∞第8幕∞

 そしてゆらのは、意を決して、とはゑのお盆に乗ったはしを手に取った。

 ゆらのの前に座る男子が、なにをしているんだろうかとお味噌汁をすすりながらゆらのの動きに注目する。人のはしを手にする理由が全くわからなかったにちがいない。

 そしてゆらのがそのままそのはしで、とはゑの分の白米を取り、あんぐりと開けられたとはゑの口の中へとおそるおそる運ばれた。

 とはゑはゆらのが運ぶはしが口に届くと、はぐ、とようしゃなくくわえた。

 ゆらのがとはゑの口から、すっとはしを抜くと、とはゑはもぐもぐと白米の味をかみしめる。

 ゆらのはほっと息をつき、しばらくとはゑの様子を真剣に見つめる。

「いや、なにやってんのおまえ」

「オンナにはやらなければならないときがあるのよ」

 目の前の男子からのやってきた当然のツッコミを、ゆらのは鋼の覚悟で跳ね返した。

 しかし男子を向き合っている間に、ゆらのはとはゑからの視線が刺さるのをほほに感じて、急いで次の捧餉ささげに取り組む。

「あ、鶏肉切れてないの意外にやっかい……とはゑ、噛み切れる?」

 ゆらのが鶏の照り焼きがはしで切れなくて四苦八苦していると、とはゑはさっきより大きく口を開けて赤いのどの奥まで見せてきた。

「いや、一口で食べたらそれでなくなっちゃうでしょ。給食の先生が作ってくれたんだから味わって食べないと。おいしいんだからもったいないよ」

「ぅん。おいしい。お米」

「おかずもおいしいから、ね」

 ゆらのはなんとかとはゑを説得して、鶏の切り身を前歯でかじり切らせるのに成功する。

 とはゑがもぐもぐしている間に、追加の白米も差し込んでおく。

「これ、自分が食べるタイミングむずかしいわね……にこゑさん、どうやってるのか聞いた方がいいのかな」

 生まじめなゆらのは、一度やると約束したからには完璧にやってみせようと頭をなやませる。

 とはゑはゆらのが自分の分を食べられなくてこまっているのを察して、ゆらののお盆に乗ったはしに手をのばした。

 そのゆるやかにのびる手を、ゆらのは寸前で手をそえて止める。

「まって。あたしは自分で食べるから。おーけー、とはゑ?」

 とはゑはなんでこまってるゆらのを助けたらダメと言われるのかわからなくて、きょとんと目を丸くしてゆらす。

 ぱちぱちとまばたきをするとはゑのまなざしと、まばたきもしないでまっすぐにとはゑに挑むゆらののまなざしがしばらく交差する。

 そしてとはゑはゆらののお盆に向けた手をまたのばそうとして、ゆらのは手に少しだけ力をこめて食い止める。

「確かにゆらのちゃん、戦ってる……けど、この戦い不毛じゃない? 必要なの?」

 さっきのゆらのの発言にウソはなかったんだと望美は納得をもらすけれど、そもそもの部分に対してはまだ疑問が残るらしい。

 けれどそんな望美の疑問に答える余裕は攻防のさなかにいるゆらのにはなく、とはゑもゆらのを相手にして精いっぱいだった。

「とはゑ、あたし、自分で食べる。おーけー?」

「なんでいきなり片言なん、おまえ」

 一言ずつ区切ってとはゑに自分の意志を告げるゆらのは、本気が過ぎて前の席に座る男子を取り合う心のゆとりはない。

 とはゑはとはゑで、じっとゆらのを見つめて、自分の意志を伝えようとしてくる。その瞳はゆらのに対しては確かに雄弁で、非言語コミュニケーションは確かに成立していた。

 一進一退すらない、完全なる硬直に至り、戦線は不動を維持してしまう。

 ここでゆらのにだけあせりが生まれる。こんなことをして、給食の時間がなくなったらいけない、と。

 とはゑには時間を守らないといけないなんて感覚は、この瞬間にはなかった。

 その事実をゆらのは持ち前の戦局眼で見抜き、自分の不利を知る。これがほれた弱みなのか と、見当違いな冷や汗がほほを伝う。

永久会とはゑさん?」

 しかし二人の攻防は、いつの間にか背後に来ていた國分先生から投げかけられた声で唐突に中断させられた。

「どうしたの? 自分でご飯食べれないの?」

 國分先生はその場でしゃがんで、視線を合わせるどころか、イスに座るとはゑの顔を見上げる格好で話しかけた。

 とはゑは、自分で食べられないのではないけど、食べてはいけないと言われていて、やっぱり自分で食べれないから、と頭の中で答えと理由が無限巡回して動作が停止してしまった。

 ゆらのは、國分先生がとはゑに自分で食べなきゃいけませんとか言ったらどうしよう、あの悲しそうに潤んだまなざしを見たら心が折れてしまうとハラハラして、空気がのどでつまる。

