仮想(ヴァーチャル)泥棒ゲーム

葛西京介

プレシーズン:解錠は泥棒の始まり (He that will unlock will steal.)

プレシーズン:解錠は泥棒の始まり (1)

 夜になるのが楽しみだという人間は多いかもしれないが、日付が変わるのが楽しみだなんていうと、まるで子供のようだと思われそうだ。おまけにダウン・タウンの場末のナイト・バーで、一人食事をしている間に日付が変わっているなんて、よっぽど寂しい人間に違いない。

 だが、夜の仕事というのは少なからず他人の役に立つことであって、それが多少なりとも自分に対する慰めであるし、さらに遅くまで働いている人間がいるというのは感謝の一言に尽きる。うるさい音楽も鳴らさないし、色気のある女性店員キャストがいるわけでもないナイト・バーで、そこそこうまい魚料理を食べながら、夜更かししているというのはいいものだ。より正確には、日付が変わるのが楽しみなのではなくて、日付が変わった後に楽しみにしていることがあるというだけなのだが。

「ヘイ、アーティー」

 足下を少々ふらつかせた男が、俺に声をかけながら近付いてくる。ニック・ロングヤード、水道工事屋だ。腕のいい職人だが、週末になると飲みに来て、もらったばかりの給料をほとんどなくしてしまう。

「まだ食事中かい」

「ああ」

「そうかい、毎晩遅くまで大変だな、スーパー・マーケットの品出し係ストック・クラークってのも」

「そうだな、でも一番割がいいからな、この時間が」

 品出し係ストック・クラークだから足りなくなった商品を棚に出すのが仕事だが、客が自動精算機をちゃんと通るか見ているのも仕事のうちだ。そういう見張りがいないといけないのが合衆国の悪いところだ。そもそも、この時間帯にパート・タイマーをやっているのは、昼間はフットボールの練習があるからだ。アリーナ・フットボールは結構人気があるのに、ゲームが少ないものだから給料は保険会社の販売員の半分くらいしかない。副業がないと生活ができないんだから情けない。

「何飲んでるんだ?」

「フロリダ」

「オレンジ・ジュースかよ。食事はいつ終わる?」

「何の用だ?」

「錠を開けて欲しい……俺の車のだ」

 ニックは最後だけ声を少し小さくして言った。だが、何も小声になる必要なんてない。今、このバーにいる連中は、俺が解錠ロック・ピッキングを趣味にしていることくらい知っている。バーテンダーのダグなんぞ、家の錠まで俺に開けさせたことがある。

「そうか、別に今すぐでもいいが」

「そりゃあ助かる……俺も早く帰りたいからな」

 それなら日付が変わるまで飲んだりせずに、さっさと帰りゃいいと思うが。

「ダグ!」

 カウンターの方に一声かけながら立ち上がった。ダグは酒の壜を拭きながら、顔だけこちらへ向けた。

「すぐ戻る。下げないでくれよ」

 ダグは無言で頷いた。ニックと二人でバーを出た。ニックの車が置いてあるところはだいたい判っている。バーの裏手にある、廃工場の駐車場だ。ここを勝手にバーの駐車場扱いしている奴は多い。だが、そもそもバーへ車で来るのがおかしい。俺みたいに、酒を飲まずに食事だけするのが目的じゃないのならまだしも。

「どの車?」

「これだ、こいつだ」

 ニックはグレーのホンダのドアを軽く拳で叩きながら言った。15年落ちくらいの中古車だが、さすがに日本車だけあって、こいつの錠を開けるのは至難の業だ。この車種は元々キーレス・エントリーだったはずだが、中古車で売るときは防犯や値下げのために機能を外している場合もある。ニックのももちろんそうだ。

「鍵を落としたのか、それとも、インロックか?」

「インロックだ。ドアを閉めた後で、財布をグローヴ・ボックスに忘れたことに気が付いてよ。もう一度開けて、ボックスを探すときに鍵をシートにでも置いたらしいんだが……どうもあのボックスは、最近開けるのが硬くなっててなあ」

「どこに置いたか、覗き込んで探しておいてくれよ。ドアは開いたが鍵がないってんじゃ開ける意味がない。俺はあっち側の錠を開けてみるよ」

「ああ、よろしく頼む……暗くて中がほとんど見えやしねえ……」

 助手席側に回り込むと、靴底から解錠道具ピックを取り出した。もちろん、こんなものは持ち歩くだけでも法令違反だから、こうして靴底に穴を開けて、簡単に見つからないようにしている。趣味の解錠ピッキングをやるときだけ持ち歩いてもいいのだが、今日みたいに急に入り用になるときもある。マジックが趣味の奴はいつもマジックの種を持ち歩いているらしいから、同じようなものだ。

