第4話
綾瀬は雪月の表情から、もしかしたら……と思っていた。
だから先ほど屋敷に入る前に、雪月に探りを入れた。
その結果どうやら堂条が詳しく説明もせずに、ここに連れて来た事を悟った。
そしてそれによって、酷く不安を募らせた事も察しがつく。
長年堂条の面倒をみていれば、そのぐらいの察しがつく様になるのは当然だと、できすぎ君の綾瀬は思い当たる。
「堂条さん、どうして詳しく説明をしなかったんですか?」
雪月が懐かしむ様に屋敷の中を見ている合間に、綾瀬は堂条に問い詰めねばならない。
それが長年共にいる、綾瀬の責務の様になっている。
……責務……というより、もはやこの人と共にいればせずにいられない……。きっとたぶん、誰でもそうなると思う。
「そんなの喜ぶに違いない事を、何故いちいち説明するんだ?」
ホラホラきたきた……。
綾瀬の素直な感想だ。
「……じゃあ、どうして詳しく説明しないで、住みたければ住めと言うんです?」
「そうするのが普通だろう?」
「はぁ?」
「ここは雪月の物だ」
「……ですけど……いいですか?この家を手切れ金として、別れるつもりだと思われてもおかしくないんですよ」
「はぁ?なぜだ?どうして俺が雪月と別れるんだ?」
「それは、ずっとあなたがやって来た事だからです」
「何時?」
「ずっとです……」
堂条は暫く固まっているが、決して理解はしていない。
堂条の中で興味の無いものは必要無い。
堂条の中で今一番ハマっているのは雪月……必要不可欠。
つまりこれだけの事なので、どう転んだら別れ話しの要因があるか理解できない。
または相手がどう思うとか、不安に思うとかの認識が無い。
だって堂条の中では堂条が興味あるか否で、相手の気持ちなど考える必要がないから。 自分の今迄の行いが与える印象とか、相手の堂条に対するイメージとかを理解しない。兎に角今までは関係を持った相手を直ぐに飽きて、取っ替え引っ替えも数えきれない程で、そして必ず手切れ金らしき物を与える。これが世間一般の、堂条に対する印象だ。
今まで明月の管理下にあって堂条を知らない雪月は、そんな風評など知る由もなかっただろうが、その当事者となり明月の支配から解放されて、自由を与えられ大学まで通っているのだ、堂条のそれら諸々を知らないで過ごす事はない。だって今の時代は情報過多の時代だ、ちょっと手元の端末を弄れば、堂条のもの凄ーい醜聞が何ページとなく掲載されているだろう。
つまりどんなに堂条がのめり込んでいて、どんなに溺れていたとしても、それをきちんと伝えなくては、雪月とて今迄持った相手と同様、と思われていても仕方のない事、などと考えが及ぶ堂条では無いのだ。
何回も言うが、堂条は雪月の気持ちを考えられない。
だがそこには綾瀬もまだ察していない、堂条の気持ちというものが存在するのだが、さすがの綾瀬もそこまでは考えられない。
堂条は雪月が、明月から逃れる為に自分の処に居ると思っている。
あの忌まわしい生活から逃れる為に自分を頼るのだと思っていて、たぶんそれは一番確かな事だろう。堂条の力に守られれば、決して明月は雪月にあのような非道な事はできないと、雪月自身思っているから、堂条の側では悪夢も見ずに眠れるのだ。堂条の側近の綾瀬が見守っていても眠れるのだ。
それは堂条の〝力〟が、兎に角物凄い事を知っているからだ。
だから堂条は、念願の〝愛人〟の雪月の気持ちを考えられず、ただ一方的な歪んだ愛情を捧げるしかできないのだ。
そしてたぶんその愛の形が、堂条がひたすら求めた雪月の父である鏑木が、雪月の母に捧げ尽くした愛の形であると堂条は思っている。なぜなら鏑木の愛した雪月の母は、鏑木が金で買った妻になれなかった愛人だから……。
〝雪月の家〟はあの時のままだ。
母が死に父が数年後に死んで、雪月はこれからの事を話し合いたいと、会った事もない兄に呼び出されてそのまま……。
監禁される様に、兄に犯され知らない大人達に犯された。
そして兄の言うまま生きて行くしかないと、諦めを持ってから監視付きではあったが高校だけは通わせてもらえた。
父を亡くした哀れな曰く付きの弟を明月が新当主となって、通うはずであった高校に通わせないのは、世間体を気にする明月に気がかりな事柄となった。
