第5話
堂条は雪月を後ろから抱えながら、薄明かりに浮かび上がる、白くて妖艶な肩に口づける。
雪月の躰の部分部分が妖艶なのは、複数の大人に弄ばれたからだろうか?
そう脳裏に浮かんだ事を激しく自責する。
そうではない事を知っているから自責する。
躰のあちこちに、関係を強要された大人達の印を刻まれ、それを浮かび上がらせる哀れな白肌。組みしけば躰は強張り、微かに震えながら欲望の捌け口として堪える躰。強いられ続けて覚えた甘い声と甘え方。だけど決して男を酔わす艶も色も放ってはいなかった。複数の男に弄ばれれば喜ばす艶が放たれ、誘う色香が溢れるなどとはほど遠かった……たぶん今の雪月と比べれば……。
堂条は音を立てて雪月の肩に口づける。すると微かな息遣いだった雪月の唇から、微かに甘い声が洩れ始める。
そうだこんな声を洩らし始めたのは、そんなに遠い事じゃない。
堂条が触れて堂条が触るから、雪月はこんな風になったのだ。
だから堂条は言ったのだ。
雪月は決して自分から離れたりしないと、確信を持っていたから言ったのだ。
「雪月が住みたければ住めと……」
それは堂条がどうしても雪月が自分の元に居る、その理由に拘りを持ってしまっているから……。執拗な迄痛め続けた明月から逃れる為に、自分の元に居るのだという事に拘りを持っているから……。
堂条の拘りはそれはしつこく執念深い。
だから、少しずつ互いに変化している事を感じながらも、執拗に拘りを捨てきれないのだ。ただ、愛している……という簡単な感情では納得できない。
……では何なら納得できるのだろう?
堂条は再びそれは激しく雪月を組みしき雪月を乱れさせ、甘過ぎる嬌声を吐かせながらも、それでも足りずに何かを求め続けている。
ならば雪月は、来る日も来る日も堂条に抱かれて安らかに眠る事に慣れてしまって、堂条が居ない生活が考えれなくなっている。
この感覚が何なのか、この感情が何なのか……そんな事を考える事すらできない程に、堂条に依存している。これを飼い慣らされている……と考えないのは、雪月は堂条が自分に抱く何かを知っているからだ。
否、あの境遇にあったから、雪月はそれを感じ取ってしまった。
堂条のそれを異常と思わずに、それは素直に受け入れたのだ。
それ程辛く苦しい日々だった。異常な程の執着に縋り付く程の……。
そしてそれが今では、父の導きの様に思えている。
生前父が遺した言葉。
「堂条を頼れ。きっと助けてくれる」
その言葉が、雪月を迷わす事の無いものにする。
それが信頼なのか、愛情なのか分からない。
分からないが、雪月がゆっくりと眠れるのは、堂条の腕の中だけなのだ。
だから何かを、求められていられれば安心する。そうすれば堂条の側に居られるから。
だから躰を、求められていれば安心できる。そうすれば堂条の腕の中で眠れるから……。
雪月が瞳を開けると、堂条が覗き込んで笑顔を見せた。
いつも情事の後に、堂条が見せる癖だ。
……ずっと相手にして見せた事だろうか?……
雪月はいつも疑問に思う。
否違う。いつも知らない相手に嫉妬する。
堂条が満足の笑みを浮かべる、その姿に嫉妬している。
見知らぬ誰かに嫉妬する。
だけど雪月は、それを口にしていい立場の人間なのか分からない。
否、きっとしてはいけない立場の人間だと分かっているから、だからずっと口にしないのだ。
「仕事で海外に行く事になった」
「えっ?」
「綾瀬と行くから、暫く根岸の屋敷に居て欲しい」
「……どのくらい?」
「そうだなぁ……二週間くらい……かな?」
すると堂条が急に雪月を抱きしめた。
「できるだけ早く、済ませて帰って来る」
雪月の表情を見た堂条が、思わず抱きしめてしまう程に、雪月は不安そうな表情を浮かべた。堂条が居なくては、よく眠れないと自覚した雪月だから、きっとそれは不安そうな表情を浮かべたのだろう。
それが堂条の躰に火を点け、再び二人は夢中で躰を重ね合う。
互いが互いの不安を振り払う様に……。
旧家のそれを残す堂条の本家は、根岸の閑静な住宅街の中にそれは存在感を持って存在する。
そんな厳粛で格式高い姿を現わすその屋敷で、厳格な祖母に育てられた堂条は、その屋敷に安住を得ていなかったのだろう、祖母が亡くなってからは放蕩を尽くしながら出て、分家が所有するマンションを愛人と共に転々とした。何せ愛人に直ぐに飽きるので、何も目的のない者にはその住処を与えてしまうのだから、分家の長が呆れ果てて諦めを持つのは当然だったし、その為に堂条は新しい愛人ができる度に転々とした。
