第6話

 夕食は一階の大きなテーブルで、綾瀬と三人で取った。

 次々と美味しい料理が、綾瀬の母素子によって運ばれて来る。


「マンションにも、うちの者が届けるのよ」


 空になった皿を片付けながら、素子は雪月に笑顔を向けて言った。


「……道理で美味しいわけですね……」


 堂条に明月の所から拐われる様に連れて来られ、執拗に堂条に関係を強いられて解放された時に、綾瀬と共に食事をしてからずっと、マンションには温かい食事が届けられた。

 ある時は、シェフの格好をした男性が支度をして帰って行く。

 ある時は、綾瀬が重箱詰めにした物を届けてくれたが、あの人達が堂条の本家の使用人だったとは……。


「堂条さんが君の体を心配してね……此処の者を寄越す様になったんだ。何せ君は痩せ過ぎていたから……」


 綾瀬が上手にフォークとナイフを使って、料理を食べながら言った。


「……痩せ過ぎなんて物じゃないだろう?明月がワザとああしたんだからな」


「……あ、でも今はお陰様で太ってきたよ」


「……馬鹿を言え!未だにギスギスだろう?」


 堂条がフォークを握ったまま、睨み付ける様に言い放つ。


「いや……少しはマシになりましたよ。うちの料理人は、代々勤めてくれてる者達ですから。腕はいいですからね、雪月君の口にも合う」


「……当然だろう?うちの者達は、分家筋で修行をしたり資格を取ったりしてるんだから」


 堂条が今度は綾瀬に険しい視線を向けた。

 何が気に入らないのか、すこぶる不機嫌だ。


「分家筋で?」


「ああ……堂条の分家筋といったらいろいろしているからね、代々仕えて来た者達の子供が望めば、適性であれば支援するし働いてもらうんだよ。何せ堂条さんがこんなだから、下手な人間は雇えないんだ。いろいろと流出しちゃうからね」


 綾瀬が意味ありげに笑顔で言う。


「馬鹿を言え!俺云々じゃなく〝堂条の家〟が、下らな過ぎるんだろう?」


 不機嫌な堂条が突っかかる。


「下らない習慣に下らないしきたり、下らない掟に下らない……」


 堂条はそう言って、自分を見つめる綾瀬と雪月へ視線を送った。


「……とにかく下らない〝家〟だ」


 急に視線を落として力なく言い捨てた。

 この家にいる事が堂条を苛立たせているのだろう、そう雪月は理解をした。そしてそれを疾うに綾瀬は理解している筈だ。


「ところで、三日後には渡露ですからお忘れなく」


 綾瀬が堂条の苛立ちなど知っている癖に、苛立たせる様な言い方をする。

 一瞬堂条の顔付きが引きつったが、反撃をする様子もなく


「分かってる」


 とだけ言って、手にしていたフォークを置いて立ち上がった。


「あら、ご馳走さま?」


 素子がお茶を持って入って来ると言ったので、堂条は不機嫌な表情を浮かべたまま、黙って出て行ってしまった。


「母さん、それは堂条さんに失礼だよ」


「えっ?」


 綾瀬が素子に真顔で言うと、素子は雪月を見て苦笑する。


「……私の中では……瞳眞さんはまだまだ子供で……しくじったわ……どうしましょう?」


 素子が雪月を見つめて言ったので、雪月は吹き出して二人を見た。


「僕も両親に言われてました……食事の後……」


 ……あら雪ちゃん、もうご馳走さま?……


 子供の頃の母の声……懐かしくなって潤んでしまった。


「堂条さんは君を置いて行くのに、躊躇っているんだよ」


「えっ?」


「本当は時期じゃない。君を一人にする……って意味でだが……あの人が言い出したら執拗だからね。僕はずっと辟易していてね……」


 綾瀬は素子から、茶を受け取りながら続ける。


「とにかくあの人はロシアに興味があってね。と言った所で彼処はいろいろと難しい……僕は堂条さんに諦めて欲しいんだが、あの人はそうはいかない……で、君にご執心の今なら諦めさせられるとついね……それが大きなミスだった。まさか心配の余り、此処に連れて来る程だとは……此処に連れて来てでもやりたいとは……本当にあの人はしつこ過ぎる。だがいざ君を置いて行くとなると、さすがに躊躇ってくれている」


「どうしてそんなに心配なんです?兄はさすがに……」


「明月さん云々じゃないさ。君を置いて行く不安だよ」


 綾瀬は含み笑いを浮かべた。


「君がまだ堂条さんの〝物〟じゃないから……」


「?????」


「クッ、だから心配して躊躇うんだ。助かるなぁ、このまま辞めにしてくれると……」


 さも面白そうに続ける。


「暫く離れると、手に入れたと思った君が居なくなりそうなのさ」


「何を?僕は行く所の無い人間ですよ?堂条さんに依存しる人間なのに?」


「……だからだよ。君がそう見せてるから……違うか?君がそうやって卑下して、本当のところを見せてくれないからね……」


 綾瀬は雪月を直視すると、手にしていた茶を啜った。


「君って堂条さんを好きなの?」


「えっ?」


 雪月が吃驚して言葉を返せない。


「……まぁ、どっちでもいいんだけどね……僕には関係ないから。ただ堂条さんはそろそろに拘りを持ち始めている様だ。先も言ったけど、あの人の拘りは厄介だよ。君の好きは、あの人の好きにならない場合があるからね?あの人はあの人が求める〝好き〟を求め続けるから……その〝好き〟をちゃんと与えてやらないと、ずっと駄々をこねられる」


