ドアの前で改めて耳を澄ます。やはり中には誰もいない。ドア・ノブをペン・ライトで確認した。鍵穴がある。やはりシリンダー錠。ペン・ライトを上に滑らせていくと、もう一つ鍵穴があった。1ドア2ロックス。まあ、これが普通だから仕方ない。

 まずは上の鍵穴にピックを差し込み、手ごたえを調べる。どうやらディスクタンブラー錠だ。ピンタンブラーよりも多少難しくはあるが、構造さえ理解していれば何ということはない。ディスクは五つ……いや、六つか。ディスクの感触を確かめながら、それぞれを正しい位置まで動かすことを繰り返し、全部合わせ終わったらテンションを回す。開いた。この間、1分ほど。慣れると簡単だが、慣れるまでが難しい。指先が勝手に動くほどまで練習すれば、そこそこ簡単に開けられるようになる。ただし、たまにはやり損なって30秒ほど余計に時間を食うこともある。

 残るもう一つ、ドア・ノブの鍵穴にピックとテンションを指し込む。構造を探っていると、思ったとおり、これはさっきと同じ錠だ。本当は上下に違う錠をつけるのが一番だが、鍵も二つ要るから開けるのが面倒くさい。泥棒は錠が二つついているだけで諦めやすい、という錠前屋の助言に従ったのだろう。甘い。いくらこの辺りの治安が他の地域よりましだからといって、油断すると俺みたいな趣味人にすらやられるんだ。

 さて、開けたらさっさと中に入りたくなるが、中にもおそらく防犯カメラがあり、確実にこのドアを見張っているはずなので、映っても人相がわかりにくくなるように、帽子をかぶりサングラスをかけ、バンダナで口元を覆う。西部劇の無法者ギャングスターみたいだ。それからようやくドアを開けて中に入る。少し見上げれば真正面の天井に監視カメラがある。一瞬だけペン・ライトで照らしてみたが、どうも赤外線カメラじゃないようだ。これじゃ何にも映らないんじゃないか? 泥棒が明かりを点けて盗みをすることでも期待してるのかと言いたくなる。

 それはそれとして、金庫だ。部屋の奥の隅の方へ歩いて行き、壁の一角にあるはずの金庫の前に立つ。店に来た客の方からは衝立があって見えないが、ここに金庫があるのは知っている。俺が偵察に来たわけじゃなく、ここに金を借りに来た友達からたまたまそう聞いた。この金庫も監視カメラで見張られているかもしれないが、なに、振り返らなければいいだけのことだ。

 手探りで金庫の表面を触り、錠の位置を確かめる。コンビネーション・ダイヤル錠! 今時、珍しいことだ。それとシリンダー錠の組み合わせか。まずはシリンダー錠の方を開ける。さすがに先程のドアの錠とは違っていて、メディコ社のアングルド・カットのピンタンブラー錠だ。しかも上下だけではなく左右も加えて4方向にピンがあるやつだから、こいつはけっこう難しい。さすがにドアの錠をケチるだけのことはある。まあ、時間制限があるわけでもないので、15分くらいやってみて開かなければ諦めて帰るだけのことだ。

 と、思っていたのだが……上のピンを揃えて、ようやく下のピンにかかろうとしたところで、下の階で人の動く気配がした。警備員か? よく判らなかったが、ドアを開けるのに手間取っているということは警備員ではない。しかし、ともかく解錠ピッキングは中断だ。立ち上がると、部屋の反対側の隅へ、音を立てないよう注意しながら移動した。そして来客用の椅子の陰に隠れる。階段をそっと上がる足音がして、誰かがドアの前に立った。二人組くらいか。そしてドアをピッキングする音が聞こえてきた。いやいやいや、これはちょっとした失態だ。本物の泥棒が入って来ようとしているのだ。こういう事態も考えないではなかったが、給料日の夜なので、一番確率の低い日を選んだつもりなんだがな。

 俺が1分で開けた錠を5分もかかって、それが二つだから計10分もかけてドアを開け、本物の泥棒二人組が入ってきた。手際の悪いことだ。それでも金庫の位置は知っているらしく、しかし不用心に足音を立てながら、そちらの方へ向かっていく。小声だが、何やら相談事をしている。少なくとも英語ではないようだ。まあ、この手の犯罪者はこの辺りじゃあ、ほとんどが不法滞在の外国人と決まっているが。

 とにかくその泥棒デュオは、小声で何やらしゃべった後で、一人が金庫を開けようとし始めた。だが、こんな小難しい金庫に対して、俺のようにピッキングで開けようとするんじゃあるまい、と思っていたら、やはりドリルか何かを取り出してきて、キリキリと金属音を立て始めた。耳障りだし、スマートな開け方でもない。それにあの合金の扉にドリルの歯は立たないんじゃないか、と思っていたら、5分ほどしてまた何か小声の相談が聞こえて、ドリルを床に置く音がした。いやはや音を立てることを全く気にしない連中だ。