「給食、おいしくないかな?」

 國分先生にたずねられて、とはゑはふるふると頭をゆすった。

「おいしい、です」

 それがとはゑの本心だ。去年までの給食とちがって、出来立てで温かくて、優しい手作りの味がして、それにお米どうしてかとってもとってもおいしくて、嬉しくて楽しい。

 それをゆらのが食べされてくれるから、なんだったらもうごちそうさまでもいいくらいに、とはゑの心は満たされている。でも、お腹はまだちょっぴりしか入ってないから、できるならもっと食べさせてほしいとも思ってる。

「うん、そっか。良かったわ。じゃあ、美味しい給食だから、とはゑさんもがんばって、一口ずつは自分で食べてみない?」

「ひと、くち、ずつ?」

 とはゑは國分先生に言われたことをそのままくり返して、自分の中へ飲み込む。それでやっと言われたことがカタチを持ってとはゑの意識に灯る。

 とはゑはちらりと、ゆらのを見た。

 ゆらのは話がどう転ぶのかと、とはゑに穴が空きそうなくらいに視線を外さずにいる。

 そしてとはゑは、ゆらのの手から自分のはしを取った。

「ぴゃっ」

 ゆらのが情けない鳴き声を上げた。

 けれど先生の前でとはゑからはしを取り返すこともできなくて、ゆらのは言葉も行動も出遅れる。

 その隙間に、とはゑはきれいに手にしたはしでサラダを少しだけつまみ、口に運ぶ。

 それからお味噌汁のお椀を左手で持ち上げて口を付け、はしでいちょう切りの大根をさらって口に運ぶ。

 鶏の照り焼きは、ゆらのがさっきもったいないと言ったから、はしでつまんで、はしっこだけをかみ切ってもぐもぐする。

 そしてステンレスの丈が低くて口の広いお茶碗を左手に取って、白米の小さなかたまりをはしに乗せた。

「たの?」

 そのとはゑが白米を乗せたはしの根元を支える親指と人差し指のアーチに、ちっちゃな人の姿をしたなにかが腰かけていて、とはゑはかすかに首をかしげた。

未言みこと

 その存在を確かめるようにとはゑが声をもらす。

 ゆらのもとはゑの言葉にハッとして、その手に座っているものに気付いた。

 國分先生や他のクラスメイトには、とはゑのぽつりとこぼした言葉は聞こえなかったらしい。

 國分先生のおだやかなまなざしに見守られながら、とはゑは白米を口に運んで、ゆっくりと味わってかみしめて、それからこくんとのどを鳴らして飲み込んだ。

「偉いわ、永久会さん。明日からも一口ずつは頑張りましょうね」

 國分先生はとはゑの頭をやさしくなでると、その場を離れて自分の席へと帰っていった。

「たのー?」

 とはゑの手に乗ったままのちっちゃななにかが体をゆらすと、とはゑもそれに合わせて大きく首をかたむけた。

 ゆらのは、言葉にならない声を上げてわななく。

 小さな未言のそれは、きっととはゑやゆらのにしか見えていない。けれどとはゑがそんなに目立つ動きをしたら、そっちでみんなにふしぎに思われてしまう。

 ゆらのはとはゑの右手を包んで、はしと一緒にちっちゃいそれもかっさらった。

「あとで」

 ゆらのは小さな声でとはゑに耳打ちする。とはゑはくりんとゆらのの顔を見て、すなおにこくんとうなずいてくれた。

 ゆらのはなんとか助かったと安堵の息をつきながら、さりげなくポッケに捕まえた小人をしまって、どうにかこうにか二人分の給食を食べ進めていく。

「ねぇ、良かったらゆらのちゃんが食べるの、私が少し変わろうか?」

 どうにも自分の分を食べるタイミングをつかみかねているゆらのを見かねて、望美が手助けを申し出てくれた。

 ゆらのは、他の人の手を借りるというのがすっぽり頭から抜けていたから、一瞬呆けた顔を見せる。

「あれ? とはゑ、それってあり?」

 とはゑに確認してみると本人は問題ないとあっさりとうなずいて見せた。そして望美に向けてひな鳥のように口を開く。

 ゆらのは目からうろこが落ちる気持ちで、望美に尊敬の念を抱いた。

「えー! いいなあ! うちもとわーに餌付けしたい!」

「餌付け言わないでくれる?」

「お前な、班違うんだからしゃしゃり出るなよ、話がこんがらがるだろうが」

 捧餉がゆらの以外でもいいと発覚して、遠くから瑠衣が叫び、ゆらのと葵が即座に非難を浴びせかける。

「ぐぬぅ……五月の席替えのために願掛けするか。拝む相手はとわわんなんかな、この場合?」

 勝手に神格化されているとはゑだったけれど、前回とちがって今は望美が運んでくれる給食に夢中でおかしなポーズを取ることはなかった。

 ゆらのはほっと息をついて自分の給食にはしを付ける。

 その横顔をじっととはゑが見ていて、ゆらのは首をかしげて視線をとはゑに向けた。

「おいしい、ね」

「うん。おいしい」

 とても大変な思いをしている給食の時間なのに、去年よりも幸せな気分になってるのはどうしてなんだろうと、ゆらのはふしぎに思う。

「かねー」

 そんなゆらののポッケで満足そうに鳴く小さいのの声に、とはゑはかすかにほほをゆるめた。

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