父を亡くして気落ちして、伏せがちになっていると世間に思わせて、明月は雪月をおぞましい大人達に当てがいながら、どうしようもならない程に洗脳した。地獄の様なこの生活以外に、雪月が生きて行く術は無いと思い込んだ頃、雪月は倒れそうな細い躰で通学し、最愛の頼るべき父を亡くして病弱な雪月が、しばしば学校を休む事は仕方の無い事だと、周囲の物達は理解しギリギリの処でどうにか卒業ができたが、それは多少明月が裏で金を出していたからだ。そしてそれは、正当な嫡子でありながら、父鏑木によって不当な扱いを受け続けながらも、寄る辺を亡くした憎むべき腹違いの弟に、大きな愛情を示した明月の世間の評判を上げるのに役立った。何も知らない世間の人々は、不遇の扱いを受けながらも、正妻を陥れようとした愛人の子を、慈愛を持って庇護する兄弟愛として、高く明月を評価している。そして雪月は鏑木という名家の紳士を、その色香で誑かした悪女の子供として、その広い心で明月の恩恵を受けた、卑しい弟として認識されている。
……そうあの地獄のマンションに、連れて行かれる前のままだ。
母が愛して手入れをしていた庭は見る影も無くなっているが、家の中の家具や調度品はそのままになっている。
それ程までに明月親子は、父と母を憎んでいたのだろう。
一度も此処に来た事は無いはずだ。
……いや違う。そう絶対に違う……
明月親子が、此処をそのままにしておくはずは無い。
直ぐにでも母の痕跡を消し去りたかったはずだ……。
明月は直ぐにでも、父が母以外の女と愛を育んだ家を壊したかった。
丸ごと、高価な家具や調度品全て諸共に……。
だが、ある親戚の者が助言をして来た。
あの家を驚く程の金額で、買いたいという者がいると……それも一人や二人ではないという。それでも、今迄の母と自分の苦悩を考えれば、あんな物は存在すらさせておきたくは無い。それ程迄に明月は父が憎かった。
そう思いながらも、そこは浅ましい処のある明月だ。
雪月に群がる特殊嗜好の輩がいる事を知っている明月は、その大元である父の愛人に特殊な嗜好を残す輩がいる事を知っている。
由緒ある家柄の血筋を濃く受け継ぐ亡き鏑木とは、真逆の物しか受け継がず、あの堂条に下衆と言わしめた明月だ、欲が自尊心よりも勝つのは当然の様に、手付かずにただそのまま放置していた。いずれ何か大きな使い道が訪れると欲をかいて……そしてそれは最近明月の読み通りに訪れた。
雪月を差し出して縁を作った堂条が、それは美味しい事業を任せるという。そしてその代わりに、かの昔社交界で話題をさらっていた、鏑木が愛人にのめり込んで建てさせた家を欲しいという。その相手があの堂条だ。明月には堂条の異常さが感じ取れる。
自分に共通する何かが解る気がする。だから堂条が、莫大な利益をもたらす事業を与えてでも、あの家を欲しがるのが理解できた。
雪月をさらうように連れ去り、そして今でも側に置いているのだから、必然的に堂条はあの家を欲しがると読んでいた。なぜか?堂条は雪月の母親に、異常なまでの関心を抱いているからだ。ならば、堂条は雪月の母の為に建てさせた家を、欲しがるに決まっている。
……父に対する怒り、あの女に対する憎しみが薄らいだ今、あの家の存在価値はただ利用する存在だけだ。どれだけ明月に利益をもたらすか。それだけだ……。
そしてそれはかなり大きな物となった。
あの時怒りや憎しみで壊してしまっていれば、
暫く思い出深い屋敷を一通り見て来た雪月を見て、綾瀬が口を開いた。
「……さて……雪月君は此処に住む事にされますか?」
「……えっ?」
雪月が唐突に綾瀬に問われて堂条を見つめると、堂条はそれは不快な表情を浮かべて綾瀬を見つめた。
「堂条さん、雪月君が望めばここに住んでいいと、仰ったんでしたよね?」
綾瀬は嬉しそうに、顔面を歪め続ける堂条を見つめている。
「どうされます?」
綾瀬は視線を雪月に移動させて聞いた。
そして意味ありげに、楽しそうに再び堂条を見つめて笑う。
「あー……」
雪月が苦しげに声を出そうとすると、堂条が顔を歪めたまま
「雪月は根岸に住まわせる」
と言い放った。
「根岸ですか?」
「根岸だ……」
堂条が苦し紛れの表情を現しているので、綾瀬は顔つきを変えてほくそ笑んだ。
「なるほど……だったら、どうしてここに住めと言われたんです?」
「それは……」
益々綾瀬は意地の悪い笑みを浮かべる。
「……雪月が住みたいなら……」
堂条がしどろもどろとなっていく。
「はぁ?」
綾瀬はそれはわざとらしく、大袈裟に聞く素ぶりを作る。
なんだか少し、楽しんでいるきらいもある。
「つまり雪月君が、住みたいと言ったら……?」
すると堂条が、白旗を上げて綾瀬を直視した。
「……分かった。ここに住まわせる気は
堂条が直視するから、綾瀬と睨み合う形となった。
どうやら堂条が行き過ぎた事をしでかすと、こんな具合に綾瀬からの指摘?しっぺ返しを喰らうらしい。
「ほう?