 諦めて退散してくれればいいのに、と思ったのだが、今度はようやくピッキングを始めたようだ。しかし、ドアの解錠ですらあれほど手際が悪かったのだから、2時間くらいはかかるんじゃないか。おまけに、コンビネーション錠の方もある。夜明けまでやられたら付き合いきれない。5分経ち、10分経つうちに、かなりいらついてきたようで、声が少しずつ大きくなってきた。何語をしゃべっているのかまではよく判らないが、とにかく下品な響きだ。

 15分ほど経って、ピンッという鋭い金属音が聞こえてきた。あーあ、どうやらピックを折っちまったらしい。これじゃあ、鍵穴がふさがってしまって、今夜は俺の方も仕事を諦めざるを得ない。泥棒デュオもこれにはさすがに困ったようで、どうするのかと思ったら、しばらく相談した後、金庫を動かそうとし始めやがった! なんてことしやがるんだ、そんなことしたら警備会社に通報が行くだろうが。もちろん、この場では防犯ベルも鳴らないが、通報されたことに泥棒が気付かない間に警備員が駆けつけるという仕掛けなのだ。奴らはともかく、俺はここから逃げ出さなければならないのだが、あいにくドアには奴らの方が近いので、出るに出られない。それに、今、外に出ても警備員がすぐ近くまで来ている可能性が高い。そうなれば捕まってしまう。奴らを囮にしてでも何とかやり過ごすしかないのだが、さてどうするか。

 考える間もなく、下の通りに車がやってくる音がした。ちょっと待て、いくら何でも早過ぎるぞ? レスポンス・タイムは5分程度と踏んでいたが、2分かかってないじゃないか。だが、泥棒デュオの方は全く気付かずに、金庫を懸命に引っ張っている。下の入口の辺りから声が聞こえてきて、ようやく奴らも気付いたようだ。二言三言相談した後、どうするかと思っていたら、ドアを開け、無謀にも下の階へ降りて行った。チャンスは今しかない!

 そっとドアに近付き、階段の下の様子を伺う。泥棒デュオが、警備員にドアが開けられるのを食い止めようとしているようだ。ドアを叩く音に続いて、パン!と銃声が聞こえた。だからちょっと待てって! 駆けつけるのが早過ぎる上に、いきなり発砲だと? まずいな、この貸金の警備会社は私設だったのか。見つかったら俺もいきなり鉛玉で脳天に風穴を開けられそうだぞ。

 下で大騒ぎが始まろうとしている隙に、ドアを出て階段を駆け上がった。この建物は4階まである。うまくいけば警備員をやり過ごせるかもしれない。もちろん、うまくいかない可能性の方が高そうな気がするが。なぜなら、泥棒が入ったと判れば警備会社はすぐに防犯カメラの映像をチェックするに違いないからだ。そうなれば、あの泥棒デュオの前にもう一人入った奴がいて、そいつが出て行った形跡がないのが判ってしまう。そして、そいつを見つけ出すまで警備員は帰らないというわけだ。階段を駆け上がっていると、銃声が4、5発連続で聞こえてきた。これは本格的にまずくなってきやがった。

 屋上へ出ようかとも思ったが、4階に潜むことにした。屋上から下へ降りたり隣のビルへ飛び移ったりすることができないのは判っている。ならば、4階の店の中の方が隠れられる可能性がある。もっとも、防犯カメラを後の方まで見れば4階の店に入ったことがバレてしまうけれども。

 4階は家具屋で、さほど厳重な警備をしているわけではなく、ドアの錠も一つだった。素早く錠を開けて中に入り、ドアを閉めた途端、階段の灯りが全部点いた。下がどうなったかはよく判らないし、泥棒デュオの末路も別に知りたくないが、どうやら家捜しが始まりそうだ。後ろ手でドアの錠をかけてから、部屋の奥へと進んだ。

 家具屋だけあって、クローゼットやベッドもある。隠れる場所はたくさんありそうだが、さほど広くない部屋だけに、どこに隠れたって簡単に見つかりそうだ。それならベッドの上に寝転ぶか、椅子に座ってゆっくり待つ方がいい。ドアの方がよく見えるソファーを見つけると、そこに座った。捕まるだけで済めばいいが、さっきの騒ぎから察するに、見つけ次第無条件で発砲ということになりそうだ。俺の26年の短い人生も終わりということかな。学生時代に解錠の趣味のせいで一度無断侵入の現場を押さえられているし、それ自体は警察沙汰にはならなかったものの、将来ろくなことにならないのは判っていたのだが。そもそも、解錠なんていう趣味を持つ方が悪いよな。

 階段を上がる足音が聞こえてきた。ドアを合い鍵で開ける音。そしてドアが開いた。警備員が2、3人。階段の灯りが逆光になって顔は見えない。だが、向こうからは俺がソファーに座っているのが見えていることだろう。俺は椅子に座ったまま両手を挙げた。が、「動くな!」の声もなく、いきなり銃声が聞こえた。そして灯りが消えた。窓の外からのほのかな光も同時に消え、全てが闇に包まれた。

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