∞第10話∞

 ゆらのは自宅の玄関を開けながら、とはゑに振り返る。

「いい、とはゑ。うちのお母さんに見つかる前にわたしの部屋に行って未言未子みことみこの――」

 ドアが顔の横を通り過ぎたところでしゃべりながら顔を前にもどしたゆらのは、玄関に立っている自分のお母さんを見つけて凍りついた。

 ゆらのの一歩後ろで、とはゑはぺこりと妙乃たえのに頭を下げる。

 妙乃もにっこりと微笑んでとはゑにおじぎを返した。

「みこ、と、えと、そう! 巫女と神輿の関係について調べなきゃね! 宿題だからね!」

 ゆらのはことさら大声をまくし立てて、さっき言いかけたセリフをうやむやにしようとする。

 ゆらのにとって、未言少女のことをお母さんやお父さんにバレるわけにはいかないのだ。だって正義の味方はいつでも正体を隠しているものなんだから。

 けれど、そんなこと知ったこっちゃないとはゑは、いきなりゆらのが全然ちがうことを言いだしたから、こてんと首を大きくかしげる。

「そんぁ、宿題、なぃ、よ?」

 それどころか、とはゑが母親の前でうそを指摘してくるので、ゆらのは雪に冷やされてまだ寒い春風の中で冷や汗をどばっとふき出した。

「え、あ、ち、ちがうのよ、お母さん、みこ……みこっていうのは、あの、みこぉ」

 ゆらのは必死に言いわけを出そうとするが、そんなものがすぐに出てくるはずもなくて、最後には未言未子みたいに情けなく鳴いた。

「みこぉ」

 とはゑはじっとゆらのの様子を見続けた後に、その鳴きまねをして、ぽんぽんとゆらのの頭をなでてあげた。

「みこー」

 ゆらのは泣きそうになりながら、とはゑの顔を見返して、鳴き返した。

 子ども達のそんなかわいらしい様子に妙乃はくすくすと笑みを転がしている。

 これはもしかしてうまくごまかせたんじゃないかと、ゆらのはちらりと希望を芽ぐませてお母さんの顔をうかがった。

 わが子が自分に注意を示したのを感じて、妙乃は足元を指差した。

 ゆらのととはゑがいっしょにその細くてキレイな指先に視線を送る。

 そこにはどでんと三十キログラムの米袋がパンパンになって置かれている。

「お米?」

 ゆらのが聞き返すのに顔を上げると、妙乃は手のひらをとはゑの方に差し出した。

 とはゑはじっと妙乃のすべすべした手のひらを数秒間見つめてから、ちょんと小さな自分の手のひらを乗せる。

 するりと妙乃の手はとはゑの手を包みこんで握手した。

「えっと、このお米、とはゑのお家におすそ分けってことでいいのね?」

 ずっといっしょに暮らしている経験で母親の意図をくみ取ったゆらのが確認でたずねると、妙乃はうんうんとうなずきながら、同じ調子でとはゑの手を上下に振る。

 それでとはゑは妙乃のタイミングに合わせてぴょんぴょんと両足をそろえて跳ねた。

 そんな二人を見るともなくながめていたゆらのは、はっと気がついて妙乃の足元にもぐりこむようにして家に上がって自分の部屋まで駆けだして、ランドセルを置いてすぐにもどってきた。