雪月を得るまでは……。
そしてそんな屋敷に堂条は帰って来た。
堂条にとっての真の愛人と共に……。
否、そんな堂条が帰って来た事自体に意味がある。それ程の〝家〟に依存する程に、堂条は雪月が大事だという事だ。
それ程の存在である、雪月という愛人という事だ。
堂条とは不思議な家柄だ。
世間一般に知られる名家、旧家とかとはちょっと違う。
その始まりはかのかの昔。天孫が降臨した頃に近い昔だ。
その頃にはまだ神が降臨したりもする時代だったから、国を司る為に天孫が降臨し。天に代わって天子が国を司った。
日本は八百万の神の国だ。
神と神の子孫。神と人間の子孫が存在し、その落とし胤も存在する。
そんな落とし胤を祖先として持つ堂条が、天孫の子孫である天子に姫を差し出して、その子が天子となった事もあるという、それは尊い血筋だ。
つまりは遡れば八百万の神の子孫である。どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、そんな事は分からないが、堂条家は天子に姫を差し出せる程の、家柄ではあった事だけは確かな事だ。
そんな堂条という名を継げるのは、本家の直系の嫡男嫡女だけだ。
……と云っても、不思議と本家では子供がそんなに多くは誕生しない。
そんなに多く誕生しないのに、嫡子以外の子供は分家又は嫁に出され、堂条の名を名乗れない。
だから本家=堂条なのだが、古よりの高貴な家柄だけに、その人脈といったら計り知れないものがあるから、その人脈の為だけに堂条は存在すると云っても過言ではなくて、一族の頂点に君臨できるわけだ。なぜなら一族の全ての事業が、その人脈で成り立っているからだ。その人脈で現在でも大きな資産を産んでいるからだ。
そんな堂条だからただ何もせずに、一族の者達に齷齪と働かせていればいいのだが、若い頃から中国ロシアに興味があって、その性分からのめり込むと手が付けられない質なので、とにかく何かしらの事業をあちらで展開したいと、かねがね駄々を捏ねられていて、根負けした綾瀬が堂条が雪月に夢中になっている
「今なら視察に行ってもいいですよ」
とカマをかけてしまった。
すると堂条は何と、雪月を本家に預けてまで行くと言う。
これは綾瀬の痛恨のミスである。明らかに綾瀬の読み違いだ。
あの本家に雪月を預ける云々は、綾瀬のこのミスから生じてしまった。
……ということで綾瀬と堂条は、一週間後に渡露する事なった。
それでも余程雪月が大事なのだろう、一人でマンションに置くのは心配で、堂条の母親代わりであり綾瀬の母がいる本家に預け、雪月のボディガードとして、真面目で屈強な本田という男を雪月に付ける事としたのには、さすがの綾瀬も閉口した。何だかんだと言っても、本気で明月を疑ってかかっているからだ。
幼い頃からの仲ではあるが、堂条の愛情の異常さには、呆れるを通り越して空恐ろしい物が存在する。
一度疑いを持ったものに関しては、もはやその色眼鏡でしか見ないのだ。
微かに感じていた事ではあったけれども、これ程徹底する事はなかったから、申し訳ないが明月のこの先が心配になってくる。
「あら?お帰りなさい」
屋敷の大きな玄関で、中年の女性が明るく言った。
「ただ今」
綾瀬はそう言うと、傍の雪月に顔を向けた。
「私の母なんだ」
「あ……初めまして雪月です……」
雪月が、緊張の様子を浮かべて頭を下げる。
「瞳眞さんの?……よろしくね」
綾瀬の母は、それは優しい笑みを浮かべて雪月を見つめて言った。
「瞳眞さんが此処にお出でになられるのは、何年ぶりかしら?」
その優しげな笑みを浮かべたまま堂条を見つめて言うが、そのちょっと意味ありげな言い方をするところは、綾瀬に似ていなくもない。
「此処が私にとって、どういう所かご存知ですよね?好き好んで帰って来る所じゃない……」
堂条は綾瀬の母を一瞥すると、上がり框を跨いで屋内に入って行ってしまった。
「それに貴女と綾瀬が居れば、事は足りるでしょう?」
まるで言い捨てるように、奥へ行ってしまった。
「……まったく……」
綾瀬の母は溜め息を吐くと、唖然と取り残された雪月に再び優しい視線を向けた。
「吃驚しちゃったでしょう?上がって下さいな……