 綾瀬はフッと破顔を作った。


「それでも君を側に置いておきたいから、此処に置いておくしボディーガードも付ける……」


 綾瀬は笑いながら席を立つと


「堂条さんがドタキャンしてくれないかなぁ……」


 と言い残して部屋を出て行った。


「雪月君もご馳走さまでした?」


 綾瀬が部屋を出て行ったので、片付けにやって来た素子が言った。


「あーご馳走さまでした……」


 綾瀬の言葉に、茫然自失の雪月が慌てて返答をする。


「雪月君、もう少し食べないと駄目ね」


 素子は優しい微笑みを、何時もの様に浮かべて言った。


 雪月は部屋を出ると、綾瀬の言葉を考える。

 雪月は堂条を好きか?と言えば好きだ。否愛しているか?と言えば愛している。

 なぜなら、あの忌まわしい大人達に散策弄ばれた躰は、決してあの忌まわしい行為を忘れてはいないから……。だから決してを自ら望むものではないし、を平然と受け入れる事ができないのが本当だ。

 だが雪月はあの拐われる様に連れて行かれ、散策堂条に同じ行為を強いられた。以降全くと言っていい程、抵抗なく堂条を受け入れている。ずっとずっと以前からし続けて来た、当たり前の行為の様にだ。

 恐れも無く嫌悪も無く……。たぶんそれは雪月が、堂条の権力に依存しているから、と自分に言い聞かせて来た事だが、果たしてそれは違うと気づいている。

 堂条の異常過ぎる執着心を感じた時から……。雪月はに救いを見出し求め、そしてその異常な物に安らぎを感じ、そして……。



 それから三日後堂条と綾瀬は、綾瀬の期待に反して渡露して行った。

 堂条は出かける間際まで、躊躇っていたようだったが、得意とするドタキャンはしなく、綾瀬はさも落胆して旅立って行った。

 雪月は見送りを許されず、根岸の本家の玄関先で二人を見送った。

 その日から綾瀬の代わりに、本田というガタイの良い男が、根岸の家に通う様になった。

 雪月の大学への送り迎えと、夕食を共にする相手だ。

 堂条という男は噂に違わず、それは変わった人間だ……と雪月は思う様になった。

 堂条に拐われる様にマンションに連れて来られ、綾瀬と食事を共にした時以来、堂条は必ず食事の時には、一緒に共にする相手を雪月に与える。

 当然の事だが堂条自身であったり、堂条が無理な時には必ず綾瀬が共に居た。

 そして少しずつ、腹違いの兄が小さくした雪月の胃を大きくする為に、一口でも多く食事を進める。その甲斐あってか、余りに少食だった雪月だが最近は、人並みに食べる事ができる様になって来た。

 そして少年の様な儚げな躰が、大人のとなってきている。……とは言っても、育ち盛りに酷使された体躯は、決してのたくましいにはなり様はないが……。

 そしてその雪月とは真逆に、成長期にそれは与えられるだけ与えられた感のある男が、根岸の堂条の屋敷の広すぎるテーブルを共にして、それは見事な食べっぷりを雪月に見せつけている。


「こんな美味い物食えて、羨ましいなぁ」


 本田はつくづく感心する様に、口に入れる度に言葉にした。


「シェフに言っておきますね?」


 綾瀬の母親の素子は、満面の笑顔で言った。


「……言っておいてください!店でも開いてくれたら、毎日通うのに……」


 ガタイがよくてちょっと強面の本田だが、実に実直で気が良いのがありありと現れている。

 雪月の周りには、存在しなかったタイプの人間だ。


「あら?お店はあるのよ」


「えっ?」


 本田のみならず雪月も声を上げた。


「ここのシェフっていうか厨房の人達って、分家筋の経営しているレストランとか料亭とかホテルとかで働いてリタイアした人が、まだ働きたいと思ってる人達が交替で来てくれているのよ」


「……でも、マンションには若い人も来てたけど……」


「ああ……偶にはそういう事もあるけど、此処は住み込みでいたり通いだったり……今迄は瞳眞さんが居なかったもの……意外と自由気儘なのよ」


 素子さんはあっさりと言って笑った。


「それでも腕は良い人達だから、私なんて舌だけは肥えちゃったわ」


「……そうかぁ……じゃ、に食いに行きます……俺じゃ通い切れないかなぁ?……高そうだ……」


 本田が残念そうに呟いた。


「喬眞に言っておくから、通える様にしてもらいなさい。そのくらいの特典がなくちゃね……」


「ありがとうございます……」


 本田はそれは嬉しそうな笑顔を見せて、素子さんを見た。


 ……そうか、そう思うのが本当だ……


 雪月は当然の、本田の反応に思いを馳せる。


 ……きっとのが本当だ。こんなに美味しい食事だもの……


 だけどずっと兄に酷使された雪月は、その普通の反応が持てない……。ずっとそう思っていたが、きっとそうでは無い事が分かって来ている。

 ……そうだ、雪月は堂条にずっと与えてもらえると疑っていないから、だから気にしていないのだ。……そう、ずっとこの生活が永続的に続くと、そう思っているのだ。疑わずに信じているのだ……。

 本田はそれは見事な食べっぷりを雪月に見せつけて、素子に満面の笑顔を浮かばせて帰って行った。


「雪月君も、本田君を見習わなくちゃ……」


 素子は後片付けをしながら、雪月を見て言った。


「あんなに食べたら、直ぐにもどしちゃいますよ」


「……それもそうね?」


 素子は何時もの様に、優しい笑顔を向けて言った。




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