 くつをはき直したゆらのは、妙乃の足元のパンパンにふくれた米袋をさっと抱え上げる。

「じゃ、あたしがこのままとはゑ送っていくついでに持っていくね。行ってきます!」

 ゆらのは、しゃべれないお母さんとあんまりしゃべらないとはゑが反応するよりもすばやく玄関から飛び出した。

 あんまりに言って出て行くまでが早いものだから、とはゑはついて行けずにまばたきしながらゆらのの背中を見送っている。

「とはゑ! 早く行くよ!」

 塀の門の外からゆらのに呼びかけられて、とはゑはわたわたと玄関から飛び出した。

 とはゑが一歩外に出て、そこで振り返ってちょこんと頭を下げると、妙乃はひらひらと手を振って二人を見送ってくれていた。

 とはゑは妙乃に手を振り返しながら後ろ向きにゆらのについて行く。

「とはゑ、あぶないから前見て歩こ」

「うぃ」

 でもすぐにゆらのに注意されて、とはゑはくるりと体の向きを直した。

 とはゑは背負っていたランドセルの代わりに、上半身が隠れてしまうくらい大きな米袋を抱えているゆらのを見てぱちぱちとまばたきをくり返す。

「おも……く、なぃ、のっ?」

「え? ああ、重くないよ。熊より軽いもん」

「くま」

 ゆらのがよくわからないものと比べてくるから、とはゑはよけいに目をまるくした。

 それからひとみを右に左に寄せて、頭の中にあるクマの情報を引き出そうとする。

「くま、持つの?」

「うん、山でなぐり倒して、煮て食べるでしょ?」

「ぅん?」

 とはゑの、ぅん?、はそんな情報がなくてエラーの結果で出た未声みこゑだったのだけれど、ゆらのは、うんうん、としきりにうなずいている。

「熊、おいしいよね。やっぱり十月終わりくらいの冬ごもり直前のやつが最高。どんぐりたくさん食べたやつ。あー、でも春先の起きたばっかのは、肉が硬いしやだよね」

 つらつらと熊の味を語るゆらのに、とはゑは口をはさまないで頭を悩ませていた。

 会津の人は熊をよく食べるらしい。そんなまちがった知識がとはゑの脳内にしっかりとしまわれてしまった。

 しゃべりながら歩くゆらのの足取りは、ランドセルの時と全く変わっていない。それを見て、本当に重たいと思ってないんだなと、それだけはとはゑも理解した。

 かげつちを作って雪屍ゆきかばねを抱え込む陸橋の下をくぐり抜けたところで、ゆらののポケットがもぞりとふくらんだ。

「かねー」

 そこにしまわれていた未言未子が楽しそうに鳴いて、ゆらのの肩までよじ登ってから米袋の上にジャンプした。

「たのっ、たのっ」

 未言未子は米袋をばしばしとたたき始める。

 なにがしたいんだろうと、とはゑの氷銀ひぎんの瞳はその姿をじっと見つめる。

「ちょっと、人に見られたらどうするの」

 ゆらのが未言未子に文句を言うけど、両手がふさがっているから摘まみ上げることもできないでいた。

「とはゑ、ちょっとこの未言未子を取って」

 ゆらのにお願いされて、とはゑは両手で小さなそれを猫のように取り上げた。

「たのー」

 未言未子がさみしそうに鳴くので、とはゑはゆらのに目でうったえた。

「だめ」

「ん」

 ゆらののお許しが出なかったので、とはゑは未言未子を自分の方へと引き寄せた。

「まったくもう。无言むことにかくしてもらったほうがいいかな」

 自分が呼ばれたのがわかるのか、鳥の形をした霧がひゅるりとほほを冷やす風に乗って舞い降りてきた。

「未言字引で存在を強めた未言巫女でもなければ、巫女も未子も素質のない人間には見えないの」

 聞きかねたのか、芽言めこともしゅるりと、とはゑの肩の上に麒麟の姿を現した。

「え、そうなの?」

「そうですの」

 初耳だと驚くゆらのに、芽言はもうため息をつくのも後回しにして无言をにらみつけた。

 それが少しでもこたえたら、どんなにもよかったか。しかし无言はどこ吹く風と空気にただよっている。

「でもエディは見えるわ」

「彼、魔術師ですの」

「……そうだった」

 いまさらながらにおさななじみも普通の人ではなかったのに気づいて、ゆらのはあんぐりと口を開けた。

 その横で、とはゑもきょとんと目をまるくする。目立たないけどさり気なく親切をくれたクラスメイトが魔術師だったなんて、思いもしなかった。

「のぞ、ぃ、ちゃ……とか、たっ、やく……とか、も?」

 もしかしてほかにも教えられてないだけで神秘のほうにいる友達がいるのかと、とはゑはゆらのにたずねる。

「いや、ないわ。望美ちゃんはまだしも、達也はない。あんなやつがふしぎな力持ってるとかありえない」

 ゆらのは心の底からいやそうに、とはゑが後から出したほうの名前を否定した。

「あの子はさっきも未言未子の声、聴こえてなかったの」

 芽言もそちらはちがうとやんわりと事実を付け加える。

 ほらね、とゆらのは肩をすくめて、その拍子に紙袋の中でお米の粒がこすれる音が立った。

 无言が下から米袋にぶつかって、なんの影響も与えずに形をくずしてゆらのの顔の前に立ち上る。

「でもうちのお父さんとお母さんもフツーに見てるけど」

「お父様はともかく、ゆらのはあのお母様を一般人だと思って育ってきたの?」

「…………いいえ」

 ゆらのはこの年に育てられるまでにあったいろいろを思い返して、无言の飛び遊ぶ空に遠い目を向けた。

 とはゑはどうしてか、目を輝かせて尊敬のまなざしを妙乃の娘である親友にくぎ付けにしている。

「あと、にこゑさんも」

「論外ですの」

「あ、はい」

 身内に神秘をそこにあって当たり前だと認識している人物が多すぎるのは、必然と言うか因果と言うか。

 だからこそゆらのは、とはゑと出会う前から未言に立ち向かえたのだ。

「でも、未言字引したら見えちゃうなら、やっぱりかくれてやらないとね」

 話しながら歩いていたら、とはゑの家がもう見えてきた。

 自分の家での失敗を踏まえて先にとはゑに計画を伝える。

「いい、とはゑ。とにかくその未言未子を連れて家の人がいない部屋に立てこもって……とはゑ、とはゑ、もうその子しまって。見つかる」

 ずっと前を向いて歩いていたゆらのは、まだとはゑが未言未子をつかんだまま歩いていたのにやっと気づいた。

 とはゑは手におさまる未言未子と目を合わせてかすかに首をかたむけた。

「たの」

 未言未子がとはゑに向かって鳴いた。

「たの」

 とはゑも同じように鳴いて返した。

「とはゑ、とはゑ。しまって。お願い」

 永遠に鳴き声でコミュニケーションを続けそうな雰囲気を出すとはゑを、ゆらのはがんばって急かした。

 芽言が気をつかって、ふわりと宙に浮かび、未言未子の首根っこをくわえて、とはゑの手の中から引きずり出した。

 芽言はそのまま未言未子を連れてとはゑのランドセルにもぐりこんだ。

 ゆらのは手が空いてたら芽言に親指を立ててあげたくなった。

 中身がなくなってすかすかしている両手のすき間をとはゑはなごりおしく見つめている。

「それでね、とはゑ。人のいない部屋で、未言字引をするのよ。それで未言草子に綴るまで、誰も入ってこないようにお願いするの。できる?」

 ゆらのの頼みごとに、とはゑはじっとゆらのの瞳を見つめ返して何度かまばたきをしてから、こくんとうなずいた。

「だいじょうぶかな」

 ゆらのの胸にいっぱいにふくらんだ不安が晴れないままに、二人はとはゑの家に到着してしまった。

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