綾瀬を促して、雪月を奥に連れて行かせる。
「綾瀬さんは、此処にお住まいなんですか?」
「ええ。私と母が此処に……主人が居ないのに、本当におかしいですよね?堂条さんのお祖母様がそれは厳しい方で、その反動というか……亡くなってからは此処を嫌ってね……両親は此処にお世話になった使用人だから、お祖母様にこの家の全てを叩き込まれた母が居れば、この家は回るんだけど……」
「そんなに厳しい方?」
雪月はその意味を理解できる、唯一の人間だ。
形は違うといえど、相手の人格や尊厳など無視した行為。それが相手を思っての事か憎んでの事かの違いが在れども、無視された側の人間が叩き込まれた嫌悪は決して拭いやれる物ではなく、それに付随した全ての物が忌まわし物と化してしまう。
堂条が堪え抜いた祖母の権威は、明月が悪意で雪月に犯した行為と対して変わる事はない物だったのだろう。
「二階が、ご当主やお客様の部屋なんだ」
大きな屋敷の中階段を、上りながら綾瀬が言った。
「私と母は下……数はかなり減ってしまった使用人達もね」
綾瀬は下を指して言う。
「階段を上がって奥の北西の部屋がご当主部屋。堂条さんは決して其処に入ろうとはされない……長らく、お祖母様がお使いの部屋だったからか、その反対側に子供部屋があるんだが、其処でずっと暮らしてた……時期当主となる嫡子にはそのお守り役が付くんだが、乳人子に当たる私がそれでね……お祖母様のお言付けで、其処で共に育ったんだ」
「綾瀬さんも一緒に?」
「……そう。僕の父が先々代のご当主に見込まれてね。先代と同等の教育を受けさせて頂いた。先々代も早くに亡くなって、父は先代に尽くしたそうだが、その先代も早逝だった。だから両親はお祖母様と堂条さんに尽くしたが、父もお祖母様より早くに亡くなった。お祖母様は乳母とした母を妙に気に入ってね、奥様を追い出された後は母に家の全てを叩き込んで、後の奥の主人に伝える様に言い遺されたんだ。旧家とはいえ妙な話しだろう?そんな家柄で、厳し過ぎる程の躾けを受けた方だからね、堂条さんが常人と隔たるのは当然な事だよ……」
綾瀬は幼い頃に、祖母の執拗な躾けと称される物で、痛めつけられ叩きのめされる堂条を思い出して語った。
もはや堂条の中でも、当の綾瀬の中でも風化してしまいたい記憶。
それ程迄にしなくては、堂条という名家の当主にはなれないものなのかと、恐れを持って垣間見た祖母様の教育。そして同じ教育を受けさせてもらいながらも、綾瀬には決して施される事の無い、執拗な当主としての教育だった。
階段を上がると、左手を指して綾瀬は雪月を見つめた。
「あっちが子供部屋……」
微かに開いたドアを認めて、雪月は綾瀬を残して歩を進める。
何故だか綾瀬は、階段の所で佇んで見送ったからだ。
「あなた、あの子を利用してはいないでしょうね?」
綾瀬が階段を降りて来ると、母が直視して厳しい表情で言った。
「何の事です?」
「あの子を利用して、瞳眞さんを陥れる気じゃないわよね?」
「まさか!何故そんな事?」
綾瀬は微笑むと、母素子を凝視する。
「あの噂を、真に受けていやしないわよね?」
「あの噂?……ああ、僕が先代の子供だという?……まさか!母さんが全否定しているのに、真に受けるわけがないでしょう?」
「……そうよ。あなたは正真正銘の綾瀬惟喬の子供だから。いい事?その噂を信じるという事は、私が先代とそういう関係だったと疑う事よ?」
「解ってるよ。母さんはお父さんを愛しているもんね」
「そう言って、はぐらかすのはやめなさい」
「解ってる。僕は堂条家の血筋じゃない、使用人の子だ。父子共にこの家のお陰で、身に余る教育を受ける事のできた、それは幸運な使用人だよ」
綾瀬は言い捨てる様にすると、母の細くなった肩を抱いた。
「広い部屋だね?」
子供部屋と綾瀬が言った部屋に雪月が入ると、堂条がベッドに腰を落として足組をして窓外を見つめていた。
10畳以上の部屋に、ベッドが二つ机が二つ置いてあり、その他の調度品も対を成して部屋に対象に置かれてあった。
まるで兄弟の部屋の様だ。
「此処にお出で」
堂条がベッドを叩くので、雪月は堂条の傍に座した。
そしてそのまま堂条の唇を受けて、ベッドに横たわった。
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