 さて、鍵がないときの車の錠の開け方だが、ドア窓の隙間から針金を突っ込んでドア・ロックのノブを引っ張り上げるのが普通だ。中古車ディーラーも、たいがいそうやって錠を開けているらしい。ただし、普通は合い鍵を造る。もちろん鍵の番号が判っていることが必要条件だが。変わったところでは鍵穴に強烈な空気圧をかけてやるとノブが浮き上がる、なんて方法もある。ピッキングで車の錠を開けようとするのはAAAアメリカ自動車協会の作業員か、それとも泥棒かのどちらかだと思っていい。俺はそのどちらでもないが、趣味でやっているので、強いて言えば後者に近い。だが、今の場合は前者だろう。

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、日本車の錠というのはやはり精巧にできていて、なかなかピッキングでも開けにくいのだが、俺は知り合いの車のドアを勝手に開けることで練習させてもらっている。ニックの車もその一つで、あいつが知らない間に俺はこの車の錠を5回は開けたことがある。大いに練習になったもんだ。だからこの錠の開け方は完全に解っていて、真剣にやれば15秒もかからない。もっとも、簡単に開けたなんてことがニックにバレるとまずいから、錠を開けた後でピックを元通り靴底に隠し、助手席のドア・ノブを2、3度ガチャガチャさせてから、おもむろにドアを開けた。

「おい、ニック」

「あっ!」

 俺がニックに呼びかけるのと、奴が声を上げたのがほとんど同時だった。

「そ、そんな、そっちのドアが開いてたなんて……」

 鍵を探そうと窓から車内を覗いているときに、助手席のドアが開いたのが見えたのだろう。しかも車内灯が点いたのだ。ニックは顔を上げるとあっけにとられた表情でルーフ越しに俺の方を見ていた。

「ドアが硬かったぞ。最近、こっちのは使ってなかったのか?」

「あ、ああ、そ、そうだが……いやしかし、さっき俺はそっちのドアも開けてみたんだが……」

「酔っ払ってて、腕に力が入りきらなかったんだろうぜ。まあいいから乗れよ。ほら、鍵もお前が言ったとおり、シートの上にある」

 シートに置かれた鍵が、車内灯に照らされている。ニックは腑に落ちない表情をしながらも助手席の側へ回ってくると、中へ転がり込んだ。鍵を取って、運転席に座り、エンジンをかける。そして俺の方を見ながら言った。

「すまねえな、こんなところまで引っ張り出しといてよ。こっちのドアが開いてたなんてなぁ……」

「なに、気にするな。こないだジョンの奴も似たようなことやらかしたらしいぜ」

「そうかい、酔っ払いはこれだからいけねえ。今度、フロリダくらいおごらせてもらうよ」

「おいおい、俺は何もしてないぜ。礼なんかいらんよ。それより、帰りに酔っ払い運転で捕まらないようにしな」

「ああ、気を付けらあ……明日はゲームかい?」

「いや、明日はバイ・ウィークだ。来週ニュー・オーリンズに行く」

「そうかい、頑張れよ。グッド・ナイト!」

 俺が助手席のドアを閉めると、ニックは車を出し、軽く片手を上げて挨拶しながら帰って行った。最後に俺のゲームのことを気遣ってくれるなんぞ、本当にいいやつだ。自分の車が俺の解錠の練習台になってたなんて気付いたら、どんな顔をするかわかったものじゃないが。

 バーに帰ると、他の客はいなくなっていた。俺の食事はそのままにされていた。

「開いたのか」

 ダグがさりげなく話しかけてきた。手持ちぶさたそうにしているが、俺の方に寄ってきたりはしない。出しゃばらずに気遣いをしてくれる、いい奴だ。ただし、常連の俺に対しても飲食代を割引きしてくれることはないし、ツケタブで喰わせてくれることもない。

「いや、閉まってなかった。助手席の方がな」

「そうかい」

 ダグはそれだけ言うとまた黙ったが、本当はどうだったかたぶん気付いているだろう。同じようなことが、既に3回はあったからな。いくら親切で錠を開けてやっても、それが何度もあったんじゃ、俺がまるで泥棒のように思われてしまってまずい。魚の残りを口に突っ込んでから店の時計を見ると、もう1時前だ。食事が終わったらそろそろ行くことにする。さっきの錠の件は、時間つぶしにはちょうどよかった。

 食べ終わって、ダグに勘定を払って店を出ると、ダウンタウンの中心街に向かって歩き始めた。俺が住んでいる古臭い共同住宅テネメントとは逆の方角だが、今夜はこっちに用がある。用といっても誰に会うわけでもない、解錠の練習をさせてもらいに行くだけだ。もちろん、例によって無断だが。毎晩こんなことをやっているわけではないが、こういうことをしようとしている夜は、日付が変わるのが楽しみだ。

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