まだまだ綾瀬は容赦をしない。
「……ここは雪月の家だからだ」
「なるほど!当然雪月君が住みたいと言ったら、堂条さんは引き止められませんからねぇ?」
さも面白いという風に綾瀬が指摘すると、ウッ!と堂条の顔が一層と歪む。
「……では、雪月君はどうされますか?」
「いや、だから……」
堂条が言おうとすると、それは鋭い綾瀬の視線が堂条の口を閉じさせた。
「堂条さんは端から君を、ここに住まわせる気などなかった。……のにわざわざ言って君を試した様ですよ?……試した?……ちょっと違うか?君の口から聞きたくないので自分から言って、君が同意したらどうにかしようとしていた様ですよ。いろいろと姑息な手を使うのは得意なので……」
優しく微笑んでいるが、本当に笑っている様に見えない。
「あー……僕は堂条さんと一緒に居たいです」
雪月が縋る様に綾瀬に言った。
それに綾瀬がホッとする様に笑った。
「……ならばよかった!堂条さん、よかったですね。雪月君はあなたと一緒に居たいそうですよ」
それはそれは大袈裟に言う。
「……最初から素直に聞けばいいんです。回りくどい事をせずに……いいですね?もう二度と姑息な事はしないでくださいね?反対にややこしくなりますから?……」
まるで子供にでも言い聞かせる様だ。
再びウッ!と堂条が顔を歪めた。
「……では、この話しはこれで
綾瀬はそう言うと
「くれぐれも、ややこしくしないでくださいよ……」
尚も釘を刺す様に堂条に言うから、バツが悪そうに堂条が雪月に視線を送ってすぐ様逸らせた。
「堂条さん、僕の家をありがとうございます」
雪月が堂条を見て言うと、堂条は何時もの様に白い歯を見せて笑った。
堂条は雪月に家を与えたかった。
鏑木が雪月の母親の為に建てさせた家を……。
ずっと二人の関係に恋い焦がれた堂条は、憧憬する二人の愛の巣であるあの家に、当然の様に執着していた。
だから分家筋の者に打診をさせていた。
欲深い明月ならば、そのままにしておくかもしれないと思ったからだ。
ただ堂条の中に悔いがあるとしたら、なぜ雪月の存在をもっと早くに、気にしなかったかと言う事だ。あの時は自分の〝愛人〟を、探し求めるのに必死だったからだろうか?
たぶん自分の中には最初求める〝愛人〟は、やはり雪月の母の様な女だったのだろう。それが得られぬまま彷徨い過ぎて、男女の隔たりを無くしてしまった……男女問わずの関係をダラダラと繰り返した。醜聞となる程に繰り返した……というのが本当の処だ。
だがそれがあったから、堂条は雪月に求める物を見出せたのだろう。真実自分が求める物を探し出せたのだ。
愛人という名に相応しい雪月という存在。
それはずっと堂条が憧れ続けた、鏑木と雪月の母の姿では無い。
ただ唯一無二真実の己の望む姿。
そうだ最近思うのだ、それが無いとしても一目でも雪月を垣間見る事があれば、自分は雪月に夢中になっていたのではないか……と。
雪月だけが、堂条が追い求める真実の姿だ。
雪月だけが堂条の愛人の姿だ。
雪月を手に入れ、傍に置いたから知った己の望む姿だ。
雪月だけが堂条の、愛人の条件であり愛人の姿だ。
世間一般に言われる処の、囲いものでありその場の妻であり肉体の関係を強いる事のできる相手……諸々……であり、愛する相手であり恋人であり伴侶であり……それら全てだ。そして決して我が国では妻にできぬ存在。それこそが堂条が求めた愛人の姿だ。
あの鏑木が醜聞に塗れても、決して最愛なる
そして雪月はたとえ歪な形にしろ、堂条が注げられるだけの愛情を注ごうとも、妻とは呼ばれる事は無い。
つまり堂条が愛した時点で、雪月は堂条にとって愛人なのだ。
否、決して堂条が隠す事をしないから、雪月は堂条の愛人なのだ。
堂条が愛する人であり、堂条に愛される人なのだ。
そして世間はそれ以外の意味を含めて、雪月を愛人と呼ぶ。
雪月が誕生する前からの、両親の諸々の醜聞を雪月は纏っているのだから……。
そしてそれこそが堂条にとっての、唯一無二の雪月たる証しなのだ。
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